第二話 新たな出会い
扉が静かに開いた。
部屋へ入ってきた少女は、ベッドの上で身体を起こしている私を見るなり、大きく目を見開く。
「ミリア様……!」
震えた声とともに駆け寄ってくる。
その姿を見た瞬間、自然と名前が浮かんだ。
(フィーネ……。)
私専属の侍女。
幼い頃からずっと私の身の回りの世話をしてくれている、大切な存在。
「フィーネ、おはよう。」
そう声をかけると、フィーネはほっと息をついた。
「ミリア様、おはようございます……。」
笑おうとしているのに、その瞳には涙が滲んでいる。
何かを堪えるように唇を噛みしめながら、私の傍へ膝をついた。
「お加減はいかがですか? 頭は痛みませんか? 気分は悪くありませんか?」
「うん、大丈夫だよ。」
「本当に……?」
何度も私の顔を覗き込み、そっと額へ手を当てる。
ひんやりとした手が心地よい。
けれど、その手は小さく震えていた。
「熱は……もう下がっていらっしゃいます。」
安心したように呟いた次の瞬間、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「フィーネ……?」
「申し訳ございません……。」
慌てて涙を拭うが、次から次へと溢れてくる。
「昨日、お嬢様が突然倒れられた時は、本当にどうしたらいいのか分からなくて……。」
声が震えていた。
「お医者様をお呼びしても原因が分からず、お嬢様は高い熱を出されたまま眠り続けて……。」
その様子を思い出したのだろう。
フィーネは俯いたまま、小さく肩を震わせた。
「もう目を覚ましてくださらないのではないかと……本当に怖かったんです。」
胸が締めつけられる。
私はゆっくりと手を伸ばし、フィーネの手を包み込んだ。
「心配かけて、ごめんね。」
「いいえ……!」
フィーネは勢いよく首を振る。
「謝らないでください。」
涙で濡れた瞳のまま、私を見つめる。
「こうしてお話しできるだけで、それだけで十分なんです。」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
ミリアの記憶が静かによみがえる。
幼い頃、熱を出した私の看病をしてくれたこと。
一緒に庭を散歩したこと。
本を読んでもらいながら眠った夜。
楽しかった思い出が、次々と心へ浮かんできた。
フィーネは侍女だけではない。
私にとって家族のような存在なのだ。
「ありがとう。」
自然と口から言葉がこぼれた。
その瞬間、フィーネは驚いたように目を丸くする。
「お嬢様……?」
「え?」
「ありがとうございます、と言っていただけるなんて……。」
「あっ……。」
しまった。
前世では当たり前に言っていた言葉だった。
でも幼いミリアは、素直に口にすることが少なかったのかもしれない。
少し焦りながら笑ってみせる。
「倒れて、いろいろ考えたの。」
その一言に、フィーネは優しく微笑んだ。
「そうでございますか。」
それ以上は何も聞かず、小さく頭を下げる。
そんな気遣いが嬉しかった。
「旦那様と奥様にも、すぐご報告してまいります。」
「お父様とお母様は……。」
「お二人とも、お嬢様のお部屋の近くでお休みになられております。」
「えっ?」
「一晩中、お側を離れようとなさいませんでした。」
その言葉に息を呑む。
「旦那様は何度もお医者様へ容体を尋ねられ、奥様はお嬢様のお手を握ったまま朝を迎えられたのです。」
目頭が熱くなる。
私はほんの数時間眠っていただけの感覚だった。
だけど家族にとっては、とても長く、不安な時間だったのだ。
「すぐにお呼びしてまいります。」
フィーネは一礼すると、急ぎ足で部屋を出ていった。
閉まった扉を見つめながら、私は静かに息を吐く。
昨日の出来事を思い返す。
お父様が久しぶりに早く帰ってくる。
その知らせを聞いて嬉しくなり、玄関へ駆け出した。
