第二十一話 勇者さま、弱そうと言われる
水車ふいごの一番の問題は、軸だった。
水は流れている。水車は回っている。ふいごも動き、炉の火も昨日よりは強くなった。
だが、まだ十分ではない。
川の力が、そのまま風になるわけではない。途中で逃げる。木の軸が擦れ、支えが歪み、棒がたわみ、ふいごの革の隙間から空気が漏れる。
昨日、ベルは言った。
一〇〇%伝わる方がおかしい、と。
ならば、逃げることそのものは仕方がない。
できるのは、その量を少しずつ減らすことだけである。
そのために、今日の課題は軸受けだった。
「軸受け。」
小雪が呟く。
「そうだ。」
ベルは水車の横へしゃがみ込み、木の支えを覗き込んでいた。
今日は上半身を脱いでいない。
少し残念である。
「小雪。」
「はい。」
「今、何か変なことを考えただろ。」
「……考えていません。」
「間があった。」
「軸受けについて考えていました。」
「本当か。」
「少し。」
「残りは。」
「黙秘します。」
「なんか嫌な言い方だな。」
「敬語。」
「嫌な言い方です。」
「変です。」
「知ってる。」
ベルは怪しむように小雪を見たが、それ以上は追及せず、再び水車へ向き直った。
今の軸は、木の支えへ直接通してある。回転するたびに木と木が擦れ、きし、きし、と細い音を立てていた。
ベルはその音を聞きながら、眉を寄せる。
「まず、この音が駄目だ。」
「音。」
「音が出てるってことは、そこで力が逃げてる。擦れてるし、熱にもなってる。」
「熱。」
「触るなよ。」
小雪は伸ばしかけていた手を止めた。
「まだ触っていません。」
「触る顔をしてた。」
「触る顔。」
「そういう顔だ。」
「ベルは顔分類が上手です。」
「嬉しくねぇ。」
「敬語。」
「嬉しくありません。」
ベルは懐から、小さな金具を取り出した。
昨日、ガドが試しに打ったものだった。鉄板と呼ぶには薄く、部品と呼ぶにはまだ粗い。それでも木よりは硬く、油を差せば、木同士を直接擦らせるより摩耗を減らせる可能性がある。
「これを受けに当てる。」
「金属軸受け。」
「まだそんな立派なもんじゃねぇ。薄い板を当てるだけだ。」
「立派ではない軸受け。」
「頼むから名前を増やすな。」
横から覗き込んでいたロイが、感心したように頷いた。
「ほう。木に金具を当てて、そこへ油を差すわけですな。」
「ああ。恐らく摩耗は減る。ただ、金具自体が熱を持つかもしれねぇし、固定が甘ければ逆にずれる。まずは試してみる。」
ベルは、誰かに説明する時だけ自然に少し丁寧になる。
図を見せる。実物へ触れさせる。危ないところを先に言い、分からない相手には、分かるところから話す。
小雪はそれを見ていた。
やはり、ベルは説明が上手い。
小雪は、最初から答えへ飛びがちである。目的が見えれば、そこへ一気に向かおうとする。
けれどベルは違う。
ここから。
次はここ。
その次はこれ。
人が歩けるように、道を小さく分けて並べる。
「ベル。」
「何でしょうか。」
「説明が上手です。」
ベルの手が止まった。
「今言うな。」
「なぜですか。」
「固定がずれる。」
「心の固定が。」
「そうだよ。」
「初心なハート。」
「言うな。」
「また瀕死ですか。」
「作業中に殺すな。」
「敬語。」
「作業中に殺さないでください。」
ロイが楽しそうに笑った。
「今日も仲がいいですなぁ。」
「仲はいいです。」
「小雪。」
「事実です。」
「そうだけど。」
「敬語。」
「そうですけど。」
「変です。」
「知ってる!」
ベルは赤い顔のまま、金具を木の支えへ当てた。
小さな釘で仮止めし、薄く油を塗る。軸を戻して位置を確かめてから、ゆっくりと回してみる。
きし。
まだ音はする。
だが、少し小さい。
ベルは顔を上げず、耳だけを澄ませた。
「もう一回。」
ロイが水車を手で押す。
くるり。
きし。
くるり。
きし。
