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第十話 勇者さま、水車を見に行く

 電磁石は、針を一本くっつけた。


 それは成功だった。

 小雪はそう判断している。


 魔法を使わずに鉄が動いた。針がくっついた。ベルも少し嬉しそうだった。

 つまり、成功である。


 小雪は作業台の上に紙を広げ、次の計画を書いていた。


 電磁石――成功。

 次――水車。

 その次――モーター。

 その次――発電機。

 その次――電球。

 その次――よく分からないが、便利そうなもの。

 その次――洗濯機、冷蔵庫、テレビ、クーラー、自動車、飛行機。

 最終――スマホ


 ベルはそれを読んで、しばらく黙っていた。


 沈黙が長い。


 小雪は顔を上げた。


「ベル。」

「何でしょうか。」

「怒っていますか。」

「怒る前だ。」

「怒る前。」

「今、怒る準備をしている。」

「敬語。」

「怒る準備をしております。」

「そうですか。」


 ベルは額を押さえた。指の間から、柔らかな金色の前髪が少し零れる。


「小雪。」

「はい。」

「まず、水車の次にあるそれは何だ。」

「モーターです。」

「仕組みは分かるのか。」


 仕組み。

 小雪は、暫し考えた。


 たしか、何かコイル的なもので磁界的な何かを作り、そこに磁石か電磁石的な何かを入れて、なんとかすると回る。


「たぶん、コイルがたくさんいると思います。でも、説明すればベルなら実現できます。」


 ベルの胡乱げだった琥珀色の目が、一瞬止まった。


 それから、ほんの少しだけ口端が緩む。

 耳が赤い。


 ベルは小さく咳払いをした。


「……信頼はありがたいが、今はそこじゃない。」

「はい。」


 ベルは作業台に片手を置いた。ふざけた調子が少し消える。


 こういう時のベルは、いつもより静かだった。


「いいか。おまえは結果に飛びつきすぎだ。」

「結果。」

「光らせたい。動かしたい。便利にしたい。それは分かる。」

「はい。」

「だが、その前に必要なのは、材料と手順だ。一度だけ動くものを作って終わりじゃねぇ。同じ材料と手順で、もう一度作っても動く。それが必要だ。」

「再現性。」

「そうだ。」

「科学。」

「そうだ。」


 ベルは頷いた。


「水車を作ったからって、明日いきなりモーターができるわけじゃねぇ。まず安定して回す。回転を取り出す。軸を作る。壊れにくくする。その力を別の場所へ伝える。」

「項目が多いです。」

「文明は大変なんだろ。」

「そうでした。」

「それに、今のコイルは俺が一本ずつ手で巻いてる。モーターに進む前に、均一な線を作る方法と、均一に巻く方法もいる。」


 たしかに。


 多くの科学者や発明家が、何十年、何百年とかけて成し遂げてきた成果だ。


 ここには二人しかいない。

 しかも、そのうち一人はコイルすら巻けない。


 認めたくはないが。


「つまり。」

「まずは水車だ。」

「水車。」

「川の流れで回す。回転を得る。そこから粉を挽く。風を送る。木を削る。糸を巻く。銅線も巻けるかもしれねぇ。」

「電気やモーターに行けますか。」

「最終的にはな。」

「では、水車。」

「そうだ。」

「水車文明。」

「それは、まあ、いい。」

「いいんですか。」

「水車は文明だろ。」


 小雪は紙に書いた。


 次――水車文明。


 ベルはそれを見て、少しだけ笑った。


 怒っていない。


 小雪はその顔を見た。


 ベルは怒っていない時、少し顔が柔らかくなる。

 吊り上がって見える琥珀色の目も、笑うとわずかに細くなり、普段は三下感のある口元も、その時だけは年相応に見えた。


 小雪は、それも記録しようとした。


 そして、やめた。


 最近、ベルは自分のことを記録すると怒る。しかし、小雪は記録しないと忘れてしまうかもしれない。


 生活は難しい。


「今、書くのを我慢したな。」

「はい。」

「偉い。」

「ありがとうございます。」


 ベルは自分で言って、自分で少し固まった。


 小雪は首を傾げる。


「どうしました。」

「……何でもありません。」

「顔が赤いです。」

「水車の話をしたから暑くなった。」

