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第三十八話 小さい雪と雪ウサギ

 翌朝も、山は白かった。


 昨日より、さらに白い。


 夜のあいだにもう一度雪が降ったらしく、窓の外には新しい白が積み重なっていた。

 柵の上にも、薪置き場の屋根にも、道の端にも、まだ誰にも触れられていない柔らかな雪が乗っている。


 けれど、ベルだけは朝から少しも柔らかそうな顔をしていなかった。

 天井を見上げ、眉間に深い皺を寄せている。


「昨日落ちた場所だけじゃねぇな。」

「他も落ちますか。」

「今すぐってわけじゃねぇ。でも、このままだと、またどこか落ちる。」

「ベルの服が危険です。」

「服だけじゃねぇ。」

「ベルも。」

「俺もだ。」

「ベルは補填されません。」

「おまえもだめだからな。」


 ベルはため息をつき、昨日応急修理をした場所を指先で軽く叩いた。


 とん、と乾いた音がする。


「屋根の傾きが浅い。雪が溜まる。しかも梁は細いし、古い。板もかなり傷んでる。」

「問題だらけです。」

「そうだ。」

「この家は、冬が苦手ですね。」

「住むなら、得意にしてやらねぇとな。」


 ベルはそう言って工具箱を持ち上げた。


 小雪は、その姿を改めて観察した。


 昨日、雪と一緒に天井から降ってきた板をまともに浴び、上半身裸で暖炉の前に震えていた人と同じ人である。


 しかし今日は、服を着ている。


 厚手の上着。

 手袋。

 首元には布。


 昨日より明らかに多い。


 完全防備だった。


「ベル。」

「何だ。」

「今日は脱ぎませんか。」


 ベルが工具箱を落としかけた。


「脱がねぇ!」

「対策済み。」

「何の確認だ!」

「脱ぎがち対策です。」

「冬対策だ!」

「服が昨日より多いです。」

「寒いからだ!」

「昨日の反省。」

「それもある!」


 ベルは自分で認めてしまったことに気づいたらしく、顔を赤くして咳払いをした。


「とにかく、今日は屋根だ。それから雪下ろし棒を仕上げる。」

「雪下ろし棒。」

「ああ。毎回屋根に登るのは危ないからな。地面から雪を落とせる道具を作る。」

「雪の強制退去棒。」

「その名前はやめろ。」

「退去勧告棒。」

「もっと穏やかそうにしても同じだ。」

「雪下ろし棒。」

「それでいい。」


 小雪は頷いた。


 雪下ろし棒。


 生活文明である。


 屋根が落ちないようにする。

 家を守る。

 ベルも守る。

 ベルの服も守る。


 そうすれば、ベルが脱がなくて済む。

 重要である。


 いや。


 少し残念かもしれない。


 小雪は、その最後の部分だけは口に出さなかった。




 外へ出ると、空気はよく冷えていた。


 靴で新しい雪を踏むたびに、きゅ、と小さな音がする。


 小雪は立ち止まり、足元を見た。


「鳴ります。」

「雪だからな。」

「雪は、音も白いです。」

「音に色はねぇよ。」

「でも、白い感じがします。」

「まあ……言いたいことは、何となく分からなくもねぇけど。」


 ベルは家の脇へ回り、昨日のうちに雪の当たらない場所へ移しておいた材料を確認した。


 長い棒。

 薄い板。

 補強用の角材。

 縄。

 釘。

 小さな金具。


「まず、こっちを仕上げる。」

「はい。」

「長い棒の先に、平たい板を少し斜めにつける。屋根の雪へ引っかけて、手前へ引けば雪だけが落ちる。」

「削るのではなく、引く。」

「ああ。無理に押すと屋根を傷めるからな。雪だけ落として、屋根は残す。」

「選別文明。」

「まあ、そうだ。」


 ベルは長い棒の先を削り、板を当てた。


 真っ直ぐではない。

 少し角度をつけている。


 小雪は横から覗き込んだ。


「曲がっています。」

「曲げてるんだよ。」

「なぜですか。」

「屋根へ当てやすいからだ。真っ直ぐだと、板の面がうまく雪に入らねぇ。」

「角度文明。」