ベルは眉を寄せたまま、金具へ手を近づけた。
今度は、小雪が言った。
「ベル。触らないで。」
ベルがこちらを見る。
「俺は確認だ。」
「熱いかもしれません。」
「少しだけだ。」
「ベルの少しは信用できません。」
「おまえに言われたくねぇ。」
「敬語。」
「あなたに言われたくはありません。」
「なんか変です。」
「……知ってる。」
ベルは指先で素早く金具へ触れ、すぐに手を離した。
「熱いですか。」
「少しな。」
小雪はベルの手を見た。
指先が、わずかに赤い。
小雪は何も言わず、その手を取った。
ベルが固まる。
「小雪。」
「冷やします。」
「大丈夫だ。」
「あなたは補填されません。」
「そうだけど。」
「はい。」
小雪は水筒の水を布へ含ませ、ベルの指先へ当てた。
ベルは何か言いたそうだったが、結局そのままじっとしている。
顔は赤い。
指先も赤い。
「痛いですか。」
「少し。」
「なら、冷やします。」
「……ああ。」
小雪は丁寧に布を当てた。
ベルの手は、やはり温かい。いつもより少し熱い。
「摩擦です。」
「分かってる。」
「動く力が、熱になりました。」
「ああ。」
「使いたい形ではなくなりました。」
「そうだな。」
「ベルの指も熱くなりました。」
「俺の指を教材にするな。」
「教材としても有能です。」
「嬉しくねぇ。」
ベルは文句を言った。
けれど、手は引かなかった。
ロイは少し離れたところで、にこにことこちらを見ている。
小雪は気づかないふりをした。
昼近くになると、また子供たちが集まり始めた。
最近は、いつもこうなる。
最初は三人だった。
それが五人になり、七人になり、今では気づけば十人近くが水車の周りをうろついている。
水車が珍しい。
炉も珍しい。
そして、たぶんベルも珍しい。
「兄ちゃん、今日は脱がないの?」
一人の男の子が言った。
ベルが工具を落とした。
「脱がねぇ!」
「この前、すごかったっておじちゃんが言ってた!」
「何を聞いた!」
「いい身体してんなぁって!」
ガドのせいである。
小雪は頷いた。
「良い身体です。」
「小雪!」
「格好いいです。」
「今じゃねぇ!」
子供たちが一斉に騒ぎ出した。
「兄ちゃん、格好いいって!」
「勇者さまに言われた!」
「顔赤い!」
「鍛冶場じゃなくても赤い!」
ベルは片手で顔を覆った。
「おまえら、炉に近づくな。火の粉が飛ぶ。」
「はーい!」
「走るな。転ぶ。」
「はーい!」
「水車に手を入れるな。指が持っていかれるぞ。」
「こわっ!」
「怖いと思うなら近づくな。」
口は悪い。
けれど、ちゃんと見ている。
子供たちの位置。
足元。
火の粉。
水車の回転。
川の流れ。
ベルは作業を続けながら、危ない場所へ近づく子を自然に遠ざけていた。
誰かが走れば止める。
小さい子が川へ寄れば、何気なくその間へ立つ。
水車へ手を伸ばそうとする子がいれば、目を離さず先に声をかける。
小雪はそれを見ていた。
「ベル。」
「何だ。」
「子供の扱いがとても上手です。」
「そうか?」
「はい。」
「危ねぇから見てるだけだ。」
「それが上手です。」
「……そうか。」
ベルは少しだけ照れた。
そこへ、別の男の子が木の枝を持って走ってきた。
「兄ちゃん、剣できる?」
「枝を振り回すな。」
「できる?」
「できるけど、まず枝を下ろせ。」
「教えて!」
「今は作業中だ。」
「休憩の時は!」
それを聞いた他の子供たちが、一斉に集まってくる。
「教えて!」
「勇者さまも剣できる?」
「兄ちゃん、強い?」
「魔法なしでも戦えるの?」
ベルは面倒くさそうな顔をした。
けれど、断らなかった。
「休憩になったら木剣を持ってこい。枝は駄目だ。目に刺さる。」
「やった!」
「走るな!」
「はーい!」
子供たちは走って行った。
走るなと言われた直後に走った。
ベルは額を押さえる。
「聞いてねぇ。」
「子供です。」