だけどその途中で、前世の記憶が一気によみがえり、そのまま意識を失った。
馬車にぶつかったわけでもない。
誰かに襲われたわけでもない。
二つの人生が重なった衝撃に、身体が耐えきれなかったのだ。
「みんな……心配したよね。」
申し訳なさが込み上げる。
それと同時に、胸の奥が温かくなる。
私のために泣いてくれる人がいる。
私のために眠れない夜を過ごしてくれる人がいる。
その姿に、前世のお父さんとお母さんが重なった。
伝えられなかった想いが胸の奥から込み上げてくる。
もう二度と、謝ることも、親孝行をすることもできない。
だからこそ――。
私はゆっくりと胸の前で手を握る。
「今度こそ……。」
小さく呟いた、その時だった。
廊下から慌ただしい足音が近づいてくる。
「「ミリア!」」
勢いよく扉が開き、お父様とお母様が部屋へ飛び込んできた。
お母様は、私の姿を見るなり――
「ミリア……!」
次の瞬間、私は優しく抱きしめられていた。
花のような優しい香りに包まれる。
「目を覚ましてくれて……本当に、本当に良かった……。」
肩が小さく震えている。
泣いているんだ。
そんなお母様の背中を、私はそっと撫でた。
「お母様……心配かけてごめんなさい。」
その言葉に、お母様は何度も首を横に振る。
「謝らなくていいの。あなたが無事なら、それだけで十分なのよ。」
その優しい声に、胸が熱くなる。
少し遅れて、お父様もベッドの傍まで歩み寄ってきた。
いつもは堂々としていて、どっしり構えているお父様。
そんな人が今は安堵したように目を細めていた。
「目が覚めたか、ミリア。」
「はい、お父様。」
その一言だけで、お父様は力が抜けたように大きく息を吐いた。
「本当に……良かった。」
普段は感情をあまり表に出さない人だからこそ、その短い言葉に込められた想いが伝わってくる。
その後ろから、お医者様が静かに前へ出た。
「それでは、診察をさせていただきます。」
私は素直に頷いた。
脈を測り、瞳を確認し、熱を測る。
一つひとつ丁寧に診察を終えた医師は、にこりと微笑んだ。
「熱も下がっておりますし、脈も安定しております。もう心配はいりません。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
「ありがとうございます……。」
お母様は胸の前で手を組み、深く頭を下げた。
お父様も静かに頭を下げる。
「先生、本当にありがとうございました。」
「いえ。今日はまだ安静になさってください。食欲があり、お熱がぶり返さなければ問題ないでしょう。」
「承知いたしました。」
医師は穏やかに一礼すると、フィーネと共に部屋を後にした。
扉が閉まると、お母様は再び私の手を握る。
「昨日から何度もあなたの名前を呼んでいたのよ。」
「え……?」
「返事がなくて……とても怖かった。」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「私は……。」
何と言えばいいのか分からない。
転生したことも、前世の記憶が戻ったことも話せない。
ただ、申し訳なさだけが込み上げてくる。
「ごめんなさい。」
ぽつりと呟くと、お父様が優しく私の頭を撫でた。
「謝る必要はない。」
大きく温かな手。
「生きていてくれた。それだけで十分だ。」
その言葉を聞いた瞬間、涙があふれた。
前世でも、お父さんとお母さんは同じように私を大切に育ててくれた。
だけど私は仕事ばかりを優先してしまった。
忙しい。
疲れている。
その言葉を言い訳にして、大切な時間を後回しにしてきた。
母から届いた、
『ご飯でも食べに来ない?』
という何気ないメッセージ。
父からの、
『元気か?』
という短い電話。
私はいつも、
『また今度ね。』
そう返していた。
"また今度"は、必ず来るものだと思っていた。
だけど、その日は来なかった。
