第1章 恋心を忘れるための大学受験勉強
【四年目の執念、深夜の教科書】
昭和61年。定時制高校の最高学年である四年制へと進級した伊崎進は、相変わらず図書館の「出納係」で勤務していた。
カウンターでの図書の貸し出しや返却、そして広大な地下書庫へと本を収めるこの仕事は、かつての整理室や雑誌室に比べて肉体的な労働も多かったが、本と一対一で向き合う時間は進の心を静かに落ち着かせてくれた。
美智子が岡山の実家へ帰ってから、進は「一旦、彼女のことは忘れよう」と心に決めていた。
受話器の向こうの泣き声も、鶴橋駅での腫れた頬も、すべてを胸の奥底の引き出しに鍵をかけて仕舞い込んだ。
今の自分に必要なのは、感傷に浸ることではなく、目の前の現実を叩き割るための圧倒的な「実力」だった。
しかし、定時制高校に通う進にとって、受験勉強のための時間は全日制の受験生に比べて絶望的に少なかった。
昼間の図書館勤務と夜間の授業がある平日は、削りに削っても、捻り出せる勉強時間はわずか3時間が限界だった。
仕事のない日曜日であっても、身体の疲労を考慮すれば6時間が精一杯。
全日制の受験生たちが毎日10時間以上机に向かう中、進の戦いはまさに「量」ではなく、密度の濃い「執念」そのものだった。
その執念が、初夏の頃から目に見える形で現れ始める。
夏休み前、7月の模擬試験。
成績表を受け取った進の手が、微かに震えた。
最初に受けたときはわずか10点しか取れず、暗闇を彷徨うようだった「世界史」の偏差値が、初めて50の壁を突破したのだ。
さらに、足を引っ張り続けていた英語と国語も初めて偏差値40を超え、3科目総合での偏差値は「44」まで一気に跳ね上がった。
(届くかもしれない……。僕のやり方は、間違っていない)
出納係の後輩として、今や3年生となり進の背中を追う田川正成も、夜遅くまで雑誌室や書庫の片隅で参考書を繰る進の凄まじい横顔に、畏敬の念を抱いていた。
「伊崎先輩、顔、ものすごく気迫が漲ってますよ」
「そうか?……ただ、時間が足りないだけだよ、田川君」
進は不器用な笑みを返し、すぐに次の英文へと目を落とした。
美智子を失ったあの夜の喪失感、胸にぽっかりと空いた大きな穴。
進はその暗い深淵を埋めるために、貪るように知識を詰め込み、すべてのエネルギーを学問へと転化させていった。
【奇跡の軌道、そして黎明の光】
夏休みが明け、秋の気配が色濃くなる頃、進の学力は驚異的な爆発を見せる。
9月の模試では、3科目総合の偏差値が初めて大台の「50」に到達。
さらに、10月の秋の模試では「55」へ。
そして年末、12月の最終模擬試験。
進が叩き出した数字は、総合偏差値「61」という、かつての偏差値32から見れば奇跡以外の何物でもない数字だった。
なかでも世界史にいたっては、最終的に偏差値「72」を記録するまでになり、全国のトップ集団にその名を連ねるまでになっていた。
しかし、学力が上がっても、進の前に横たわる経済的な制約が消えるわけではなかった。
実家からの援助が一切ない以上、自分で貯めたわずかな貯金だけで入学金や学費を払える大学は、極めて限られている。
選択肢は、各大学の夜間学部(二部)か、あるいは——京都にある「黎明大学」しかなかった。
黎明大学には、極めて稀な独自の経済支援制度があった。
「初年度納入金(入学金・学費)は、入学後に分割、あるいは卒業後まで支払いを猶予する」
この制度さえあれば、進の財布にある貯金だけでも、憧れのキャンパスの門を潜ることができる。
だが、黎明大学は生半可な気持ちで狙える場所ではなかった。
関西の私学において、突出した実績を持つ最難関の四つの大学——巷ではそれらを四文字の総称で「関洛四雄」と呼び、受験生たちから恐れられ、崇められていた。
黎明大学はその一角を占める、超名門校だったのだ。
「伊崎君、よくここまで這い上がってきたな」
定時制高校の進路指導室で、教頭先生が進の成績表を見つめながら、眼鏡の奥の目を細めた。
教頭先生自身、その黎明大学の出身であり、働きながら学ぶ進の苦労を誰よりも理解し、陰ながらずっと応援してくれていた。
「ありがとうございます。……ですが、僕の今の実力では、まだ絶対に向こうの足元にも及びません」
進は冷静に自分を見つめていた。
確かに偏差値61まで上げた。世界史は70を超えた。
しかし、それはあくまで模試の成績に過ぎない。
進は、全日制のトップ層がひしめく中で揉まれた経験がない。
「分かっている。関洛四雄の壁は厚い。だがな、伊崎君」
教頭先生は、進の細い、しかし出納係の仕事で鍛えられた逞しい肩を強く叩いた。
「お前がこの四年間、ここで歯を食いしばって働き、夜遅くまで学んできたその『底力』は、全日制のぼんぼんたちには絶対に真似できない。自信を持って、京都へ行ってこい」
「……はい!」
進は深く頭を下げた。
昭和62年、年が明ければ進は19歳になる。
カバンの奥深くには、今も美智子が岡山へと持ち帰ったあのハンカチの、対となる記憶が静かに息づいていた。
彼女のいない寂しさをすべてインクと紙のエネルギーに変えて突き進んできた19歳の伊崎進は、関西最難関という巨大な壁を見据えながら、いよいよ自らの人生を賭けた、昭和62年の受験の春へと足を踏み出そうとしていた。