「水車は涼しそうです。」

「気分の問題だ。」

「そうですか。」


 ベルは咳払いをした。


「とにかく、川を見に行くぞ。」

「はい。」

「鈴は持ったか。」

「はい。」


 小雪は袖の中から鈴を出した。


 ちりん。

 小さく鳴る。


 ベルが反射的に一歩近づいた。


 小雪はベルを見た。

 ベルも小雪を見た。


「……今のは違う。」

「鳴りました。」

「事故だ。」

「でも近づきました。」

「来てねぇ。近づいただけだ。」

「近づきました。」

「うるさいです。」

「敬語は合っています。」

「そういう問題じゃねぇ。」

「敬語。」

「そういう問題ではありません。」


 小雪は鈴を袖の中へ戻した。


 鈴システムは、順調に運用されている。




 家の裏手から少し山道を下ると、小さな川があった。


 小川というには水量があり、川というには幅が狭い。水は冷たく澄んでいて、石の間を勢いよく流れている。


 ベルは川辺にしゃがみ、流れを見た。

 小雪も隣にしゃがむ。


「ここなら使えるかもしれねぇ。」

「水車ですか。」

「ああ。流れがある。幅も悪くない。」


 ベルは水面を見た。


「問題は固定場所と、水量の変動だな。雨が続いた時に増えすぎれば壊れる。逆に、乾く時期に流れが止まるなら使えねぇ。」

「川を固定しますか。」


 ベルが小雪を見る。


「魔法でか。」

「はい。」

「却下。」

「まだ何も。」

「分かる。」

「顔ですか。」

「顔だ。」

「川固定顔。」

「妙な顔を増やすな。」


 小雪は川を見た。


 水が流れている。

 この流れを使って、何かを回す。


 魔法ではなく、人の魔力でもなく、川が勝手に動く。


「たしかに、便利そうですね。」

「そうだな。」

「川は有能です。」

「川を褒めるのか。」

「もちろん、ベルも有能です。」

「川のついでに言うな。」

「ついでではありません。」

「じゃあ何だ。」

「並列。」

「もっと嫌だ。」

「敬語。」

「もっと嫌です。」


 ベルは川辺の石を一つ拾い、水の中へ置いた。

 流れが少し変わる。


「水車を置くなら、この辺りか。少し流れを絞る必要があるかもしれねぇ。だが、やりすぎれば水が溢れる。」

「川を削りますか。」

「やめろ。」

「山を少し。」

「やめろ。」

「岩を。」

「やめろ。」

「爆破。」

「一番やめろ。」

「敬語。」

「一番やめてください。」


 仕方がない。

 実際に手を動かすのは、ベルだ。


 小雪は頷いた。


 ベルは安心したように息を吐く。


「まず測る。」

「測る。」

「幅、深さ、流れの速さ。水車を置く場所。材料。支柱。軸。回転をどこへ伝えるか。」

「項目が多いです。」

「文明は大変なんだろ。」

「そうでした。」


 ベルは持ってきた紐を取り出し、途中へ印をつけて川幅を測ろうとする。


 小雪はそれを見ていた。


 紐。

 石。

 印。

 測る。


 魔法なら、おそらく一瞬で距離を測れる。


 細かい魔法は得意ではないが、訓練すればできるようになるだろう。しかし、それを使うと意味がない。

 ベルがそう言っていた。


 小雪は、じっと我慢した。


「小雪。」

「はい。」

「今、魔法を使おうとしただろ。」

「我慢しました。」

「偉い。」

「ありがとうございます。」


 ベルが、また少し詰まった。


「……だから、素直に受け取るな。」

「褒められたので。」

「いや、褒めたけど。」

「はい。」


 小雪は頷いた。


 ベルは川へ一歩入った。

 水が靴にかかる。


「冷てぇ。」

「冷たいですか。」

「おまえは入るなよ。」

「なぜですか。」

「濡れる。」

「乾きます。」

「それでも濡れるな。」

「敬語。」

「濡れないでください。」

「はい。」


 小雪は川辺で待つことにした。


 ベルは石の上を慎重に歩き、紐を向こう岸へ渡そうとする。


 意外と身軽だった。


 長い脚で濡れた石の間を渡っていく。

 体の軸はあまりぶれず、普段、山の家で鍋を持ったり、銅線を巻いたり、小雪の髪を梳いたりしている姿とは少し違って見えた。


 ベルは公爵家の次男である。魔法は使えない。


