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冷遇王女の政略結婚――たった一人の味方だった文通相手が、旦那様になりました  作者: 星舟能空


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第10話 一つだけ欲しい物

 テオバルトの誕生日が近いと知ったのは、マルタからだった。

 オデットは持っていた茶碗を置いた。

「あと五日?」

「はい。例年、大きな祝いはいたしませんが、食卓に少し花を」

 五日しかない。

 いや、五日ある。

 何かを贈りたいと思った瞬間、自分が大いに困っていることに気づいた。

 夫は大公で、必要な物はたいてい持っている。

 園芸の道具も、本も、自分より詳しい。

 着る物なら、衣装係が寸法を知っているだろうが、好きな形までわかるだろうか。

「お好みは」

「直接お尋ねになってはいかがでしょう」

 マルタは答えた。

 オデットは瞬いた。

 そうだった。

 自分が夫に頼んだことだ。

 今の本人に、聞く。


 夕食の後、オデットは勇気を出した。

「お誕生日に、何かお好きな物を」

 テオバルトはすぐには日付を思い出せない顔をした。

「私の?」

「ほかに、どなたが」

「いえ。ありがとうございます。ですが、特に」

 ない、と言いかけたのがわかった。

 オデットは先に身を乗り出した。

「あります」

「私が決めるのでは?」

「そうでした」

 夫が笑った。

 彼女は赤くなりながらも、諦めなかった。

「何もいらないと言われると、困ります。わたくし、差し上げたいので」

「お気持ちだけで」

「殿下」

 テオバルトは口を閉じた。

 少し考え、本当に困っている顔になった。

「では、時間を」

「時間?」

「その日は、夕刻から仕事を入れません。二人で過ごせれば」

 オデットは頷いた。

 胸は温かくなったが、手元に何も残らないのは、少し寂しかった。

「それと、一つだけ、何か」

「一つ」

「十二種類にはしません」

 テオバルトが笑い、彼女も笑った。

「考えておきます」


 翌日になっても、返事は来なかった。

 代わりに、温室で彼の作業用の紐が切れた。

 剪定鋏を腰へ下げるための革紐だった。

 テオバルトは結び直そうとしたが、古くなっていて端が崩れる。

「替えればよかった」

 彼は言った。

「いつも、まだ使えると思ってしまう」

 オデットはその紐を見た。

「お借りできますか」

「これを?」

「はい」

 テオバルトが、少し疑わしそうに彼女を見る。

 気づかれたかもしれない。

 でも、彼は何も言わずに紐を渡した。


 街の革職人は、四日でできると答えた。

「丈夫で、片手で外せる物がよろしいのですね」

「はい。右手が、少し使いにくい時があるので」

「なら、留め具を大きくしましょう」

 職人が見本を出す。

 オデットは指を通し、片手で何度か試した。

 硬すぎない。けれど、軽く引いただけでは外れない。

「これがよいです」

「飾りは?」

「いりません」

 答えてから、少し考えた。

「内側に、小さな鳥を入れられますか」

 リナが隣で笑った。

 職人は頷いた。

「見えないところで、よろしければ」

「そこがよいのです」

 職人が紙へ値段を書くと、オデットは財布を出した。

 金額を確かめてから、少し迷う。

 高すぎるわけではなかった。

 ただ、王宮では物の値段を自分で判断することが少なかった。安い物を選べば王女らしくないと言われ、高い物を選べば身の程を知らないと注意された。

「これで、丈夫に作っていただけますか」

 尋ねると、職人は頷いた。

「はい。飾りを増やせば別ですが、今のお話でしたら」

「では、お願いします」

 銀貨を置く。

 支払った途端、頼んだ物が自分の選択になった気がした。

 誰かから渡された贈答品へ、自分の名を添えるのではない。

 夫の手を思い出し、留め具を試し、この形に決めた。

 店を出てから、リナが言った。

「きっと、お喜びになります」

「そうかしら」

「殿下が、お選びになりましたから」

「それだけでは、使いにくい物になってしまうこともあるわ」

 十二種類の苺の菓子を思い出して、二人で笑った。

 オデットは歩きながら、また少し不安になった。

「内側の鳥は、余計だったかしら」

「そう思われますか」

「いいえ」

 返事は、今度は早かった。

 リナが微笑む。

「では、よろしいのでは」

 オデットは頷いた。

 役に立つ物を贈りたい。

 でも、役に立つだけの物でも、少し寂しい。

 自分が渡したと、夫が手に取るたびにわかってほしかった。

 そのわがままを、小さな鳥一羽へ隠したのだ。

 大公への贈り物としては、地味だろう。

 けれど、夫の腰へ毎日つく物なら、立派な箱に入れてしまわれる品より嬉しかった。


