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第十二話 芽吹く想い

―ロナルド視点―


ミリア・テルファメート九歳の誕生会から一夜明けた朝。


テルファメート侯爵家の屋敷は、昨日の賑わいが嘘のように穏やかな空気に包まれていた。


庭には朝露が輝き、小鳥たちのさえずりが心地よく響いている。


ロナルドは、自室の窓から庭をぼんやりと眺めていた。


「……いい天気だな。」


昨日の誕生会が、ふと頭に浮かぶ。


花のような笑顔を浮かべるミリア。


楽しそうに家族と笑い合う姿。


優しく客人を気遣う振る舞い。


思い返すたびに、胸の奥がほんの少しだけ温かくなる。


「……不思議だ。」


ロナルドは首をかしげた。


文通は毎月続けていた。けれど、実際に顔を合わせたのは、まだたった二日。


それなのに、こんなにも思いが募るものなのだろうか。


「ロナルド殿下。」


扉の向こうから護衛の声が響く。


「朝食の準備が整いました。」


「ああ、今行く。」


気持ちを切り替え、ロナルドは部屋をあとにした。


食堂には、すでにレオナードが席についていた。


「おはようございます、ロナルド殿下。」


「おはようございます。」


二人が席に着くと、リンフォル侯爵が穏やかに微笑む。


「昨夜はゆっくり休めましたかな。」


「はい。とても快適に過ごさせていただきました。」


「それは何よりです。」


食卓には焼きたてのパンや卵料理、新鮮な野菜、香り豊かなスープが並び、和やかな朝食が始まった。


食事がひと段落した頃、リンフォル侯爵が口を開く。


「本日は予定どおり、公開訓練をご案内いたします。」


ロナルドは興味深そうに顔を上げた。


「公開訓練……ですか。」


「ええ。」


リンフォル侯爵は小さく頷く。


「今回のご訪問は、ミリアの誕生会へご出席いただくことが主な目的でしたが、それだけではございません。」


「ダーガトーク王国との親交を深めるため、我が領地の様子や文化をご覧いただく視察も兼ねております。」


「父上からも、そのように伺っております。」


ロナルドが答えると、リンフォル侯爵は満足そうに微笑んだ。


「ありがとうございます。」


そして、少し懐かしむように窓の外へ視線を向ける。


「公開訓練は、古くからタルトミア王国に伝わる伝統です。」


「騎士たちが日頃の鍛錬を領民へ披露し、ときには身分を越えて剣を交え、互いを高め合う……そんな催しでした。」


「昔は各地で行われていたのですが、時代の流れとともに少しずつ姿を消し、今では王都と、このテルファメート領くらいしか残っておりません。」


「そうなのですか。」


ロナルドは少し驚いたように目を見開く。


ダーガトークにも武術大会はある。


しかし、それは勝敗を競う祭典だ。


日頃の鍛錬を領民へ見せるための行事とは、少し趣が違う。


「領民の皆も楽しみにしております。」


「鍛錬を怠らぬ騎士たちの姿は、領民に安心を与えますからな。」


ロナルドは小さく頷いた。


(人々を安心させるための剣……か。)


