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万引きGメンが恋愛リアリティショーに参加する物語  作者: もしものべりすと


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第十三章 公開の告発

その写真は、夕食後の居間で、鷹野の手から差し出された。


 古びた一枚の写真だった。若い女性と、その隣に立つ湊が写っていた。今より少し若い湊だった。鷹野は、それを、まるで偶然見つけたかのように、みなの前に置いた。


「これ、朝凪さんの本のあいだに、挟まってたんだ」鷹野の声は、心配そうだった。「掃除のときに、落ちてきて。返そうと思ったんだけど――裏を見て、ちょっと、気になってね」


 写真の裏には、女性の名前と、見覚えのない、別の姓が記されていた。朝凪ではない、姓だった。


 居間の空気が、ざわついた。出演者たちが、顔を見合わせた。指輪が消えて以来、この家には、疑いの種が、ずっとくすぶっていた。鷹野は、その種に、そっと息を吹きかけた。


「変なこと言うつもりはないんだ。ただ、僕たちは、お互いのこと、ほとんど知らないだろう。名前も、過去も、信じるしかない。それが、こういう場所だから。でも、もし――誰かが、本当の名前すら、僕たちに言ってないんだとしたら」


 言葉は、最後まで言われなかった。言われないことで、かえって、全員の頭に、同じ疑いが広がった。鷹野は決して湊を名指しで責めなかった。ただ、写真を置き、問いを宙に浮かせただけだった。あとは、誰かが、その問いに、答えてくれるのを待っていた。


 みなの視線が、湊に集まった。


 湊は何も言わなかった。ただ、自分の写真を、静かに見ていた。その沈黙が、出演者たちの目には、後ろめたさに映った。説明すれば済むことを、説明しない。それは、説明できないからだ。誰もが、そう思い始めていた。


 そして、みなの視線は、やがて、もう一人へと移った。


 真壁さんは、どう思う。誰かが、そう言った。あなた、よく人を見てるから。


 詩織の心臓が、冷たく鳴った。


 来た、と思った。鷹野がずっと用意してきた瞬間だった。詩織が湊への疑いを口にすれば、家じゅうの目は湊に集まる。そのあいだ、鷹野は完全に安全圏にいられる。盤面は、すべて、鷹野の描いたとおりに進んでいた。


 黙っていればいい、と詩織は思った。知りません、と言えばいい。


 その一言を言えば自分は安全だった。何も知らないふりをすればこの場は流れていく。湊への疑いは宙に浮いたまま誰のものでもなく消えていくかもしれない。詩織はそれを望んだ。望んだのに体が言うことを聞かなかった。眼が見てしまったものを舌が勝手に並べようとした。八年間そうやって生きてきた。見たものを正確に報告すること。それが詩織の存在そのものだった。事実を前にして黙ることを詩織の体は知らなかった。沈黙という選択肢を持たない人間がいる。詩織はそういう人間だった。だからこそ八年前も黙れなかった。藤村しずがレジを通したかもしれないという可能性の前で詩織は黙れなかった。見たものをそのまま言ってしまった。今もまったく同じだった。


 けれど、詩織の口は、開いた。


「……その人の経歴は、裏が取れません」


 声は、自分でも驚くほど、平坦だった。八年前、藤村しずを事務室へ連れていったときと、同じ、感情のない声だった。


「学んだという工房に、その名前の記録はない。生まれたという町にも、その名前はない。朝凪湊という名前は、おそらく、本名ではありません」


 居間が、静まり返った。


 詩織の言葉には、重みがあった。憶測ではなく、調べた者の言い方だった。誰もが、それを感じ取った。鷹野の宙に浮いた問いに、詩織が、揺るがぬ事実で、答えを与えてしまった。これで、決まりだった。この家に、本当の名を偽る者がいる。そして、それを暴いたのは、いつも一歩引いて、みなを見ていた、あの観察者の女だった。