「そうだな。」
「ベルは、良いお父さんになりそうです。」
ベルが完全に止まった。
ロイも止まった。
遠くへ走っていた子供たちまで、なぜか止まった。
「……小雪。」
「はい。」
「今、何て言った。」
「良いお父さんになりそうです。」
木剣を抱えて戻ってきた男の子が叫んだ。
「兄ちゃん、お父さんになるの!?」
「ならねぇ!」
「勇者さまと結婚するの!?」
「違う!」
「勇者さまがお母さん?」
「私はお母さんではありません。」
「じゃあ兄ちゃんがお母さん?」
「ベルは良い奥さんになれます。」
「小雪!」
子供たちは大騒ぎになった。
「兄ちゃん、お母さん!」
「じゃあ勇者さま、お父さん?」
「でも勇者さま、小さいよ!」
ベルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「全部違う!おまえら、木剣を置け!まず並べ!」
声には迫力があった。
子供たちは、一斉に並んだ。
小雪は感心した。
「統率力。」
「おまえは黙ってろ。」
「敬語。」
「黙っていてください。」
「はい。」
ベルは深い溜息を吐いて、工具を置いた。
どうやら一旦、作業は諦めたらしい。
ベルは子供たちが持ってきた木剣を一本ずつ確認した。
長すぎるものは取り上げる。ささくれたものはロイへ渡して削ってもらう。小さな子には軽いものを渡し、元気すぎる子は一番端へ並ばせた。
それから地面へ一本、線を引く。
「いいか。剣を振る前に、まず足だ。」
「剣じゃないの?」
「足だ。足がぐらぐらなら、剣を振る前に転ぶ。」
「転んだら負け?」
「転んだら痛い。」
「負けじゃないの?」
「戦う前に痛いのは損だろ。」
「そっか!」
「勝とうとする前に転ぶな。相手を見る前に、自分の足元を見ろ。」
ベルは木剣を持ち、構えを見せた。
小雪は少し驚いた。
普段のベルは、料理をしている。
工具を持っている。
水車を直している。
顔を赤くしている。
木剣を持ったベルは、それらとは少し違った。
肩から余計な力が抜けている。足は自然に開かれ、地面をしっかり掴んでいるように見える。剣を持つ手にも無駄がなく、視線はまっすぐ前へ向いていた。
強い。
たぶん。
かなり。
「怖がりは、後ろに下がる練習をしろ。」
ベルは小さな男の子に言った。
「逃げていいの?」
「いい。転ばず逃げられるやつは強い。」
「逃げても?」
「生きてりゃ勝ちだ。」
小さな男の子は目を丸くした。
次に、負けず嫌いらしい別の男の子が前へ出る。
「俺は攻める!」
「突っ込むな。」
「何で!」
「猪は罠にかかる。」
「俺、猪じゃない!」
「なら考えろ。」
子供たちは笑った。
ベルも少し笑った。
小雪は、その横顔を見た。
やはり、良いお父さんになりそうである。
言うと止まるので、今は言わない。
文明的判断である。
休憩時間の木剣練習は、思っていたより長引いた。
子供たちは楽しそうだった。
ベルは汗をかきながら、一人ずつ構えを直していく。
「握りすぎるな。」
「こう?」
「もっと軽く。落とさねぇ程度でいい。」
「兄ちゃん、これでいい?」
「足が近い。もう少し開け。」
「兄ちゃん、見て!」
「人の方を向けて振るな!」
ベルはよく怒る。
けれど、怒りながらも、ちゃんと見ている。
泣きそうな子には声を少し落とす。
調子に乗った子は、危ないことをする前に止める。
怖がる子を無理に前へ出さない。
できた子は、大げさには褒めないが、ちゃんと頷く。
小雪は、ずっと見ていた。
「勇者さま。」
ふいに、一人の女の子が小雪の前へ来た。
「はい。」
「勇者さま、百年に一度現れる伝説の魔王を倒したんだよね?」
「はい。」
「本当に?」
「はい。倒した、という理解で問題ありません。」
「でも、勇者さま、あんまり強そうじゃないね。」
小雪は瞬きをした。
周りの子供たちも集まってくる。
