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冷遇王女の政略結婚――たった一人の味方だった文通相手が、旦那様になりました  作者: 星舟能空


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20/32

第20話 持参された親切

 帰還から十日後、故国から女官が一人やって来た。

 名はセレーヌ。

 王宮で長く働いていた人で、オデットも顔を知っていた。

 年は四十を少し越えたくらい。衣服に皺がなく、声も歩幅も整っている。

「王女殿下のご不自由を案じられ、陛下がお遣わしになりました」

 彼女はそう言い、深く礼をした。

 オデットは玄関の広間で、返事に迷った。

 不自由はない。

 それでも、遠くから来た人にその場で帰れとは言えなかった。

「旅のお疲れでしょう。まず、お部屋を」

 マルタを見ると、家政婦長は頷いた。

 セレーヌの荷物は、長い滞在を想定した量だった。

 オデットは、その箱の一つを見てしまった。

 母の手帳と同じ大きさではないか、と。

 違った。

 衣装箱だった。

 期待した自分が、少し情けなかった。


 テオバルトは、セレーヌが持参した父の書状を読んだ。

 女官を預けること。大公妃としての務めを補佐させること。故国との連絡を滞らせぬこと。

 その後に、オデットの私的な文通についての一文があった。

 王家の婚姻の記録を整えるため、結婚以前の便りを確認したいという。

 オデットは、そこを二度読んだ。

「確認とは」

 テオバルトは首を振った。

「範囲が、書かれていません」

「わたくしの手紙も、あなたの手紙も?」

「そのように、読めます」

 部屋の棚へ目を向ける。

 二つの箱が並んでいる。

 母の手帳を手に入れられなかった後で、今度は、自分の手紙を求められた。

 胸の中で、何かが冷たく固まった。

「お渡ししたくありません」

 声は、思ったよりはっきり出た。

 テオバルトが頷く。

「私もです」

「では、そうお返事を」

「ええ」

 それだけなら、簡単だった。

 問題は、父の命令を持って来た人が、すでに館の中にいることだった。


 セレーヌは有能だった。

 客人の名前をすぐ覚え、故国の作法について尋ねられれば淀みなく答えた。

 オデットの衣装も、届いたその日のうちに点検した。

「こちらは、お茶の席には少し簡素でございます」

 薄茶の外出着を持ち上げる。

 城下へ買い物に行った日の服だった。

「街を歩く時に着ています」

「でしたら、せめて飾り紐を」

「今のままが、歩きやすいので」

 セレーヌは少し驚いたが、頭を下げた。

「承知いたしました」

 従った。

 だから、追い返すほどではないと思った。

 翌朝、朝食の時刻が十分早められていた。

 夫の予定に合わせるためだという。

 テオバルトは、頼んでいないと言った。

 セレーヌは、大公妃殿下が先に整えてお待ちになるほうが、と説明した。

 オデットは、食堂の時計を見た。

 自分と夫で決めた日課が、知らない間に直されていた。

「元の時刻に戻してください」

 彼女が言うと、セレーヌはまた頷いた。

「かしこまりました」

 従う。

 次には、別のところを直す。

 大きな命令ではなかった。

 小さな親切が、一つずつ二人の暮らしへ置かれていった。


 三日目、オデットが温室から戻ると、部屋の机が片づいていた。

 本が大きさの順に並び、書きかけの紙は一つの革挟みに収まっている。

 夫の読みかけの本から、栞が抜かれていた。

「どなたが」

 リナへ尋ねると、彼女は眉を寄せた。

「セレーヌ様が、机の整理を」

 オデットは棚を見た。

 手紙の箱には、触れられた様子がなかった。

 ほっとした自分へ、次に怒りが湧いた。

 触られなかったことに、毎日ほっとしなければならない部屋へ戻りたくなかった。

 セレーヌを呼ぶと、女官は悪びれなかった。

「お散らかりでしたので」

「散らかっていたのではありません。使っていました」

「申し訳ございません」

「今後、机の物には触れないでください」

「承知いたしました」

 丁寧な返事だった。

 なのに、オデットは安心できなかった。

 昔の王宮でも、同じだった。

 目の前では、承知したと言われる。

 本人のいないところで、よかれと思った形へ戻される。

「お父様へのお返事は、わたくしが書きます」

 オデットは続けた。

「手紙の確認は、お断りします」

 セレーヌの表情が初めて変わった。

「王女殿下。王家の記録でございます」

「私たちの便りです」

「後世に、誤った話が残らぬようにと」

「何が誤りなのですか」

 女官は、少し言いよどんだ。

「結婚以前から私信を交わしていたことが、どのように受け取られるか」

 オデットは、彼女の顔を見た。

 心配しているのかもしれない。

 王女の名誉を守ることが、自分の仕事だと本気で思っているのかもしれない。

 それでも、渡したくなかった。

「相手は、今の夫です」

「存じております」

「わたくしたちが説明します。必要なら」

 セレーヌは深く頭を下げた。

 納得したのではないことが、オデットにはわかった。


 その夜、テオバルトは栞のない本を開き、少し困っていた。

「どこまで、読みましたか」

 オデットが尋ねる。

「旅人が、次の宿へ」

「ずっと宿へ行っていますね」

 夫が笑った。

 彼女も笑ったが、すぐに真顔へ戻った。

「わたくし、あの人を帰してよいのでしょうか」

 テオバルトは本を閉じた。

「帰ってもらいたいですか」

「はい」

「では、そうできます」

「でも、お父様が」

 そこで言葉が止まった。

 父が遣わしたから、父へ断らなければならない。

 そう考えると、いつまでも自分の部屋を自分で守れない。

 テオバルトは彼女を見ていた。

「滞在の目的を、一度はっきりさせましょう。あなたが必要としていない仕事なら、ここに置く理由はありません」

 オデットは頷いた。

 夫の手が、彼女の指へ触れる。

「ただ、私が先に追い出してしまうと、あなたの返事がまた消えてしまう」

「はい」

「一緒に、話しますか」

 オデットは、二つの手紙の箱を見た。

 この部屋を、また戻って来たい場所のままにしておきたい。

「お願いします」

 今度のお願いは、全部を代わってもらうためではなかった。

 自分が言うところを、隣で聞いていてほしかった。



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