 言い終えた瞬間詩織の意識はどこか遠くへ飛んだ。自分の声が他人の声のように聞こえた。居間の灯りがやけに白く見えた。八年前の事務室の蛍光灯と同じ白さだった。あのとき詩織は丸時計の秒針の音を聞いていた。今は海鳴りを聞いていた。場所も時間も違うのに体が覚えている感覚はまったく同じだった。自分の正しさが誰かを壊していく感覚。引き返せない言葉を放ってしまった後の冷たい静寂。詩織はその静寂のなかで自分がまた同じ場所に立っていることを骨の髄で理解した。学んだはずだった。あれだけ壊れてあれだけ誓ったはずだった。それでも崖の縁では体が八年前とそっくり同じように動いた。人はそう簡単には変われない。詩織はその残酷な事実を自分の舌で証明してしまった。


 香田が小さく息を呑んだ。八重は、戸惑った顔で、湊と詩織を、交互に見ていた。


 湊が顔を上げた。


 その目を見た瞬間、詩織の全身が、凍りついた。


 怒りではなかった。怒りなら、まだ救われた。そこにあったのは、深い、静かな、悲しみだった。そして、その悲しみの奥に、もう一つ、詩織のよく知る色があった。八年前、和解の席で、藤村しずの娘が、こちらを見たときの目。誰にも信じてもらえなかった者の、乾いた、疲れた目。


 その目が、今、湊の顔にあった。


 詩織はわかってしまった。自分がまた、同じことをしたのだと。確かな事実を、確かなまま人前に並べた。けれど、事実は真実とは限らない。八年前、藤村しずがレジを通したという事実を見落としたように、自分は今、湊が名を偽るその理由を何一つ知らないまま、彼を群衆の前に突き出した。


「……そうですね」湊は静かに言った。詩織にだけ聞こえるような、低い声だった。「あなたの眼は、正しい。僕は、本当の名前を、名乗っていません」


 認めた。湊は否定しなかった。言い訳もしなかった。ただ、認めた。その潔さが、かえって、詩織の胸を、深くえぐった。


「でも」湊は続けた。「名前を偽る理由が、いつも、誰かを騙すためだとは、限らないんです」


 それだけ言って、湊は立ち上がった。写真を、そっと手に取り、胸にしまった。そして、居間を出ていった。誰も、引き止めなかった。


 湊が出ていったあと居間には気まずい沈黙が残った。鷹野だけが満足そうに小さく息を吐いた。誰も湊を追わなかった。誰も詩織を責めなかった。むしろ何人かは詩織に感謝の目を向けた。よく言ってくれたと。私たちを守ってくれたと。その目が詩織にはいちばん耐えがたかった。八年前も同じだった。会社は詩織を責めなかった。よく現認したと褒めさえした。正しさへの賞賛が詩織を逃げ場のない場所へ追い詰めた。褒められるたびに自分のしたことが取り返しのつかない大きさになっていった。八重だけが何も言わなかった。八重は悲しそうな目で詩織を見てそれから静かに立ち上がり湊の出ていった方へ歩いていった。その小さな背中を詩織は止められなかった。


 残された詩織は、その場に立ち尽くしていた。勝ったはずだった。眼はまた、外さなかった。なのに足元が、八年前と同じようにすっと冷えて、抜け落ちていくのを感じた。


 窓の外で、海が、暗く、ざわめいていた。


 名前を偽る理由が誰かを騙すためだとは限らない。湊はそう言った。立ち去り際のその一言だけが詩織の耳に残って離れなかった。もし本当にそうなら自分は今とんでもない取り違えをしたことになる。けれど確かめる勇気は湧かなかった。確かめてもし湊が正しかったらと思うと体がすくんだ。詩織は居間に一人残されたまま長いこと動けずにいた。海鳴りだけが規則正しく壁を撫でつづけた。その夜詩織は一睡もできなかった。八年前のあの夜とまったく同じように。違うのは胸の痛みの深さだけだった。藤村しずのときは正しさの重みに潰されかけた。今度は正しさよりももっと重いものに潰されかけていた。それが何なのか詩織はまだ言葉にできずにいた。

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