第四十話 線引き板と穴文明
銅は、赤かった。
雪の白い朝に見ると、なおさら赤い。
小雪は作業台の上に並んだ銅を、しばらくじっと眺めていた。
古い銅鍋の切れ端、薄い銅板、太めの銅棒、表面に緑青の浮いた飾り金具。
ガドから譲ってもらったものに加え、ベルが街の金物屋やグランツ家の伝手へ手配をかけて集めたものも混じっている。
けれど、まだ線ではない。
巻くこともできない。
当然、コイルにもならない。
ただの板と棒と金具である。
それでも、ここから細い銅線ができる。
はずだ。
「赤いです。」
「この前も言ってたな。」
ベルは隣で、今日使う工具を確認していた。
小さなやすり、厚い鉄板、金槌、太さの違う鉄棒、穴の内側を整えるための細い道具。
以前なら木工道具ばかりだった作業台が、最近は少しずつ金属を扱う職人のものに近づいている。
「この赤いものが、電気の道になります。」
「不思議だな。」
「はい。」
ベルは銅片を一つ手に取り、表裏を眺めてから、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「そういや、前に電磁石を作った時の銅線は、どこから持ってきたんだ?」
「あれは、壊れた魔導具からほどいたものです。」
「魔導具?」
「はい。街で買った壊れた魔導具の中に、細い金属線が何重にも巻かれていました。私の世界にあったものとよく似ていたので、使えると思いました。」
「なるほどな。」
ベルは少し考え込んだ。
「あの時のおまえ、自分で作った線を使ってたわけじゃなかったのか。」
「違います。」
小雪は作業台に並んだ銅を指した。
「あの線には、表面に薄い膜のようなものもありました。おそらく、絶縁処理に近いものだと思います。」
「絶縁。」
「電気が、巻いた線同士の間を近道しないようにするものです。」
「近道すると駄目なのか。」
「たぶん。」
「また、たぶんか。」
「詳しい作り方までは知りません。」
ベルは腕を組んだ。
「じゃあ、銅線ができたあとも、まだ考えることがあるわけか。」
「はい。」
「道のりは遠いな。」
「文明は大変です。」
「また、でけぇ言い方になったな。」
小雪はもう一度、作業台の銅を見た。
「前の電磁石は、原理を確認しただけでした。」
「まあ、そうだな。偶然手に入った細い線を使って、偶然それらしいものを再現できただけだ。」
「はい。」
「同じものを、もう一度自分たちで作れなきゃ技術とは言えねぇ。」
ベルはそう言って、手の中の銅片を作業台へ戻した。
「偶然を、技術にする。」
小雪は頷いた。
「はい。偶然を、文明にします。」
「銅線文明。」
「はい。」
「今日は、その第一歩か。」
「穴文明、再登場です。」
「だから、その言い方が嫌なんだよ。」
小雪は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。
最初の、小さな電磁石。
壺電池。
線を巻いた鉄へ電気を流した時、針がほんのわずかに動いた。
あの小さな感動へ。
ようやく戻ってきた。
今度は、偶然手に入れたものを使うのではない。
自分たちで作るために。
外にはまだ雪が残っていたが、ガドの鍛冶場へ入ると、すぐに空気が変わった。
火床の赤い光が壁や工具を照らし、鉄と炭と油の匂いが混ざっている。
小雪たちが持ち込んだ銅を一通り確認すると、ガドは作業台の上へ厚い鉄板を置いた。
「まずは、線引き板の真似事からだな。」
「線引き板。」
小雪は繰り返した。
「ああ。金属の板に、大きさの違う穴をいくつも開ける。細く伸ばした銅の先を穴へ通して、反対側から引っ張る。うまく通れば、銅はその穴の大きさに近づく。」
「穴で細くします。」
「そうだ。」
「穴文明。」
ガドは一瞬黙り、それからベルを見た。
「……本当に穴が好きだな、勇者さまは。」
「穴は偉大です。」
「人前で言うな。」
ベルがすぐに言った。
「敬語。」
「人前で言わないでください。」
言い直したあと、ベルは自分で顔をしかめた。
「……って、これも久しぶりだな。」
「適宜挟んで参ります。」
「挟まなくていい。」
小雪は頷いた。
挟むかどうかは、小雪が決める。
