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第二十三話 炭と火色と雨はシャワーではない

 火力を安定させるには、炭が必要だった。


 薪は燃える。


 よく燃える。


 けれど、煙が多く、火の勢いが変わりやすい。

木の種類や乾燥具合によって燃え方も違い、水車ふいごで同じように風を送っても、急に火が強くなったり、逆に弱くなったりする。


 ガドは仮設炉の前で腕を組み、赤くなりかけた炭の代わりにまだ残っていた薪を見ながら言った。


「薪でも釘くらいは曲がる。けど、安定して鉄を扱うなら、やっぱり炭だな。」

「炭。」


 小雪は頷いた。


「黒いやつですね。」

「まずそこか。」


 ベルが言った。


「危険物箱の黒い粉とは違いますか。」

「違う。」

「でも似ています。」

「似てねぇ。」

「どちらも黒いです。」

「黒けりゃ全部同じにするな。」

「敬語。」

「黒ければ全部同じにしないでください。」

「変です。」

「分かってる。」


 ガドが声を上げて笑った。


「炭にもいろいろあるんだ。硬いやつ、柔らかいやつ。火がつきやすいやつに、長く持つやつ。鍛冶に向くなら、火持ちがよくて、風を送っても簡単に砕けねぇ方がいい。」

「分類できます。」


 小雪の目が、少しだけ輝いた。


 分類。

 観測。

 記録。


 これは、小雪の得意分野である。


 ベルはその顔を見て、少し警戒した。


「変な分類名をつけるなよ。」

「炭文明。」

「まあ、それは普通だな。」

「黒い燃える石ではないもの文明。」

「長い。」

「黒くて熱い文明。」

「やめろ。」

「敬語。」

「やめてください。」


 ロイが木材を削りながら笑っている。


「勇者さまは、炭ひとつでも楽しそうですなぁ。」

「はい。炭は火力文明の基礎ですから。」

「いいことを言ってるのに、不安になるのは何ででしょうな。」

「日頃の実績だ。」


 ベルが即答した。


「実績。」


 小雪は頷いた。


「日々の積み重ねは大事です。」

「そっちじゃねぇ。」

「敬語。」

「そちらではありません。」

「変です。」

「そうだろうよ!」




 今日、川辺には新しい人が来ていた。


 炭焼きのモリスである。


 山の中腹で炭を焼いている男で、背はそれほど高くないが、腕も首も太い。顔も服もうっすら煤けており、笑うと歯だけが白く見えた。


 モリスは荷車から三つの袋を下ろし、火床の近くへ並べた。


「こっちが柔らかい炭。火はつきやすいが、早く崩れる。こっちは硬い炭だ。火が入るまで時間はかかるが、長く持つ。最後のは混ざりもんが多い。鍛冶には向かねぇが、煮炊きなら十分だ。」


