第三話「光の妖精 ライト」
眩い輝きに思わず目を閉じる。
まぶた越しに感じる光は、まるで春の日差しが何重にも重なったように優しく温かい。
やがて輝きが静かに収まり、私はゆっくりと目を開けた。
「……わぁ。」
思わず声が漏れた。
目の前には、手のひらほどの小さな妖精がふわりと浮かんでいる。
さらさらと揺れる金色の髪。
透き通るように白い肌。
背中には朝露をまとった蝶のような羽があり、羽ばたくたびに、きらきらと小さな光の粒が舞い落ちる。
その光は床へ落ちる前にふわりと溶け、部屋全体を優しく照らしていた。
まるで絵本から飛び出してきたような、可愛らしい妖精。
だけど、その姿は絵本よりもずっと美しく、生き生きとしていた。
「わぁ……本当に妖精なんだ。」
驚きのあまり、私は口をぽかんと開けたまま固まってしまう。
妖精なんて、おとぎ話だけの存在だと思っていた。
それなのに今、本物が目の前で羽をぱたぱたと動かしている。
ライトは嬉しそうに笑った。
――やっと会えた。
「今日からよろしくね、ミリア!会えて嬉しい。」
そう言うと、いたずらっ子のように片目を閉じて、ぱちんっとウインクする。
「か、かわいい……。」
思わず本音が漏れた。
可愛い。
とにかく可愛い。
絵本で見た妖精なんて比べものにならないくらい愛らしい。
思わず抱きしめたくなるほどだった。
「えへへ♪」
ライトは照れくさそうに頭をかく。
「かわいいって言われちゃった!」
その反応まで可愛い。
私は思わず笑ってしまう。
「ねぇねぇ!」
ライトは私の目の前まで飛んできた。
「ボクのこと見えてる?」
「う、うん!」
「声も聞こえてる?」
「ちゃんと聞こえてるよ!」
「やったぁーー!」
ライトは嬉しそうに部屋中を飛び回る。
「見えてる! 聞こえてる!」
くるくる、くるくる。
まるで踊るように宙を回る姿が可愛らしくて、私もつられて笑顔になる。
しばらく飛び回っていたライトは、急にぴたりと動きを止めた。
「あれ?」
「どうしたの?」
ライトは首を傾げながら私をじっと見つめる。
「……怖くないの?」
「え?」
「普通、人間は妖精を見ると驚くんだ。」
少しだけ寂しそうな笑顔。
「気味悪がられたり、逃げられたりすることもあるんだよ。」
その言葉に、私は胸がきゅっと締め付けられた。
こんなに小さくて可愛いのに。
どうして怖がられるんだろう。
「私は怖くないよ。」
そう答えると、ライトは目を丸くした。
「むしろ……。」
私は優しく笑う。
「会えて嬉しい。」
その一言に、ライトは固まった。
ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返す。
「……ほんと?」
「うん。」
「ボクと友達になってくれる?」
「もちろん。」
答えた瞬間、ライトはぱあっと花が咲いたような笑顔になった。
「やったぁぁぁ!」
勢いよく私の周りを飛び回る。
「初めてだぁ!」
「え?」
「ボクね、人間のお友達ができるの初めてなの!」
「そうなの?」
「うん!」
ライトは嬉しそうに何度もうなずいた。
「だからね!」
ふわりと私の目の前へ降りてくる。
「これからいっぱい遊ぼうね!」
「ふふっ。」
その無邪気な笑顔に、自然と頬が緩む。
「よろしくね、ライト。」
「よろしく!」
ライトは小さな手を差し出した。
私は人差し指をそっと伸ばす。
ライトは嬉しそうにその上へちょこんと座った。
「わぁ……。」
軽い。
本当に羽のようだった。
ほんのりと伝わる温もりは、春の日差しのように優しい。
「触ってもいい?」
「もちろん!」
そっと頭を撫でる。
ふわふわの金色の髪が指の間をさらりと滑った。
「気持ちいい?」
