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第三十六話 補填は回復ではない

 火の音だけが、二人の間を埋めていた。


 ぱち、と薪が爆ぜるたびに、赤い火の粉が小さく舞い上がる。

 外は冬の入り口で、窓の端にはまだ白い曇りが残っている。

 それでも山の家の中には火があり、昨日干した厚い毛布があり、台所には朝の残りのスープがある。


 そして、小雪の左手は、ベルの両手の中にあった。


 最初よりは、もうずいぶん温かくなっている。それでもベルは手を離そうとしなかった。


 小雪は、自分の左手を見た。


 白い。


 もともと白い手ではあるが、今日は少しだけ新しい白さに見える。


 先ほど、魔物を討つために使った手。

 小雪の身体から引き離され、ほどけ、魔素の粒になり、あの高出力の魔法へ流れ込んだ。そのあと、欠けた場所へ新しく補われた手。


 形は同じだった。


 指も動く。

 感覚もある。


 小雪にとっては、何も問題はない。


 けれど、そう言えばベルは怒る。


 それだけは、もう理解していた。


「説明しろ。」


 ベルが言った。


 低い声だった。


「はい。」


 小雪は頷いた。


「どこから聞きたいですか。」

「全部。」

「全部は長いです。」

「なら、今必要なところを全部だ。」

「分かりました。」


 小雪は少し考えた。


 火の音。


 ベルの手。

 自分の左手。


 勇者召喚。

 祝福。

 魔素。


 どこから始めれば、ベルが理解しやすいだろう。


「私たち勇者候補は、召喚された時に、この世界で生きられるよう身体を少し作り替えられます。」


 小雪が話し始めると、ベルの手にほんの少しだけ力が入った。


「作り替えられる?」

「はい。完全に別の生き物になるわけではありません。けれど、この世界の空気や食べ物、それから魔法や魔素に馴染めるように、身体が少し変質します。」

「それは、召喚された時に勝手にか。」

「はい。」

「本人の許可は。」

「ありません。」


 ベルの口元が歪んだ。


 怒っている。


 けれど、今はまだ口を挟まなかった。


「その時に、私たちには《祝福》と呼ばれる固有の力が定着します。どんな力になるかは一人ずつ違いました。属性魔法を強く使える人もいましたし、仲間を癒せる人、遠くへ一瞬で移動できる人、知覚や防御を強化される人もいました。」

「どうやって決まるんだ。」

「分かりません。ただ、元の世界で本人が持っていた性質や、強い願いのようなものが関係している、と説明されていました。」

「説明されていた。」

「はい。」

「召喚した側に。」

「はい。」


 ベルは短く息を吐いた。


「それ、信用できるのか。」

「当時は、信用するしかありませんでした。」

「……そうか。」


 それ以上は聞かなかった。


 小雪は続ける。


「《祝福》は、普通の魔法とは少し違います。本人の魔力をほとんど消費せずに使えるので、強い祝福を持った人は、それだけでも大きな力を持っていました。」


 ベルは、自分が包んでいる小雪の手を見る。


「おまえの《補填》も、そうなのか。」

「はい。」

「だから、何度でも戻る。」

「はい。」

「でも、おまえは前に、自分の祝福は強くなかったって言ったな。」

「はい。」


 小雪は火を見た。


 薪が燃えている。

 薪がなくなれば、火は消える。


 分かりやすい仕組みだった。


 小雪の祝福は、最初からずっと分かりにくかった。


「私はしばらく、《補填》を自動回復のようなものだと思っていました。怪我をしても治る。普通の人より少し死ににくい。ただ、それだけの祝福だと思っていたんです。」

「死ににくいだけって言うな。」

「はい。」

「……他のやつらは、もっと分かりやすく強かったのか。」

「はい。自分だけではなく仲間を癒せる人もいました。離れた場所へ一瞬で移動できる人もいました。大勢の魔物を一度に止められる人もいました。それに比べれば、私は自分しか保てません。誰かを治すことも、敵を倒すこともできない。だから最初は、あまり役に立たない祝福だと思っていました。」