ガドは鉄板を指先で叩いた。
「ただし、穴を開けりゃ終わりってわけじゃねぇ。」
「はい。」
「穴の内側が荒れてたら、銅が傷つく。引っかかるし、最悪、途中で切れる。」
「滑らかにする必要があります。」
「そういうことだ。それに、入口も少しなだらかな方がいい。いきなり鋭い角へ押し込めば、そこで傷むからな。」
「細かい作業。」
小雪は、無意識に自分の手を見た。
手袋の中にある指は、きちんと動く。
感覚もある。
けれど、小さな銅片をうまくつまめなかった。
雪ウサギも、なかなか可愛くならない。
穴の内側を少しずつ滑らかにする作業は、おそらく簡単ではない。
ベルが小雪の横から、鉄板を覗き込んだ。
「穴を開けるところまでは、水車式ドリルが使えるか。」
「大きい方ならな。」
ガドが答えた。
「小さい穴は、最後は手で仕上げた方がいいだろう。水車の回転は便利だが、何でも速けりゃいいってもんじゃねぇ。」
「ほどほど文明。」
小雪が言うと、ガドが笑った。
「そうだな。小さい穴ほど、ほどほどが大事だ。」
ベルは鉄板を手に取り、穴を並べる予定の場所を指でなぞった。
「順番は、大きい方から小さい方へ?」
「ああ。いきなり細い穴へ通そうとすれば、銅が耐えられねぇ。少しずつ細くする。」
「途中で硬くなれば、また焼きなます。」
「そういうことだ。」
ガドは頷いた。
「銅も、無理をさせすぎりゃ切れるからな。」
小雪は記録用紙へ書いた。
一、線引き板には、大きさの違う穴を開ける。
二、銅を穴へ通して引くと、少しずつ細くなる。
三、いきなり細くすると切れる。
四、大きい穴から、小さい穴へ。
五、穴の内側は滑らかにする。
六、銅も、無理をさせすぎると切れる。
六番を書いたところで、小雪の手が少し止まった。
銅も、無理をさせすぎると切れる。
金属にも休憩が必要。
一人で支えるより、二人の方が落ちにくい。
補填されるとしても、止まる。
このところ、似た言葉ばかりを聞いている気がする。
小雪はペンを持ったまま、しばらく紙を見つめた。
おそらく。
このコイルが完成する頃には。
また、次のことを考えなければならない。
ベルと作ったものが揃えば揃うほど、魔法を使わない文明へ少しずつ近づく。
それは、小雪が望んでいたことだった。
けれど同時に。
近づけば。
決断しなければならない時に近付く。
「小雪?」
ベルの声で、小雪は顔を上げた。
「はい。」
「どうした。」
「作業手順について考えていました。」
「本当に?」
「はい。」
ベルは少しだけ小雪を見ていた。
けれど、それ以上は聞かなかった。
小雪も、紙へ視線を戻す。
今はいい。
コイルができるまでは。
少なくとも。
今は、身近な未来だけを考えていればよい。
「じゃあ、最初は大きい穴からだ。」
ベルの言葉で、穴文明が始まった。
鉄板に印をつけるところまでは鍛冶場でできる。
しかし、最初の穴は水車式ドリルを使うため、川辺の作業場まで移動する必要があった。
鍛冶場で測る。
印をつける。
川辺へ運ぶ。
穴を開ける。
また鍛冶場へ戻して仕上げる。
手間がかかる。
文明は、よく移動する。
小雪はそれも記録した。
川辺の作業場では、水車が雪景色の中で回っていた。
屋根や岸辺にはまだ白い雪が残っている。
夏や秋とは違い、水車そのものも少し静かに見えるが、それでも水を受ければ変わらず回る。
ベルは作業を始める前に、革紐の状態を確認した。
寒さのせいで少し硬くなっているらしく、何度か曲げてから薄く油を塗る。
「寒いと、革が硬くなります。」
「そうだな。」
「銅も硬くなりますか。」
「冷たいだけでどうこうっていうより、加工していくと硬くなる方が問題だろうな。」
「ベルも。」
「俺は金属じゃねぇ。」
「冷えると風邪をひきます。」
「言わんこっちゃないは言うなよ。」
「言わんこっちゃない。」
「言った。」
「はい。」
ベルは諦めたようにため息を吐いた。
それでも、今日は少し笑っている。
水車式ドリルの軸へ、ガドが用意した太めの鉄棒を取りつける。
ベルが位置を調整し、ガドが先端の角度を確認する。
線引き板の話を聞いて興味を持ったらしく、ロイも作業場へ来ていた。
「穴の位置は、なるべく揃っていた方がよいでしょうな。」