「うん!」
今度は羽へ指を伸ばす。
そっと触れると、絹の布のようになめらかだった。
「きゃっ!」
ライトが小さく身をよじる。
「くすぐったいよぉ!」
「あっ、ごめん!」
「えへへ!」
二人で顔を見合わせて笑った。
出会ったばかりのはずなのに、不思議と緊張はない。
昔から一緒にいた友達のような、そんな安心感が胸いっぱいに広がっていく。
するとライトは、ふと窓の外へ目を向けた。
穏やかな風が庭の花々を揺らしている。
その景色を見つめながら、ライトの表情が少しだけ真剣になった。
「ミリア。」
「うん?」
「早速だけど、お願いがあるんだ。」
いつもの明るい声とは少し違う。
私は自然と姿勢を正した。
「お願い?」
ライトは小さく息を吸い込む。
けれど次の瞬間、何かを飲み込むように口を閉じた。
「……やっぱり。」
視線を伏せ、小さく首を振る。
「まだ言えない。」
「え?」
「ミリアがもっと大きくなったら、その時にお願いするね。」
「どうして?」
ライトは困ったように笑う。
「約束だから。」
「誰との?」
一瞬だけ、ライトの笑顔が揺らいだ。
けれど、すぐにいつもの元気な笑顔へ戻る。
「それも秘密!」
「もう、ライトったら。」
私は苦笑しながら肩をすくめる。
「秘密ばっかり。」
「えへへ!」
そう笑うライトの瞳の奥に、ほんの少しだけ寂しさが宿っていたことに、この時の私はまだ気付いていなかった。
「もう、ライトったら。」
私が笑うと、ライトも照れくさそうに笑い返した。
「でもね!」
さっきまでの少し寂しそうな表情はどこへ行ったのか、ライトはぱっと笑顔になる。
「ミリアとお話しできて、本当に嬉しい!」
羽をぱたぱたと羽ばたかせながら、部屋の中を元気よく飛び回る。本棚の上、窓辺、カーテンレールの近くと興味津々にあちこちを見回しては、
「わぁ!」「すごーい!」「これ、全部ミリアのお部屋?」と、目を輝かせている。
「そうよ。」
「広いねぇ!」
金色の髪がふわりと揺れ、そのたびに光の粒が部屋いっぱいへ舞い散る。
まるで小さな星が踊っているみたいだった。
そんなライトを眺めていると、ふと机の上へ視線が向いた。
「あーーーーーっ!!」
突然の大声に、私は肩をびくっと震わせる。
「ど、どうしたの!?」
「おいしそうーーー!!」
ライトが一直線に飛んでいった先には、おやつの載った銀のお皿があった。
病み上がりの私のために料理長が用意してくれた、午後のおやつだ。
小さな焼き菓子に、木の実のタルト。
りんごを優しく煮込んだ甘煮。
そして、ふわふわのスポンジに生クリームを添えた、小さなケーキ。
ライトは目をきらきら輝かせている。
「ねぇねぇ!」
くるりと振り返る。
「あれ、食べてもいい?」
その顔があまりにも期待に満ちていて、思わず笑ってしまった。
「もちろん。」
「やったぁぁーーー!」
勢いよく飛びつくライト。
焼き菓子を両手で抱えると、
「いただきまーす!」
さくっ。
「おいしいーー!」
次はタルト。
「これも甘い!」
さらにケーキ。
「ふわふわだぁ!」
あっという間にお皿の上が減っていく。
「そんなに食べて大丈夫?」
「だいじょうぶ!」
もぐもぐしながら元気よく答える。
「妖精はね、いっぱい食べても平気なんだよ!」
「本当に?」
「うん!」
胸を張るライト。
「魔力をいっぱい使うと、お腹がぺこぺこになるの!」
「へぇ……。」
妖精にもそんな仕組みがあるんだ。
私は感心しながら眺める。
するとライトの鼻先に、生クリームがちょこんと付いた。
「あっ。」
「?」
「ライト、動かないで。」
私はハンカチを取り出し、そっと鼻先を拭いた。
「取れた。」
「えへへ……。」