「勇者候補って、すごくいっぱいいたんでしょ?」
「本当に一番強かったの?」
「でも、なんか小さくて白いよね。」
「剣も杖も持ってない。」
「兄ちゃんの方が強そうじゃん!」
小雪は、なんだか少しだけむっとした。
ほんの少しである。
たぶん。
「強いです。」
「どれくらい?」
「この世界を滅亡させられるくらいの火力はあります。」
子供たちが、すん、と静かになった。
一人が木剣を抱きしめる。
「……勇者さま、怖い。」
「怖くありません。」
「今、滅亡って言った。」
「火力の説明です。」
「兄ちゃん、この人、本当に大丈夫?」
ベルが慌てて間へ入った。
「大丈夫だ。たぶん。」
「たぶん?」
「いや、火力の方向では大丈夫じゃねぇが、今は大丈夫だ。」
「今は。」
小雪が繰り返す。
「わざわざそこを強調するな!」
「弱そうと言われました。」
「むっとするな。可愛いけど怖い。」
「可愛い。」
「そこは拾うな!」
「ベル。」
「何だ。」
「私は可愛いですか。」
「今は子供がいるだろ!」
「子供の前では駄目ですか。」
「駄目だ!」
「敬語。」
「駄目です!」
子供たちは、また一斉に騒ぎ始めた。
「兄ちゃん、勇者さま可愛いって!」
「やっぱり結婚するの?」
「お父さん?」
「お母さん?」
「そこに戻るな!」
ベルは叫んだ。
小雪は少しだけ口元を緩めた。
弱そうと言われたのは少し不服だった。
でも、可愛いと言われたのは悪くない。
とても悪くない。
その後、子供たちは小雪にも木剣を持たせようとした。
「勇者さまもやって!」
「剣。」
「魔王倒したんでしょ?」
「はい。」
「見せて!」
小雪は木剣を受け取った。
軽い。
軽すぎる。
片手で持ち、構える。
その瞬間、ベルの表情が変わった。
「小雪。」
「はい。」
「それ、下ろせ。」
「まだ振っていません。」
「分かってる。下ろせ。」
「なぜですか。」
「怖い。」
子供たちは首を傾げた。
「えー?」
「ただ立ってるだけじゃん。」
「怖くないよ?」
ベルだけが見ている。
小雪の足。
肩。
手首。
目。
小雪は、少し不思議に思った。
「弱く振ります。」
「おまえの弱くは信用ならねぇ。」
「木剣です。」
「木剣が砕ける。」
「善処します。」
「絶対振るな。」
けれど、子供たちが期待している。
小雪はできるだけ弱く振った。
ほんの少し。
木剣が空気を切る。
ぱん、と乾いた音がした。
近くの木の葉が、数枚落ちる。
しまった。
習慣で、瞬間的に魔素を使ってしまったかもしれない。
子供たちが固まった。
ベルが額を押さえる。
「弱く振れって言っただろ。」
「弱くしました。」
「葉っぱが落ちた。」
「木ごとは落ちていません。」
「基準が怖い。」
少し遅れて、子供たちが歓声を上げた。
「すげー!」
「勇者さますげー!」
「かっこいい!」
「でも兄ちゃんの方が教えるのうまいぜ!」
小雪は木剣を返した。
「そうですね。ベルは教えるのが上手です。」
ベルが少しだけ目を逸らす。
「そういうことを、急に言うな。」
「良いお父さんです。」
「戻るな!」
子供たちは、また大騒ぎになった。
ロイは笑いすぎて腰を押さえている。
小雪はベルを見た。
子供たちに囲まれている。
顔は赤い。
怒っている。
照れている。
けれど、楽しそうだ。
小雪は思った。
ベルには家族がいる。
帰る場所がある。
そして。
たぶん、未来もある。
子供たちに囲まれて、木剣を教えて、良いお父さんになりそうだと言われて怒る未来。
小雪は、その未来を分類してはいけない。
未来を見てはいけない。
そう思っていた。
それでも、見えてしまった。
ほんの少し。
悪くない未来だった。
午後の作業では、軸受けの金具をもう一度調整した。
子供たちは少し離れた場所で、木剣の足運びを真似している。
ベルは時々そちらを見ながら、軸の固定を直していた。
「こっちの釘、少し斜めです。」