 ベルは何か言いたそうな顔をしたが、今度は堪えたらしい。


「それが違うと気づいたのは、旅の途中です。」


 小雪は自分の左手を見た。


「一度、腕を失いました。」


 ベルの手が止まった。


「……腕を?」

「はい。肩の少し下から。」


 ベルの顔から、わずかに色が引いた。


 小雪は、できるだけ簡単に話すことにした。あの時の敵や場所、戦い方まで説明する必要はない。


「その時、私は死ぬと思いました。痛みもありました。けれど、しばらくして、腕はまたそこにありました。」

「治ったんじゃねぇのか。」

「違います。」


 小雪は静かに首を振った。


「傷が塞がって、失った腕が元に戻ったのではありませんでした。欠けた場所へ、新しいものが少しずつ補われたんです。」

「新しいもの。」

「はい。見た目は同じです。動きました。感覚もありました。でも、切断面が治っていくのとは違いました。傷が閉じるのではなく、なくなった形が外側から満たされていくような感覚でした。」


 ベルの顔が強く歪んだ。


「小雪。」

「はい。」

「もう、それ以上細かく言わなくていい。」

「分かりました。」

「……分かったから。」

「はい。」


 ベルは小雪の左手を見た。


「それで、トカゲのしっぽか。」

「はい。」

「同じしっぽではない。」

「はい。」


 火が鳴った。


 ベルは、小雪の手を包んだまま低く言う。


「だから、《回復》じゃなくて《補填》。」

「はい。欠けたものを、埋める。それが一番近い言葉だと思いました。」


 しばらく、二人とも黙っていた。


 小雪の手は、もう十分に温かい。


 それでも、ベルの顔から不安は消えなかった。


「それで。」


 やがて、ベルが口を開いた。


「今日の魔法は何だ。」


 小雪は少しだけ息を止めた。


 ここから先は、話さなければならない。


「そのあとも、旅の途中で何度か大きな怪我をしました。」

「何度か。」

「はい。そして、何度目かで気づきました。小さな傷では、ほとんど変わりません。でも、指、手、腕と、欠けるものが大きくなるほど、魔法の出力も大きくなりました。」


 ベルが小雪を見る。


「出力?」

「はい。使える魔法の規模が大きくなりました。火力と言ってもよいかもしれません。」

「なぜだ。」


 小雪は答えなかった。


 その理由を話すには、《補填》だけでは足りない。


 身体のことを説明しなければならない。


 身体のことを話せば、召喚について、もっと深いところまで話さなければならなくなる。


 その先には。


 まだ、ベルへ話せないことがある。


「小雪。」

「はい。」

「知らないのか。」

「……いいえ。」


 ベルの眉が動いた。


「知ってるんだな。」

「はい。」

「でも、話せない。」

「今は。」


 小雪はベルを見る。


「その理由は、今はまだ話せません。」


 ベルは何も言わなかった。


 怒るかもしれないと思った。

 問い詰められるかもしれないとも思った。


 けれど、ベルはしばらく小雪を見つめたあと、小さく息を吐いた。


「……そうか。」

「はい。」

「なら、今はそこまでは聞かねぇ。」


 小雪は少し目を瞬かせた。


「でも。」


 ベルの声が硬くなる。


「今日、おまえが何をしたかは聞く。」

「はい。」

「欠けるほど、出力が上がる。それに気づいた。それで?」


 小雪は少し瞼を伏せた。


「最初は、怪我をした時だけでした。」

「最初は。」

「はい。」


 ベルの手が、また少し強くなる。


「そのうち、必要な時は、自分から使うようになりました。」


 ベルの顔から表情が消えた。


「自分から。」

「はい。」

「今日みたいに?」

「はい。」

「おまえ、自分で切り離したのか。」

「はい。」


 ベルの手に力が入った。

 けれど、小雪が痛がるより先に、すぐ緩められた。


 怒っていても。


 ベルは小雪の手を傷つけない。


「小雪。」

「はい。」

「それは魔法じゃねぇ。」

「魔法として発動しています。」

「そういう意味じゃない。」


 ベルの声が低くなる。


