第三十五話 六人の合同演習
王立学院の演習場は、いつもの演習日とは違う緊張感に包まれていた。
三つの山がすっぽり収まりそうなほど広大な演習場の周囲には、複数の結界が張られている。
教師たちはそれぞれ持ち場につき、演習場の各所では魔道具の最終確認が行われていた。
今日は、待ちに待った合同演習の日。
高等部と中等部、それぞれの代表生徒が集まり、実戦を想定した特別演習を行う。
その中でも、今回六人で組むことになったミリアたちは、演習場の入口で集合していた。
「……いよいよですね」
ミリアは演習場の奥を見つめ、小さく息を吐いた。
隣では、リンタスクが腕を組みながら周囲を見渡している。
「普段の演習とは、やっぱり雰囲気が違うな」
「そうですね」
エレノアも頷いた。
少し離れたところでは、サーラが緊張した様子で何度も手を握ったり開いたりしている。
「大丈夫ですか?」
ミリアが声をかけると、サーラは慌てて顔を上げた。
「……大丈夫です!」
そう答えたものの、声には少しだけ緊張が滲んでいる。
「本格的な合同演習ですもの。緊張するのは当然ですよ」
エレノアが優しく声をかける。
「……ありがとうございます」
サーラがほっとしたように笑った。
その様子を見ながら、ミリアも小さく笑う。
――本当に、始まるんだ。
十日前。
クラウスから合同演習について説明を受けてから、六人で何度も訓練を重ねてきた。
それぞれの得意属性。
魔力の使い方。
攻撃と防御の切り替え。
そして、仲間の魔法に合わせるためのタイミング。
何度も繰り返した。
けれど――。
今日が、本番だ。
「ミリア」
不意に名前を呼ばれ、振り返る。
「はい?」
そこにはレオナードが立っていた。
「緊張している?」
「少しだけ……」
「ふふ。僕も少し緊張しているよ」
「えっ?」
意外な言葉に、ミリアが目を丸くする。
「レオナード様もですか?」
「ああ。実戦形式で六人をまとめるのは、僕にとっても初めてだからね」
そう言って、レオナードは穏やかに笑った。
「でも、十日間一緒に訓練してきただろう? きっと大丈夫だよ」
「……はい!」
ミリアが嬉しそうに頷く。
「それに、ミリアの光魔法には期待しているよ」
「私の……?」
「うん。特に魔力の感知は、今回の演習では大きな助けになると思う」
「ありがとうございます!」
ミリアの表情がぱっと明るくなった。
――その少し離れた場所。
ロナルドは二人の様子を静かに見ていた。
「…………」
隣を漂っていたシルビィが、楽しそうにロナルドの顔を覗き込む。
『ロナルドー?』
「……なんだ」
『なんか、顔こわいですね』
「普通だ」
『鏡見ますか?』
「いらない」
ロナルドはそう言いながら、視線をミリアへ戻した。
レオナードと話すミリアは、とても楽しそうだった。
別に、それが嫌なわけではない。
レオナードはミリアと同じ光属性。
今回の演習でも、魔法の使い方について教える場面は多いだろう。
それは分かっている。
分かっているのだが――。
「……」
なぜか、少しだけ面白くない。
『ふーん』
「……シルビィ」
『何か?』
「何も言うな」
『顔が怖いとしか言ってないですよ?』
シルビィは楽しそうに笑った。
その一方で。
「ロナルド様」
今度はミリアのほうから声をかけた。
ロナルドが振り返る。
「どうした?」
「今日はよろしくお願いします!」
「ああ。こちらこそ」
ミリアはにこりと笑った。
その笑顔を見て、ロナルドの表情も自然と和らぐ。
「……ミリアも、無理はするな」
「はい!」
そのやり取りを見ていたサーラが、少しだけ目を丸くする。
そして――。
「ロナルド殿下」
「ん?」
「今日も、闇魔法の使い方……見せていただきますね?」
サーラが少し遠慮がちに尋ねた。
「ああ。よろしく頼む!」
「何かあれば遠慮なく指摘させてもらいますね!」
サーラは、笑顔で答える。
「サーラ嬢のように闇属性を上手に扱えるようになるよう頑張りたいと思っている」
「私の使い方が、必ずしも正解とは限りませんよ。ロナルド殿下には、ロナルド殿下に合った使い方があると思います」
「あぁ……参考にさせてもらう」
