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第四話 約束の朝

 昨日、ミリアは初めて妖精のライトと出会い、友達になった。


「明日の朝、お庭へ行こうね!」


 そんな約束を交わして眠りについた夜は、不思議なくらい穏やかだった。


 この世界で目を覚ましてから、まだ三日。


 前世――高山みやことして生きてきた二十八年間の記憶と、侯爵令嬢ミリアとして過ごしてきた八年間の記憶が混ざり合い、眠っていても何度も目を覚ましてしまう日が続いていた。


 ここは日本じゃない。


 私が暮らしていた街でもない。


 それなのに、この身体には「ミリア」として過ごしてきた思い出が確かに残っている。


 鏡を見るたびに、自分が自分ではないような不思議な感覚に戸惑い、目を覚ますたびに「これは夢じゃないんだ」と言い聞かせる毎日だった。


 けれど昨夜は違った。


 ライトと笑い合い、一緒におやつを食べて、たくさんおしゃべりをした。


 あの無邪気な笑顔を思い浮かべているうちに、不思議と心が落ち着いていき、気づけば朝まで一度も目を覚ますことなく眠っていた。


◇ ◇ ◇


「おはよー!」


 弾むような元気な声が耳元で響く。


「ん……。」


 ミリアは布団へ顔を埋めたまま、小さく身じろぎをした。


「ミリアー!」


 今度は頬をつんつんとつつかれる。


「あと五分……。」


 寝ぼけたまま思わず呟く。


「ごふん?」


 ライトは首をこてんと傾げた。


「ごふんって何?」


「……あっ。」


 しまった。


 前世では毎朝、スマートフォンのアラームを止めては「あと五分だけ……」と言って二度寝するのが癖だった。


 その言葉が、思わず口をついて出てしまったのだ。


「えっと……。」


 ミリアは慌てて笑顔を作る。


「もう少しだけ寝たいって意味!」


「そうなんだ!」


 ライトは素直に納得すると、にこっと笑った。


「でも今日は駄目!」


 ぱたぱたっと羽を羽ばたかせながら、ミリアの鼻先をふわふわ飛び回る。


「今日は約束の日だよ!」


 羽が頬に触れるたび、くすぐったくて思わず笑ってしまう。


「くすぐったいよ、ライト。」


「起きた?」


「うん、起きた起きた。」


 ミリアはゆっくりと身体を起こした。


 窓から差し込む朝日が部屋いっぱいを明るく照らしている。


 白いレースのカーテンが風に揺れ、窓の外からは小鳥たちの楽しそうなさえずりが聞こえてきた。


 昨日までと同じ朝。


 同じ部屋。


 それなのに今日は、どこか違って見える。


 その理由はすぐに分かった。


 朝日に照らされながら、小さな妖精が楽しそうに部屋中を飛び回っているからだ。


「おはよう、ミリア!」


 金色の髪を揺らしながら、ライトが満面の笑みを向けてくる。


「おはよう、ライト。」


 自然と笑みがこぼれた。


 昨日までなら、目を覚ました瞬間に胸へ押し寄せていた戸惑い。


 日本へ帰れないかもしれないという不安。


 前世の家族を思い出してしまう寂しさ。


 もちろん、それが消えたわけではない。


 それでも今朝は、その気持ちよりも先に「ライトに会えた」という嬉しさが胸へ広がった。


(昨日より、この世界が少しだけ近く感じる。)