その考え方は、とてもタルトミアらしい。


自然と人、人と人との繋がりを大切にする国。


昨日一日過ごしただけでも、それは十分に伝わってきていた。


朝食を終え、一行は訓練場へ向かう。


広い訓練場には、すでに多くの騎士や領民が集まり始めていた。


子どもたちは目を輝かせ、大人たちは談笑しながら開始を待っている。


訓練場は、祭りのような温かな空気に包まれていた。


「毎年こんなに賑わうのですか?」


ロナルドが尋ねる。


「ええ。」


リンフォル侯爵は穏やかに答えた。


「公開訓練は領民との大切な交流の場でもあります。」


「皆、この日を楽しみにしてくれているのですよ。」


ロナルドは周囲を見渡し、小さく微笑んだ。


「……いい領地ですね。」


その言葉に、リンフォル侯爵はどこか誇らしげに目を細める。


「ありがとうございます。」


そのときだった。


「ロナルド殿下。」


隣を歩いていたレオナードが、不意に声を掛ける。


「はい?」


「昨日、ようやく納得しました。」


「何がですか?」


レオナードは思わず苦笑する。


「リンタスクですよ。」


「彼とは学院でも親しくしているのですが……会うたびに妹の話ばかりでして。」


ロナルドは思わず笑みを浮かべた。


「そんなにですか?」


「ええ。」


レオナードは肩をすくめる。


「『うちの妹は可愛い』『賢い』『優しい』……挙げ句の果てには『世界一の妹だ』と。」


「最初は話半分に聞いていたんです。」


「ですが——」


レオナードは昨日の庭園を思い出すように微笑んだ。


「実際に会ってみて、納得しましたよ。」


「あれだけ自慢したくなる気持ちは理解できるなと。」


ロナルドの胸が、ほんのわずかにざわつく。


理由は分からない。


ただ、レオナードがミリアを褒める言葉が、不思議と耳に残った。


「もっとも。」


レオナードはくすりと笑う。


「私まで兄のような気分になってしまったという話なんですけどね。」


「リンタスクに『妹を泣かせたら許しませんよ』とでも言われそうで。」


ロナルドは思わず吹き出した。


「ははっ、それは想像できます。」


二人は笑い合う。


けれど、その笑顔の奥で、ロナルドは自分でも気付かない小さな胸のざわめきを抱えたままだった。


訓練場に到着し、公開訓練が始まると、領民たちの温かな拍手が訓練場いっぱいに響き渡った。


整然と並ぶ騎士たちは、一糸乱れぬ動きで剣を振るう。


力強さの中にも美しさがあり、その一つひとつの動きから、日々の鍛錬が伝わってきた。


「見事ですね。」


ロナルドが感心したように呟く。


「ありがとうございます。」


リンフォル侯爵は嬉しそうに目を細めた。


「この日のためだけではなく、日頃から積み重ねた鍛錬の成果です。領民に安心を届けることも、騎士の大切な務めですから。」


「なるほど……。」


ロナルドは静かに頷いた。


ダーガトークでは、強さは国を守るための力。


だがタルトミアでは、人々を安心させるための力でもある。


同じ剣でも、その意味は少し違う。


その考え方に、ロナルドはどこか新鮮さを覚えていた。


演武が終わると、訓練場には再び大きな拍手が起こる。


進行役の騎士が一歩前へ出て、高らかに告げた。


「続きまして、親善試合を執り行います!」


その声に、会場の空気がさらに熱を帯びる。


「タルトミア王国第一王子、レオナード殿下。」


「ダーガトーク王国第二王子、ロナルド殿下。」


名前を呼ばれた二人は、静かに歩み出た。


互いに木剣を受け取り、向かい合う。


礼を交わす前、レオナードは穏やかに微笑んだ。


「ロナルド殿下。」


「はい。」


「昨日は楽しい一日でした。」


「ええ。私もです。」


「リンタスクも、妹のお祝いでとても嬉しそうな顔をしていました。」


その言葉に、ロナルドも自然と笑みを浮かべる。


「本当に妹思いのお兄様ですよね。」


「ええ。」


レオナードは思わず苦笑した。


「学院では毎日のように妹の話を聞かされていますから。」


「毎日……ですか?」


「毎日です。」


レオナードは肩をすくめる。


「今日は何をした、今日は何を覚えた、今日はこんな笑顔だった……と。」


「学院は王都ですからね。わざわざ家の者に様子を知らせてもらっているらしく……。

…これは内緒ですよ!正直なところ、親友とはいえ聞き飽きるほどでして…」


ロナルドは思わず吹き出した。


「それは少し大変ですね。」


「ええ。」


レオナードも笑う。


「ですが昨日、ようやく分かりました。」


「リンタスクがあれほど自慢する理由が。」


少しだけ目を細め、続ける。


「ミリア嬢は、本当に素敵なお嬢さんでした。」


その一言に、ロナルドの笑顔がほんの少しだけ止まった。

胸の奥で、小さく何かが引っかかったような感覚。


(昨日から何度も胸をよぎる、この感覚はいったい何なのだろう。)


ミリアのことを誰かが褒めるたび、心のどこかが落ち着かなくなる。


もちろん、レオナードが悪いわけではない。


親友の妹を褒めているだけだ。


それは分かっている。


それなのに——


「私まで兄のような気持ちになってしまいました。」


レオナードは照れくさそうに笑った。


「リンタスクの気持ちが、少し分かった気がします。」


その言葉を聞いて、ロナルドは少しだけ肩の力を抜いた。


兄のような気持ち。


そういうことか。


それなら、何も気にすることはない。


そう思うのに……


胸の奥の小さなもやもやだけは、消えてくれなかった。


「ロナルド殿下?」


「……あ、申し訳ありません。」


「考え事ですか?」


「少しだけ。」


ロナルドは照れ笑いを浮かべる。


「昨日が楽しすぎたせいかもしれません。」


「それは私も同じですよ。」


二人は笑顔を交わす。


その穏やかな空気に、先ほどまでのもやもやは少しだけ薄れていった。


進行役の騎士が二人の前へ進み出る。


「それでは、お二人とも。」


ロナルドとレオナードは静かに間合いを取る。


木剣を構え、互いの目を真っ直ぐ見つめた。


訓練場から歓声が上がる。


爽やかな風が吹き抜け、二人の間を静寂が包む。


やがて審判役がゆっくりと右手を挙げた。


「始め!」


合図とともに、ロナルドとレオナードは同時に地を蹴った。


カァンッ!!