その会話を聞いていたミリアは、なぜか少しだけ胸の奥がざわついた。
――サーラ先輩に、すごく丁寧に教えてもらってるんだなぁ……。
自分でも不思議だった。
別に、嫌なわけではない。
ロナルドが教えてもらうのも当然だと思う。
それなのに――。
「……」
ミリアは無意識に頬を膨らませた。
その肩に、ライトがふわりと浮かぶ。
『ミリアー?』
「……なに?」
『なんか、むーってしてる?』
「してないよ」
『してるよー?』
「してないってば」
ライトが首を傾げる。
その様子を見ていたエレノアが、くすりと笑った。
「ミリアさん?」
「は、はい?」
「もうすぐ始まりますよ」
「……はい!」
ミリアは慌てて表情を戻した。
――そのとき。
「全員、集合!」
演習場の中央から、クラウスの声が響いた。
六人が一斉にそちらへ向く。
クラウスの前には、今回使用する地図と魔道具が用意されていた。
「これより、合同演習について最終確認を行う!」
生徒たちの間に静寂が広がる。
ミリアたち六人も、自然と背筋を伸ばした。
いよいよ――。
合同演習が始まる。
クラウスは全員を見渡し、静かに口を開いた。
「今回の演習では、演習場内に配置された複数の結界石を、順番に起動していく」
その言葉に、ミリアは地図へ視線を落とした。
六つの結界石。
それぞれ異なる属性を示すように配置されている。
「制限時間内に、より多くの結界石を起動させた班ほど高く評価する。ただし――」
クラウスの声が低くなる。
「安全を最優先とすること。無理な単独行動は禁止だ」
「はい!」
六人の声が重なった。
ミリアは地図を見つめながら、ゆっくりと息を吸う。
十日間の訓練で積み重ねてきたものを――。
今日、実戦で試す。
隣を見ると、ロナルドも静かに地図を見つめていた。
その向こうにはレオナード。
リンタスク、エレノア、サーラ。
五人の仲間がいる。
そして――。
「……フェイル様も、見てくれているかな」
ミリアが小さく呟いた。
フェイル様は今、ウィクルド王国へ戻っている。
今回の合同演習には参加できない。
少しだけ寂しい。
けれど。
「戻ってきたときに、びっくりするくらい頑張ろう」
ミリアが笑う。
その言葉に、ロナルドが頷いた。
「ああ。フェイルに自慢できるくらいにな」
「はい!」
六人は互いに顔を見合わせた。
――そして。
合同演習の開始を告げる鐘が、演習場いっぱいに鳴り響いた。
カーン――。
クラウスの合図とともに、演習場へ続く門がゆっくりと開いていく。
「それでは、開始!」
その声を受け、六人は一斉に走り出した。
演習場は広大だ。
見渡す限りの草原が広がり、その先には木々が生い茂る森が見える。
地図によれば、最初の結界石は森へ入る手前。
まずは、そこを目指す。
「先頭は俺が行く」
リンタスクが一歩前へ出る。
「頼むよ、リンタスク。周囲の警戒もお願いする」
「ああ」
リンタスクが頷き、少し先を進んでいく。
その後ろをサーラ、ミリア、エレノア、ロナルド、レオナードの順に続く。
「後方は僕が見るよ」
レオナードが言うと、ロナルドが振り返った。
「レオナード殿、俺も後方を警戒します」
「分かった。頼りにしているよ」
「はい!」
六人は一定の距離を保ちながら、慎重に進んでいく。
しばらくすると、サーラがロナルドへ声をかけた。
「ロナルド殿下」
「はい?」
「先ほどお話しした闇魔法の使い方ですが……実際に使ってみましょうか」
「お願いします」
ロナルドが素直に頷く。
サーラは少し嬉しそうに笑った。
「闇属性は、攻撃だけではありません。魔力の広げ方を少し変えるだけで、相手の視界を遮ったり、気配を隠したりできます」
「なるほど……」
「例えば――」
サーラが手をかざす。
足元に薄い闇が広がり、周囲の草木に溶け込むように消えていく。
「こうです」
「……すごいですね」
ロナルドは目を細め、サーラの魔力の流れを観察する。
「魔力を広げているのに、ほとんど気配がありませんね」
「そうなんです。広げすぎると魔力を余計に消費してしまうので、必要な場所だけに絞るのがコツです」
「分かりました。やってみます」
