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万引きGメンが恋愛リアリティショーに参加する物語  作者: もしものべりすと


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第七章 群れの嘘

翌朝から、詩織の観察は始まった。


 恋愛リアリティショーの一日には、決まった型があった。朝、全員で食卓を囲む。昼、誰かと誰かが二人きりの時間を持つ。夜、その日の気持ちを語り合う。番組はその繰り返しのなかで、惹かれ合う者と離れていく者を、ゆっくりと選り分けていく。出演者にとっては恋の舞台でも、詩織にとっては、人間の本音が次々と露わになる、格好の観察台だった。


 詩織は喋らなかった。隅にいた。けれど、その隅から、家じゅうの感情の流れが、手に取るように見えた。百貨店の雑踏で、一人の不審者を選び出すのと、同じだった。違うのは、ここでは全員が、少しずつ嘘をついている、ということだけだった。


 まず、若い男女の一組がいた。表向き、互いに好意を寄せ合っているように振る舞っている。けれど詩織の眼には、男の方が女の肩越しに、別の女性を盗み見ているのが見えた。視線は嘘をつけない。人は好きなものを、無意識に見る。男の本命は、隣で微笑む相手ではなかった。


 別の女性は、誰に対しても親切だった。けれど、その親切は、相手によって温度が違った。カメラがよく抜く人気者には熱く、目立たない相手には冷たい。彼女が探しているのは恋ではなく、画面のなかでの良い役どころだった。


 香田は、相変わらず端にいた。誰かが話しかけると、嬉しそうに、けれど少し怯えたように応える。長く、誰かに大切にされた経験のない者の反応だった。与えられることに慣れていない。だから、少し優しくされただけで、その相手に、過剰に傾く。詩織は香田を見ていると、胸の奥が、ざらりとした。自分にも、覚えのある反応だった。


 受け取ることが苦手な人間と、受け取ることに飢えた人間は、よく似ている。どちらも、与えられることを正面から信じられない。詩織は前者で、香田は後者だった。けれど根は同じだ、と詩織は思った。誰かに本当に大切にされた記憶があれば、人はもっと、まっすぐに愛を受け取れる。香田の伏せがちな目の奥には、その記憶の欠落が、暗い穴のように開いていた。八年前、和解の席で見た、あの娘の疲れた目を、詩織はふと思い出した。信じることをやめた者の目。香田はまだ、その手前にいた。手前にいる者ほど、最後の一押しで、深く堕ちる。


 観察の合間に、詩織はもう二組ほど、群れの嘘を読み解いた。仲の良い友人を装う女性二人は、互いに同じ男を狙い、笑顔の下で牽制し合っていた。物静かに見える男性は、夜になると別人のように饒舌になり、その落差で、自分を演出していた。誰もが、自分という商品を、少しでも良く見せようとしていた。恋愛リアリティショーとは、自分を売る市場だった。そして市場には、必ず、それを食い物にする者が現れる。


 そして、鷹野蓮。


 鷹野は、この家の中心だった。誰もが彼の周りに集まった。彼の話はいつも面白く、彼の気遣いはいつも的確だった。落ち込んだ者がいれば、誰より早く気づいて、そっと寄り添う。喧嘩があれば、見事に仲裁する。出演者からも、おそらく視聴者からも、彼は理想の男に見えているだろう。


 完璧だった。だからこそ、詩織の眼は、そこから離れられなかった。


 人間は、完璧ではいられない。長く観察すれば、誰でも必ず、矛盾を見せる。疲れたときの不機嫌、思いどおりにならないときの苛立ち、油断したときの素顔。それが人間だった。けれど鷹野は、二日間、ただの一度も、その綻びを見せなかった。常に最適な表情を、最適な瞬間に、選び続けていた。


 それは、人間の自然さではなかった。演技の完成度だった。


 詩織は、確証バイアスという言葉を、自分に思い出させた。鷹野を疑っている自分が、疑いを裏づける材料ばかり拾っていないか。八年前、藤村しずの慌てた仕草を、嘘の証拠だと思い込んだあの過ち。同じ罠に、また落ちてはいないか。詩織は何度も、自分の眼を疑い直した。疑い直してなお、鷹野の完璧さは、不自然なままだった。