少し照れくさそうに笑うライト。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
その笑顔が可愛くて、また笑ってしまう。
「あと一枚だけ!」
ライトは焼き菓子へ手を伸ばす。
「さっきも最後って言ってなかった?」
「これは本当に最後!」
「本当?」
「……たぶん。」
「たぶん?」
二人で顔を見合わせて笑った。
結局、「最後」が何回も続き、お皿はすっかり空っぽになってしまう。
「ふぅ〜。」
ライトは満足そうにお腹をぽんぽんと叩いた。
「お腹いっぱい〜。」
「全部食べちゃったね。」
「ごちそうさまでした!」
ぺこりと頭を下げる姿は、とても礼儀正しい。
私はくすっと笑った。
「料理長に伝えたら、きっと喜ぶわ。」
「また食べたい!」
「ふふっ。」
ライトは幸せそうに目を細める。
その直後だった。
「ふぁぁぁ……。」
大きなあくび。
「ライト?」
「なんだか……急に……。」
羽ばたきが少しずつゆっくりになっていく。
「眠く……。」
そのまま空中でくるんっと丸くなると、ふわふわと私のベッドへ降りていった。
「えっ?」
枕へちょこんと着地する。
「おやすみぃ……。」
数秒後には、小さな寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃった……。」
私は思わず吹き出す。
「本当に自由なんだから。」
その寝顔を眺めていると、自然と頬が緩んでしまう。
こんなに無邪気で可愛い存在が、この世界にはいるんだ。
そう思った、その時だった。
――パリンッ!
突然、部屋の中へガラスが弾けるような音が響いた。
「えっ!?」
私はあまりに驚いて、大きな声を出して立ち上がった。
窓は割れていない。
花瓶も落ちていない。
それなのに、確かに何かが割れた音がした。
「何……?」
周囲を見回した瞬間。
「お嬢様!」
勢いよく扉が開き、フィーネが部屋へ飛び込んできた。
「どうされましたか!? お怪我はございませんか?」
私は反射的にベッドへ目を向ける。
ライトは枕の上ですやすやと気持ちよさそうに眠っている。
一方、フィーネは部屋を見回しながら、首をかしげていた。
どうやらライトの姿は見えていないようだった。
(よかった……。)
胸をなで下ろしたものの、次の瞬間には別の問題に気付く。
(どう説明しよう……。)
頭の中で必死に言い訳を探す。
「あ、あのね……。」
しどろもどろになりながら部屋を見回す。
すると窓際を一匹の小さな虫が飛んでいるのが目に入った。
「む、虫!」
「虫……ですか?」
「そうなの! 急に飛んできて、びっくりしちゃって!」
フィーネは窓辺へ歩いていき、部屋の隅々まで丁寧に見回した。
「確かに小さな虫がおりますね。」
「ほ、本当?」
「はい。すぐに逃がしますので、ご安心ください。」
フィーネは窓を少し開け、優しく手で誘導すると、虫はふわりと外へ飛んでいった。
「これでもう大丈夫ですよ。」
「ありがとう……。」
ほっと息をつく私に、フィーネは優しく微笑む。
「まだ本調子ではありませんから、少しのことでも驚いてしまいますよね。」
そう言うと、私の額へそっと手を当てた。
「熱もありませんね。」
「ごめんなさい、驚かせちゃって。」
「謝ることではありません。」
フィーネは柔らかく首を振る。
「何かございましたら、遠慮なくお呼びください。」
「うん。」
一礼すると、フィーネは静かに部屋を後にした。
扉が閉まる音を聞き届けると、私はその場へぺたりと座り込む。
「はぁぁぁ……。」
大きく息を吐く。
「ごまかせたぁ……。」
心臓はまだどきどきしていた。
その時だった。
「ふぁぁぁ……。」
小さなあくびが聞こえる。
