表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/29

第四話 三下くん、山奥へ引っ越す

 翌朝、ベルは山の家へ戻ってきた。


 昨晩、長期滞在のための荷物を整えると言って、ベルは一度王都に戻っていった。


 小雪はその時、なんだか少し嫌な予感がした。

 そして彼が戻ってきた時、その予感が正しかったことを悟った。


 ベルの荷物は、とても。


 とても多かった。


 馬が一頭。

 荷馬車が一台。

 木箱が八つ。

 大きな鞄が三つ。

 剣が一本。

 工具箱が二つ。

 なぜか鍋が四つ。


 小雪は家の前に立ち、その一式を眺めていた。


 しばし考える。


「多いですね。」

「最低限だ。」

「敬語。」

「最低限です。」

「鍋が四つあります。」

「鍋は必要だろ。」

「一つでいいのでは。」

「駄目だ。煮る鍋、焼く鍋、湯を沸かす鍋、焦がしてもいい鍋がいる。」

「焦がす前提ですか。」

「おまえの家に住むんだぞ。」

「なるほど。」


 小雪は静かに納得した。


 ベルは荷馬車から木箱を下ろしながら、家を見上げている。


 外見だけなら、普通の山小屋である。


 一昨日の爆発で何度目かの崩壊を迎えたが、すでに小雪が復元したため、壁も屋根も扉も戻っている。


 煙突もある。

 窓もある。

 入口には、少し歪んだ扉がついている。


 ただし、窓の内側からは、やはり黒い煤が見えていた。


 彼がいない間にもう一度爆発を起こしかけたことは、きっと気付かれない。


 はず。


 小雪は、彼の視線を遮るように静かに窓の前へ移動した。


 ベルは眉を寄せた。


「……おい、また何かしたか。」

「いいえ。」

「本当に?」

「いつも通りです。」

「その返答がもう怖ぇんだよ。」

「敬語。」

「怖いのです。」


 小雪は頷いた。

 それから扉を開けた。


 ベルは中を見た。


 黙った。


 家の中は、ひどかった。


 床には焦げ跡がある。

 壁にも焦げ跡がある。

 天井にも焦げ跡がある。


 というより、焦げ跡ではない場所を探す方が難しい。


 作業台の上には、鉄芯、銅線、割れた瓶、黒い粉、白い粉、青い粉、何かの骨、よく分からない魔物の牙、そして昨日の夕方から放置されている電磁石が並んでいた。


 棚は傾いている。

 椅子は足の長さが三本とも違う。

 机には小さな穴が開いている。

 床の隅には、布らしきものが丸まっている。


 ベルは、その布を見た。


「……これは何だ。」

「寝床です。」

「寝床。」

「はい。」

「どこが。」

「そこです。」

「床じゃねぇか。」

「床ですね。」

「床を寝床と呼ぶな。」

「布があります。」

「布があれば寝床になると思うな。」

「なりませんか?」

「なりません。」

「そうですか……。」


 小雪は、しばし考えた。


 布があれば寝床になると思っていた。

 違ったらしい。


 ベルはさらに家の中を見回した。


「台所は……何もしてねぇだろうな。」

「……はい。」

「今の間は何だ。」

「呼吸です。」

「嘘をつけ。」

「敬語。」

「嘘をつかないでください。」


 ベルは台所を恐る恐るといった調子で覗いた。


 炉だけがあった。


 鍋はひとつ逆さまになっている。

 その横には、天井から剥がしたらしい茶色い何かが皿に乗せられていた。


 ベルはしばらく見つめた。


「……これは。」

「昨晩のごはん候補です。」

「……昨晩のごはん。候補。」

「天井に張り付いていたやつです。」

「……食う気だったのか。」

「迷っていました。」

「迷うな。」

「敬語。」

「迷わないでください。」

「では、食べません。」

「当然だ。」


 ベルはその皿を持ち上げた。

 少し揺らす。


 茶色い何かは、皿に張り付いたまま動かなかった。


「これは食べ物じゃねぇ。」

「少し前までは食べ物でした。」

「今はゴミだ。」

「ゴミ。」

「捨てるものだ。」

「解釈を変更しませんか。」

「捨てろ!」

「敬語。」

「捨ててください!」


 小雪は皿を受け取り、外へ出ようとした。

 ベルが慌てて止める。


「待て。どこに捨てる気だ。」

「そのへんに。」

「そのへんに捨てるな。魔物が食って死ぬ。」

「魔物は死んでもいいのでは。」

「変なものを食わせて死なせるな。」

「優しいですね。」

「優しさじゃねぇ。常識だ。」