 その日の午後、出演者たちが浜辺に出た。番組の企画で、二人ずつ組んで、貝殻を拾うという他愛のない遊びだった。波打ち際は明るく、潮の匂いと、人々の笑い声に満ちていた。


 鷹野は、香田と組んだ。


 詩織は少し離れた岩陰から、その様子を見ていた。鷹野は香田に、優しく話しかけていた。香田は、はにかみながら、嬉しそうに笑っていた。美しい光景だった。誰の目にも、芽生えかけた恋に見えただろう。


 けれど詩織の眼は、その下を見ていた。


 鷹野が香田に向ける視線には、熱がなかった。恋した男の目ではなかった。値踏みする目だった。香田がどれだけ自分に傾いているか、どこまで踏み込めば崩れるか。その計算だけが、笑みの奥で動いていた。鷹野は香田を、好きになっていなかった。狙いを定めていた。


 貝殻を拾う途中、香田が小さな桜貝を見つけて、鷹野に差し出した。鷹野はそれを受け取り、大切そうに胸ポケットに入れてみせた。香田の頬が、ぱっと染まった。


 その仕草を、詩織は何度も見たことがあった。確保の現場ではない。もっと別の場所で。相手の心を、物のように受け取って、ポケットにしまう仕草。捕食者は、まず相手に、自分は特別だと思わせる。


 胸ポケットにしまわれたのは、桜貝ではなかった。香田の信頼そのものだった。


 詩織の指先が、冷たくなった。


 まだ、何の証拠もない。視線の熱の有無など、報告書には書けない。けれど詩織の眼は、確かに捉えていた。この家の嘘の中心が、どこにあるのかを。あとは、それを現認に変えるだけだった。選定から、隠匿、未精算通過、店外離脱まで。鷹野が、香田から、何を、どう奪うのか。その一部始終を、一度も眼を切らずに、見届ける。


 浜辺に、夕暮れの色が差し始めていた。香田の笑い声が、波の音に混じって、遠く聞こえた。その無防備な笑い声が、詩織には、ひどく危ういものに聞こえた。


 ふと、視界の端に、人影があった。湊だった。彼は遊びの輪に加わらず、波打ち際を一人で歩いていた。ときどきかがんで、何かを拾っては、また置いていく。詩織が見ていると、湊は顔を上げ、軽く会釈した。


「拾わないんですか」と詩織は近づいて尋ねた。


「気に入ったものは、置いていくんです」湊は濡れた砂を払った。「持ち帰ると、海から切り離してしまうから。ここにあるから、きれいなんです」


 詩織は、鷹野が桜貝を胸ポケットにしまった仕草を思い出した。同じ浜辺で、二人の男が、まるで逆のことをしていた。一人は、相手のものを奪って自分のものにした。もう一人は、美しいものを、あるべき場所に残した。


「あなたは、欲がないんですね」


「ありますよ」湊は少し笑った。「ただ、本当に大事なものは、手の中に握り込むと、壊れる気がするんです。だから、見ているだけにする」


 その言葉を、詩織はしばらく、波の音とともに反芻した。握り込むと壊れる。八年前、自分が握り込んで壊したものたちが、胸の底で、ことりと音を立てた。


 日が沈みかけていた。海が金色から鈍い銀へと色を変えていく。湊はまた波打ち際を歩き出した。詩織はその背中を少しのあいだ見送ってから、視線を香田たちの方へ戻した。鷹野はまだ香田の隣にいた。胸ポケットにはあの桜貝がしまわれている。


 守らなければ、と詩織は思った。証拠はまだない。眼に映った熱の有無を、誰かに説明することもできない。それでも、この眼が捉えたものは正しい。今度こそ正しく、正しいことを正しく使う。八年前のように、無実を壊すためにではなく。誰かが壊される前に、その手を止めるために。


 潮が満ちてきた。さっき香田が桜貝を拾った場所は、もう波の下に沈んでいた。

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