「そうだ。角度は大事だ。」

「ダンスも角度が大事でした。」


 ベルの手が止まった。


「急に戻すな。」

「ベルが腰を支えました。」

「雪下ろし棒を作ってる最中に刺すな。」

「刺しましたか。」

「少し。」

「痛いですか。」

「寒いのに温かい。」

「よかったです。」

「よくはねぇ。」


 ベルは耳を赤くしながら、板を釘で固定し始めた。


 とん、とん、と乾いた音が雪の中へ響く。


 小雪はしばらくその手元を見ていたが、足元の雪も気になった。

 ベルの邪魔にならない場所へ少し移動すると、その場にしゃがみ込む。


 すぐに気づかれた。


「何してる。」

「雪の観測です。」

「手袋は。」

「しています。」

「長く触るなよ。」

「はい。」

「冷えたら言え。」

「はい。」

「本当に言えよ。」

「分かっています。」


 ベルはまだ少し疑っている顔だった。


 小雪は両手で雪を集めた。


 冷たい。

 白い。


 握れば固まる。


 けれど、強く握りすぎると形が潰れ、表面から少し水が滲む。


「雪は、握ると固まります。」

「そうだな。」

「力を入れすぎると潰れます。」

「そうだな。」

「難しいです。」

「何を作ってるんだ。」

「ウサギです。」


 ベルの手が止まった。


「ウサギ?」

「はい。」

「あっちの世界の遊びか?」

「はい。雪を丸くして、葉を耳にします。赤い実があれば目にします。」

「へえ。可愛いな。」

「はい。」


 小雪は、もう一度雪を集めた。


 手のひらで丸める。

 少し押す。

 形を整える。


 昔は、もっと簡単にできたような気がする。


 けれど、今は難しかった。


 力を入れると潰れる。

 抜きすぎると、まとまらない。

 大きくしようとすると、途中で崩れる。


 魔法なら、出力を上げればよい。

 大きな魔物なら、必要なだけ力を使えばよい。


 しかし、小さな雪ウサギは違う。


 強ければよいわけではない。


「雪ウサギは難しいです。」


 小雪が言うと、ベルは笑いを堪えているような顔をした。


「世界最強の勇者さまが、雪ウサギに苦戦してるのか。」

「雪ウサギは、大型魔法より難しい可能性があります。」

「大型魔法を雪ウサギ以下にするな。」

「では、雪ウサギは魔物より強い。」

「そういう比較じゃねぇんだよ。」


 小雪は気にせず、もう一度雪を握った。


 今度は、少し強すぎた。

 丸くなるはずだった雪は、横へ潰れた。


 その左右へ細い葉を二枚刺し、赤い実は見つからなかったので、小さな黒い木の実を目の位置へ押し込む。


 できた。


 小雪は見た。

 ベルも見た。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


「……これは。」


 ベルが慎重に口を開く。


「ウサギです。」

「そうか?」

「はい。」

「何というか。」

「はい。」

「これから誰かに判決を言い渡しそうな顔してる。」


 小雪は雪の塊を見た。


 横につぶれている。

 葉の耳は左右で違う角度を向き、黒い目も片方が少し高い。


 確かに。

 かわいらしいというより。


 何かを裁こうとしている。


「開廷しますか。」

「しなくていい。」

「有罪。」

「判決まで出すな。」

「凶暴化しています。」

「雪ウサギがか。」

「討伐しますか。」

「やめろ。せっかく作ったんだから置いとけ。」


 小雪は、もう一度雪ウサギを見た。


 作れない。


 小さくて。

 丸くて。

 可愛いものが。


 大型魔法は使える。

 家ほどの大きさの魔物も討てる。

 家も魔法で直せる。


 しかし。

 雪ウサギは、あまり可愛くならない。


 生活文明は、とても難しい。


「どうやって作るんだ?」


 ベルが訊いた。


「ベルなら、作れますか。」

「たぶんな。」

「雪ウサギ文明も担当ですか。」

「何でも俺の担当にするな。」