 小雪は三つの袋を順番に見た。


「黒一号。」

「やめろ。」


 ベルが即座に止めた。


「黒二号。」

「番号で雑にするな。」

「黒三号。」

「聞いてねぇな。」


 モリスは腹を抱えて笑った。


「分かりやすくていいじゃねぇか。」

「全くよくない。」


 ベルは疲れた顔で炭を一つ拾った。


「火のつきやすさ。火持ち。崩れやすさ。煙。火力。せめて、そういう違いで分けろ。」


 小雪はすぐに記録用紙を取り出した。


「火のつきやすさ。火持ち。崩れやすさ。煙。火力。」

「そうだ。」

「ベルは分類もできますね。」

「おまえより現実的にな。」

「良い分類お父さん。」

「混ぜるな!」

「敬語。」

「混ぜないでください!」


 モリスが、にやにやしながらベルを見た。


「お父さん?」

「違います。」

「若いのに大変だなぁ。」

「違います。」

「勇者さまの世話は大変そうだ。」

「それは違いません。」

「ベル。」

「何でしょうか。」

「そこは違うと言ってください。」

「いや、これは事実だろ。」

「そうですか。」

「そこは諦めないでくれ。」


 ロイもガドも笑っていた。


 小雪は気にせず記録を始める。


 炭の種類。

 燃え方。

 煙の量。

 火持ち。


 そして、鉄の色。


 火力を数字で記録できればよい。


 けれど、この世界に小雪が知るような温度計はない。


 ならば、まずは目で見えるもので段階を作る。


 ベルはそう言った。


「数字がないなら、色で分ける。」

「色。」

「火の色だけじゃねぇ。鉄を見る。暗い赤になる。明るい赤になる。もっと熱くなれば、橙に近くなる。ガドさんたちは経験で見分けてるだろ。それを言葉にして、表にする。」

「表。」


 小雪の目が、さらに輝いた。


「表文明。」

「今度は悪くねぇ。」

「火色分類表。」

「それでいけ。」

「火色文明。」

「それでもいい。」

「燃える色気文明。」

「やめろ。」

「敬語。」

「やめてください。」


 ガドが笑いすぎて槌を置いた。


「火の色気って何だ。」

「ベルが炉前で上半身裸になった時の――」

「小雪!」

「前回の記録です。」

「消せと言っただろ!」

「小さくしました。」

「残したのか!」


 モリスがベルを見る。


「兄ちゃん、脱いだのか。」

「暑かったからだ。」

「鍛冶場じゃ珍しくねぇ。」

「そうです。」

「良い身体だったらしいな。」

「誰だ、広めたのは!」


 ガドとロイが同時に目を逸らした。


 小雪は正直に言った。


「私も記録しました。」

「おまえは消せ!」

「格好いい、も小さく残しました。」

「何で残すんだよ!」

「事実ですから。」


 モリスがまた笑った。


「今日も暑いぞ。」

「脱ぎません。」

「誰もまだ言ってねぇ。」

「言われる前に言いました。」


 ベルは顔を赤くしながら、炭袋を火床の近くへ運んだ。




 試験は、柔らかい炭から始めた。


 火打ち石で火種を作り、細い薪へ移す。そこから少しずつ炭へ火を移し、水車ふいごで弱い風を送り続ける。


 柔らかい炭は、すぐに赤くなった。


 火がつきやすい。

 だが、崩れるのも早い。


 ふいごの風を受けるたび、細かな灰が舞う。


「煙、少なめ。」


 小雪が書く。


「崩れやすい。」


 ベルが言う。


「火力は。」


 ガドが鉄片を入れた。


 しばらく待つ。


 やがて、鉄の端が暗い赤に変わった。


「暗赤色。」


 小雪が言った。


「暗い赤でいいだろ。」

「暗赤色。」

「言いたいだけだな。」

「分類名です。」

「まあ、いい。」


 次は、硬い炭だった。


 こちらは、なかなか火がつかない。

 表面が少し赤くなっても、すぐには全体へ広がらない。


 ベルは水車ふいごの風を少し強くするため、軸受けと棒の位置を調整した。


 水車が回る。

 くる、くる。


 昨日より、音は軽い。


 ふいごが風を送る。