 だが、料理ができる。荷造りができる。銅線が巻ける。髪も梳ける。


 そして今は、川の中を歩いている。


 項目が増えてきて、分類が難しい。


「見るな。」


 ベルが川の中から言った。


「見ます。」

「素直に言うな。」

「観察です。」

「俺は川の石じゃねぇ。」

「はい。ベルです。」

「そうだ。」

「水上ベル。」

「変な分類を増やすな。」

「敬語。」

「増やさないでください。」


 ベルは向こう岸近くの石に足をかけた。


 その瞬間、石が動いた。


「あ。」


 小雪が言うより早く、ベルの体が傾いた。


 ばしゃん。


 大きな水しぶきが上がる。


 ベルは川に落ちた。


 小雪は瞬きをした。


 ほどなくして、ベルが水から顔を出す。


 濡れた金色の髪が、額と頬に張りついていた。普段は上へ流している前髪がすべて落ち、琥珀色の目がいつもよりはっきり見える。


 水を吸った上着とシャツは重そうで、長い体にまとわりついていた。


「……小雪。」

「はい。」

「笑うなよ。」

「笑っていません。」

「ならいい。」

「落ちましたね。」

「実況するな。」

「敬語。」

「実況しないでください。」

「はい。」


 小雪は川辺で立ち上がった。


「大丈夫ですか。」

「大丈夫だ。」

「怪我は。」

「ねぇ。」

「本当に。」

「本当だ。」

「敬語。」

「本当です。」


 ベルは岸へ戻ってきた。

 水が、ぼたぼたと落ちている。


 小雪は袖の中の鈴に触れた。


 鳴らすべきだろうか。


 いや。

 ベルはもう目の前にいる。


 しかし、水に落ちた。

 危険かもしれない。


 ちりん。


 鈴が鳴った。


 ベルが濡れたまま、ゆっくり小雪を見る。


「何で鳴らした。」

「危険かと。」

「もう来てる。」

「来ていますね。」

「目の前にいるだろ。」

「はい。」

「鳴らす必要あったか。」

「危険確認。」

「また確認!」

「少し種類が違います。」

「少し変えればいいと思うな。」

「敬語。」

「思わないでください。」


 ベルは濡れた上着を脱ぎ、水を絞った。


 小雪はそれを見る。


 下の白いシャツも完全に濡れていた。薄い布が体へ張りつき、肩から胸、腕の線がはっきり浮いている。


 思っていたより肩幅がある。

 腰は細いが、腕も胸も、しっかり鍛えられていた。


 ベルは上着を石の上へ置き、それから濡れたシャツの裾を掴んだ。


 少し止まる。


 小雪を見る。


「向こう見てろ。」

「なぜですか。」

「脱ぐからだ。」

「濡れています。」

「だから脱ぐんだ。」

「はい。」

「向こうを見ろ。」

「なぜですか。」

「だから、脱ぐからだ!」

「怪我の確認が。」

「怪我はねぇ!」

「敬語。」

「怪我はありません!」


 ベルは顔を赤くしながら、濡れたシャツを脱いだ。


 小雪は見た。


 普通に見た。


 まじまじと見た。


 ベルが固まった。


「見るな!」

「怪我の確認です。」

「そんな目じゃねぇだろ!」

「どんな目ですか。」

「じっと見る目だ!」

「見つめています。」

「認めるな!」

「敬語。」

「認めないでください!」


 小雪は首を傾げた。


 公爵家次男。

 料理担当。

 生活文明担当。

 鈴で来る人間。


 その分類から予想していたより、かなり鍛えられている。


「ベル。」

「何だ。」

「敬語。」

「何でしょうか。」

「体、なんかすごいです。」


 ベルは完全に止まった。


 川の音だけが聞こえる。


「……何だよ、それ。」

「意外と強そうです。」

「意外とって何だよ!」

「敬語。」

「意外ととは何ですか!」

「ベルは、料理と科学と毛づくろいの人なので。」

「俺を何だと思ってんだ!」

「生活文明担当。」

「違う!」

「敬語。」

「違います!」


 ベルは濡れたシャツを握りしめたまま叫んだ。


「これでも騎士叙任は受けてる!魔法は使えねぇが、剣も体術も一通りやってる!」

「騎士。」

「留学中も続けてた!向こうじゃ魔法がなくても、自分の身は自分で守らなきゃならねぇんだよ!」

「そうですか。」


 小雪は、もう一度ベルの腕を見た。


「筋肉。」

