第2章 懐かしい犬・タロとの再会
【消えた足跡と、永遠の面影】
柔らかな毛並み、ふっくらとしたマズルの形、少し垂れた右耳の角度。
「……タロだ。間違いない、タロだ……!」
進の記憶は、一気に母と暮らした長野県松本市の幼少期へと引き戻された。
松本での孤独な少年時代、タロは進にとって唯一の、言葉のいらない親友だった。
近所の家の軒先で、鎖が擦れる音とともに進を迎えてくれるあの茶色の背中。
学校でいじめられ、言葉の棘を全身に浴びて帰る日も、タロだけは何も言わずにただ尻尾を振り、濡れた鼻先を進の手に押し当ててくれた。
その無条件の肯定が、幼い進の壊れそうな心をどれほど繋ぎ止めたか知れない。
しかし、別れは唐突だった。
大阪の定時制高校へ進学し、寮生活という戦場に身を投じた進は、二年の月日を経てようやく松本の地を再訪した。
真っ先に向かったのは、あの思い出の軒先だった。
『タロ!』
声を張り上げた進を待っていたのは、静まり返った空き地と、土に半分埋もれた古い犬小屋だけだった。
『タロはね、去年、病気で死んじゃったんだよ』
飼い主の言葉に、進はその場に崩れ落ちた。
自分だけが新しい世界へ進み、タロを置いていってしまった。
最後を看取ることも、感謝を伝えることもできなかった。
進にとってタロの死は、「帰るべき温かな場所」が完全に失われたことを意味していた。
【再会という名の決意】
進は吸い寄せられるように、画面の中のパペットを注文した。
数日後、届いた箱を京都市郊外のアパートで、美智子と一緒に開けた。
「あら! 進君、可愛らしいじゃない! どうしたの、このお犬さん?」
美智子が嬉しそうに目を輝かせ、パペットの頭を指先で優しく撫でた。
「タロだよ。ネットで見つけたんだ。……不思議なものだな。タロはずいぶん前にいなくなってしまったけれど、まさかこんな形で、また僕と一緒に仕事をすることになるとは」
進は美智子に、タロとの思い出を語った。
そしてパペットを自分の右手にはめ、そっと動かしてみた。
指先に伝わる柔らかな布の感触が、かつて松本でタロの頭を撫でた時の、あのぬくもりと完璧に重なった。
パペットのつぶらな瞳には、かつてのタロと同じ、すべてを包み込むような慈愛の光が宿っているように見えた。
「僕が直接語ると、どうしても講師としての威圧感が出てしまう。でも、このタロを通して語りかければどうだろう?タロなら、現場で疲れ果てた職員たちの不安も、優しく聞いてくれるはずだ」
美智子は満面の笑顔で、何度も大きく頷いた。
「素晴らしいわ、進君! お犬のタロちゃんなら、みんなもお膝の上で安心して楽しんでチャンネルが見れるわね!進君の優しさが、タロちゃんのお口からハキハキ飛び出してくるなんて、最高のアイデアだと思うわ!」
「あぁ。僕が画面に出る必要はない。タロが僕の代わりに、法律の『心』を届けてくれる」
自分が直接語るのではなく、タロを通して法の解説を展開する。
それは、かつて孤独だった自分を救ってくれたタロの「言葉を超えた優しさ」を、現代の傷ついた若者たちへ還元する作業に他ならなかった。
進は確信した。
この小さな相棒こそが、自分たちの凸凹を埋め、暗闇で迷う人々を救う、最強の「新しい段取り」になるのだと。
進はタロの頭を優しく撫でながら、プレゼンターのライトを静かに点灯させた。
新しい戦場へ向かう男の瞳には、かつてない温かな情熱の火が燃え上がっていた。