ロナルドも手を前へ伸ばした。
自分の魔力を慎重に流していく。
足元から黒い影が広がった。
「……ここまで、ですか?」
「ええ。今の範囲なら十分だと思います」
「ありがとうございます」
「いえ。私もロナルド殿下の魔法から学ばせてもらうつもりです」
そんな二人のやり取りを、少し前を歩いていたミリアがちらりと振り返って見ていた。
「……」
『ミリアー?』
「……なに?」
『また、むーってしてる?』
「してないよ」
『してるよー?』
「してないってば」
ライトがくすくすと笑う。
ミリアは慌てて前を向いた。
――別に、気にしているわけじゃない。
サーラ先輩は闇属性の先輩なのだから、ロナルドが教えてもらうのは当然だ。
そう思っているのに。
なぜか、少しだけ面白くない。
「ミリア」
今度は前方から声がした。
「はい?」
顔を上げると、レオナードがこちらを見ていた。
「さっきから魔力を探っているんだろう?」
「はい」
「どうかな?」
「今のところ、魔物らしい魔力は感じません」
「そうか。無理に広い範囲まで探らなくても大丈夫だよ」
レオナードは歩みを緩め、ミリアの隣へ並ぶ。
「魔力感知は、広げればいいというものではないからね。必要なときに集中して探ることが大切だ」
「なるほど……」
「ミリアなら、きっとすぐに感覚を掴めるよ」
「はい!」
ミリアが嬉しそうに頷く。
不意にミリアが足を止めた。
「……待ってください」
全員が一斉に立ち止まる。
「どうした?」
レオナードが尋ねる。
ミリアは目を閉じ、周囲へ意識を集中させた。
風が草を揺らす音。
木々の葉が擦れる音。
仲間たちの魔力。
そして――。
「……前方に、何かいます」
ミリアが目を開く。
「魔力が……三つ」
リンタスクが前へ出た。
「距離は?」
「近いです。こちらへ向かっています!」
その瞬間。
草むらが大きく揺れた。
「来るぞ!」
リンタスクが叫ぶ。
次の瞬間、三体の魔物が草むらから飛び出してきた。
狼のような姿。
だが、普通の狼よりも一回り大きい。
「グルルル……!」
「フォレストウルフか」
ロナルドが身構える。
「三体なら、問題ない!」
リンタスクが地面へ手をかざした。
「水よ!」
地面から水流が噴き上がり、先頭の魔物の足元へ絡みつく。
「ギャウッ!」
動きを止められた魔物へ、ミリアが光魔法を構える。
「ミリア、今だ!」
レオナードの声が飛ぶ。
「はい!」
ミリアが手を前へ突き出す。
「光よ!」
淡い光の弾が一直線に飛び、魔物を捉えた。
「ギャウッ!」
一体が地面へ転がる。
だが――。
「右!」
ロナルドの声が響いた。
ミリアが咄嗟に身を引く。
別の魔物が横から飛び込んできた。
「危ない!」
サーラが手をかざす。
「闇よ!」
黒い影が魔物の視界を覆う。
魔物の動きが鈍った。
「今です!」
サーラの声に、ロナルドが反応する。
「はい!」
ロナルドは影の中へ飛び込み、魔物の進路を塞いだ。
「そこだ!」
闇の魔力が魔物の動きを縛る。
その隙に、リンタスクが水の刃を放った。
「――いけ!」
水の刃が魔物を捉え、地面へ吹き飛ばす。
「残り一体!」
エレノアが叫んだ。
しかし――。
「リンタスク!」
レオナードの声が響く。
最後の一体を追おうとしたリンタスクが、前へ出すぎていた。
「分かってる!」
リンタスクはそのまま魔物へ向かう。
だが、魔物は突然方向を変えた。
「なっ――!」
リンタスクの横をすり抜け、後方へ向かってくる。
「しまった!」
ミリアが振り返る。
魔物がこちらへ迫っていた。
「ミリア!」
レオナードが叫ぶ。
ミリアは光魔法を構えた。
けれど――。
距離が近い。
このままでは間に合わない。
その瞬間。
「させるか!」
ロナルドが横から飛び込んだ。
闇の魔力が魔物の前へ広がる。
だが、完全には止められない。
「ロナルド殿下!」
サーラが叫ぶ。
先ほど教えたように、闇の魔力を広げる。
今度は必要な場所だけに。
魔物の足元へ――。
「そこです!」
黒い影が魔物の足へ絡みついた。
「グルッ……!」
動きが止まる。
「ミリア!」
レオナードの声が響いた。
「はい!」