振り向くと、ライトが眠そうに目をこすりながら起き上がっていた。
「あっ、ライト。」
「ボク……寝ちゃってた?」
「ぐっすりね。」
ライトは辺りを見回し、突然顔色を変えた。
「あーーーーっ!!」
「えっ!? またどうしたの?」
「もしかして……防音魔法、切れちゃった?」
「防音魔法?」
ライトは羽をぱたぱたさせながら慌てて飛んでくる。
「ボクね、人間に見えないようにする魔法と、お話ししている声が外へ聞こえないようにする防音魔法を使ってたんだ!」
「えっ!」
「でも、お腹いっぱいになって寝ちゃうと……魔力が切れちゃうことがあるの……。」
申し訳なさそうに羽をしょんぼり垂らす。
「それで、さっきの音は?」
「防音魔法が消えた音……だと思う。」
「そうだったの。」
私は思わず苦笑する。
「フィーネがすごく心配して飛んできたのよ。」
「うぅ……。」
ライトは肩を落とした。
「ごめんなさいなの……。」
今にも泣き出しそうな顔を見ていると、怒る気なんて起きなかった。
私はそっとライトの頭を撫でる。
「もう大丈夫。」
「ほんと?」
「ええ。でも次からは、おやつを食べすぎないこと。」
「うっ。」
「それから、食べたらすぐ寝ないこと。」
「が、がんばる!」
ぴしっと敬礼するライト。
その真剣な顔が可笑しくて、私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ。」
「笑ったぁ!」
「だって、ライトって本当に可愛いんだもの。」
ライトは照れたように頬をぽりぽりとかく。
「えへへ……。」
しばらく二人で笑っていると、ふと疑問が浮かんだ。
「ねぇ、ライト。」
「なぁに?」
「妖精って、みんなこんな感じなの?」
「んー。」
ライトは腕を組んで考え込む。
「食いしん坊なのは……ボクだけかも!」
「やっぱり。」
二人で声を上げて笑う。
「でもね!」
ライトは胸を張った。
「妖精は魔法を使うと魔力をいっぱい使うんだ!」
「だから、お腹が空くの?」
「そう!」
「それで眠ると元気になる?」
「うん!」
なるほど、と私は頷く。
人間が疲れたら眠るように、妖精にも妖精なりの身体の仕組みがあるんだ。
この世界は本当に不思議で、知れば知るほど面白い。
「あっ!」
ライトが何かを思い出したように羽を広げる。
「明日の朝、お庭へ行こう!」
「お庭?」
「うん!」
瞳をきらきらと輝かせる。
「ミリアに見せたいものがあるんだ!」
「何かしら?」
「それは秘密!」
「また秘密?」
「えへへ!」
悪戯っぽく笑うライト。
「絶対にびっくりするから!」
そこまで言われると気になって仕方がない。
「じゃあ、フィーネに聞いてみるね。」
「やったぁ!」
ライトは嬉しそうに部屋中を飛び回る。
きらきらと舞う光を見上げながら、私は自然と笑顔になっていた。
昨日までは、何もかもが分からなくて不安だった。
突然始まった新しい人生。
前世の記憶を思い出し、戸惑うことばかりだった。
でも今日、小さな友達ができた。
無邪気で、食いしん坊で、少しおっちょこちょいだけれど、とても優しい妖精。
ライトと一緒なら、この世界のことをもっと知りたい。
もっと歩いてみたい。
もっと笑ってみたい。
そんな気持ちが胸いっぱいに広がっていく。
窓の外では、夕暮れの優しい風が庭の花々を揺らしていた。
明日の朝には、どんな景色が待っているのだろう。
その答えを思うだけで、胸がわくわくと弾む。
「おやすみ、ライト。」
「うん! おやすみ、ミリア!」
小さな笑顔が返ってくる。
こうして私とライトの物語は、静かに動き始めた。
それは、まだ誰も知らない、小さな奇跡の始まりだった。




