第21話 わたくしの部屋のことです
セレーヌとの話し合いには、小さな客間を使った。
玉座も、大きな机もない部屋だった。
オデットとテオバルトが並んで座り、女官は向かいの椅子へ招かれた。
セレーヌは最初、立ったまま話すと言った。
オデットは椅子を示した。
「長くなるかもしれませんので」
叱責するために呼んだのではない。
それでも、曖昧なまま終えるつもりはなかった。
「こちらでのお仕事は、父からどのように?」
オデットが尋ねると、セレーヌは淀みなく答えた。
衣装と行儀の補佐。大公妃としての振る舞いの確認。故国への報告。婚姻に関する文書の整理。
最後まで聞いて、オデットは頷いた。
「わたくしがお願いした仕事は、一つもありませんね」
女官の指が、膝の上で重なった。
「陛下からのご命令でございます」
「はい。父には、そのように聞いております」
オデットは息を整えた。
「ですが、ここで暮らしているのはわたくしです。衣装は自分で選び、机は使っている形に置いておきたい。朝食の時刻は、夫と決めます」
「お気に障ったのでしたら、お詫びを」
「お詫びではなく、帰国をお願いしたいのです」
セレーヌが顔を上げた。
今度は、承知しましたとは言わなかった。
「わたくしを、解かれるのですか」
「こちらでの補佐は、必要ありません」
「王女殿下。お立場を、お考えください」
その言葉で、昔ならオデットは黙った。
今日は、隣の夫の膝が触れていた。
触れているだけだった。
自分の声を代わりに出すことは、しなかった。
「考えています」
オデットは答えた。
「ここで、妻として暮らしています。大公妃としての仕事もあります。そのどちらも、知らないうちに直されると困ります」
「直したのではなく、お助けを」
「助かりませんでした」
言葉が、はっきり響いた。
セレーヌは黙った。
オデットも、少し胸が痛んだ。
悪意がないかもしれない相手へ、そう言うのは難しい。
でも、助かっていないのにありがとうと言えば、次も同じことが起こる。
「あなたがお仕事をなさろうとしたことは、わかります。旅の費用も、お戻りの馬車も、こちらで用意します」
テオバルトが、その時だけ頷いた。
「滞在中の給与も、滞りなく」
女官は夫を見た。
「大公殿下も、このご判断で」
「はい。私の机も、片づけていただく必要はありません」
オデットは笑いそうになり、こらえた。
テオバルトの声は真剣だった。
「私たちの家ですので」
女官は、ゆっくり頭を下げた。
話し合いの後、セレーヌはその場に少し残った。
テオバルトが先に出ると、彼女はオデットへ向き直った。
「王女殿下」
「はい」
「陛下は、悲しまれると思います」
胸が縮みかけた。
オデットは、テオバルトのいなくなった椅子を見ないようにした。
自分一人で答えたかった。
「何を、でしょうか」
「お気持ちを、お受けにならなかったことを」
オデットは女官の顔を見た。
この人も、父の気持ちを先に考える人だった。
王宮で働く以上、それが身につくのかもしれない。
「わたくしの気持ちも、伝えてください」
彼女は言った。
「暮らしを変えられて、困ったこと。手紙を渡したくないこと。父を嫌いたいからではなく、大切なものを残したいからだということを」
セレーヌは返事をしなかった。
オデットは続けた。
「そのまま、伝えていただけますか」
長い間があった。
「……お伝えいたします」
信じてよいかは、わからなかった。
それでも、自分の言葉を渡した。
伝わらなければ、今度は自分で書けばよい。
沈黙へ戻る必要はなかった。
セレーヌが発った翌朝、オデットは少し寝坊した。
テオバルトはすでに起きていたが、朝食を早めてはいなかった。
彼女が慌てて食堂へ入ると、夫は杯を置いて笑った。
「おはようございます」
「すみません」
「よく眠れましたか」
「はい」
それ以上、何も言われなかった。
椅子に座り、温かいパンを取る。
食卓の時刻は、二人のものへ戻っていた。
「怒られませんね」
思わず言うと、テオバルトが眉を上げた。
「何に?」
「遅れたので」
「私も、昨日は仕事で遅れました」
「あれは、理由が」
「眠っていたのも、理由です」
オデットは笑った。
何でも許されるという話ではない。
今日の十分は、怒るほどのことではなかった。
その大きさで扱ってもらえることが、ありがたかった。
午前、オデットは自分で机を片づけた。
夫の本は、彼が置いていた場所へ戻す。
書きかけの紙を広げる。
父への返書には、女官の帰国を願った理由を短く記した。
手紙の提供については、夫婦の私信なので辞退すると書く。
書き終えると、テオバルトに見せた。
「確認していただきたいのではなくて」
彼女は先に言った。
「一緒にお返事することなので」
夫は頷き、目を通した。
「私も、同じ返事です」
紙の下へ、彼が短く署名する。
婚礼の時と同じように、自分の名の隣に、見慣れた筆跡が並んだ。
オデットは、その二つの名を見た。
「これなら、わたくしが残りたがっているとは書き換えられませんね」
「少なくとも、私たちの手元には残ります」
夫は控えを作るため、別の紙を出した。
世の中の全ての誤解を防ぐことはできない。
でも、自分たちが何と言ったかを、二人で忘れずにいられる。
それが今は、十分に強いことだった。
夕方、エルザから便りが届いた。
セレーヌのことを知っていたわけではない。
園芸誌の刊行祝いに、小さな集まりを開かないかという誘いだった。
編集を担う老夫妻が、公国へ来る予定らしい。
最後に、短い追伸があった。
甥の悪口がまだ届かないので、少し心配しています。
便りのないのが良い便りなら、そう書いておよこしなさい。
オデットは声を立てて笑った。
テオバルトが顔を上げる。
「何が?」
彼女は手紙を見せた。
夫が読み終え、少し考えて言った。
「今なら、何か書けますか」
「はい」
「たとえば」
オデットは彼を見た。
「夫が、わたくしの悪口を気にしすぎます」
テオバルトが笑った。
彼女も笑いながら、返事の紙を出した。
誰かに何を書けば許されるかではなく、何を書けば笑ってもらえるか。
そのことを考える夜が、また戻ってきた。