「敬語。」

「常識です。」


 小雪は、しばし考えた。


 ベルの常識は、時々難しい。

 だが、有用ではある。


「では、処理をお願いします。」

「いきなり俺に渡すな。」

「助手なので。」

「助手は廃棄物処理係じゃねぇ。」

「できますか。」

「……できる。」

「有能ですね。」


 ベルは黙った。

 耳が赤い。


 小雪は、しばし考えた。


 昨日から分かったことだが、ベルは「有能」と言うと静かになる。


 便利。


 ベルはまず、家の窓をすべて開けた。

 それから煤を払い、割れた瓶を集め、危険そうな粉を分類した。


 黒い粉。

 白い粉。

 青い粉。

 赤い粉。

 紫の粉。

 光る粉。

 見たことのない粉。


 ベルは眉間に深い皺を寄せた。


「これは何だ。」

「黒い粉です。」

「見れば分かる。」

「では、なぜ聞いたのですか。」

「中身を聞いてんだ。」

「たぶん燃えます。」

「たぶんで置くな。」


 ベルは紙を切り、小さな札を作った。


 黒い粉の前に置く。

 ――燃えるかもしれない。


 白い粉の前にも置く。

 ――吸わない。


 青い粉の前にも置く。

 ――触らない。


 赤い粉の前にも置く。

 ――絶対に火を近づけない。


 紫の粉の前にも置く。

 ――分からないので危険。


 光る粉の前にも置く。

 ――見なかったことにする。


 小雪は静かにそれを見ていた。


「便利ですね。」

「おまえが不便すぎるんだよ。」

「敬語。」

「不便すぎます。」

「そうですか。」


 小雪は頷いた。


 ベルはさらに、作業台の端に置かれていた鉄芯を手に取った。

 昨日、ベルに巻いてもらった電磁石である。


「で。」

「はい。」

「これは、鉄に銅線を巻いて、電気を流すと磁石になるんだったな。」

「はい。」

「電気はどうするんだ。」


 小雪は、しばし考えた。


「流します。」

「何を。」

「電気を。」

「だから、その電気をどうやって作るんだと聞いてる。」


 小雪はさらに、しばし考えた。


 電気。


 理科の授業では、乾電池を使っていた。


 乾電池はない。

 発電機もない。

 たぶんない。


 雷はある。

 水車という言葉もある。

 手回し発電機も、どこかで見た気がする。


「……雷。」

「却下。」

「早いですね。」

「雷を捕まえて作業する気か。」

「難しいですか。」

「難しい以前に死ぬ。」

「私は死にません。」

「俺が死ぬ。」

「それは困ります。」


 ベルの手が止まった。


 小雪は首を傾げる。


「どうしました。」

「……いや。」

「顔が赤いです。」

「暑いだけです。」

「窓を開けています。」

「それでも暑いのです。」

「そうですか。」


 小雪は頷いた。


 ベルは咳払いをして、話を戻した。


「水車はどうだ。」

「水車。」

「川があるなら、水の流れで車を回す。回転を使えば、取り敢えずできることは増えるだろ。」

「回転……。」

「おまえが何を作りたがっているのかまだいまいち理解できてねぇが、恐らく動力源は必要なんだろ?水車は比較的作りやすいし安定性もある。」


 小雪はベルを見た。


 しばし考える。


「ベル。」

「なんだ。」

「敬語。」

「何でしょうか。」

「やはり、あなたは思ったより賢いです。」

「思ったよりを外せ。」

「あなたは賢いです。」


 ベルはまた黙った。

 今度は耳だけではなく、頬まで赤い。


 小雪は少し待った。


「続けてください。」

「……何を。」

「水車の話です。」

「あ、ああ。」


 ベルは手元の紙に簡単な図を描いた。


 川。

 車輪。

 軸。

 回転。

 何かの装置。


 図は、小雪が思っていたより分かりやすかった。


「川は近くにあるのか。」

「あります。」

「水量は。」

「たぶんあります。」

「たぶんじゃ分からねぇ。」

「見に行きますか。」

「今から?」

「はい。」


 小雪は立ち上がった。

 ベルも立ち上がりかけた。


 しかし、その前に小雪の腹が小さく鳴った。


 きゅう、と控えめな音だった。


 小雪は腹を見る。

 しばし考える。


「ごはん。」

「……先に飯だな。」

「川は。」

「飯の後だ。」

「水車。」

「飯の後。」

「電磁石。」

「飯の後。」

「科学。」

「飯の後だ!」

「敬語。」

「飯の後です!」


 小雪は頷いた。


