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万引きGメンが恋愛リアリティショーに参加する物語  作者: もしものべりすと


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第十八章 信じると言う

その夜、五十嵐の計らいで、詩織は撮影の合間に、一本の電話をかけることを許された。


 スタッフ用の、小さな控室。受話器を握る手が、汗ばんでいた。詩織は、紙片の番号を、押した。呼び出し音が、三度、鳴った。それだけの時間が、ひどく長く感じられた。


「……はい」


 湊の低い声だった。


 詩織は一度、息を吸った。八年間、誰の扉も叩かなかった女が、生まれて初めて自分から扉を叩いた瞬間だった。


「真壁です」


 短い沈黙があった。けれど、それは、拒絶の沈黙では、なかった。


「あなたを信じます」詩織は言った。声が震えた。けれど、止めなかった。「証拠はありません。あなたの過去を、私はほとんど知らない。それでも、信じます。あなたは誰も騙していない。妹さんとの約束を守ろうとしていただけ。私はそれを踏みにじりました。本当に、ごめんなさい」


 受話器の向こうで、湊が、静かに、息を吐いた。


「顔を上げてください、と言いたいところですが」湊の声に、かすかな、笑みが混じった。「電話じゃ、顔は、見えませんね」


 詩織の目の奥が熱くなった。湊はやはり、責めなかった。詫びる詩織を、いつまでも頭を下げたままにはさせなかった。


「お願いがあります」詩織は声を立て直した。「この家で人を食い物にしている男がいます。次の獲物は香田さんです。私の眼はそれを、確かに捉えました。今度は間違えていません。だから、止めたい。でも、私ひとりではできない。あなたの力を貸してください」


「僕に、何ができますか」


「あなたは、人を信じる力を持っている」詩織は言った。「私にはそれが、ずっと欠けていた。あなたが隣にいてくれたら、私は自分の眼を、また信じることができる気がする」


 長い、沈黙があった。波の音が、控室の窓の外で、低く、響いていた。


「……分かりました」やがて湊は言った。「妹は、誰かが目の前で壊されていくのを見過ごすような兄を、いちばん嫌っていました。行きます。最終収録の日に。僕にできることが、あるなら」


 電話を切ったあと、詩織はしばらく、受話器を握りしめていた。胸のなかに、八年ぶりの温かい何かが満ちていた。信じる、と口に出した。たったそれだけのことが、これほど勇気のいることだとは知らなかった。


 受話器を置いたあとも詩織の鼓動はしばらく速いままだった。たった一言を言うだけのことだった。あなたを信じます。それだけの言葉を口にするのに八年かかった。詩織はこれまで誰かを信じるという行為をずっと危険なものだと思ってきた。信じれば裏切られる。裏切られれば壊れる。だから信じないことが詩織にとっての安全だった。けれど今夜詩織は自分から危険のなかへ足を踏み入れた。証拠もないのに人を信じた。その怖さと同じだけの温かさが胸に広がっていた。怖さと温かさは同じ場所から来るのだと詩織は初めて知った。何かを失うのが怖いのは失いたくない何かができたときだけだった。怖いのはいいことだと節子は言った。その意味がいまになってようやく腑に落ちた。


 翌日、五十嵐から、調査の結果が、届いた。


 鷹野蓮という名前は、やはり本名ではなかった。そして過去に二件、よく似た話が見つかった。別の名前で、別の場所で女性に近づき、結婚を匂わせ、まとまった金を引き出して姿を消す。被害者はいずれも訴え出ていなかった。騙された自分を恥じたのだ。けれど、手口は同じだった。獲物の選び方も、嘘の物語も、金の引き出し方も。五十嵐の声は硬かった。あの男は本物だ、と。