 硬い炭は、時間をかけて少しずつ赤くなり、一度火が入ると長く熱を保った。


 ガドが目を細める。


「こっちの方が鍛冶には向いてるな。」

「火持ち、良好。」


 小雪が書く。


「煙は少ない。」


 ベルが加える。


「崩れにくいですな。」


 ロイが炭を覗き込む。


「火はつきにくい。」


 モリスが頷いた。


「だが、風を送り続ければ育つ。」


 小雪は炉を見た。


 暗い赤。

 明るい赤。

 橙に近い赤。


 火の勢いが変われば、熱せられた鉄の色も変わる。


 数字はない。


 けれど、段階は作れる。


 小雪は新しい紙を取り出した。


 火色分類表。


 一、暗赤色――釘の先が曲がる。

 二、明赤色――薄い鉄片が伸びる。

 三、橙赤色――金具加工に向く可能性。

 四、白に近い色――危険。未確認。

 五、小雪の火魔法――分類禁止。


 すぐにベルが覗き込んだ。


「五を消せ。」

「なぜですか。」

「試験炉が消える。」

「四以降は未確認です。」

「今後も確認するな。」

「火力分類として。」

「分類するな。」

「敬語。」

「分類しないでください。」

「はい。」


 小雪は五に線を引いた。


 ただし、薄く。


「消せ。」

「消えにくいです。」

「おまえが薄く書いただけだろ。」

「観測記録です。」

「観測するな。」


 ベルは紙を取り上げようとした。


 小雪は反射的に避ける。


 その拍子に、火床へ一歩近づいた。


 すぐにベルの手が、小雪の肩を掴んだ。


 強くはない。


 けれど、確実に止める手だった。


「近い。」

「火色を見ていました。」

「おまえごと焼く気か。」

「補填されます。」

「俺の心臓は補填されねぇ。」

「初心なハート。」

「それもだが、普通の心臓もだ!」

「二種類ありますか。」

「ある意味ある!」


 ベルは小雪を火床から少し遠ざけた。


 手は、まだ肩に残っている。


 小雪はその手を見た。


「ベル。」

「何だ。」

「手が熱いです。」

「炉のそばだからな。」

「私に触ったら、少しは涼しくなりますか。」


 ベルの手が固まった。

 肩に置かれたまま。


 ガドが、にやりとする。

 ロイはにこにこしている。


 モリスは炭袋を抱えたまま、笑いを堪えていた。


「……小雪。」

「はい。」

「人前だ。」

「はい。」

「やめろ。」

「敬語。」

「やめてください。」

「はい。」


 小雪は頷いた。


 ベルはすぐに手を離した。


 耳が赤い。


 炉のせいかもしれない。


 たぶん、違う。




 火色の観測は続いた。


 柔らかい炭と硬い炭を混ぜると、火のつきやすさと火持ちの具合が変わる。


 細かく砕いた炭は火が回りやすいが、風を強くすると崩れやすい。大きな炭は長持ちするが、火が育つまで時間がかかる。


 水車ふいごの風量を変えれば、鉄の色が変わる速さも違った。


 ベルは炭を見ながら言った。


「大きさもある程度揃えたいな。」

「炭粒分類。」

「それはありだ。」

「黒一号。黒二号。」

「やめろ。」

「大黒、中黒、小黒。」

「それもやめろ。」

「敬語。」

「やめてください。」


 モリスは楽しそうに炭を選別している。


「大きさを揃えるなんざ、考えたこともなかったな。燃えりゃ同じだと思ってた。」

「同じではありません。」


 小雪が言う。


「火のつきやすさ、火持ち、崩れやすさ、煙、火力が違います。」

「勇者さまは炭にも厳しいな。」

「分類対象です。」

「対象にされちまったな。」


 ガドが熱した鉄片を火床から取り出し、金床へ置いた。


 かん。

 槌が落ちる。


 もう一度。

 かん。


 昨日より、鉄がよく伸びた。


「おお。これはいい。」


 ガドの声に、ロイも覗き込む。


「金具の形も揃えやすくなりますな。」

「軸受け用の板も、もう少し滑らかにできる。」


 ベルが言う。


「穴も必要です。」


 小雪が付け加えた。