「単語で言うな。」

「筋肉が、あります。」

「変な目で見るな!減る!」

「何がですか。」

「俺の初心なハートが!」


 小雪は、暫し考えた。


「乙女ですか。」


 ベルは沈黙した。


 川の音が、さらさらと流れる。


 鳥が鳴いた。


 ベルは無言でシャツを絞った。


「ベル。」

「何も言うな。」

「敬語。」

「何も言わないでください。」

「はい。」


 小雪は頷いた。


 しかし、見た。


 ベルがすぐに顔を上げる。


「見るなって言っただろ!」

「怪我の確認です。」

「もう終わっただろ!」

「筋肉の確認。」

「それは必要ねぇ!」

「水車作りに必要かと。」

「俺の筋肉は水車の材料じゃねぇ!」

「敬語。」

「水車の材料ではありません!」

「そうですか。」


 小雪は頷いた。


 ベルは背中を向け、濡れたシャツを枝に掛けた。


 背中にも筋肉があった。


「見るな!」

「後ろにも目があるのですか。」

「気配で分かる!」

「有能ですね。」

「褒めるな!」

「体も有能。」

「やめろ!」

「敬語。」

「やめてください!」


 小雪は少しだけ、口元を緩めた。


 ベルはそれに気づき、今度こそ完全に黙った。


「……笑ったな。」

「少し。」

「俺で遊んでるだろ。」

「少し。」

「認めるな。」

「面白いです。」

「俺の初心なハートで遊ぶな。」

「その初心なハートはどこにありますか。」

「聞くな!」

「確認を。」

「しなくていい!」

「敬語。」

「しないでください!」


 ベルは近くの岩に腰を下ろし、濡れた髪を片手でかき上げた。


 前髪が上がると、普段より顔立ちがはっきり見えた。


 切れ長の琥珀色の目。通った鼻筋。きれいに整った顎の線。


 いつも大声を出しているせいで忘れそうになるが、黙っていれば、かなり整った顔をしている。


 小雪は、暫し考えた。


 ベルは、ときどき三下。

 ときどきチワワ。

 ときどきおかん。

 ときどき乙女。


 そして、水に濡れると少し強そう。


 少し、格好いい。


 分類がますます増えてしまった。


「今、絶対に変な分類を増やしただろ。」

「はい。」

「素直に認めるな。」

「書いてもいいですか。」

「駄目だ。」

「敬語。」

「駄目です。」

「残念です。」

「残念がるな。」


 ベルは絞ったシャツを枝に掛け、上着も広げた。


 しばらく乾かす必要がある。


 小雪は川辺に座った。


「寒くありませんか。」

「平気だ。」

「本当に。」

「本当だ。」

「敬語。」

「本当です。」

「体が冷えます。」

「おまえがそれを言うのか。」

「ベルが言っていました。」

「そうだな。」

「冷えると壊れますか。」


 ベルは小雪を見た。


 小雪は真顔だった。

 いつも通りの顔。


 けれど、その言葉だけは少し違った。


 冷えると壊れるか。


 ベルは少しだけ表情を緩めた。


「壊れねぇよ。」

「そうですか。」

「でも、風邪は引くかもしれねぇ。」

「風魔法。いや、火魔法?」

「使うな。」

「なぜですか。」

「俺が吹き飛ぶか、消し炭になる。その未来が見える。」

「たしかに。」


 小雪は細かな魔法の制御が得意ではない。


 仕方がない。

 小雪は自分の上着を脱ごうとした。


 ベルがぎょっとする。


「待て。」

「はい。」

「何してる。」

「貸します。」

「いらねぇ。」

「寒いのでは。」

「おまえが寒くなるだろ。」

「私は平気です。」

「そういう問題じゃねぇ。」

「敬語。」

「そういう問題ではありません。」


 小雪は上着を持ったまま、首を傾げた。


「ベルは濡れています。」

「見れば分かる。」

「寒いかもしれません。」

「まあ、少しは。」

「では、使ってください。」

「いい。」

「なぜですか。」

「女の上着を借りるのは、色々と。」

「色々。」

「色々だ。」

「敬語。」

「色々です。」

「難しいですね。」

「難しいです。」


 小雪は、暫し考えた。


 そして、上着をベルの頭へかぶせた。


 ベルが固まった。


「何してんだ。」

「使ってください。」

「かぶせるな。」

「受け取らないので。」