 誕生日の夕刻、オデットは図書室へ招かれた。

 暖炉には火がなく、代わりに小さな灯りが置かれている。

 卓の上には、食事と、一つの菓子。

「一つです」

 テオバルトが言った。

「覚えていてくださったのですね」

「忘れがたい教訓でした」

 笑ってから、オデットは卓上の菓子を見た。

 苺ではなく、木の実を焼き込んだ素朴なケーキだった。

「こちらがお好き?」

「子供の頃から」

「では、わたくしもいただきたいです」

 夫の好きな物を、自分も知っていく。

 それが新しい楽しみになっていた。

 食事の後、オデットは包みを差し出した。

「お誕生日、おめでとうございます」

 テオバルトは丁寧に紐をほどいた。

 革の帯を取り上げ、留め具を試す。

 右手でも、左手でも。

 それから内側の小鳥を見つけた。

 顔を上げるまで、少し時間がかかった。

「ありがとうございます」

「使いにくければ、直してくださるそうです」

「使いやすいです」

「試してからで」

「今、試しました」

 オデットは笑った。

 自分が夫の贈り物に戸惑ったとき、彼もこんなふうに結果を待っていたのだろうか。

 テオバルトが、帯を膝へ置く。

「長く使います」

「古くなったら、替えてください」

「それは、難しい」

「また、切れてしまいます」

「では、その時は修理を」

 やり取りをしながら、オデットは嬉しかった。

 贈り物を喜ばれるのは、こんなに困るほど嬉しい。


 ケーキを食べ終えると、テオバルトが棚から薄い本を出した。

「これを、読んでいただけますか」

 園芸の本かと思ったら、旅の随筆だった。

 小さな町で宿を探し、間違えて葬儀の家へ泊めてもらった男の話。

 オデットが読み進めると、思いがけないところで夫が笑う。

 自分もつられて笑い、次の行が読めなくなる。

「殿下」

「失礼」

「まだ、笑うところでは」

「その次が」

 先に読んだことがあるらしい。

 オデットは本で口元を隠した。

「結末を教えないでください」

「はい」

 声に出して読むのは、王宮で姉に頼まれたことがある。

 そのときは、姉が眠くなるまで、意味を考えずに読んだ。

 今は、次の行で夫がどんな顔をするか見たくて、何度も本から目を上げた。

 同じ行為なのに、まるで違う時間だった。

 一章が終わると、テオバルトが本を受け取った。

「次は私が」

 低い声が、静かな部屋へ落ちる。

 聞いているうちに、オデットは夫の肩へ少し近づいていた。

 その声で三年間の手紙を読まれたら、どんな気持ちになるだろう。

 想像しただけで、頬が熱くなった。

「聞いていますか」

 テオバルトが尋ねる。

「はい」

「今、主人公はどこへ」

「……葬儀のお家へ」

「それは前の章です」

 オデットは本へ顔を寄せた。

「もう一度、お願いします」

「どこから」

「少し、前から」

 夫は笑い、何も追及せずに読み直した。


 夜が更けてから、テオバルトは本を閉じた。

「欲しい物を、一つ考えました」

 オデットは顔を上げた。

「はい」

「今日のうちなら、頼んでも?」

「もちろんです」

 彼は、彼女を見たまま言った。

「名前を呼んでほしい」

 オデットは瞬いた。

「お名前」

「殿下でも、大公でもなく」

 今までずっと、殿下と呼んでいた。

 相手は大公で、自分より年上で、先に何でも知っていた人だったから。

 でも夫だった。

 同じ寝室ではまだ眠っていないけれど、唇を重ね、贈り物を選び、もっと一緒にいたいと思う人だった。

「テオバルト、様」

 最後の二文字が、どうしてもついた。

 彼は目を閉じるように笑った。

「ありがとうございます」

「これで、よいのですか」

「もう一度、聞ければ」

「テオバルト様」

 今度は少し言いやすかった。

 呼んだ後、オデットは自分から彼の手を取った。

「わたくしも、一つ言いたいことが」

 夫の指が動きを止める。

 もう、書いて考える時間はいらなかった。

 怖くても、この人の顔を見ながら言いたい。

「あなたが、好きです」

 部屋が静かになった。

 テオバルトは何も答えなかった。

 一瞬、不安が胸をよぎる。

 次の瞬間、彼の腕が背中へ回った。

 抱き寄せられ、オデットは肩へ手を置く。

 今までの触れ方より強かった。

 おばあ様の慰めではない。

 夫が、喜んでいる。

 自分の言葉で、こんなふうになるのだ。

「……ありがとうございます」

 耳元で言われ、オデットは少し笑った。

「お誕生日の贈り物では、ありません」

「はい」

「今日だけではないので」

 腕の力が、もう少し強くなった。

 テオバルトが身を離して、彼女を見る。

 オデットは目を閉じなかった。

 今度は、自分から近づいた。

 触れる直前に夫が笑ったことを、唇で知った。

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