 そう言いながらも、ベルは雪下ろし棒をいったん横へ置き、小雪の隣へしゃがんだ。


 手袋をしたまま雪を集める。


 強く握らない。

 手のひらの間で転がし、少しずつ押さえ、形を整える。


 小雪が作ったものより、ずっと滑らかな丸ができた。


 それを少し横長にし、背中の形を作る。

 細い葉を二枚選び、左右の角度を確かめながら差す。

 最後に木の実を二つ、同じ高さへ埋めた。


 小さな雪ウサギが完成した。


 丸く。

 静かで。


 きちんとウサギに見える。


 小雪は見つめた。


「ウサギです。」

「ウサギだな。」

「可愛いです。」

「よかったな。」

「ベルは、雪ウサギも作れます。」

「そんな真剣な顔で言うことか。」

「はい。」

「生活文明総合担当に雪ウサギまで入れるなよ。」

「雪ウサギ部門。」

「部門を作るな。」

「担当者、ベル。」

「増やすな。」


 ベルは困ったように笑った。


 小雪は雪ウサギから、ベルの手へ視線を移した。


「ベルの手は器用ですね。」

「また手か。」

「雪を潰さない力加減が上手です。」

「それくらいならな。」

「私には難しいです。」

「おまえは、力加減が極端だからな。」

「魔法も。」


 ベルは言いかけて、少しだけ表情を変えた。


 先日のことを思い出したのかもしれない。


 小雪は、ベルが何か言うより先に口を開いた。


「今日も、補填は使いません。」


 ベルは小雪を見た。


「雪ウサギで使うなよ。」

「先に言うと約束しました。」


 ベルは少しだけ黙った。


 それから。


「よし。」


 顔が緩んだ。

 小雪も頷いた。


 約束。


 使う前に言う。

 補填されるとしても、止まる。


 少なくとも。

 雪ウサギには使わない。




 雪下ろし棒は、午前中のうちに完成した。


 長い棒の先に、少し角度をつけた板があり、その端には薄い木片を打ちつけて、雪を引っかけやすくしてある。


 ベルは家の前に立ち、屋根へ向かって棒を伸ばした。


「見てろ。」

「はい。」

「屋根を削らねぇように、雪の下へ深く入れすぎない。板の面だけを当てて、手前へ引く。」

「はい。」


 ベルが棒を引いた。


 ざざざ、と音を立て、屋根の雪がまとまって滑り落ちた。


 地面へ落ちる。


 ぼふ、と白い煙のような雪が舞った。


 小雪は少し目を開いた。


「落ちました。」

「ああ。」

「退去しました。」

「雪下ろしだ。」

「雪は素直です。」

「今の雪はな。」


 ベルがもう一度、棒を屋根へ伸ばす。


 今度は先ほどより多い雪が落ち、地面へ白い山ができた。


「重そうです。」

「重い。」

「これが屋根に。」

「乗ってた。」

「天井が落ちます。」

「昨日落ちたな。」

「ベルも白くなります。」

「蒸し返すな。」

「脱ぎがち。」

「やめろ。」


 小雪は、落ちてきた雪の山を見た。


 見た目は柔らかい。

 けれど、集まれば重い。


 そして。

 ベルが作った雪ウサギが、その近くにいる。


 小雪はすぐにしゃがむと、雪ウサギを両手で持ち上げ、少し離れた安全な場所へ移した。


「何してる。」

「ウサギを避難させます。」

「賢いな。」

「ベル作なので。」

「何だ、それ。」

「大事です。」


 ベルは雪下ろし棒を持ったまま、小雪を見た。


 何かを言いかける。


 けれど。

 何も言わなかった。


 耳だけが赤くなった。


 寒いのに。

 相変わらず、よく働く耳である。




 昼前には、屋根の雪がかなり減った。


 次は補強だった。

 家の中へ戻り、新しい角材を古い梁の下へ足す。


 ベルが木材を測り、切り、削る。

 小雪は、その間に材料を運んだ。


 先日まで丸い軸を作る練習に使っていた、完全には丸くない棒も、補助材として使うことになった。


「丸の近所が、屋根に使われます。」

「あれは試作品だからな。軸にはまだ足りねぇけど、支えには使える。」