乾いた音が訓練場に響き渡る。


最初の一撃は互角。


互いの木剣が押し合い、すぐに距離を取る。


「さすがですね、ロナルド殿下。」


「レオナード殿下こそ。」


短いやり取りの直後、再び剣が交わる。


今度はレオナードが鋭く踏み込んだ。


流れるような剣筋。


無駄のない動き。


ロナルドは一歩横へ流し、その勢いを利用して反撃する。


「お見事。」


レオナードは嬉しそうに笑う。


「ですが——まだまだです。」


木剣が何度もぶつかり合い、心地よい音が辺りへ響く。


見守る領民から歓声が上がった。


「ロナルド殿下ー!」


「頑張れー!」


ダーガトークから同行した護衛たちも、思わず笑みを浮かべている。


一方、テルファメート騎士団も負けじと声援を送った。


「レオナード殿下!」


「一本取ってください!」


まるで祭りのような空気。


しかし、二人の視線は互いしか映していなかった。


レオナードは攻めながら思う。


(昨日までのお姿とは違う。)


誕生会では落ち着いた少年という印象だった。


もちろん剣の腕は確かだろうとは思っていた。


だが、今目の前にいるロナルドは、それ以上だった。


一太刀ごとに気迫が増していく。


(何か、負けたくない理由でもあるのでしょうか。)


そんなことを考えた瞬間——


ロナルドの木剣が鋭く迫る。


「っ!」


レオナードは咄嗟に受け流した。


危ない。


ほんの一瞬、考え事をしていなければ一本取られていた。


「失礼しました。」


「いえ。」


ロナルドも真っ直ぐ見つめ返す。


(……負けたくない。)


胸の奥から、そんな想いが何度も湧き上がる。


(どうしてだろう。)


理由は分からない。


レオナードは優しい人だ。


昨日もたくさん話をしてくれた。


嫌いなわけでは決してない。


それなのに——。


(負けたくない。)


その気持ちだけが、不思議なくらい強くなる。


木剣を握る手に自然と力が入った。


「いい表情です。」


レオナードが楽しそうに笑う。


「私も負けるわけにはいきません。」


その一言で、再び二人は激しくぶつかり合った。


カンッ!


カァンッ!


乾いた音が何度も青空へ響く。


その攻防を見守っていたリンフォル侯爵は、小さく微笑んだ。


「互いに素晴らしい剣ですな。」


隣に立つ騎士団長も深く頷く。


「はい。勝敗以上に、互いを高め合う理想的な試合でございます。」


まさに公開訓練にふさわしい一戦だった。


子どもたちは目を輝かせ、大人たちも惜しみなく拍手を送る。


その時だった。


訓練場の入口付近が少しだけざわめく。


「ミリアお嬢様だ。」


誰かが小さく呟いた。


淡い水色のワンピースに着替えたミリアが、ミルティアとともに姿を見せたのだ。


ライトは小さな光となって、誰にも見えないままミリアの肩の辺りを楽しそうに飛び回っている。


「わぁ……。」


ミリアは思わず声を漏らした。


「すごい……。」


木剣とは思えないほど迫力のある打ち合い。


真剣な眼差し。


美しく洗練された足運び。


その姿に、自然と見入ってしまう。


ライトも嬉しそうにはしゃぐ。


『二人とも強いねー!』


ミリアは小さく頷いた。


「うん。」


その声は誰にも届かない。


だが、その瞬間。


ロナルドの視界の端に、水色の姿が映った。


(ミリア……。)


ほんの一瞬だけ視線が揺れる。


しかし次の瞬間には、レオナードの木剣が目前まで迫っていた。


「っ!」


危ない。


咄嗟に受け止めたものの、一歩後ろへ下がる。


レオナードはその変化に気付いたが、あえて何も言わなかった。


(今のは……。)


いや。


考えるのは後だ。


今は試合に集中する。


そう判断し、再び木剣を構える。


ロナルドは深く息を吸った。


(見られている。)


そのことを意識した途端、不思議と胸が熱くなる。


(格好悪いところは見せられない。)


その想いだけが、自然と心に浮かんだ。


「参ります。」


「はい。」


再び二人は踏み込み、木剣がぶつかる。


その一撃は、これまでで最も力強く、美しかった。


乾いた木剣の音が、何度も青空へ響き渡る。


カンッ!