ミリアは両手を前へ突き出す。
「光よ!」
放たれた光が魔物を包み込んだ。
「ギャウッ!」
魔物が地面へ倒れた。
静寂が戻る。
六人は、しばらく動かなかった。
やがてリンタスクが息を吐く。
「……倒したな」
「ああ」
ロナルドが頷く。
レオナードは三体の魔物を確認してから、全員へ視線を向けた。
「みんな、怪我は?」
「大丈夫です」
エレノアが答える。
「俺も問題ない」
リンタスクも頷く。
「私も大丈夫です!」
サーラが答える。
ミリアとロナルドも頷いた。
「大丈夫です」
「俺も」
「よし」
レオナードが小さく息を吐く。
そして、少しだけ真剣な表情になった。
「ただ、一つ反省点があるね」
六人がレオナードを見る。
「リンタスクが前へ出たとき、後ろへの警戒が薄くなった」
「……すまない」
リンタスクが眉を下げる。
「いや、責めているわけではないよ」
レオナードは首を振る。
「リンタスクが前衛として動いてくれたからこそ、最初の二体を早く抑えられた。だけど、僕たちは六人で戦っている」
レオナードは全員を見渡した。
「誰か一人が動けば、その分だけ、他の五人も動きを変える必要がある」
「……なるほど」
リンタスクが頷く。
「次は、もう少し周囲を意識する」
「ああ。僕も指示をもっと早く出すようにするよ」
レオナードが笑う。
その隣で、サーラがロナルドへ声をかけた。
「ロナルド殿下」
「はい?」
「先ほどの闇魔法、とても良かったですよ」
「本当ですか?」
「ええ。私が知っている闇属性の使い方とは違う部分もありますけど……」
「ありがとうございます」
ロナルドが素直に礼を言う。
すると今度は、ロナルドがミリアへ視線を向けた。
「ミリア」
「はい?」
「さっきの光魔法、良かった」
「……!」
「レオナード先輩の指示を聞いて、すぐに動けていたな」
「ありがとうございます!」
ミリアの表情がぱっと明るくなる。
その笑顔を見て、ロナルドも自然と頬を緩めた。
「最初の結界石までは、もう少しだ」
レオナードが地図を確認する。
「このまま進もう」
「はい!」
フォレストウルフを倒した六人は、周囲を確認してから最初の結界石へ向かうため、再び歩き始めた。
「全員、問題ないな?」
レオナードが振り返る。
「はい」
ミリアが頷く。
「大丈夫だ」
リンタスクも答え、他の三人も続いた。
先ほどの戦闘は、決して難しい相手ではなかった。
それでも――。
実際に魔物を相手にしてみると、訓練とは違う部分がある。
「さっきは、少し動きが重なったな」
リンタスクが言った。
「ああ」
レオナードが頷く。
「だからこそ、次は互いの位置を意識しよう。特に攻撃するときは、味方の魔法の射線を塞がないように」
「分かった」
リンタスクが頷く。
「私も、もう少し周囲を見ます」
エレノアも続いた。
ミリアは少し考えてから口を開く。
「私、魔力を感知したら、もっと早く伝えるようにします」
「それがいいね」
レオナードが頷いた。
「ミリアの感知は、僕たちにとって大きな助けになる。遠慮せずに伝えてくれていいよ」
「はい!」
六人は進みながら、それぞれの役割を確認していく。
やがて、森の入口が見えてきた。
「……あそこです」
ミリアが指を向ける。
草原の先。
大きな岩の脇に、淡い光を放つ石が立っていた。
「最初の結界石だな」
レオナードが地図と照らし合わせる。
「ああ。間違いない」
リンタスクが頷いた。
六人は結界石の前まで移動した。
高さはミリアの腰ほど。
表面には何の色もついていない。
「これを起動するには、どうするんですか?」
エレノアが尋ねる。
レオナードが結界石へ手を伸ばした。
「六人がそれぞれ魔力を流して、石の中央にある紋章を発光させる」
「全員の魔力が必要なんですね」
「そういうことだ」
リンタスクが頷く。
「一人でも欠けたら起動しないらしい」
「じゃあ――」
ミリアが五人を見る。
「六人でやりましょう!」
「ああ」
レオナードが頷く。
六人は結界石を囲むように立った。
「準備はいい?」
レオナードの声に、それぞれが頷く。
「はい!」
「いつでも」
「大丈夫です」
「問題ない」