「ああ。次は、まっすぐ穴を開ける方法だな。」

「穴文明。」

「絶対言うと思った。」

「軸受けには穴が必要です。」

「それはそうだが、名前が嫌だ。」

「まっすぐ穴文明。」

「少しましか?」

「ベルの指を守る穴文明。」

「戻ったな。」


 ベルは額を押さえた。


 火色分類表は、少しずつ埋まっていく。


 小雪は記録する。

 ベルは調整する。

 ガドは鉄を打つ。

 ロイは木を整える。

 モリスは炭を選ぶ。


 一人ではできなかったものが、少しずつつながっていく。


 炭焼きの知識。

 鍛冶屋の腕。

 木工の技術。

 ベルの順番。

 小雪の記録。


 魔法ではなく。

 人の手で。


 小雪はそれを見ていた。


 悪くない。


 やはり、悪くない。




 午後になると、空気が急に重くなった。


 さっきまで強かった日差しが薄れ、山の上へ黒い雲がかかっていく。


 蝉の声まで、少し遠くなった気がした。


 ガドが空を見上げる。


「降るな。」


 モリスもすぐに炭袋の口を縛った。


「こりゃ早く片づけた方がいい。」


 ベルは空を一度見ただけで、すぐに指示を出した。


「炭は濡らすな。火床は灰を被せて消す。金具は布で包め。記録用紙は小雪が持て。」

「はい。」

「落とすなよ。」

「はい。」

「濡らすなよ。」

「はい。」

「返事がいい時ほど信用ならねぇ。」

「実績ですか。」

「そうだ。」


 遠くで雷が鳴った。


 ごろ、と低い音が山の向こうから届く。


 小雪は空を見た。


「雷。」

「見るな。片づけろ。」

「雷魔法に似ていますね。」

「似てても浴びるな。」

「浴びません。」

「信用ならねぇ。」


 ロイとガドが火床の処理を終え、モリスは炭を荷車へ積む。


 空は、みるみる暗くなっていった。




 夏の雨は急である。


 小雪とベルが山の家へ戻り始めた頃、最初の大粒の雨が落ちた。


 一粒。

 二粒。


 すぐに、ばらばらと地面を叩く音が増える。


 そして。


 一気に降った。


「走るぞ。」


 ベルが言った。


「はい。」


 小雪も走る。


 だが、雨の方が速い。


 白い髪が濡れる。

 服が濡れる。


 乾いた山道が、あっという間にぬかるんでいく。


 雷がまた鳴った。


 小雪の足が少し滑る。


 その瞬間、ベルが手を掴んだ。


「足元!」

「はい。」


 身体が傾く前に、引き寄せられる。


 近い。


 雨の音が強い。


 ベルの手は熱い。


「大丈夫か。」

「はい。」

「寒くねぇか。」

「私は風邪をひきません。」

「でも、いくら夏でも濡れりゃ寒いだろ。」

「補填されます。」

「だから、補填されるからいいって話じゃねぇ。」


 ベルはそう言うと、歩きながら上着を脱いだ。


 すでに雨を吸い始めている黒い上着を、小雪の頭から被せる。


 視界が少し暗くなった。


「ベル。」

「被ってろ。」

「ベルが濡れます。」

「もう濡れてる。」

「ベルは風邪をひきます。」

「ひかねぇ。」

「人間は風邪をひきます。」

「知ってる。」

「では。」

「うるせぇ。いいから被ってろ。」

「敬語。」

「いいから被っていてください。」

「変です。」

「今は変でいい。」


 ベルは上着を小雪の肩まで引き寄せた。


 自分は、そのまま雨の中にいる。


 金髪はすぐに濡れ、額へ張りついた。シャツも肌へ貼りつき、肩から腕にかけての線が浮かび上がっている。


 前回とは違う。


 炉の熱ではない。


 雨の冷たさ。


 それでも。


 ベルは、やはり格好よかった。


「ベル。」

「何だ。」

「脱ぎがちですね。」

「今それを言うか!?」

「これはサービスシーンですか。」

「何だ、それは。」

「観測です。」

「何を観測してんだ!」


 雷が鳴った。


 小雪は無意識に、被せられた上着を少し握った。


 ベルがすぐに気づく。


「怖いのか。」

「怖くありません。」

「じゃあ何だ。」