小雪が言う。
「分かってる。」
「直しますか。」
「直す。」
「魔法で。」
「やめろ。」
「少しだけ。」
「釘穴が消える。」
「善処します。」
「信用ならねぇ。」
ベルは手作業で釘を抜き、金具の位置をほんの少しずらした。
再び釘を打つ。
油を足す。
水車を回す。
きし。
前より、さらに音が小さい。
ベルは耳を澄ませた。
ロイも頷く。
「よくなりましたな。」
「ああ。まだ熱は持つけど、ましだ。」
「風も少し強くなりました。」
小雪は、ふいごの動きを見た。
水車が回る。
棒が押す。
ふいごが動く。
炉へ風が入る。
無駄はまだ多い。
けれど、昨日よりは少ない。
逃げる力を、少しだけ減らせたからだ。
「軸受け文明。」
「その名前はどうなんだ。」
「摩擦低減文明。」
「説明になってるだけだ。」
「ベルの指先保護文明。」
「俺を中心にするな。」
「大事です。」
ベルが止まった。
「……何が。」
「指先。」
「……。」
「怪我をすると、ごはんに影響します。」
「結局、飯か。」
「水車にも影響します。」
「ついでみたいに言うな。」
「鈴にも。」
「鈴?」
「ベルが指を怪我すると、鈴で来た時に困ります。」
ベルは黙った。
耳が赤くなる。
「……それは。」
「はい。」
「まあ、困るな。」
「はい。」
小雪は頷いた。
ベルは顔を背ける。
「油を差す。」
「はい。」
水車が、また回る。
少しだけ軽くなった音で。
夕方、子供たちはようやく帰っていった。
「兄ちゃん、また教えて!」
「気が向いたらな。」
「明日?」
「気が向いたらだ。」
「勇者さま、世界滅亡させないでね!」
「今はしません。」
「なんか怖い!」
「小雪!」
「はい。」
「子供たちを安心させてやれ!」
「善処します。」
「それが一番怖い!」
子供たちは笑いながら走っていった。
走るな、とベルが叫ぶ。
誰も聞かなかった。
ベルは深く息を吐いた。
「疲れた。」
「良いお父さん。」
「やめろ。」
「疲れたお父さん。」
「もっとやめろ。」
「敬語。」
「やめてください。」
小雪は少し笑った。
ベルはそれを見て、顔を赤くする。
「笑うな。」
「駄目ですか。」
「駄目じゃねぇ。」
「では。」
「人前ではやめろ。」
「今は人前ではありません。」
「ロイさんがいる。」
ロイがにこにこしながら言った。
「わしは木です。」
「それは無理があります。」
ベルが即座に返す。
ロイは楽しそうに笑った。
「いやぁ、今日も面白かった。」
「面白がらないでください。」
「助手さんは、子供にも人気が出ますなぁ。」
「出なくていいです。」
「勇者さまも、少し怖がられておりましたが。」
「弱そうと言われました。」
「それで世界滅亡は、少し強すぎますな。」
「火力の説明です。」
「説明は相手に合わせるもんだ。」
ベルが言った。
小雪はベルを見る。
「相手に合わせる。」
「ああ。」
「ベルは、前に私を子供たちへ説明してくれました。」
「したか?」
「はい。」
「何て言ったっけか。」
「皆が使える道具を作っている、と。」
「ああ。」
「勇者でも、魔王討伐者でも、滅亡火力でもなく。」
ベルは少し黙った。
「……おまえが説明すると、子供を怖がらせるからだ。」
「はい。」
「でも、まあ。」
「はい。」
「今やってることは、それだろ。」
小雪は水車を見た。
くる、くる。
少し軽くなった音で回っている。
炉は冷え始めている。
軸受けには油が差されている。
皆で使えるもの。
今、小雪はそれを作っている。
ベルは、小雪をそう説明した。
勇者ではなく。
魔王を倒した者でもなく。
世界を滅ぼせるほどの火力を持つ者でもなく。
皆が使えるものを作っている人。
小雪は、それが少し嬉しかった。
「ベル。」
「何でしょうか。」
「やはり、あなたは説明が上手です。」
「またか。」
「はい。」
「……そうか。」
「はい。」