 まだ分からないことばかり。


 それでも、一歩ずつ前へ進めばいい。


 そんな風に思えたのは、この世界で初めてできた友達のおかげだった。


「今日はね!」


 ライトはくるりと一回転する。


「ミリアに見せたいものがあるんだ!」


「あっ!」


 昨日の約束を思い出し、ミリアの表情がぱっと明るくなる。


「お庭へ行く約束だったね!」


「そう!」


 ライトは嬉しそうに何度もうなずく。


「昨日からずっと楽しみにしてたんだ!」


「ごめんね。起きたばかりで忘れちゃってた。」


「えぇー!」


 頬をぷくっと膨らませるライト。


「ボクなんて、わくわくしすぎて何回も目が覚めちゃったよ!」


「ふふっ。」


 その言葉にミリアは笑ってしまう。


「ライトでもそんなことあるんだ。」


「もちろん!」


 胸を張るライト。


「楽しみなことがあると眠れないのは、人間も妖精も同じだよ!」


「それは確かにそうかも。」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 その時だった。


「あっ!」


 ライトが急に小さな声を上げる。


「どうしたの?」


「フィーネが来た!」


「えっ!」


 ミリアは慌てて辺りを見回す。


「ライト、静かに!」


「声が聞こえちゃう!」


 一瞬きょとんとしたライトは、次の瞬間、お腹を抱えて笑い出した。


「あははっ!」


「うそだよ!」


「えぇっ!?」


「まだ来てませーん!」


「もう!」


 ミリアは思わず頬を膨らませる。


「びっくりしたじゃない!」


「ごめん、ごめん!」


 笑いながら両手を合わせるライト。


「でもね。」


 ふと笑顔を和らげ、小さな声で続けた。


「ミリア、ちゃんとボクを守ろうとしてくれた。」


「え?」


「……ううん、なんでもない!」


 ライトは照れ隠しをするように笑う。


 その小さな胸の奥にある想いを、今はまだ口にすることはできなかった。


(やっぱり……ミリアなら。)


 誰にも聞こえないその呟きは、朝の光の中へ静かに溶けていく。


 ――コンコン。


 ちょうどその時、控えめなノックが部屋に響いた。


「お嬢様、お目覚めでいらっしゃいますか。」


 フィーネの優しい声だ。


 ライトは目を丸くしたあと、くすっと笑う。


「今度は本当だった。」


「もう、からかわないでね?」


「えへへ、ごめん!」


 ミリアもつられて笑いながら返事をする。


「どうぞ。」


 扉が静かに開き、フィーネが穏やかな笑みを浮かべながら部屋へ入ってきた。


「おはようございます、お嬢様。」


「おはよう、フィーネ。」

 ミリアが微笑み返すと、フィーネは安心したように表情を和らげた。


「お顔の色も良くなられましたね。昨夜はよくお休みになれましたか?」


「うん。ぐっすり眠れたよ。」


「それは何よりでございます。」

 

 フィーネはそっとミリアの額に手を添え、熱がないことを確認すると、小さく胸をなで下ろした。


「旦那様も奥様も、この数日ずっとお嬢様のことをご心配されていました。今日のお元気なお姿をご覧になれば、きっと安心なさいます。」

 

 その言葉に、ミリアは静かにうなずく。


 前世でも、風邪を引けば両親は心配してくれた。

 

 社会人になってからは「忙しいから大丈夫」と言ってばかりで、ゆっくり話す時間も減ってしまっていた。


(今度は……ちゃんと大切にしよう。)

 そんな想いが胸に浮かぶ。


「ありがとう、フィーネ。」


「もったいないお言葉です。」

 

フィーネは優しく微笑むと、手際よく朝の支度を始めた。


 柔らかなクリーム色のワンピースに着替え、銀色の髪を丁寧にとかし、青いリボンで結ぶ。


「とてもよくお似合いですよ。」


 鏡に映るのは、八歳の侯爵令嬢。


 まだ見慣れない自分の姿だけれど、昨日より少しだけ違和感が薄れていることに気付いた。


「ありがとう。」

 

そう言って立ち上がると、肩の辺りをライトが楽しそうに飛び回る。


「早く行こうよー!」

 

 もちろん、その声はフィーネには聞こえない。


「まだ朝ご飯が先だよ。」


 ミリアは口元だけで小さく答えた。


「えぇー。」

 

ライトは頬を膨らませる。


「お庭、お庭、お庭!」

 

 その様子が可笑しくて、思わず笑みがこぼれる。


「どうかなさいましたか?」


 フィーネが不思議そうに尋ねる。


「あっ、ううん。今日はいいお天気だなって思って。」


「ええ。本当に気持ちの良い朝ですね。」


 二人は部屋を出て、長い廊下を歩いていく。


 大きな窓から朝日が差し込み、磨き上げられた床がきらきらと輝いている。


 屋敷の中は穏やかな空気に包まれ、使用人たちが静かに朝の支度を進めていた。

 