事故は突然で、謝る時間も、恩返しをする時間も残されていなかった。
(お父さん……お母さん……。)
心の中でそっと謝る。
もう会えない。
それは変わらない。
だけど、今の私には新しい家族がいる。
目の前で涙を流してくれるお母様。
不器用だけれど、誰よりも私を大切に想ってくれているお父様。
この人たちまで悲しませるわけにはいかない。
(今度こそ、大切な人を大切にしよう。)
その決意は、前世では叶えられなかった願いでもあった。
私は涙を拭き、笑顔を向ける。
「お父様、お母様。」
「どうしたの?」
「これからは、もっとたくさんお話ししたいです。」
二人は少し驚いたように顔を見合わせた。
けれど次の瞬間、優しく微笑む。
「もちろんよ。」
「いつでも付き合おう。」
その笑顔が嬉しくて、私も自然と笑顔になった。
しばらく談笑したあと、お母様が布団を整えながら言う。
「今日はまだ無理をしてはいけません。」
「でも、もう元気ですよ?」
「それでも駄目です。」
きっぱりと言われ、思わず苦笑する。
「もう少しだけ、おとなしくしていなさい。」
「はーい。」
素直に返事をすると、お父様も笑った。
「その方が安心できる。」
二人は何度も私の顔を見てから、ようやく安心したように部屋を後にした。
部屋が静かになると、私は小さく伸びをする。
「たくさん寝たから、全然眠くないなぁ……。」
ぼんやり天井を見つめていると、扉の外で待機していたフィーネが顔を覗かせた。
「ミリア様、お呼びでしょうか?」
「あ、フィーネ。」
私は少し考えてから、にっこりと笑う。
「お願いがあるんだけど。」
「はい。何なりとお申し付けください。」
「本を読みたいの。」
その一言に、フィーネはきょとんと目を丸くした。
「本……でございますか?」
「うん。」
「どのような本をご用意いたしましょう?」
私は少しだけ考えてから答えた。
「この世界のことが知りたいの。」
「この世界……ですか?」
「タルトミア王国のことや、周りの国のこととか。いろいろ読んでみたいな。」
フィーネは驚いたように何度も瞬きを繰り返した。
「ミリア様が、そのようなお勉強の本をご希望になるなんて……。」
「そんなに変?」
「いえ……。」
フィーネはくすりと笑う。
「普段のお嬢様でしたら、『難しい本は眠くなってしまいます』とおっしゃって、絵本や物語ばかり読まれていましたので。」
「あはは……。」
思わず苦笑いがこぼれる。
前世では、本を読むことが好きだった。
だから、今の私には難しい本も苦ではない。
「かしこまりました。図書室から何冊かお持ちいたします。」
「ありがとう。」
フィーネは嬉しそうに微笑むと、一礼して部屋を出ていった。
一人になった私は窓の外を眺める。
青く澄んだ空。
風に揺れる木々。
聞こえてくる小鳥たちのさえずり。
(この世界のことを知らなきゃ。)
どうして私は転生したのだろう。
何のために、この世界へ来たのだろう。
答えはまだ分からない。
でも、焦る必要はない。
まずは、この世界を知ること。
それが第一歩だ。
そう考えていると、フィーネが数冊の本を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました。」
「ありがとう!」
嬉しくなって手を伸ばす。
しかし、その手前で本が止まった。
「申し訳ありません。」
「えっ?」
「まずは昼食を召し上がってください。」
「えぇ~……。」
思わず頬を膨らませる。
そんな私を見て、フィーネは少し困ったように笑った。
「すでにお食事を料理長がご用意しております。」
「そうなんだ。」
「お医者様からも、今日は無理をなさらないよう申しつかっておりますので。」
「……うん。」
素直に頷くと、フィーネはほっとしたような表情を浮かべた。
しばらくすると、銀の盆に料理が運ばれてくる。
湯気を立てる優しい香りに、思わずお腹が鳴った。