「音が大きいです。」

「それを怖いって言うんだよ。」

「そうですか。」

「そうだ。」


 ベルは小雪の手を握り直した。


「もう少しだ。滑るなよ。」

「はい。」

「上着、ちゃんと被ってろ。」

「はい。」

「髪をこれ以上濡らすな。」

「もう濡れています。」

「これ以上だ。」

「ベルの髪も濡れています。」

「俺はいい。」

「よくありません。」

「俺はあとで拭く。」

「私が拭きますか。」


 ベルが雨の中で躓きかけた。


「急に言うな!」

「雨なので。」

「因果関係が分からねぇ。」

「以前は、雨が入浴イベントでした。」

「雨はシャワーじゃねぇだろ!」

「違いますか。」

「違う!」

「では、入浴ではありませんね。」

「当たり前だ!」

「敬語。」

「当たり前です!」

「変です。」

「雷雨の中で敬語矯正するな!」


 小雪は少し笑った。


 ベルは雨に濡れながら怒っている。


 いつものベルだった。


 ただ、上着の内側は少し温かい。


 雨と。

 火と。

 炭と。

 少しだけ汗の匂い。


 ベルの匂いがした。


 小雪は上着を握った。


「ベル。」

「今度は何だ。」

「温かいです。」


 ベルは前を向いたまま、少し黙った。


「……そりゃよかった。」

「でも、ベルは寒そうです。」

「寒くねぇ。」


 小雪はベルを見た。


 夏とはいえ、これほど雨に打たれて寒くないわけがない。


「本当ですか。」

「本当だ。」

「嘘が下手です。」

「うるせぇ。」

「敬語。」

「うるさいです。」

「変です。」

「今は変でいいって言っただろ!」


 ベルは小雪の手を引き、そのまま山の家へ急いだ。




 家へ着く頃には、ベルは完全に濡れていた。


 小雪も髪の端や足元は濡れている。


 それでも、上着のおかげでずいぶんましだった。


 ベルは扉を開けるなり、小雪を先に中へ押し込む。


「入れ。」

「はい。」

「そこに立ってろ。床を濡らすな。」

「ベルも濡れています。」

「俺はあとでいい。」

「よくありません。」

「いいから。」

「風邪をひきます。」

「ひかねぇ。」

「普通の人間は風邪をひきます。」

「二回言うな。」


 ベルは薪の棚へ向かった。


 まず火を起こすつもりらしい。


 濡れた髪から水が落ちている。

 背中も濡れている。

 シャツも濡れている。


 ベルが、冷える。


 それは嫌だ。


 小雪は鈴を鳴らした。


 ちりん。


 ベルが反射的に振り向く。


「何だ。」

「着替えてください。」

「火が先だ。」

「着替えが先です。」

「火をつけねぇと、おまえも冷えるだろ。」

「ベルが冷えています。」


 ベルは少し黙った。


「おまえも冷える。」

「私は補填されます。」

「その言い方が嫌だって言ってんだろ。」

「でも、ベルは補填されません。」


 ベルが黙る。


「着替えてください。」


 小雪はもう一度、鈴を鳴らした。


 ちりん。


「命令か。」

「緊急です。」

「鈴で命令するな。」

「ベルが冷えます。」


 ベルはしばらく小雪を見た。


 それから、降参したように息を吐く。


「分かった。着替える。」

「はい。」

「その代わり、おまえも髪を拭け。」

「はい。」

「魔法で乾かすな。」

「善処します。」

「信用ならねぇ。」


 ベルは着替えを取りに行った。


 その背中からも、水が滴っている。


 小雪は、濡れて重くなった上着を抱えたまま立っていた。


 さっきまで、この上着が小雪を雨から守っていた。


 代わりに、ベルが濡れた。


 小雪は上着を見る。


 今日の記録。


 炭。

 火色。

 温度分類。

 雷雨。

 ベル、上着を脱ぐ。

 雨はシャワーではない。


 それから。


 ベルが濡れるのは嫌。


 そこまで考えて、小雪は止まった。


 書くべきか。

 書かないべきか。

 分類するべきか。


 分からない。




