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万引きGメンが恋愛リアリティショーに参加する物語  作者: もしものべりすと


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第十九章 最終収録

最終収録の日が来た。


 朝から別荘は、いつもと違う張りつめた空気に包まれていた。スタッフの数が増えていた。カメラの台数も増えていた。最終回は、番組のいちばんの山場だった。残った男女が、最後に気持ちを打ち明け合う。その瞬間を逃すまいと、レンズが家じゅうに配置されていた。


 詩織は、朝食の席で、家全体を、ゆっくりと、見渡した。


 索敵だった。けれど、いつもの索敵とは違った。冷たく人の嘘だけを選り分ける、あの眼ではなかった。守るべきものを確かめる眼だった。香田はいつもより頬を上気させていた。今日、鷹野から何かを告げられると感じているのだ。期待と不安の入り混じった顔で、ときどき鷹野の方をうかがっていた。


 鷹野は落ち着いていた。完璧な笑みを絶やさなかった。けれど、詩織の眼はその下の、わずかな変化を捉えていた。鷹野の視線がいつもより頻繁に、家の出入り口や人の少ない方へ向いていた。獲物を群れから引き離す場所を探している。狩りの最終段階に入った者の目だった。


 八重が台所から、詩織に小さく目配せした。香田のそばを離れない。打ち合わせどおりだった。


 詩織は朝のあいだずっと香田を見守った。香田は今日という日に何かが決まると信じていた。鷹野が自分を選んでくれると信じていた。その信頼が詩織にはまぶしくもあり痛々しくもあった。人を信じられるということはそれ自体が美しいことだった。詩織が八年かけてようやく取り戻そうとしている力を香田は最初から持っていた。けれどその美しい力をいま鷹野が利用しようとしていた。信じる力の強い者ほど深く騙される。詐欺師が狙うのはいつも疑うことを知らない優しい心だった。詩織は香田を守ると改めて誓った。香田の信じる力を裏切らせないために自分の見抜く力を使う。それが眼の正しい使い方だと詩織はもう知っていた。


 昼過ぎ、控室で、五十嵐が、詩織に、囁いた。


「カメラはすべて、私の指示で動く。鷹野と香田を抜く一台は、何があっても切らせません」五十嵐の声は低かった。「あとは、あなたの眼が頼りだ」


「湊さんは」


「もう岬の下まで来ています。家には入れないので、外で待機を。何かあれば、すぐ動けるように」


 詩織はうなずいた。役者は、揃った。あとは、鷹野が、動くのを、待つだけだった。


 最終収録のあいだ家じゅうのカメラはひとつの連続した記録を作り続けていた。五十嵐はその記録に賭けていた。番組を守るためではなくこの家で起きていることの真実を残すために。長年テレビの世界で本物に見える嘘を作ってきた男が初めて嘘ではない何かを撮ろうとしていた。詩織はその覚悟を感じ取っていた。五十嵐もまた自分のやり方をどこかで悔いていたのかもしれなかった。切り取られた瞬間に真実は少しだけ嘘になると五十嵐は言った。だから今度は切り取らない。途切れない一本の映像として鷹野の所業をまるごと残す。それが五十嵐なりの償いだった。この家には償いを抱えた者が何人もいた。詩織も八重も五十嵐も。みなが今日という一日に何かを取り戻そうとしていた。


 午後の、収録が、始まった。


 出演者たちは順に、これまでの思いを語った。誰が誰に惹かれたか。残りたいか、去りたいか。カメラの前で、感情がひとつずつ明かされていった。番組のクライマックスだった。


 そして、その合間に、それは、起きた。


 鷹野が香田に何かを囁いた。香田の頬がぱっと染まった。鷹野は立ち上がり、香田の手をそっと引いて、賑やかな居間から離れていった。庭へ続く廊下の奥へ。人の目の少ない方へ。カメラの死角に見える方へ。