「ふふっ。」
フィーネが小さく笑う。
「今日は、やわらかく煮込んだ野菜と鶏肉のスープでございます。病み上がりのお身体に負担がかからないよう仕上げました。」
「おいしそう……。」
どれも病み上がりの私の身体を気遣った料理ばかりだった。
「いただきます。」
スープを一口飲む。
優しい野菜の甘みが口いっぱいに広がり、冷えていた身体へじんわりと染み渡っていく。
「おいしい……。」
思わず笑みがこぼれた。
「料理長もきっと喜びます。」
フィーネも嬉しそうに微笑む。
柔らかなパンをスープへ浸して食べると、それもまた美味しい。
前世で風邪を引いた時、お母さんがおかゆを作ってくれたことを思い出した。
(どこの世界でも、家族って同じなんだな……。)
そんなことを考えながら、私はゆっくりと昼食をいただいた。
◇ ◇ ◇
食後、少し休憩してから、ようやく本を開く。
まず目に入ったのは、タルトミア王国について書かれた一冊だった。
豊かな森と清らかな川に囲まれた自然豊かな王国。
農業や酪農が盛んで、人々は四季折々の恵みに感謝しながら暮らしている。
陶芸や織物などの工芸品も有名で、遠くの国からも多くの商人が訪れるらしい。
「素敵な国なんだ……。」
さらにページをめくる。
周囲には山岳地帯を抱える国や、大きな湖のある国、交易が盛んな港町を持つ国など、さまざまな国が存在していた。
そこでは人族だけでなく、獣人族やエルフ族など、多くの種族が共に暮らしているという。
「本当にファンタジーの世界なんだ。」
胸が少し高鳴る。
すると、一つの文章が目に留まった。
『人々は魔力を生活の中で活用している。』
「魔力……。」
私は思わず呟いた。
ミリアの記憶にも、魔法は当たり前のように存在していた。
「私にも使えるのかな。」
誰にも聞こえないよう、小さく呟く。
右手を前へ突き出す。
「ファイア!」
…………。
何も起こらない。
「ウォーター!」
しーん。
「ウィンド!」
やっぱり駄目。
「うぅ……。」
肩を落としながら、今度は両手を前へ出してみる。
「お願いだから、一回だけでも出てきて。」
じっと待つ。
…………。
「やっぱり駄目かぁ。」
思わず苦笑いを浮かべた、その時だった。
「名前をくれたら、会えるよぉ♪」
「えっ!?」
幼い子どものような可愛らしい声が聞こえた。
慌てて辺りを見回す。
すると足元で、小さな淡い光がふわりと浮かんでいた。
蛍のように優しく揺れる光。
恐る恐る人差し指を伸ばすと、その光は逃げることなく、ちょこんと指先へ乗った。
ほんのり温かい。
春の日差しのような、優しいぬくもりだった。
「あなたが、お話ししてたの?」
「そうだよぉ♪」
光が嬉しそうに揺れる。
「でもね、まだ姿は見せられないんだ。」
「どうして?」
「まだ名前がないから!」
名前……。
私は光をじっと見つめた。
柔らかくて、温かくて、見ているだけで心が落ち着く光。
「ピカピカ光ってるし……。」
自然と笑みがこぼれる。
「ライト。」
その瞬間だった。
「わぁい!」
光が嬉しそうに跳ね回る。
「今日からボクはライトだね!」
ぱっと眩しい光が部屋いっぱいに広がる。
花びらのような光が舞い、その中心から、小さな人影がゆっくりと姿を現した。
金色の髪。
透き通る羽。
手のひらほどの小さな妖精が、満面の笑みで私を見つめていた。
「はじめまして、ミリア!」
「ボクは光の妖精、ライト!」
私は驚きながらも、自然と笑顔になる。
「はじめまして、ライト。」
その言葉を聞いたライトは、くるりと宙返りをした。
「これで契約成立だね!」
小さな手が差し出される。
私はそっと人差し指を伸ばした。
指先が触れ合った瞬間、柔らかな光が二人を優しく包み込む。
胸の奥まで温かくなるような、不思議な感覚だった。
――こうして私は、この世界で初めて妖精と出会い、光の妖精ライトと契約を結んだのだった。