 夜になっても、雨は降り続いていた。


 雷は少し遠ざかったが、屋根を叩く雨音はまだ大きい。


 火は無事についた。


 ベルは着替えた。


 小雪の髪も、ベルによってかなり厳しく拭かれた。


 小雪は作業台へ座り、今日の記録を書く。


 火色文明進捗。


 一、炭の種類を分類。

 二、火のつきやすさ、火持ち、崩れやすさ、煙、火力。

 三、硬い炭、鍛冶向き。

 四、柔らかい炭、火はつきやすいが崩れやすい。

 五、火色分類表、作成。

 六、暗赤色、明赤色、橙赤色。

 七、白に近い色は未確認。

 八、小雪の火魔法は分類禁止。

 九、ベル、火床から小雪を引き戻す。

 十、雷雨。

 十一、ベル、上着を脱いで小雪に被せる。

 十二、雨はシャワーではない。

 十三、ベルは脱ぎがち。

 十四、ベルが濡れるのは嫌。


 小雪は十四でペンを止めた。


 書いてしまった。


 ベルが濡れるのは嫌。


 これは、火色文明進捗ではない。


 炭とも。

 炉とも。

 軸受けとも関係がない。


 けれど、今日起きたことの中では、とても重要な気がした。


 小雪は少し考えた。


 消すべきか。

 残すべきか。


 ベルが台所から戻ってきた。


 少し鼻をすすっている。


「何を書いた。」

「火色文明進捗です。」

「嫌な予感がする。」

「見ますか。」

「見る。」


 小雪は紙を渡した。


 ベルは一から七まで読み、頷いた。


 八で眉間に皺を寄せる。


「分類禁止は太字にしろ。」

「はい。」


 九で少し耳が赤くなった。


 十と十一で動きが止まる。


 十二でため息をついた。


 十三で顔が赤くなった。


「脱ぎがちって何だ。」

「事実です。」

「不可抗力だ。」

「サービスシーン。」

「だから何なんだ、それは!」

「観測です。」

「観測するな。」


 ベルは十四を見た。


 そこで、黙った。


 小雪も黙る。


 雨の音がする。

 火の音がする。


 ベルが紙を持つ指先が、少しだけ動いた。


「……十四。」

「はい。」

「これは。」

「消しますか。」


 ベルは何か言おうとした。


 けれど、言わなかった。


 代わりに、少しだけ鼻をすすった。


「……消さなくていい。」

「はい。」

「でも十三は消せ。」

「十三も重要です。」

「重要じゃねぇ。」

「サービス。」

「やめろ。」

「敬語。」

「やめてください。」


 小雪は十三を小さくした。


 消しはしなかった。


 ベルは気づいたが、今日はもう突っ込む気力がないらしい。


「小雪。」

「はい。」

「明日は、火色分類の続きをする。」

「はい。」

「雨が止んだらな。」

「はい。」

「あと、俺は風邪をひかねぇ。」


 小雪はベルを見た。


「ひきます。」

「ひかねぇ。」

「ベルは普通の人間です。」

「丈夫だ。」

「大雨でした。」

「夏だ。」

「いくら夏でも濡れたら寒い、とベルが言いました。」


 ベルは黙った。


「自分で言いました。」

「……。」

「記録しますか。」

「するな。」

「はい。」


 ベルが小さく咳払いをした。


 咳払い。


 小雪は見逃さなかった。


「ベル。」

「何でしょうか。」

「喉。」

「何でもねぇ。」

「敬語。」

「何でもありません。」

「怪しいです。」

「怪しくねぇ。」

「嘘が下手です。」

「うるせぇ。」

「敬語。」

「うるさいです。」

「変です。」

「知ってる。」


 ベルは顔を背けた。


 小雪は十四の文字を見る。


 ベルが濡れるのは嫌。


 消さなくていいと言われた。


 なら、残す。


 雨は、まだ屋根を叩いている。


 火は温かい。


 ベルは時々、鼻をすすっている。


 小雪は思った。


 言わんこっちゃない。


 口に出したら怒られるので、心の中だけで呟いた。

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