「それは、まあ。」
ベルは少し視線を逸らした。
「悪くねぇ。」
その夜。
山の家で夕食を食べたあと、小雪は作業台へ座った。
今日の記録を書く。
軸受け文明進捗。
一、金具を軸受けに使用。
二、油、重要。
三、摩擦音、少し低下。
四、軸の熱、確認。
五、ベルの指先、冷却。
六、ふいごの風、少し改善。
七、子供たち、木剣訓練。
八、ベル、子供の扱いが上手い。
九、ベル、良いお父さんになる。
十、勇者、弱そうと言われる。
十一、世界滅亡火力は子供に不評。
十二、ベルは、私を説明するのが上手い。
小雪はそれを眺めた。
重要な記録である。
ベルが台所から戻ってきた。
「また何か書いてるな。」
「はい。」
「……嫌な予感がする。」
「軸受け文明進捗です。」
「見せろ。」
「はい。」
小雪は紙を渡した。
ベルは読み始める。
一から六までは真面目な顔で頷いた。
七で少し眉を上げる。
八で耳が赤くなる。
九で完全に止まった。
「消せ。」
「なぜですか。」
「良いお父さんは消せ。」
「事実です。」
「これは軸受けと明らかに関係ない。」
「未来分類です。」
ベルが少しだけ黙った。
「……それに、まだ分かんねぇだろ。」
「そうですね。」
小雪は少し考えた。
「良いお父さんになりそう、です。」
「消せ!」
「敬語。」
「消してください!」
「小さくしますか。」
「消せ!」
「では、保留。」
「保留にするな。」
ベルは続きを読んだ。
十で少し笑いかける。
十一で真顔になる。
そして、十二で止まった。
長く止まった。
「……十二。」
「はい。」
「これは。」
「駄目ですか。」
ベルは紙を見たまま黙っていた。
それから、小さく言う。
「……消さなくていい。」
「はい。」
「十一は消せ。」
「なぜですか。」
「子供に不評とか書くな。あと、世界滅亡火力も書くな。」
「重要です。」
「重要じゃねぇ。」
「弱そうと言われました。」
「まだ気にしてるのか。」
「少し。」
ベルは紙を置いた。
そして、小雪を見る。
「おまえは弱くねぇよ。」
小雪は瞬きをした。
「知っています。」
「だろうな。」
「でも、ベルに言われるのは悪くないです。」
ベルの顔が赤くなった。
「……そういうのを、急に言うな。」
「はい。」
「あと、子供相手に滅亡って言うな。」
「はい。」
「本当に言うな。」
「善処します。」
「信用ならねぇ。」
小雪は少しだけ笑った。
ベルは紙を返す。
「九は消せ。」
「保留です。」
「保留にするな。」
「十二は残します。」
「……それは残していい。」
小雪は頷いた。
十二。
ベルは、私を説明するのが上手い。
今日の中で、たぶん一番大事な記録だった。
ベルは小雪を、怖い勇者として説明しなかった。
魔王を倒した人とも。
世界を滅ぼせるほどの火力を持つ者とも。
説明しなかった。
皆が使えるものを作っている人。
そう説明した。
小雪には、自分をそう見ることがまだ少し難しい。
けれど、ベルには見えているらしい。
そのことが。
悪くなかった。
とても。
「ベル。」
「何でしょうか。」
「明日も軸受けをしますか。」
「ああ。金具をもう少し滑らかにしたい。あと、油の種類も試す。」
「はい。」
「子供たちも来るかもしれねぇ。」
「はい。」
「滅亡という言葉は禁止だ。」
「はい。」
「弱そうと言われてもだ。」
「善処します。」
「信用ならねぇ。」
ベルはため息をつきながらも、少し笑っていた。
小雪も、少し笑った。
水車は、まだ完全ではない。
力は逃げる。
軸は熱を持つ。
油は足りない。
それでも、昨日より少しよくなった。
ベルの説明も。
小雪の居場所も。
ほんの少しずつ、形になっていく。
小雪は記録用紙の十二を、もう一度見た。
それから、九の文字を小さくした。
ベル、良いお父さんになりそう。
消しはしなかった。
ベルはそれを見つけて、また騒いだ。




