骨壺の番
僕は古い民話や口伝の話を集めるのが好きで、連休になると出かけていってはその土地に住む人に話を聞いてまとめています。いわゆるフィールドワークってやつです。
この話は、とある山間の集落で聞いた話ですが、現在も続いている習慣だそうです。
聞いた話は伝聞調ではなく物語として記録しているので少し読みにくいかもしれませんが、ご了承ください。
その集落には、奇妙な風習があった。
人が亡くなり荼毘に付したあと、その遺骨を納めた骨壺を3年間、地域の数軒の家で持ち回りで管理するのだ。それを『骨壺の番』という。
管理する、といっても何も難しいことはない。
この地域の家にはどこでも仏間がある。家の仏壇に骨壺を置き、朝晩に拝むだけだ。
これは故人が親しくしていた家々を回り供養されることによって、自らの死を認め極楽に向えるようにするための風習である。
また、故人は家々の仏間でその家の祖先と交流し、あの世で暮らすための手ほどきを受けるとされている。
亡くなったあとに向かう新しい世界で故人が迷うことがないようにと願う、この土地独自のやさしい風習であった。
しかし、この風習にはある約束があった。
それは、仏壇に置かれた骨壺は朝晩に拝むのみで、それ以外の時間は仏間を閉じ、入らないようにするというものだ。
もし骨壺の内側からカリカリと引っ掻くような音がしても、けっして仏間をのぞいてはならない。死者は当然、生者の世界を懐かしく思い、そこに帰りたいと願う。だが死者には、すでに自らの身体はなく生者の世界には帰れないことを認めてもらわねばならない。
だからどれだけ生の世界を愛しく思い、骨壺の内側から出たいと引っ掻いたとしても、生者はそれに応えてはならないのだ。
さて、この風習について語ってくれたA氏の家も、A氏が小さい頃にこの『骨壺の番』をしたことがある。
A氏には4歳年上の姉がおり、当時A氏が10歳、姉が14歳だったそうだ。
A氏もA氏の姉も、『骨壺の番』をするのは初めてだ。両親はA氏姉弟に『骨壺の番』について詳しく語って聞かせた。その風習の意味、約束――
A氏はまだ幼く、骨壺が家の中にあるという状況をなんとなく恐ろしく感じていた。身内の遺骨ならともかく、他人の遺骨だ。亡くなったのは近くに住んでいた老婆で、生前は大きな目をギョロギョロさせてこちらを見ていた。話したことなどもちろんない。
そんな人の遺骨が家にあって、もし夜中に幽霊になって出てきたらどうしよう。
A氏はそんなことを考え、仏間には近寄らず、朝晩も手を合わせるとそそくさと仏間を出ていく日々だった。
それに、ふすまが閉められた仏間から、確かにカリカリという音を聞いたことがあった。A氏はすっかり怯えて、姉にそのことを話すと、姉は「まったく、Aは臆病なんだから。音がしたところで、壺に納まってるのはバラバラの骨だよ。そんな骨に、何ができるっていうの」と笑うだけだった。
そんな姉を、A氏は心強く感じていた。
そうして『骨壺の番』をしてしばらく経った朝、A氏は騒がしい足音や家人の声で目を覚ました。
何があったのかと、家人の姿を探す。声はどうやら仏間の方からしているようだ。
仏間をのぞいてみると、そこには両親と祖母、そしてもう一人いる。
見覚えのある柄の着物で、それが姉だと分かったが、姉の長かった髪はすべて抜け落ちていた。仏壇に安置されていた骨壺が、畳の上に転がっている。
何事かと駆け寄ると、姉は虚ろな目をして何かを口の中で呟いていた。何を言っているかは分からなかったが、それはお経のようだった。
姉の隣で母が泣いており、父は「あれだけ言ったのに……なんで……」と繰り返していた。祖母は仏壇に手を合わせ「返してください、返してください」と必死に祈っていた。
祖父が寺の住職を引き連れて帰ってきて、姉は寺に引き取られた。
その後、姉が家に帰ってくることはなく、A氏の家では姉の話はタブーになってしまった。預かっていた骨壺もいつの間にか家からなくなっており、それ以降はA氏の家に『骨壺の番』が回ってくることはなかった。
これが、僕がA氏から聞いた話のすべてです。
A氏のお姉さんは、もし生きていたら今年で94歳になるだろうとのことでしたが、A氏にはお姉さんの生死も分からないそうです。
最初にも言及しましたように、この習慣は現代でも続けられています。A氏が小さかったころと形を変えることなく、まったく同じ形で引き継がれているそうです。
A氏によると、7年前にも『骨壺の番』をしていた家から行方不明者が出たそうです。小さいけれど神隠し事件として新聞に載ったとのことでした。
集落から一番近い町の図書館で7年前の新聞を調べてみたところ「謎の失踪? 骨壺とともに消えた8歳の児童」という見出しで載っていました。
そこには『骨壺の番』についても少しだけ記載がありましたが、「『骨壺の番』とは他人の遺骨を預かる奇妙な風習である。」としか書かれていませんでした。
やはり死者にとって、我々の世界にはそこまでして「帰りたい」と思わせるだけの魅力があるのでしょうか。