カァンッ!


互いに一歩も譲らない攻防。


レオナードが鋭く踏み込めば、ロナルドは冷静に受け流し、そのまま素早く反撃へ転じる。


その剣筋に、レオナードは思わず口元を緩めた。


(やはり強い。)


九歳とは思えないほど落ち着いた判断力。


焦ることなく相手を見極める目。


そして、一度好機と見れば迷わず踏み込む勇気。


ダーガトーク王国第二王子。


その名に恥じない実力だった。


「お見事です。」


そう声を掛けながらも、レオナードの足は止まらない。


受け、流し、返す。


一つひとつの動きが滑らかに繋がっていく。


対するロナルドも負けてはいない。


(まだだ。)


(もっと。)


胸の奥から、不思議と力が湧いてくる。


視界の端には、時折ミリアの姿が映る。


穏やかな笑顔で試合を見守るその姿を見るたびに、


(……負けたくない。)


その想いだけが強くなっていった。


理由は分からない。


ただ、格好悪い姿だけは見せたくなかった。


その一心だった。


「はっ!」


レオナードの木剣が鋭く振り下ろされる。


ロナルドは半歩踏み込みながら受け止め、その勢いを利用して横へ流した。


「っ!」


一瞬だけ体勢を崩したレオナードへ、すかさず木剣を突き出す。


だが——


「甘い。」


レオナードは身体をひねり、紙一重でかわす。


そのまま素早く間合いを取り直した。


「危なかったです。」


穏やかに笑うレオナード。


ロナルドも自然と笑みを浮かべる。


「今のは決まったと思いました。」


「私もそう思いました。」


二人は互いに笑い合う。


その表情には敵意などない。


純粋に剣を交えられることへの喜びがあった。


観客席からも大きな拍手が起こる。


「すごい!」


「どっちも強い!」


子どもたちの歓声が広がる中、リンフォル侯爵は満足そうに頷いた。


「これこそ公開訓練ですな。」


騎士団長も感心したように腕を組む。


「勝敗ではなく、互いを高め合う剣。」


「若い方々がこうして競い合ってくださる姿は、領民にとっても励みになります。」


その言葉どおり、会場には温かな空気が流れていた。


誰もが二人の健闘を応援している。


勝ってほしいというよりも、


最後まで良い試合を見せてほしい。


そんな想いが会場を包んでいた。


やがて二人は再び構える。


互いに息を整え、静かに視線を交わす。


次の一撃で決まるかもしれない。


そんな緊張感が漂った。


ロナルドは深く息を吸う。


(行く。)


力強く地を蹴った。


同時にレオナードも前へ出る。


カァァンッ!!