「自傷だろ。」


 小雪は黙った。


「効率は良かったです。」

「効率の問題じゃねぇ!」


 ベルの声が少し大きくなった。


 小雪は瞬きをする。


 ベルはすぐに口を閉じ、荒くなりかけた呼吸を整えた。


「……悪い。」

「いえ。」

「でも、効率の問題じゃねぇんだよ。」

「必要でした。」

「必要でもだ。」

「他に方法がありませんでした。」

「それでも。」


 ベルは一度言葉を切った。


 何かを飲み込むように、ゆっくり息を吐く。


「それでも、そんなふうに自分を使うな。」


 小雪は少しだけ目を伏せた。


「そうしなければ、辿り着けませんでしたから。」


 ベルの眉が寄った。


「どこへ。」


 小雪は答えなかった。


 今は。

 まだ。


 そこまでは話せない。


 ベルはしばらく待ったが、やがて目を閉じた。


「……そうか。」

「はい。」

「おまえは、自分で欠けさせて。」

「はい。」

「その分を使って魔法を撃って。」

「はい。」

「補填して。」

「はい。」

「また必要になったら、同じことをする。」

「……はい。」


 ベルは目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


 怒りを押さえているようにも。

 痛みを飲み込んでいるようにも見えた。


 やがて、小さく言う。


「おまえ。」

「はい。」

「自分を何だと思ってる。」


 小雪は考えた。


 勇者。

 異世界人。

 魔王を討ったとされる者。

 補填される者。

 世界を滅ぼせるほどの火力を持つ者。


 今は。


 誰にでも使えるものを作ろうとしている者。


「……分かりません。」


 正直に答えた。


 ベルは、苦しそうな顔をした。


「そういうところだよ。」

「はい。」

「はい、じゃねぇ。」

「はい。」

「……くそ。」


 ベルは、小雪の左手を包み直した。


「痛くはなかったのか。」

「引き離す時は痛いです。」


 ベルの手が止まった。


「引き離す。」

「はい。でも、補填されたあとは痛みが残りません。」

「……だから、問題ないってか。」

「はい。」

「問題しかねぇ。」

「ベルは、そう言うと思いました。」

「言うに決まってる。」

「はい。」

「おまえは、痛かったら止まるべきだ。」

「止まっていたら、死にました。」


 ベルは言葉を失った。


 小雪は事実を言っただけだった。


 あの旅では。


 立ち止まれば死ぬ。

 使えるものを使わなければ死ぬ。

 自分が死ねば、その先へは進めない。


 だから使った。


 ただ、それだけだった。


 けれど。


「今は違う。」


 ベルが言った。


 低く。

 はっきりと。


 小雪はベルを見る。


「今は、魔王討伐の旅じゃねぇ。」


 火が鳴った。


 外は冷たい。

 部屋は温かい。


 小雪の手は、ベルの両手の中にある。


「今は、俺がいる。」


 小雪は黙った。


「ベルがいても、大きな魔物は出ます。」

「出たな。」

「村を守る必要もあります。」

「分かってる。」

「なら、必要な時は使います。」

「だから、怒ってる。」

「必要なのに。」

「必要でも、俺は怒る。」

「なぜですか。」

「おまえが、自分を燃料みたいに扱うからだ。」


 燃料。


 小雪は火を見る。


 薪が燃えている。


 薪は形を失う。

 炎になる。

 熱になる。


 薪は戻らない。


 けれど。


 小雪は自分の左手を見る。


 戻っている。


 同じ形。

 同じ指。


「私は補填されます。」

「それを言うな。」

「でも、事実です。」

「事実でもだ。」


 ベルは、小雪の手を包んだまま言った。


「補填されるからって、使っていいわけじゃねぇ。」


 小雪はベルを見る。


 怒っている。


 けれど。

 怖くはない。


 小雪を傷つけるための怒りではないことは、もう分かる。


「あなたは、怒るんですね。」

「当たり前だ。」

「私が《補填》を使うと。」

「怒る。」

「必要でも。」

「ああ。」