「丸の近所、出世。」

「出世?」

「屋根支え担当です。」

「何でも担当制にするな。」


 ベルは笑いながら、新しい梁を持ち上げた。


 小雪も下から支える。


「重いです。」

「持てるか。」

「はい。」

「魔法は使わなくていい。」

「使いません。」

「よし。」

「でも、ベルが落ちそうになったら使います。」

「勝手に俺を落とすな。」

「落ちたら補填されません。」

「知ってる。」

「大事です。」

「分かった。気をつける。」


 ベルは椅子と踏み台を使い、梁の位置を合わせた。


 小雪は下から木材を支えながら、ベルの足元を何度も確認する。


 踏み台は傾いていないか。

 足は滑っていないか。

 釘は落ちないか。


 ベルは補填されない。


 ベルは、大事にする。


「……小雪。」

「はい。」

「俺を見るなとは言わねぇけど、梁も見ろ。」

「はい。」

「今、ずっと俺の足元を見てただろ。」

「落ちないように。」

「……そうか。」

「はい。」

「なら、まあ。」


 ベルは少しだけ顔を赤くした。


「大事にされていますか。」

「何が。」

「ベルが。」


 ベルは一瞬黙った。


「……自分で言うのもあれだけど。」

「はい。」

「されてる気はするな。」

「はい。」

「おまえが、そういうつもりなら。」

「もちろん、そういうつもりです。」


 ベルは釘を打とうとしていた手を止めた。


「小雪。」

「はい。」

「今、作業中。」

「はい。」

「刺すな。」

「事実です。」

「事実が一番刺さる。」

「痛いですか。」

「釘より。」

「釘より。」

「いや、もういい。」


 ベルは咳払いをし、作業へ戻った。


 とん。

 とん。

 とん。


 釘の音が部屋へ響く。


 新しい梁が、古い梁を下から支える。

 一箇所へかかっていた重さが、別の場所へ分かれていく。


 小雪は、その様子を見た。


「力を分けています。」

「ああ。」

「一つの梁に重さが集まりすぎると、落ちます。」

「そうだ。」

「支えを増やすと、落ちにくい。」

「そうだな。」


 小雪は少し考えた。


「人もですか。」


 ベルの手が止まった。


「……人?」

「一人だけで全部を支えると、落ちますか。」


 ベルは、小雪を見た。


「ああ。」


 今度の返事は、少し静かだった。


「落ちることもある。」

「支えが増えると。」

「落ちにくくなる。」

「二人なら。」

「一人よりはいい。」

「もっと増やせるなら。」

「もっといい。」


 ベルはそう答えたあと、新しい梁を見上げた。


「人だって、一人で全部支える必要はねぇからな。」

「ベルも?」

「俺も。」

「私も?」

「おまえは特に。」


 小雪は瞬きをした。


「特に。」

「ああ。」


 ベルは釘を一本取り上げた。


「おまえは、何でも一人で支えようとしすぎだ。」

「私は強いです。」

「強くてもだ。」

「補填も。」

「関係ねぇ。」


 ベルは釘を木材へ当てた。


「強い梁でも、全部の重さを一つに乗せれば折れる。」


 小雪は、しばらく新しい梁を見た。


 古いものを捨てるのではない。


 隣に支えを足す。

 重さを分ける。


「では。」


 小雪は言った。


「ベルは、私の梁ですか。」


 からん。


 ベルが釘を落とした。


「小雪。」

「はい。」

「その例え。」

「違いますか。」

「違わねぇけど。」


 ベルは片手で顔を覆った。


「ものすごく刺さる。」

「梁より。」

「梁は刺さらねぇ。」

「釘より。」

「……釘より。」

「痛いですか。」

「いや。」


 ベルは顔を赤くしたまま、落とした釘を拾った。


「温かい。」

「では、よかったです。」

「よくはねぇんだよな。」


 小雪は梁を支えたまま、少しだけ笑った。




 昼食のあと、小雪はもう一度、雪ウサギに挑戦した。