これまでで一番大きな音が響く。


木剣と木剣がぶつかり合い、互いの力が拮抗する。


一歩も退かない。


押し切ろうとするロナルド。


受け止めるレオナード。


ほんの数秒。


それだけの時間が、とても長く感じられた。


やがて——


「そこまで!」


審判役の騎士の声が響く。


二人は同時に力を抜き、一歩ずつ下がった。


訓練場は一瞬静まり返る。


そして次の瞬間。


「引き分け!」


その宣言と同時に、大きな拍手と歓声が巻き起こった。


ロナルドは息を整えながら、小さく笑う。


「ありがとうございました。」


「こちらこそ。」


レオナードも晴れやかな笑顔で一礼した。


「とても楽しい試合でした。」


「はい。」


ロナルドも心から頷く。


確かに勝ちたかった。


けれど、それ以上に——


全力で剣を交えられたことが嬉しかった。


「お二人とも、お見事でした。」


リンフォル侯爵が近づき、惜しみない拍手を送る。


「領民も大変喜んでおります。」


周囲を見ると、子どもたちが目を輝かせながら拍手を続けていた。


「ロナルド殿下、かっこよかった!」


「レオナード殿下もすごかった!」


無邪気な声に、二人は照れくさそうに笑う。


その時だった。


「お父様。」


澄んだ声が聞こえ、一同が振り向く。


そこには、ミルティアと並んで立つミリアの姿があった。


淡い水色のワンピースを揺らしながら、小さく微笑んでいる。


「お二人とも、とても素敵でした。」


その言葉に、ロナルドの胸はふわりと温かくなった。


さっきまで胸の中に渦巻いていた、名前の分からないもやもやは、不思議なくらい静かになっていた。


「ありがとうございます。」


そう答えるだけで精一杯だったが、その笑顔は、試合が始まる前よりもずっと自然なものになっていた。


「さあ、皆様。」


リンフォル侯爵が穏やかに微笑む。


「汗もかかれたことでしょう。庭園にお茶をご用意しております。」


「ありがとうございます。」


レオナードとロナルドは一礼し、ミリアたちとともに庭園へ向かった。


色鮮やかな花々が咲き誇る庭園には、白いテーブルと椅子が用意されていた。


木陰を抜ける風は心地よく、試合の熱気を優しくさらっていく。


香り高い紅茶が注がれ、焼き菓子や季節の果物が並べられていく。


「どうぞ、お掛けください。」


リンフォル侯爵に促され、それぞれ席へ着く。


偶然なのか、それとも誰かが気を利かせたのか。


ロナルドの向かいにはミリアが座っていた。


「先ほどは、お疲れ様でした。」


ミリアがにこりと笑う。


「とても素敵な試合でした。」


「ありがとう。」


ロナルドは少し照れながら答えた。


「見ていてくれたんだね。」


「はい。」


ミリアは嬉しそうに頷く。


「お二人とも本当に強くて……思わず見入ってしまいました。」


その言葉だけで、胸が少し温かくなる。


(見ていてくれたんだ。)


それだけで十分嬉しかった。


するとレオナードが笑いながら紅茶を口に運ぶ。


「ロナルド殿下は、本当にお強いですね。」


「危うく一本取られるところでした。」


「そんなことはありません。」


ロナルドは苦笑する。


「何度も追い詰められました。」


「引き分けだったのが不思議なくらいです。」


「ふふ。」


二人のやり取りに、ミリアも自然と笑みを浮かべた。


和やかな空気が庭園を包む。


しばらく談笑が続いた頃。


レオナードは紅茶のカップを置き、ふと思い出したようにミリアへ視線を向けた。


「ミリア嬢。」


「はい?」


「少し聞いてもよろしいですか?」


「もちろんです。」


「どのような殿方がお好みなのでしょう?」


その場の空気が一瞬だけ静かになる。


ミリアは「えっ?」と目を丸くした。


「私……ですか?」


「ええ。」


レオナードは穏やかに笑う。


「昨日、リンタスクが『妹はまだまだ子どもだ』と申していましたので、少し気になりまして。」


「そ、そんなことをお兄様が……。」


ミリアは少し恥ずかしそうに頬を染める。


ロナルドは何気ない表情を装いながら、そっと耳を傾けていた。


自分でも理由は分からない。


けれど、答えが気になって仕方がない。


ミリアは少し考え、小さく笑った。


「そうですね……。」


「優しい方がいいです。」


「それから、一生懸命頑張る方。」


「お互いに支え合える方が素敵だと思います。」


「なるほど。」


レオナードは優しく頷いた。


「見た目は気になりませんか?」


「もちろん素敵な方なら嬉しいですけど……。」


ミリアは少し照れ笑いを浮かべる。


「でも、一番大切なのは中身だと思います。」


ロナルドは思わず胸を撫で下ろしていた。


その仕草に、自分でも気付いていない。


するとレオナードが、いたずらっぽく微笑む。


「では、今、お慕いしている方はいらっしゃるのですか?」


その問いに、ロナルドの心臓が大きく跳ねた。


(いるのか……?)


自然と息をのむ。


ミリアは首を横に振った。


「いいえ。」


「まだ、そのような方はいません。」


その瞬間。


ロナルドの胸にかかっていた何かが、ふっと軽くなった。


理由は分からない。


けれど、自然と笑みがこぼれそうになる。


(……よかった。)


そう思った自分に、少しだけ驚く。


どうして安心したのだろう。


答えはまだ見つからない。


ミリアは少し遠くを見るように微笑んだ。


「私は侯爵家の娘ですから。」


「きっと将来は、お父様がお決めになった方のもとへ嫁ぐことになると思います。」


「だから……。」


優しく、でもどこか大人びた表情で続ける。


「その時には、その方を大切に想えるようになりたいです。」


「好きになれるよう、努力したいと思っています。」


庭園に優しい風が吹き抜けた。


その言葉は、ロナルドの胸に静かに残る。


(努力……。)


ただ待つのではない。


自分から誰かを大切に想おうとする、その考え方。


九歳とは思えないほど真っ直ぐで、美しかった。


ロナルドはミリアを見つめ、小さく微笑む。


「……ミリアらしい考え方だね。」


「え?」


「ううん。」


照れ隠しのように紅茶へ視線を落とす。


その頬は、ほんの少しだけ赤く染まっていた。


その日の庭園には、穏やかな時間だけが流れていた。


ロナルドの胸に芽生えた小さな想いは、


誰にも気付かれることなく、静かに育ち始めていた。

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