 やがて食堂へ入ると、父リンフォル、母ミルティア、兄リンタスクがすでに席についていた。


「おはよう、ミリア。」


 父が穏やかに声を掛ける。


「おはようございます、お父様。お母様、お兄様。」


 挨拶をすると、母は嬉しそうに目を細めた。


「今日は本当に顔色がいいわね。」


「昨日よりずっと元気になりました。」


「それを聞いて安心したよ。」

 リンタスクも優しく笑う。


「でも、まだ無理は駄目だからね。」


「はい。」

 

 家族に囲まれた朝食。

 

 それだけなのに、不思議と胸が温かくなる。


 前世では一人暮らしが長く、忙しい朝はパンをくわえて家を飛び出すことも少なくなかった。


 こうして家族みんなで食卓を囲む時間は、いつの間にか遠い思い出になっていた。


「さあ、いただこう。」

 父の言葉で、全員が手を合わせる。


「いただきます。」

 焼きたてのパンに、香り豊かな野菜のスープ。

 ふんわりとしたオムレツに、色鮮やかな果物。

 

 一口食べると、小麦の甘い香りが口いっぱいに広がった。


「おいしい……。」


 思わず漏れた言葉に、母が嬉しそうに微笑む。

「料理長も喜ぶわ。」

 

 その時、窓辺からライトの声が聞こえた。


「いいなぁ……。」

 

 見ると、パンをじーっと見つめている。


「昨日、おやついっぱい食べたでしょ。」

 

 ミリアは誰にも気付かれないよう、小さく唇を動かす。


「パンは別腹!」


「そんな別腹はありません。」


「えぇー!」


 頬をぷくっと膨らませるライト。


 その姿がおかしくて、ミリアは吹き出しそうにな

る。


「ミリア?」

 父が首を傾げた。

「何か面白いことでもあったかい?」


「あ、いえ……。」

 慌てて笑顔を作る。

「パンが、とてもおいしくて。」


「そうか。」

 リンフォルは穏やかに笑った。

「元気に食べられるようになったのなら、それが一番だ。」

 

 その言葉に、ミリアは胸がじんわりと温かくなる。


 病気が治ったことを、こんなにも喜んでくれる人たちがいる。


 その事実だけで、心が少し軽くなった。


 朝食を終え、お茶を飲みながら一息つくと、ミリアは父へ向き直った。

「お父様。」


「どうした、ミリア。」


「今日は、お庭を少し散歩してもよろしいでしょうか。」


 リンフォルは娘の表情を見つめ、穏やかに頷く。

「もちろんだ。ただし、まだ病み上がりだから無理だけはしてはいけないよ。」


「はい!」

 元気よく返事をすると、父も母も兄も笑顔になった。

 

リンフォルはフィーネへ視線を向ける。

「フィーネ。」


「はい、旦那様。」


「ミリアが無理をしないよう、そばで見ていてあげてくれ。」


「かしこまりました。責任を持ってお側にお仕えいたします。」


「よろしく頼む。」


 そのやり取りを聞きながら、ミリアは家族の優しさを改めて感じていた。


 ライトはくるりと宙返りをする。

「やったー!」


 待ちきれない様子で羽をぱたぱたと動かす姿に、ミリアは思わず笑みを浮かべた。


(今日は、どんな景色を見せてくれるんだろう。)