「ああ。」
ベルは鉄板の印を確認しながら答えた。
「間隔が狭すぎれば板が弱くなる。かといって離しすぎると使いづらい。」
「穴の並びも文明です。」
小雪が言った。
「穴の行列。」
「やめろ。」
「穴たち。」
「やめろ。」
「穴の親。」
「それは前にも聞いた。やめろ。」
「はい。」
ベルが鉄板を固定台へ置き、ロイがくさびを打って動かないよう押さえる。ガドも横から確認した。
小雪は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
以前なら。
もっと近くへ行っていた。
回る軸のすぐ横から覗き込んでいたかもしれない。
けれど今日は。
ベルに言われる前から、離れている。
小雪は成長している。
たぶん。
「小雪。」
「はい。」
「今日は、近づかねぇんだな。」
「はい。」
「偉い。」
小雪はベルを見た。
「では、記録します。」
「それはしなくていい。」
「でも、偉いですか。」
「ああ。偉い。」
「はい。」
小雪は少し満足した。
ベルは、なぜか少しだけ耳を赤くした。
水車が回る。
革紐が動く。
軸の回転が鉄棒へ伝わる。
先端が鉄板へ触れた。
ぎりぎり、と木を削る時よりずっと硬い音が響く。
回転の力は、そのまま全て穴になるわけではない。
音へ逃げる。
熱へ逃げる。
振動へ逃げる。
鉄板そのものも、固定台の上でわずかに震えた。
ベルは状態を見ながら、踏み板を調整し、革紐の張りを少し緩めた。
「押しすぎるな。」
ガドが言った。
「分かってます。」
「熱を持たせすぎると、先端が駄目になる。」
「少しずつやります。」
ベルが答える。
「ほどほどです。」
小雪が言った。
「ああ。ほどほどだ。」
ベルが短く答えた。
それから何度か休ませながら作業を続け、ようやく鉄板に最初の穴が開いた。
小さい。
まだ粗い。
線引きに使える状態ではない。
それでも。
確かに、穴だった。
「開きました。」
「ああ。」
「穴文明。」
「再登場だな。」
「偉大です。」
「いちいち言い方がな。」
「敬語。」
「時々、言い方がおかしいです。」
「変です。」
「久しぶりだからな。」
小雪は記録用紙へ書き足した。
七、鉄板に穴が開いた。
八、水車式ドリルは金属にも使えるが、慎重に。
九、押しすぎると、熱や振動が増える。
十、ほどほど。
十一、穴文明、再登場。
横から覗き込んだベルが、十一番を見た。
「それは小さくしなくていいのか。」
「大きくします。」
「なぜだ。」
「重要です。」
ベルは少し考えた。
「……まあ、今回は本当に重要か。」
「はい。」
穴文明が認められた。
少し誇らしい。
気がする。
午後は、鍛冶場へ戻って穴の内側を仕上げる作業になった。
ここから先は、朝よりずっと細かい。
小さなやすり。
細い鉄棒。
砂。
布。
油。
ガドは穴の内側へ細い道具を通し、わずかに角度を変えながら、少しずつ表面をならしていった。
「力を入れりゃいいってもんじゃねぇ。出っ張ってるところだけを落とす。穴を広げすぎれば、今度は狙った太さにならねぇ。」
小雪はじっと見ていた。
やってみたい。
けれど。
道具が細い。
穴が小さい。
少し力を入れすぎれば、形が歪む。
小雪は、自分の指を見た。
細かな力加減は苦手である。
補填を使いすぎてから。
以前と同じようには動かない。
ベルが横から小雪を見た。
「やるか?」
小雪は少し考えた。
「やりたいです。」
「なら、やってみろ。」
「壊すかもしれません。」
「これは試し穴だ。」
ベルはそう言って、小さなやすりを小雪へ差し出した。
「力を入れすぎるな。」
「はい。」
「握り込むな。」
「はい。」
「指先だけで支える。」
「はい。」
「駄目そうなら止める。」
「はい。」
小雪はやすりを受け取った。
細い。
少し力を入れれば、それ自体が折れそうだった。
穴へ入れる。
慎重に。
回す。
少し引っかかった。
もう少し力を入れる。
ぎり、と嫌な音がした。
「小雪。」
「はい。」
「力。」
「弱めます。」
「そう。」
力を抜く。
今度は、ほとんど動かない。
少し強くする。
また引っかかる。
小雪は眉を寄せた。
難しい。