 ベルは腕まくりをした。

 その動作は妙に手慣れている。


 いや、昨日の今日で手慣れてきたというべきか。


「台所を使うぞ。」

「はい。」

「使えそうな食材は。」

「その棚です。」


 小雪が指さした棚を、ベルは開けた。


 中には、硬いパン、乾いた豆、塩、干し肉、よく分からない草、瓶に入った何か、そして小石があった。


 ベルは小石を手に取った。


「これは。」

「石です。」

「なぜ食材棚に。」

「置く場所がなかったので。」

「石は食材棚に入れるな。」

「食べませんか。」

「食べません。」

「そうですか。」


 ベルは深く息を吐いた。

 それから、棚の中を整理し始めた。


 食べられるもの。

 食べられないもの。

 食べられるかもしれないが、今は食べたくないもの。

 食べ物に見えるが信用できないもの。


 小雪はその分類を見ていた。


「便利ですね。」

「だから、おまえが不便すぎるんだよ。」

「敬語。」

「不便なのです。」

「そうですか。」


 ベルは豆を水に浸し、干し肉を刻み、鍋に湯を沸かした。

 小雪は作業台の前に座り、その様子を観察する。


 手際がいい。


 火加減を見る。

 灰を払う。

 鍋を傾ける。

 味を見る。

 足りないものを探す。

 ないものは諦める。

 あるもので補う。


 小雪は、しばし考えた。


 これは、実験に似ている。


「料理は科学ですか。」

「急に何だ。」

「手順があります。加熱があります。混合があります。失敗すると食べられません。」

「……まあ、近いかもしれねぇな。」

「では、ベルには科学の素地があるんですね。」


 ベルは鍋をかき混ぜる手を止めた。


「……そうかよ。」


 ベルはそっぽを向いた。

 だが、口元が少し緩んでいた。


 食事は、温かい豆のスープだった。

 硬いパンも、火で炙られて少し柔らかくなっている。


 小雪は椅子に座った。

 足の長さが違う椅子だったので、少し傾いた。


 ベルはそれを見て、即座に椅子の下へ木片を差し込んだ。

 椅子が安定する。

 小雪は座り直した。


「やはり有能ですね。」

「……食え。」

「敬語。」

「食べてください。」

「はい。」


 小雪はスープを一口飲んだ。


 温かかった。

 塩気がある。

 豆は柔らかい。

 干し肉から味が出ている。


 焦げていない。

 天井にも張り付いていない。


 食べ物だった。


 小雪は二口目を飲んだ。


 三口目。

 四口目。


 しばらく無言で食べた。


 ベルは向かい側に座り、落ち着かない様子で小雪を見ていた。


「……どうだ。」

「今日もおいしいです。」


 ベルは固まった。


 小雪はスープを飲み続ける。

 ベルは動かない。


「ベル。」

「……。」

「ベル。」

「……聞こえてる。」

「敬語。」

「聞こえております。」

「明日もこれで。」


 ベルは片手で口元を覆った。

 耳が赤い。


「……仕方ねぇな。」

「敬語。」

「仕方ありませんね。」

「ありがとうございます。」


 ベルは立ち上がった。

 なぜか窓の方へ歩いていく。


「どこへ。」

「……外の空気を吸ってくる。」

「暑いのですか。」

「……そうだ。」

「窓は開いています。」

「……外の空気だ。」

「そうですか。」


 ベルは外へ出た。

 小雪はスープを食べながら、その背中を見送った。


 よく分からない。

 だが、ごはんはおいしい。


 小雪は、しばし考えた。


 うむ。


 やはり採用してよかった。



  ◇ ◇ ◇



 食後は川を見に行った。


 家から少し下った場所に、小さな川が流れている。


 小雪は前から存在は知っていた。

 水に入りに来ることがあるからだ。


 ただ、水量や流速を気にしたことはなかった。


 ベルは川辺にしゃがみ、水の流れを見る。


 石を投げる。

 枝を流す。


 流れる速さを見ているらしい。


 小雪は隣に立って見ていた。


「どうですか。」

「川自体は小さいが、そこそこ水量はある。使えなくはない。」

「水車は。」

「小型のものなら作れるかもしれねぇ。」

「いつできますか。」

「材料と人手と場所と時間による。」

「面倒ですね。」

「科学は大体全部そうだ。」

「魔法なら一瞬です。」

「だから、それが駄目なんだろ。」


 ベルは川を見たまま言った。

 小雪は彼を見る。