「よし」
レオナードが手をかざす。
「それじゃあ――魔力を流すよ」
六人が一斉に、結界石へ魔力を流し込む。
淡い光。
水の輝き。
闇の揺らめき。
それぞれの魔力が結界石へ吸い込まれていく。
最初は何も起こらなかった。
「……」
ミリアが集中する。
すると――。
結界石の中央に刻まれていた紋章が、淡く輝き始めた。
「……光った!」
エレノアが声を上げる。
次第に光は強くなり、石全体へ広がっていく。
そして――。
パァァァッ……。
六人の魔力が重なった瞬間、結界石の紋章が一気に輝いた。
無色だった水属性の結界石が、淡い青色へと変わった。
「成功だ!」
リンタスクが声を上げる。
ミリアも思わず笑顔になる。
「やりました!」
レオナードが頷く。
「うん。最初の結界石は無事に起動した」
六人の間に、少しだけ安堵の空気が流れた。
だが――。
「……待ってください」
ミリアが突然、表情を変えた。
「どうした?」
ロナルドが尋ねる。
ミリアは目を閉じる。
周囲の魔力を探る。
さっきまで感じていた小さな魔力とは違う。
もっと遠く。
もっと大きい。
「……何かいます」
ミリアの声が低くなる。
「魔物か?」
リンタスクが周囲を見渡す。
「はい。でも……」
ミリアは眉を寄せた。
「さっきの魔物とは、全然違います」
六人の空気が変わった。
レオナードが地図をしまう。
「全員、警戒」
それぞれが身構える。
森の奥から――。
ザザッ。
木々が揺れた。
風ではない。
何かが、こちらへ近づいている。
「……来るぞ」
ロナルドが低く呟く。
サーラも闇の魔力を手元に集める。
リンタスクが前へ出る。
「みんな、俺の後ろに――」
「いや」
レオナードが制した。
「全員で構えよう」
六人が横一列に並ぶ。
誰か一人が前へ出るのではない。
互いの姿を確認しながら、それぞれが魔力を高めていく。
そして――。
森の奥から、大きな影が現れた。
「……っ」
エレノアが息を呑む。
先ほどのフォレストウルフとは、比べものにならない。
大きな身体。
鋭い爪。
そして、こちらを見据える瞳には強い魔力が宿っている。
グルルルル……。
低い唸り声が演習場に響く。
ロナルドが目を細める。
「……あれは、少し厄介だな」
ミリアが息を呑む。
「ロナルド様がそう言うってことは……強いんですね」
「ああ」
ロナルドは魔物から目を離さない。
そして、隣に並ぶ五人を見る。
レオナード。
リンタスク。
サーラ。
エレノア。
そして、ミリア。
ロナルドが小さく笑った。
「だが――」
魔力をまとった手を、ゆっくりと構える。
「今の俺たちなら、問題ない」
「……はい!」
ミリアが力強く頷く。
六人の魔力が、一斉に高まった。
大型魔物は、ゆっくりと森から姿を現した。
その姿を見たミリアは、思わず息を呑む。
四本の脚で大地を踏みしめる、巨大な獣。
全身を覆う毛は深い青色を帯び、その表面には水が流れるような光が揺らめいている。
鋭い爪。
大きな牙。
そして――。
何より異様なのは、その身体から溢れ出している魔力だった。
「……すごい魔力」
ミリアが呟く。
その声に反応するように、魔物が低く唸った。
「グルルル……」
「ミリア」
レオナードが声をかける。
「魔力感知で、何か分かるかい?」
「少し待ってください」
ミリアは目を閉じた。
周囲に意識を広げる。
魔物の身体から溢れる水属性の魔力。
それはまるで、身体そのものに魔力が流れ込んでいるようだった。
「……水属性です」
「やはりか」
リンタスクが構える。
「水なら、俺が――」
「待ってください!」
ミリアが声を上げた。
リンタスクが動きを止める。
「どうした?」
「……魔力の流れが、おかしいんです」
ミリアは魔物から目を離さない。
「身体の中に、魔力が流れているというより……身体そのものが魔力でできているみたいに感じます」
「魔力で……?」
エレノアが目を見開く。
その瞬間だった。
「来る!」
ロナルドが叫ぶ。
魔物が地面を蹴った。
「――っ!」
一瞬で距離が縮まる。
「散開!」
レオナードの声が響いた。
六人が左右へ分かれる。
直後――。
ザァァッ!