 ベルは少し離れた場所で、雪下ろし棒の先へ金具を追加している。


 小雪は雪を集めた。


 今度は力を入れすぎない。


 ベルがしていたように、手のひらで転がす。

 少し押さえる。

 形を整える。

 葉を刺す。

 木の実を置く。


 できた。

 最初よりは、かなりウサギに近い。


 けれど。

 まだ少しだけ顔が険しい。


「怒っています。」


 小雪が言うと、ベルが手を止めて覗き込んだ。


「ああ。ちょっと怒ってるな。」

「なぜですか。」

「作ったやつに似たんじゃねぇか。」

「私は怒っていません。」

「無表情。」

「無表情ウサギ。」

「それだ。」


 小雪は、自分の雪ウサギとベルの雪ウサギを並べた。


 ベルのウサギは丸く、穏やかで可愛い。

 小雪のウサギは少し強そうだった。


「ベルの方が可愛いです。」


 ベルがすぐに振り返る。


「雪ウサギがな。」

「はい。」

「俺が可愛いみたいに言うなよ。」

「ベルにも、可愛いところはたくさんあります。」


 からん。


 今度はベルが金具を落とした。


「小雪!」

「はい。」

「今日はもう勘弁してくれ!」

「かわいいくしゃみ。」

「忘れろ!」

「毛布だるま。」

「忘れろ!」

「林檎耳。」

「初めて聞いたぞ!」

「ベルは、かなり可愛いです。」


 ベルは両手で顔を覆った。


 しかし、耳は隠れていない。


 とても赤い。


 白い雪の中では、よく目立つ。


「……もう駄目だ。」

「補填されますか。」

「されねぇ。」

「では、休憩。」

「そうする。」


 ベルは雪の上へ腰を下ろした。

 小雪も、その隣へ座る。


 少しだけ距離がある。


 けれど。

 以前より、ずっと近い。


 二人の前には、雪ウサギが二匹並んでいる。


 片方は、丸くて可愛い。

 片方は、少し強そうだった。


「小雪。」


 ベルが言った。


「はい。」

「おまえの名前って、あっちの世界の言葉なんだよな。」

「はい。」

「意味はあるのか。」

「あります。」


 小雪は、自分の雪ウサギを見る。


「小雪は、小さい雪と書きます。」


 ベルは黙った。


「小さい雪。」

「はい。」

「そのままなんだな。」

「はい。」


 ベルは、雪の中に座る小雪を見る。


 白い髪。

 白い外套。


 その肩にも、いつの間にか小さな雪が一つ乗っている。


「……名前まで、雪なんだな。」

「そうですね。」

「春野は?」

「春の野と書きます。」

「春の野。」

「はい。」

「春の野に、小さい雪。」

「はい。」


 ベルは、しばらく何も言わなかった。


 春の野。


 そこへ降る、小さな雪。


 白くて。

 小さくて。

 冷たそうなのに。


 今は、隣にいる。


「いい名前だな。」


 小雪はベルを見る。


「そうですか。」

「ああ。」

「こちらでは、変な名前ではありませんか。」

「変じゃねぇ。」


 ベルは小雪から視線を逸らした。


「……名前まで、綺麗だと思う。」


 言ったあと。

 自分で固まった。


 小雪も、少し瞬きをした。


 雪が静かに降っている。


 火はない。

 けれど、ベルの耳は赤い。


「ベル。」

「何だ。」

「刺しましたか。」

「俺が自分で刺した。」

「自傷ですか。」

「それは違う!」

「補填されません。」

「知ってる。」

「痛いですか。」

「かなり。」

「温かいですか。」


 ベルは雪ウサギを見たまま、しばらく黙っていた。


 やがて。


 観念したように答える。


「……温かい。」

「よかったです。」


 小雪は少しだけ笑った。


 ベルは、その笑顔を見て。

 また刺された。


 雪の上に、小さい雪が笑っている。


 名前は雪なのに。

 笑うと、春の方に似ている。


 ベルは、そう思った。


 言わなかった。


 これ以上言えば、自分の初心なハートが本当に雪へ埋まる。