 五十嵐の報告には一人の被害者の声も含まれていた。匿名を条件に語ってくれたという。その女性は鷹野とよく似た男に半年をかけて口説かれた。男はいつも優しかった。誰よりも自分を理解してくれていると思った。結婚の話が出たとき男は事業の資金が一時的に必要だと打ち明けた。女性は迷わず貯金を差し出した。男はその翌週に消えた。残されたのは空っぽの通帳と自分を責める気持ちだけだった。女性は最後にこう言ったという。お金より自分が信じた気持ちごと盗まれたのがいちばんつらかったと。詩織はその言葉を聞いて胸を締めつけられた。鷹野が奪うのは金ではなかった。人が誰かを信じた心そのものだった。それは詩織がいま生まれて初めて大切にしようとしているものだった。だからこそ詩織は鷹野を許せなかった。


 詩織の、現認は、間違っていなかった。


 その日、詩織は、八重に、計画を、打ち明けた。八重は深くうなずいた。


「香田ちゃんのことは、私もずっと気になってたの」八重は言った。「あの子、鷹野さんにのめり込んでる。私にできることがあるなら、何でもするわ」


 こうして、小さな、けれど確かな味方が揃った。家の外で信じてくれる湊。家のなかで香田を見守る八重。番組を動かせる五十嵐。そして、嘘を見抜く詩織の眼。


 計画の要は現認の連続性にあった。万引きの確保で詩織が何より重んじてきた原則だった。犯行を点ではなく途切れない一本の線として捉えること。一秒でも目を切れば確保は崩れる。今度はその線をカメラが引く。五十嵐は最終収録で鷹野と香田を抜くカメラを決して切らないと約束した。鷹野が香田にどう近づきどんな嘘を語りどうやって金を引き出すか。その一部始終を編集されない連続した映像として残す。映像は嘘をつかない。あとから言い逃れのできない客観の記録になる。詩織の眼が現場で捉え五十嵐のカメラが証拠として固める。二つが揃えば鷹野の冷たい笑みの下を白日のもとに引きずり出せるはずだった。眼と信頼。そして連続した記録。すべてが一本の線でつながったとき初めて狩人は狩られる側に変わる。


 最終収録は、三日後に、迫っていた。


 番組の山場だった。これまでの生活を経て惹かれ合った男女が、最後に互いの気持ちを確かめ合う。脱落者が決まり、残った者が結ばれる。カメラはいつもより、ずっと多く回る。それは、鷹野が香田に対して最後の決定的な一手を打つ場でもあった。詐欺師が獲物の心を完全に自分のものにし、そこから奪い始める瞬間。


 その瞬間を、詩織は、一度も、眼を切らずに、現認する。


 プロローグの百貨店で、灰色のダウンの男を追ったときと同じように。けれど、あのときと一つだけ違うことがあった。あのとき、詩織の眼は冷たかった。今、詩織の眼は温かかった。守りたいものが、あったからだ。


 窓の外で、海が、静かに、凪いでいた。嵐の前の、凪だった。


 詩織はその夜なかなか寝つけなかった。けれど八年間続いた眠れない夜とは質が違った。これまでの不眠は過去の後悔に追われる夜だった。今夜の不眠は未来へ向かう緊張の夜だった。同じ眠れなさでもこれほど色が違うものかと詩織は思った。布団のなかで詩織は明日からの三日間を頭のなかで何度も組み立てた。鷹野の動きを読む。香田から目を離さない。八重と合図を決める。五十嵐とカメラの位置を確認する。湊が来る。やるべきことは多かった。けれど不思議と恐れはなかった。一人ではないということがこれほど人を強くするのだと詩織は生まれて初めて知った。八年間ずっと一人で背負ってきた眼を初めて誰かと分け合えるのだった。海の音が遠く聞こえた。凪いだ海だった。嵐はもうすぐそこまで来ていた。詩織は目を閉じてその嵐を静かに待った。今度こそ逃げない。今度こそ取り違えない。眼と心の両方で本物を見届ける。そう自分に言い聞かせながら詩織はようやく浅い眠りに落ちた。

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