魔物がいた場所を、大量の水が薙ぎ払った。
「水魔法……!」
サーラが驚く。
「しかも、かなり速い!」
リンタスクが地面へ手をかざす。
「水よ!」
自分の前に水の壁を作る。
魔物が再び突っ込んできた。
「受け止める!」
リンタスクが魔力を込める。
だが――。
ドンッ!
「ぐっ……!」
水の壁が大きく揺れる。
「リンタスク!」
エレノアが叫ぶ。
「大丈夫だ!」
リンタスクは踏みとどまる。
しかし、その隙に魔物の身体から大量の水が噴き出した。
「危ない!」
ミリアが叫ぶ。
レオナードが素早く反応した。
「全員、後ろへ!」
六人が一斉に距離を取る。
水流が地面を走り抜けていく。
「……すごい」
ミリアが息を呑む。
ただの水魔法ではない。
魔物自身の身体から、水が生み出されている。
「ミリア!」
ロナルドの声が飛ぶ。
「魔力の核は見えるか?」
「……!」
ミリアは再び目を閉じた。
「探します!」
魔力感知を強くする。
魔物の身体。
頭。
胸。
脚。
全身を流れる水属性の魔力。
だが――。
「……分からない」
「無理に探さなくていい!」
レオナードが叫ぶ。
「まずは動きを止めよう!」
「はい!」
レオナードが魔物を見据える。
「リンタスク!」
「分かってる!」
リンタスクが前へ出た。
「水よ!」
地面から大量の水が噴き上がる。
魔物の左右から水の壁が迫った。
「今度は逃がさない!」
水の壁が魔物を挟み込む。
だが――。
魔物の身体が、突然崩れた。
「えっ……?」
ミリアが目を丸くする。
巨大な身体が、水へ変わっていく。
「なっ……!」
リンタスクが驚く。
水となった魔物は、そのまま地面へ流れ落ちた。
「消えた……?」
エレノアが辺りを見渡す。
次の瞬間。
「後ろです!」
ミリアが叫んだ。
六人が振り返る。
少し離れた場所。
草原の上に、水が集まっていく。
そして――。
再び、巨大な魔物の姿が現れた。
「……そんな」
リンタスクが呟く。
「捕まえられない……」
「違う」
ミリアが魔物を見つめる。
「捕まえられないんじゃない」
ミリアは目を細めた。
「移動しているんです」
「移動?」
レオナードが尋ねる。
「はい。身体を水に変えて、魔力が流れる場所へ移っているみたいです」
「つまり、魔力の流れを追えば居場所が分かる?」
「……たぶん」
ミリアは頷いた。
「でも、今の私だと追いつけません」
「なら、追いつけるようにするまでだ」
ロナルドが魔力を高める。
「俺が動きを止める」
サーラも隣に並ぶ。
「私も手伝います」
「僕たちもだ」
レオナードが頷く。
「全員で動きを制限する。ミリアは魔力の流れを追ってくれ」
「はい!」
六人が再び構える。
「行くぞ!」
リンタスクが水魔法を放つ。
今度は攻撃ではない。
地面を走る水の流れを作り、魔物の移動できる範囲を狭めていく。
「エレノア!」
「はい!」
エレノアが風魔法を放つ。
風が草原を駆け抜け、水の流れを押し戻した。
「これで、移動できる場所が減りました!」
「よし!」
レオナードが頷く。
「ロナルド、サーラ!」
「はい!」
「分かりました!」
二人が同時に手をかざす。
「闇よ!」
黒い魔力が地面へ広がっていく。
魔物が水へ変わろうとした瞬間、その周囲を闇が包み込んだ。
「今です!」
サーラが叫ぶ。
魔物の動きが一瞬止まった。
「……見えた!」
ミリアが目を開く。
魔物の胸元。
水の流れの中心に、ほんの一瞬だけ強い魔力が集まっている。
「レオナード様!」
「どこだ?」
「胸の中央です! 魔力が集まる場所があります!」
レオナードが頷く。
「分かった!」