 けれど、この家に、死角は、なかった。


 詩織の眼が二人を捉えた。同時に、五十嵐が無線で短く指示を飛ばすのが分かった。廊下のカメラが音もなく、二人を追い始めた。


 来た、と詩織は思った。


 鼓動が速くなる。けれど、震えはなかった。指先は冷たくなかった。八年間、確保のたびに感じてきた、あの心をすり減らす冷たい緊張とは違った。今、詩織の胸にあるのは、守るべきものへ向かう熱だった。


 詩織は、静かに、立ち上がった。


 誰にも気づかれないように。いる、けれどいない者として。かつて百貨店の雑踏で、そうしてきたように。詩織は二人のあとを追った。距離は四メートル。近づきすぎず、離れすぎず。柱の陰、ドアの陰、観葉植物の向こう。視線は、一度も切らない。


 現認の、始まりだった。


 追いながら詩織は自分の体が八年分の訓練を覚えていることを確かめた。足音を消す歩き方。視線を相手の背に固定したまま障害物の陰を選ぶ動き。気配を消して空気に溶ける感覚。すべて百貨店の売り場で磨いた技術だった。けれど今その技術は誰かを捕まえるためではなく誰かを守るために動いていた。同じ体同じ眼同じ歩き方。変わったのは向かう先だけだった。冷たい確信ではなく温かい決意がいま詩織を前へ進ませていた。八年かけて磨いた力がようやく正しい方角を向いた。それだけのことが詩織の胸を静かに熱くした。


 廊下の奥、海の見える小部屋に、鷹野は香田を誘い込んだ。詩織は半開きのドアの陰に身を寄せた。なかから、鷹野の低い声が漏れてきた。優しい声だった。世界でいちばん、その人を想っているような声だった。


 詩織は息を殺した。


 眼を切らない。耳も澄ます。これからこの部屋で、何が奪われるのか。その一部始終を見届ける。八年前、藤村しずのときは見落とした。湊のときは取り違えた。けれど、今度は違う。眼と信じる勇気を両方持って、私はここにいる。


 窓の外で、海が、わずかに、ざわつき始めていた。凪が、終わろうとしていた。


 ドアの陰で詩織は完全に動きを止めた。呼吸さえ浅くした。小部屋のなかから鷹野の声が切れ切れに聞こえてきた。香田だけに向けられた特別な声だった。きみとなら本当の家庭が築けると思う。鷹野はそう言っていた。きみだけが自分を分かってくれると。香田の返事は小さくて聞き取れなかった。けれど弾むような声の調子から香田がどれほど幸福を感じているかは伝わってきた。詩織の胸が痛んだ。これから奪われる者がいま人生でいちばん幸せな顔をしている。それが詐欺という狩りの最も残酷なところだった。獲物は奪われる直前に最も深く相手を信じる。


 詩織は焦らなかった。ここで飛び込んではいけない。優しい言葉を交わしているだけではまだ何も奪われていない。確保には四つの要件がいる。選定。隠匿。未精算通過。店外離脱。その四つが一本の線でつながって初めて罪は成立する。線が一度でも途切れれば踏み込んでも意味がない。怪しいというだけで人に触れてはいけない。それは八年前から変わらない鉄の掟だった。詩織はその掟を守りぬくと決めていた。今度こそ正しく見届ける。最後まで眼を切らずに。鷹野が優しい言葉から金の話へ踏み込むその瞬間まで。


 海鳴りが少しずつ大きくなっていた。詩織は半開きのドアの陰で待った。八年間のすべてがこの数分のために積み重なってきたような気がした。藤村しずの死もあの人の裏切りも湊を壊した過ちも八重の告白も闇夜の朝の光もすべてがこの一点へ詩織を導いてきた。詩織は静かに目を見開いた。さあ見せてもらおう。あなたが本当は何者なのかを。そして今度こそ最初から最後まで一秒も眼を切らずに見届けてみせる。

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