魔物を貫く魔法より難しい。
雪ウサギよりは理屈が分かる。
けれど。
指先が、思ったように動かない。
「交代するか。」
ベルが訊いた。
小雪は返事をしようとして。
その瞬間。
悔しくなった。
もう一度だけ動かそうと、やすりを強く握る。
ぴし、と細い音がした。
折れる。
そう思った時。
ベルの手が、小雪の手へ重なった。
「止まれ。」
小雪の手が止まった。
ベルの手が、小雪の指の上からやすりを支えている。
温かい。
大きい。
器用な手。
「力、抜け。」
「はい。」
「全部抜くな。落とす。」
「難しいです。」
「だろうな。」
小雪は、穴を見たまま言った。
「ベル。」
「何だ。」
「悔しいです。」
重なっていたベルの手が、少し止まった。
「魔法なら、壊せます。」
「ああ。」
「魔物も討てます。」
「ああ。」
「屋根も直せます。」
「ああ。」
「でも。」
小雪は、小さな穴を見た。
「穴の内側を、滑らかにできません。」
ベルは小雪の手を支えたまま、しばらく黙っていた。
「悔しいのは、いいことだ。」
「いいことですか。」
「ああ。」
「なぜですか。」
「できるようになりたいってことだろ。」
小雪は瞬きをした。
「できるように。」
「そうだ。」
「私が。」
「ああ。」
「できるでしょうか。」
「すぐには無理だな。」
「はい。」
「でも、少しずつならできる。」
小雪は少し考えた。
「銅と同じですか。」
ベルが笑った。
「そうだ。」
「いきなり細くしない。」
「ああ。」
「少しずつ。」
「そう。」
ベルは、小雪の指へかかっている力をほんの少しだけ調整した。
「ここ。」
「はい。」
「このくらい。」
「はい。」
「引っかかったら、押すんじゃなくて、少し戻す。」
「戻す。」
「それから、また角度を変える。」
「はい。」
二人の手の中で、やすりがゆっくり動いた。
ざり。
ざり。
とても小さな音だった。
「動きました。」
「動いたな。」
「ベルが動かしています。」
「今はな。」
「私は。」
「おまえも持ってる。」
「はい。」
「俺は、支えてるだけだ。」
「支え。」
小雪が言うと、ベルはすぐに顔をしかめた。
「梁みたいに言うなよ。」
「ベルは、私の梁です。」
「人前で言うな。」
ガドが急に火床の方を向いた。
聞こえないふりである。
小雪は少しだけ笑った。
ベルの手に支えられながら。
穴の内側を。
少しずつならす。
自分一人では、うまくできない。
ベルがいれば、少しできる。
それは。
悪くなかった。
むしろ。
かなり。
小雪は胸の奥を観測した。
やはり。
少し温かかった。
夕方までに、線引き板の試作品ができた。
穴は五つ。
大きなものから、小さなものへ。
まだ粗い。
大きさも完全には揃っていない。
実際に銅を引けば、失敗する可能性の方が高いだろう。
それでも。
鉄板には、確かに穴が並んでいた。
小雪はしばらく眺めた。
「穴の行列です。」
「言うと思った。」
ベルが答えた。
「大きな穴から、小さな穴へ。」
「ああ。」
「銅が通るたびに、少しずつ細くなります。」
「うまくいけばな。」
「銅線へ近づきます。」
「ああ。」
「コイルへ近づきます。」
「そうだな。」
ベルは線引き板を持ち上げ、火の光へかざした。
五つの穴の向こうに。
小さな光が見えた。
今はまだ。
ただの穴である。
けれど、いずれここへ銅が通る。
少しずつ細くなる。
長い線になる。
巻かれる。
コイルになる。
電気が流れる。
魔法ではない力が生まれる。
「ベル。」
「何だ。」
「偶然が、少し技術になりました。」
ベルは線引き板を見たまま、少し笑った。
「まだ、穴を開けただけだぞ。」
「はい。」
「でも、まあ。」
ベルは五つの穴を、もう一度見た。
「一歩だな。」
「はい。」
「でかい一歩か?」
「はい。」
「穴なのに。」
「穴なのに。」
二人は少し笑った。
後ろで腕を組んでいたガドが言う。
「次は、実際に銅を通してみるか。」
「はい。」
小雪は即答した。
「その前に焼きなましだな。銅をある程度細く伸ばして、先端だけもっと細くする。それを穴へ通して、反対側から掴んで引く。」
「先を尖らせます。」
「そうだ。」
ガドは小雪を見る。