「細部は別に魔法でよくありませんか。仕組みだけ科学にすれば。」

「魔法に頼った瞬間、人間はその先を考えなくなるだろ。」


 ベルの声は、少し低かった。


「壊れたらまた魔法に頼るのか。足りない部品は魔法で作るのか。説明できない部分は魔法で誤魔化すのか。そんなもん、再現性がなくなる。科学の意味がねぇ。」


 小雪は黙った。


「それに。」


 ベルは水面を見たまま続けた。


「俺は、そういう単純な考えが嫌いだ。」


 小雪は、しばし考えた。


 ベルは魔法が使えない。


 魔法立国の公爵家次男として、それがどういうことなのか。

 小雪にはまだよく分からない。


 だが。


「私も嫌いです。」


 小雪はそう言った。


 ベルがこちらを見た。


「魔法に依存するのはよくない。本当に。」

「……そうか。」

「はい。」

「……なら、水車を作るか。」

「はい。」

「その前に、家を片付ける。」

「水車は。」

「まず家を片付ける。」

「電磁石は。」

「家を片付ける。」

「科学は。」

「まず生活だ!」

「敬語。」

「まず生活です!」


 小雪は頷いた。


 生活。


 小雪にとって、確かにそれはよく後回しになるものだった。


 死なない。

 動ける。


 なら問題ない。


 そう思っていた。


 だが、ベルは違うらしい。


 食べる。

 寝る。

 片付ける。

 分類する。

 椅子を安定させる。

 腐ったものを捨てる。

 床を寝床と呼ばない。


 細かい。

 非常に細かい。


 だが、たぶんそれは必要なのだろう。


 小雪は、しばし考えた。


「ベル。」

「何でしょうか。」

「生活をお願いします。」

「丸投げするな。」

「敬語。」

「丸投げしないでください。」

「私は実験と科学をします。」

「……おまえも生活するんだよ。」

「善処します。」

「絶対しないやつだろ。」

「善処はします。」

「信用ならねぇ。」


 ベルはため息をついた。

 それから、川の流れに目を戻す。


「まあ、いい。水車の場所はこの辺だな。木材がいる。軸もいる。歯車もいる。金具もいる。あと、家の修理用の板もいる。棚もいる。寝台もいる。」

「多いですね。」

「今が何もなさすぎるんだよ。」

「敬語。」

「何もなさすぎます。」

「そうですか。」

「そうです。」


 ベルは立ち上がった。


「明日は村に行くぞ。」

「村。」

「材料を買う。あと食材。あと布。あとまともな寝具。」

「面倒ですね。」

「行くぞ。」

「敬語。」

「行きますよ。」

「検討にしましょう。」

「決定だ。」

「敬語。」

「決定です。」


 小雪は、しばし考えた。


 村。


 人がいる。

 話しかけられる可能性がある。


 面倒。


 だが、材料は必要だった。

 食材も必要らしい。

 寝具も、ベルが必要だと言っている。


 小雪は頷いた。


「分かりました。」


 ベルは少し驚いたように小雪を見た。


「……素直だな。」

「必要なので。」

「そうか。」

「はい。」

「……なら、明日は俺が起こす。」

「起きています。」

「寝ろ。」

「実験してます。」

「するな。」

「敬語。」

「しないでください。」

「善処します。」

「信用ならねぇ。」

「はい。」

「認めるな。」


 ベルは頭を抱えた。


 小雪は川の流れを見た。


 水車。

 電磁石。

 発電。

 魔法に頼らない力。


 まだ遠い。

 かなり遠い。


 だが、昨日より少しは近くなった。


 小雪は隣のベルを見た。


 彼は川辺で、靴に泥がついたことに文句を言っている。

 言いながらも、地面の固さを確かめ、水車の位置を考えている。


 有能。


 非常に有能。


「ベル。」

「なんだ。」

「敬語。」

「何でしょうか。」

「採用してよかったです。」


 ベルはまた固まった。


 川の音だけが、しばらく二人の間を流れた。


 それからベルは、顔を背けたまま言った。


「……そういうことを、急に言うな。」

「なぜですか。」

「心臓に悪い。」

「病気ですか。」

「違う。」

「敬語。」

「違います。」

「そうですか。」


 小雪は頷いた。


 ベルは赤い顔で空を見上げた。


 山奥の夕方は、少し冷える。


 だが、今日もベルだけは暑そうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