 胸を弾ませながら、ミリアはフィーネとともに庭園へ向かった。


 屋敷を出ると、爽やかな朝の風がミリアの頬を優しく撫でた。


 昨夜降った雨の名残なのだろうか。


 芝生には小さな朝露がきらきらと輝き、色とりどりの花々が朝日を浴びて静かに咲き誇っている。


「わぁ……。」


 思わず声が漏れた。


 昨日も庭へ出たはずなのに、今日の景色はどこか違って見える。


「こっち! こっちだよ!」


 ライトは待ちきれない様子で羽を羽ばたかせながら飛んでいく。


「フィーネ、少しあちらまで歩いてきてもいい?」


「もちろんでございます。」


 フィーネは優しく微笑んだ。


「ですが、お疲れになりましたらすぐにお声がけくださいね。」


「うん。」


 ミリアは小さく頷くと、ライトの後を追った。


 庭園の奥へ進むにつれ、花の香りが少しずつ濃くなっていく。


 鳥たちのさえずりが響き、小川のせせらぎが耳に心地よい。


 まるで庭全体が静かに呼吸をしているようだった。


「着いた!」


 ライトが一輪の花の前でくるりと回る。


「これだよ!」


 ミリアはゆっくりとしゃがみ込んだ。


 そこに咲いていたのは、小さな白い花だった。


 派手さはない。


 けれど朝露をまとった花びらは宝石のように美しく、陽の光を受けて淡く輝いている。


「きれい……。」


 自然とそんな言葉がこぼれた。


「でしょう!」


 ライトは胸を張る。


「この子ね、昨日より元気になったんだ!」


「昨日より?」


「うん!妖精はね、お花や木、それから風や水とお話ができるんだよ。」


ライトはそう言うと、白い花へそっと触れた。


光の粒が指先からふわりとこぼれ落ちる。


すると、朝露をまとった花びらが淡く光り、小さく揺れた。


「……!」

風も吹いていないのに。


まるで花がライトへ返事をしたようだった。


「ほらね。」


 ミリアはもう一度白い花を見つめた。


 もちろん何も聞こえない。


 それでも、不思議と花が嬉しそうに咲いているような気がした。


「この子ね。」


 ライトが優しく続ける。


「昨日まで少し元気がなかったんだ。」


「そうだったの?」


「でも今日はこんなに元気。」


「どうして?」


 その問いに、ライトは空を見上げた。


「人の心ってね、不思議なんだ。」


ライトがそう呟くと、白い花がふわりと揺れた。


「嬉しい気持ちはね、こうして世界にも伝わるんだよ。」


 ミリアは息をのむ。


「じゃあ、悲しい気持ちは?」


 その言葉に、ライトの笑顔が少しだけ曇った。


「悲しみは誰にでもあるよ。」


 優しく答える。


「だけど……悲しい気持ちばかりが増えると、この子たちは少し元気をなくしちゃう。」


ライトは白い花を優しく見つめた。


その声はどこか寂しそうだった。


 ミリアは白い花へもう一度目を向ける。


 前世では、仕事で疲れ、余裕をなくし、人に優しくできなかった日もあった。


 イライラしてしまったこともある。


 もしそんな気持ちが、この世界にも影響を与えるのだとしたら――。


「だからね。」


 ライトはにっこり笑った。


「ボクたち妖精は、人の心を見守ってるんだ。」


「見守る?」


「うん。」


「みんなが笑って暮らせるように。」


 その笑顔は、とても優しかった。


 ミリアは胸の前で手を組む。


 昨日まで、この世界は知らない場所だった。


 帰れないかもしれない。


 そんな不安ばかり考えていた。


 だけど今は違う。


 この世界には、家族がいて。


 フィーネがいて。


 そしてライトがいる。


 守りたいと思える景色が、少しずつ増えている。


「ライト。」


「なぁに?」


「私、この世界のことをもっと知りたい。」


 ライトの瞳がぱっと輝いた。


「本当!?」


「うん。」


「知らないことばかりだから……もっと知りたい。」


「この世界を、少しずつ好きになれたらいいな。」


 その言葉は、自分でも驚くほど自然に口から出ていた。


「えへへ。」


 ライトは嬉しそうに笑う。


「きっとミリアなら大丈夫!」


 その言葉に、ミリアも笑顔になる。


 庭を吹き抜けた風が、白い花を優しく揺らした。


 まるで花も二人の約束を祝福しているかのように。


 遠くからフィーネの声が聞こえる。


「お嬢様、そろそろお戻りになりませんか。」


「はーい!」


 ミリアは元気よく返事をした。


「また来ようね。」


 小さな花へ微笑みかける。


「もちろん!」


その時だった。


白い花の奥。


朝日の中で、その木だけが淡い白銀の光をまとっていた。


「……あ。」


ライトは一瞬だけその木へ視線を向ける。


けれど何も言わず、いつもの笑顔に戻った。


「明日も、その次の日も!」


 二人は並んで屋敷へと歩き始める。


 その背中を、柔らかな朝日が優しく照らしていた。


 この日、ミリアの胸には小さな決意が芽生えた。


 もっとこの世界を知りたい。


 もっと多くの人と出会いたい。


 そして、ライトが笑っていられるこの世界を、私も大切にしたい。


 その想いは、これから始まる新しい毎日への、確かな第一歩となるのだった。


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