「細かい作業だぞ。」
小雪も、ベルを見た。
「ベル。」
「何だ。」
「お願いします。」
ベルは少し目を開いた。
小雪が、自分から頼んだことに驚いたらしい。
それから。
穏やかに笑った。
「ああ。」
「私は、記録します。」
「それでいい。」
「でも、少し練習もします。」
「それもいいな。」
小雪は頷いた。
細かい作業は苦手。
でも。
少しずつ。
銅も、一度には細くしない。
大きな穴から。
小さな穴へ。
少しずつ。
自分も。
たぶん。
同じでいい。
山の家へ戻る頃には、すっかり夜になっていた。
雪は止んでいる。
玄関の横の雪ウサギは、また少し溶けていた。
ベルの作ったウサギは、まだ何とか丸みを保っている。
小雪のウサギは。
ますます強そうになっていた。
片方の目はほとんど眉間の辺りまで移動し、耳の片方も傾いている。
「これはもう、番人だな。」
ベルが言った。
「玄関守護獣。」
「雪ウサギから大分出世したな。」
「私の作品です。」
「誇らしそうだな。」
「はい。」
小雪は少し誇らしかった。
可愛い雪ウサギにはならなかった。
けれど、守護獣にはなれる。
最初の目的と違っても。
別の何かにはなれる。
山の家へ入り、ベルが火を起こす。
小雪は作業台へ線引き板を置いた。
火の光が。
五つの穴を通る。
大きな穴から。
小さな穴へ。
小雪は記録用紙を広げた。
線引き板記録。
一、前の電磁石は、古い魔導具から取った銅線での原理確認。
二、今回は銅線を自分たちで作る。偶然を文明にする。
三、線引き板には、大きさの違う穴が必要。
四、銅は大きな穴から小さな穴へ、少しずつ通す。
五、一気に細くすると切れる。
六、銅も、無理をさせすぎると切れる。
七、小雪も、少しずつやる。
八、穴の内側は滑らかにする。
九、細かい作業は難しい。
十、ベルの手は器用。
十一、ベルが支えると、少しできる。
十二、穴文明、再登場。
十三、玄関守護獣、誕生。
後ろから覗き込んだベルが、十三番を指した。
「十三、何だ。」
「雪ウサギです。」
「あれ、もう正式に守護獣になったのか。」
「はい。」
「まあ、強そうだしな。」
「はい。」
ベルは少し笑った。
そのあと。
十番と十一番へ視線を移す。
耳が少しだけ赤くなった。
「十は。」
「事実です。」
「十一は。」
「事実です。」
「……そうか。」
「はい。」
「なら、残していい。」
「小さくしますか。」
「しなくていい。」
小雪は頷いた。
ベルは火の方へ戻りかけた。
けれど。
途中で足を止める。
「七も。」
「はい。」
「残せ。」
「はい。」
「小さくするなよ。」
小雪は七番を見た。
小雪も、少しずつやる。
ペンを持つ。
文字を。
少しだけ濃くなぞった。
「濃くしました。」
「そこまでは言ってねぇ。」
「重要です。」
「……まあ。」
ベルは困ったように笑った。
「重要だな。」
小雪も笑った。
火が鳴る。
外には雪。
作業台には線引き板。
玄関には守護獣。
今日は。
穴が開いた。
ただの穴ではない。
銅が通るための穴。
銅が少しずつ細くなるための穴。
偶然を文明にするための穴。
世界を変えるものは。
いつも大きな魔法から始まるわけではない。
時には。
鉄板に開いた、小さな穴から始まる。
そして。
一人ではうまく動かせない手を。
温かい誰かの手が、少しだけ支えることもある。
小雪は記録用紙の端へ、小さく書き足した。
十四、ベルは、温かい梁で、器用な手。
「小雪。」
「はい。」
「それは消せ。」
「小さくします。」
「消せ。」
「重要です。」
「重要でも恥ずかしい。」
「では、極小。」
「そういう問題じゃねぇ。」
小雪は十四を、極小にした。
消しはしなかった。
ベルはまた頭を抱えた。
小雪は笑った。
以前より。
ずっと自然に。
誰かの顔を見て。
何かが面白くて。
笑えるようになっている。
小雪は、そのことに静かに気づいた。
このまま。
こんな日々が続けばいい。
少なくとも。
コイルができるまでは。
その先のことを考えなければならない日が来るまでは。
できれば。
少しでも長く。
小雪は火のそばにいるベルを見た。
今日は。
それ以上のことは考えなかった。