「今日、使わなければ、魔物が村へ下りていたかもしれません。」

「それでも怒る。」

「矛盾しています。」

「分かってるよ。」


 ベルは苦しそうに顔を歪めた。


「そんなことは、十分分かってる。今日、おまえが村を守ったことには感謝してる。すげぇとも思った。さすが勇者さまだとも思った。」


 そこで一度、顔を背ける。


「でも、それ以上に怖かった。」

「魔物が?」

「違う。」


 ベルは首を振った。


「おまえの戦い方が。」

「はい。」

「おまえが、当たり前みたいに自分を削るのが怖かった。」


 小雪は何も言わなかった。


「すごく。」


 ベルの声が少し掠れた。


「すごく、怖かったんだ。」


 小雪は、ベルの顔を見ていた。


 たぶん。


 これは恐怖なのだろう。


 怒りも。

 苦しさも。


 全部混ざっている。


 今の小雪には、その感情の輪郭がうまく分からない。


 前の自分なら。


 もう少し理解できたのだろうか。


「だから、怒ってる。」

「……分かりました。」

「本当に?」

「たぶん。」

「たぶんか。」

「はい。」


 ベルは深くため息を吐いた。


「じゃあ、もう一つ聞く。」

「はい。」

「おまえは、不死身なのか。」

「違います。」


 小雪が即答すると、ベルは少し目を見開いた。


「違うのか。」

「はい。」

「補填されるのに?」

「万能ではありません。」

「どこまでなら戻る。」

「分かりません。」

「分からない?」

「限界まで試したことはありません。」


 ベルの顔が変わった。


「試すな。」

「はい。」

「絶対に試すなよ。」

「はい。」

「……今の返事も信用ならねぇ。」

「なぜですか。」

「おまえだからだ。」


 小雪は少し考えた。


「でも、本当に試す予定はありません。」

「予定の話じゃねぇ。」

「はい。」

「何があっても試すな。」

「はい。」


 ベルはまだ不安そうだった。


 それでも、これ以上は確認できないと諦めたらしい。


 火の音が続いている。


 小雪は、自分の手を包んでいるベルの指を見る。


「旅では。」


 小雪はゆっくり言った。


「壊れないことが、役割でした。」


 ベルが顔を上げた。


「死なないこと。戻ること。進むこと。倒すこと。」


 八年間。


 立ち止まらず。

 戻り。

 進み。

 倒す。


 それができるから、小雪は生き残った。


 それができるから、辿り着いた。


「それが、私の役割でした。」

「今は違う。」


 ベルが言った。


「はい。」

「違う。」


 もう一度。


 今度は、さらに強く言った。


「ここでは、おまえは壊れなくていい。」


 小雪はベルを見る。


 ベルは怒っている。


 それなのに。


 少し泣きそうな顔をしていた。


「壊れなくて、いい。」


 小雪は繰り返した。


「そうだ。」

「でも、魔物は出ます。」

「出たな。」

「村を守る必要もあります。」

「それも分かる。」

「なら。」

「絶対に使うなとは、今は言えねぇ。」


 ベルは悔しそうに言った。


「言えねぇよ。今日だって、あれを止められたのはおまえだけだ。」

「はい。」

「だから、もう二度と使うなとは言えない。」

「はい。」

「でも、言え。」

「何を。」

「使う前に。」


 小雪は瞬きをした。


「ベルに?」

「俺に。」

「止められます。」

「止める。」

「魔物が村へ行くかもしれません。」

「止めるっていうのは、何も全部やめろって意味じゃねぇ。」


 小雪は少し首を傾げた。


「違うのですか。」

「違う。」


 ベルは、小雪の手を握り直した。


「俺は考える。」

「何を。」

「他の方法だ。」

「他の。」

「罠を使う。距離を取る。先に村を逃がす。地形を使う。縄でも、火でも、道具でも、使えるものは使う。おまえが自分を削る前に、できることを探す。」

「ベルは、魔法を使えません。」

「知ってる。」

「大きな魔物は倒せません。」

「それも知ってる。」

「でも――」

「それでも、俺が考えるから。」