「そういう押し方をするな。」

「敬語。」

「そういう押し方をしないでください。」


 ベルは上着を頭から外した。


 小雪の上着は小さい。当然、ベルの肩には合わない。

 しばらくそれを見た後、ベルは濡れた髪を軽く拭いた。


 小雪はその様子を見ている。


「使えました。」

「……まあな。」

「有能です。」

「上着を評価するな。」

「もちろんベルも。」

「今はいらねぇ。」


 ベルは髪を拭き終えると、小雪の上着を丁寧に畳んだ。だが、すぐには返さず、膝の上へ置く。


「少しだけ借りる。」

「はい。」

「おまえは寒くねぇのか。」

「寒くありません。」

「本当に。」

「はい。」

「ならいい。」


 ベルは視線を逸らした。


「……ありがとな。」


 小雪は瞬きをした。


「敬語。」

「ありがとうございます。」

「はい。」


 小雪は頷いた。


 ベルはさらに顔を赤くした。


「何でおまえが普通に受け取るんだ。」

「感謝されたので。」

「そうだけど。」

「はい。」

「……調子狂う。」

「体調不良ですか。」

「違う。」

「敬語。」

「違います。」


 川の音が続く。


 水車の予定地を探しに来たはずだった。


 だが今は、濡れたベルが岩に座り、小雪の上着を膝に置いている。

 小雪はその隣にいる。


 鈴は袖の中。

 鳴らさなくても、ベルは隣にいる。


 しばらく、二人とも黙って川を見た。


 服がある程度乾くまでの間、ベルはその場で水車の説明をした。


 少し不機嫌そうだったが、説明は分かりやすい。


「水車は、水の力を回転に変える。」

「はい。」

「回転をそのまま使えば、粉を挽ける。木を削れる。布を打てる。風を送れる。」


 ベルは枝で地面に図を描いた。


 丸。

 軸。

 板。

 水の流れ。

 回転。

 歯車。


「それから、さっき言ったように、銅線を巻く仕組みも作れるかもしれねぇ。」

「ベルの手の方が綺麗です。」

「急に褒めるな。」

「事実です。」

「水車の話をしてる。」

「水車よりベルの方が有能。」

「水車と競わせるな。」

「敬語。」

「競わせないでください。」


 小雪は地面の図を見た。


「これを作れば、魔法なしで回りますか。」

「ああ。」

「ずっと。」

「水が流れている間はな。」

「人がいなくても。」

「そうだ。」

「魔力もいらない。」

「いらない。」


 小雪は川を見た。


 水は今も流れている。

 人が命令しなくても、魔力を込めなくても、魔素がなくても。


 ただ、流れている。


「すごいですね。」

「川がか?」

「川も。水車も。」


 小雪は少し考えた。


「ベルも。」


 ベルは枝を落とした。


「おまえな。」

「はい。」

「今の流れでそれを入れるな。」

「なぜですか。」

「心臓に悪い。」

「初心なハート。」

「忘れろ。」

「敬語。」

「忘れてください。」

「難しいです。」

「忘れろ。」

「敬語。」

「忘れてください。」

「二回目です。」

「うるさいです。」


 ベルは枝を拾い直した。


 だが、耳は赤かった。


 小雪は少しだけ楽しくなった。


 ベルは鈴を鳴らすと来る。

 褒めると止まる。

 筋肉を見ると怒る。

 初心なハートが減る。

 水車の説明は上手い。


 非常に複雑である。


 帰る頃には、ベルの服は何とか着られる程度に乾いていた。

 完全ではないが、山の上の家までなら大丈夫だと言う。


 小雪は上着を返してもらった。


 少しだけ湿っている。


「洗いますか。」

「俺が洗う。」

「なぜですか。」

「俺が濡らしたからだ。」

「川が濡らしました。」

「俺が落ちたんだ。」

「石も動きました。」

「責任を分散するな。」

「敬語。」

「責任を分散しないでください。」


 ベルは荷物を持った。

 小雪はその隣を歩く。


 途中で、袖の中の鈴が少し鳴った。


 ちり。


 ベルがすぐにこちらを見る。


「何だ。」

「事故です。」

「本当か。」

「はい。」

「鳴らしたかったわけじゃないな。」

「少し。」

「おい。」

「ベルが反応するかと思って。」

「確認で鳴らすな。」