 夕方までに、屋根の補強は終わった。


 完璧ではない。

 けれど、昨日よりはずっと強い。


 雪下ろし棒も二本作った。


 一つは家用。

 一つは薪置き場用。


 ベルは少し離れた場所から屋根を見上げ、満足そうに頷いた。


「これで、しばらくは大丈夫だろ。」

「服も守られます。」

「家が守られるんだ。」

「ベルも。」

「まあ、俺もな。」

「脱ぎがち対策。」

「冬対策。」

「同義では。」

「ねぇ。」


 小雪は雪ウサギを二匹、玄関の近くへ移した。


 ベルのウサギ。

 小雪のウサギ。


 並べると。

 小雪の方は、やはり少し強そうだった。


「強い方が私です。」

「自分で言うのか。」

「ベルの方が可愛いです。」

「ウサギの話な。」

「はい。」

「本当に?」

「たぶん。」

「信用ならねぇ。」


 ベルはそう言いながら、少し笑った。


 家へ入る前。

 小雪は、雪の上に残った足跡を見た。


 二人分の足跡。


 雪下ろし棒を作った跡。

 梁を運んだ跡。

 雪ウサギを作った跡。


 先日見たのは、家ほどの魔物が地面を抉った、大きな足跡だった。


 今日は。


 小雪の小さな足跡と。

 ベルの大きな足跡がある。


 こちらの方がよい。

 小雪はそう思った。


 分類はしない。




 夜、小雪は火のそばで記録用紙を広げた。


 ベルは台所でスープをかき混ぜている。


 今日の記録。


 一、雪は白いが重い。

 二、屋根の傾きが浅いと、雪が居座る。

 三、雪下ろし棒は角度が大事。

 四、押すより引く。屋根を傷めにくい。

 五、梁を増やすと、重さが分散する。

 六、一人で支えるより、二人の方が落ちにくい。

 七、ベルは私の梁。


「七!」


 早速ベルが叫んだ。


 小雪は顔を上げた。


「そこですか。」

「そこだろ!」

「重要です。」

「いや、重要だけど!」

「では残します。」

「待て。そういう意味じゃ――」

「消しますか。」


 ベルが黙った。


 小雪は待つ。


「……消すな。」

「はい。」

「小さくもしなくていい。」

「はい。」

「でも外で言うなよ。」

「はい。」


 小雪は記録を続けた。


 八、雪ウサギは大型魔法より難しい。

 九、ベルは雪ウサギも作れる。

 十、生活文明総合担当、雪ウサギ部門。


「九まではいい! 十を消せ!」

「担当者、ベル。」

「増やすな!」


 十一、小雪は、小さい雪と書く。

 十二、春野小雪は、春の野に小さい雪。

 十三、ベルは名前まで綺麗だと言った。


 ベルの声が少し小さくなった。


「十三は。」

「はい。」

「……小さくしろ。」

「分かりました。」

「消すなよ。」

「はい。」


 小雪は十三だけ、少し小さく書いた。


 十四、ベル、自分で刺さる。


「それは消せ!」

「自傷記録。」

「違う!」

「補填されません。」

「そういう意味でもねぇ!」


 小雪は十四を少し小さくした。


 ベルはため息をついたが、紙を取り上げには来なかった。


 小雪は記録を見た。


 雪は重い。

 梁は支える。

 雪ウサギは難しい。

 小雪は、小さい雪。

 ベルは梁。

 名前まで綺麗。


 屋根も落ちなかった。

 ベルも脱がなかった。


 小雪は、最後にもう一行書き足した。


 十五、ベル、残念ながら今日は脱がず。


「書くな!」

「成果です。」

「何のだ!」

「脱ぎがち対策。」

「冬対策だ!」


 ベルの声が、火の音へ混じった。


 外では、雪が静かに降っている。

 山の家の屋根は、今日は落ちない。

 玄関の横では、二匹の雪ウサギが並んでいる。


 悪くない。


 小雪はそう思った。


 たぶん、ではなく。

 今日は、少しはっきりと。


 悪くない。

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