 ベルは小雪を見る。


「おまえがずっと言ってきたんじゃないか。」


 琥珀色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見ている。


「俺は有能なんだろ?」


 息が止まる。


 そうだ。小雪がずっと言い続けた。


 ベルは有能です、と。


「……はい。」

「なら、考える。」


 ベルの声は、少し震えていた。


 それでも、まっすぐだった。


「おまえが、すぐ自分を使わなくて済む方法を。少しでも減らせる方法を。俺にできることを。」


 小雪は胸の奥が、小さく鳴るのを感じた。


 ちりん。


 鈴は鳴っていない。


 けれど。


 音がする。


「ベル。」

「何だ。」

「ベルは、止めるのが上手ですね。」

「そうか?」

「はい。」

「……今日、止められなかった。」

「今、止めています。」


 ベルは黙った。


 小雪は、自分の左手を見る。


 ベルの手の中にある。


 温かい。

 逃げられない。


 でも。


 嫌ではない。


「私は、また使うかもしれません。」

「だろうな。」

「必要なら。」

「ああ。」

「でも。」


 小雪は少し考えた。


「言います。」


 ベルが顔を上げる。


「使う前に。」

「……本当に?」

「はい。」

「逃げるなよ。」

「逃げません。」

「勝手に決めるな。」

「はい。」

「何かあれば、必ず言え。」

「はい。」

「絶対にだ。」

「……では。」

「何だ。」

「お腹が空きました。」


 ベルが止まった。


「……今か。」

「はい。」

「この流れで?」

「はい。」


 ベルは一瞬、呆れた顔をした。


 それから。


 長く息を吐いた。


 ほんの少しだけ。


 いつものベルの顔に戻る。


「……飯、作る。」

「はい。」

「でも、その前に。」

「はい。」

「もう一回言っとく。」


 ベルは、小雪の左手を包んだまま、まっすぐ小雪を見た。


「補填されるとしても、必ず止まる。」

「はい。」

「たとえ痛みが残らなくても、止まる。」

「はい。」

「俺が止めたら、止まる。」


 小雪は少し考えた。


「状況によります。」

「そこは即答しろ。」

「命に関わる場合は。」

「おまえの命も入れろ。」


 小雪は黙った。


 ベルはもう一度言った。


「おまえの命も、ちゃんと入れろ。」


 火が鳴った。


 小雪の手は温かい。

 ベルの手も温かい。


 外は寒い。


 山の奥には、討たれた魔物の痕跡が残っている。


 魔素の濁りも、まだ消えていない。


 観測しなければならないものは多い。


 けれど。


 今は。


「はい。」


 小雪は頷いた。


「入れます。」


 ベルは、ようやく少しだけ息を吐いた。


「よし。」

「はい。」

「飯にする。」

「はい。」

「スープでいいか。」

「はい。」

「手は。」


 ベルは、小雪の左手を見る。


 まだ離していない。


「離しますか。」


 小雪が訊くと、ベルは少し黙った。


 それから、顔を背けた。


「……もう少し。」

「はい。」

「温めてからだ。」

「はい。」

「それだけだ。」

「はい。」

「納得してる顔じゃねぇな。」

「観測しています。」

「するな。」


 小雪は少しだけ笑った。


 ベルは怒っている。


 まだ怒っている。

 痛がっている。

 怖がっている。


 それでも。


 手は温かい。


 補填された左手を、ベルは何のためらいもなく包んでいる。


 同じ手なのかどうか。

 小雪には、まだ分からない。


 けれど。

 ベルが同じように包むなら。


 今は。

 同じ手でいいのかもしれない。


 小雪はそう思った。


 まだ、記録はしない。

 この温かさに名前をつけるのは、少し難しい。


 火が静かに鳴っている。


 外は、冬の入り口。


 山の家の中で。


 ベルは、小雪の手を離さなかった。

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