「事故と確認の混合です。」

「混ぜるな。」

「敬語。」

「混ぜないでください。」


 ベルは溜息をついた。

 だが、少しだけ笑っていた。


 小雪はそれを見た。


 今日のベルは、たくさん怒った。たくさん赤くなった。川に落ちた。

 そして、少し笑った。


 水車予定地も見つかった。


 小雪は満足した。


「ベル。」

「何でしょうか。」

「今日は進みました。」

「そうだな。場所も見た。流れも悪くない。次は材料だ。」

「はい。」

「あと、川辺では足元を見る。」

「はい。」

「水に落ちたら、すぐ温める。」

「はい。」

「人の体をじろじろ見ない。」

「……。」

「小雪。」

「善処します。」

「見る気だろ。」

「筋肉は、水車作りに必要かと。」

「必要ねぇ。」

「でも、強そうでした。」

「もう言うな。」

「騎士。」

「忘れろ。」

「初心なハート。」

「忘れろ!」

「敬語。」

「忘れてください!」


 小雪は少しだけ笑った。


 ベルが足を止める。


「……また笑った。」

「はい。」

「俺で遊んでるな。」

「少し。」

「悪い勇者さまだな。」


 小雪は瞬きをした。


 ベルは言ってから、自分でも少し固まった。


 小雪は、暫し考える。


「悪い勇者。」

「いや、今のは。」

「私は悪いですか。」

「悪いというか。」

「はい。」

「……俺の心臓に悪い。」


 小雪は袖の中の鈴を握った。


「病気ですか。」

「違う。」

「敬語。」

「違います。」

「では、初心なハート。」

「それも忘れろ。」


 ベルは歩き出した。

 小雪も隣を歩く。


 川の音は、少しずつ遠ざかっていった。


 魔法に頼らない動力源。


 水車。

 まずは、川の流れを回転へ変える。


 それは電球より地味で、モーターにはまだまだ遠い。けれど、ベルが言うには、順番としては正しいらしい。


 小雪は、順番が得意ではない。


 結果を思いつく。

 そこへ一気に行こうとする。

 途中にあるものは、よく分からない。


 けれど、ベルは順番を考える。


 何が先に必要か。

 何を作れば、その次へ行けるか。


 小雪には見えない道を、ベルは少しずつ並べる。


 だから。


 二人で進めばいいのか。


 たぶん。


「ベル。」

「何でしょうか。」

「水車ができたら、次はコイルですか。」

「早い。」

「では、何ですか。」

「まず、水車そのものを作るための木材と金具だ。それから軸。回転を伝える仕組み。」

「その次は。」

「銅線をもっと安定して作るなら、銅を加工する炉もいるだろうな。線を引く道具も必要になる。」

「すごく遠回りな気がします。」

「文明は大変なんだろ。」

「そうでした。」


 小雪は頷いた。


「では、順番はベルに任せます。」


 ベルが少しだけ足を止めた。


「……任せるのか。」

「はい。」

「俺に。」

「はい。ベルは順番が上手です。」


 ベルは小雪を見る。

 その顔は、一瞬だけ驚いていた。


 それから前を向く。


 耳が赤い。


「……任された。」

「はい。」

「なら、ちゃんとやる。」

「はい。」

「ただし、川を爆破するな。」

「善処します。」

「そこは約束しろ。」

「約束は重いです。」

「川はもっと重い。」

「そうですか。」

「そうです。」


 小雪は、暫し考えた。


「では、川は爆破しません。」

「山も。」

「山も。」

「水路も勝手に変えない。」

「……。」

「小雪。」

「善処します。」

「そこも約束しろ。」

「難しいですね。」

「難しいです。」


 二人は山道を上っていく。


 家はまだ少し焦げ臭いが、危険物箱が増え、寝具も鈴もある。


 電磁石は、まだ針一本分の文明だった。

 次は、水車。


 そしてベルは。

 水に濡れると、思っていたより強そうだった。


 少し、格好よかった。


 小雪は、そのことを記録したかった。


 しかし、書けばベルは怒る。だから、今は書かない。


 それに、紙に残さなくても。


 しばらくは、忘れないような気がした。

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