だが――。
魔物が大きく身体を揺らした。
闇の拘束が崩れ始める。
「急いで!」
エレノアが叫ぶ。
「リンタスク!」
「ああ!」
リンタスクが両手を地面へつける。
「水よ――!」
魔物の周囲に水の柱が立ち上がった。
「今度こそ、逃がさない!」
水の柱が魔物を囲む。
魔物が身体を水へ変えようとする。
「ロナルド!」
「任せろ!」
ロナルドが闇の魔力を集中させる。
広げるのではない。
魔物の身体。
その一点へ。
「そこだ!」
黒い魔力が魔物の動きを縛る。
「サーラ!」
「はい!」
サーラも同じ場所へ魔力を重ねる。
「もう少し……!」
魔物が大きく唸る。
「グルルル……!」
水の柱が揺れる。
「ミリア!」
レオナードが叫んだ。
「最後は君だ!」
「はい!」
ミリアは両手を前へ伸ばす。
目を閉じる。
周囲の魔力。
リンタスクの水。
エレノアの風。
ロナルドとサーラの闇。
レオナードの光。
そして――。
魔物の中心にある、小さな魔力の核。
「……そこ!」
ミリアが目を開く。
「光よ!」
一直線に放たれた光が、魔物の胸元へ向かう。
しかし――。
魔物が身体を水へ変えた。
「……っ!」
光が水の中を通り抜ける。
「外した!?」
リンタスクが叫ぶ。
「違います!」
ミリアが叫び返す。
「核は動いていません!」
「何だって?」
レオナードが目を見開く。
「身体だけが動いているんです!」
ミリアは魔力を集中する。
「核は――そこ!」
もう一度、光を放つ。
今度は迷わない。
光が水の中心を貫いた。
魔物の身体が大きく揺れる。
「グ……ル……」
水の流れが弱まっていく。
そして――。
巨大な身体が、ゆっくりと地面へ崩れた。
静寂が訪れる。
「……」
誰も言葉を発しなかった。
やがて、魔物の身体から溢れていた水属性の魔力が、少しずつ消えていく。
「……倒した?」
エレノアが呟く。
ミリアは魔力感知を続ける。
しばらくして――。
「……はい」
小さく頷いた。
「もう、魔力は感じません」
「よし……!」
リンタスクが拳を握る。
「やったな!」
「……ああ」
ロナルドも息を吐いた。
サーラは、ほっとしたように肩の力を抜く。
「すごかったですね……」
レオナードが五人を見渡す。
「みんな、本当にありがとう」
「こちらこそです」
ミリアが笑う。
「一人じゃ、絶対に倒せませんでした」
「そうだな」
リンタスクが頷く。
「最初は俺が前に出ればいいと思ってた。でも……」
リンタスクは五人を見る。
「六人だからこそできた戦いだった」
「うん」
レオナードも頷く。
「これが、僕たちの連携だね」
その言葉に、六人は互いに顔を見合わせた。
そして――。
ミリアが嬉しそうに笑った。
「……なんだか、ちょっとだけ自信がつきました」
「ああ」
ロナルドが頷く。
「俺もだ」
そのとき。
遠くから、演習場全体に鐘の音が響いた。
カーン――。
「……時間?」
エレノアが顔を上げる。
レオナードが懐中時計を確認した。
「まだ終了ではない。次の結界石へ向かう時間だ」
「まだあるんですね!」
ミリアの目が輝く。
「もちろん」
レオナードが笑う。
「僕たちの演習は、まだ始まったばかりだよ」
六人は再び地図を広げる。
最初の結界石は、水属性。
次の目的地は――。
「次は、あちらだな」
レオナードが森の奥を指した。
「行こう!」
ミリアが頷く。
六人は並んで歩き始めた。
今度は誰も、先を急がなかった。
互いの位置を確認しながら。
仲間の魔力を感じながら。
一歩ずつ、次の目的地へ向かっていく。
六人の挑戦は、まだ始まったばかりだった。




