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第四話 閉ざされた部屋

「だから言ってるんです。」


男性は疲れ切った顔で言った。


「誰かいるんですよ。」


悠真は向かい側のソファへ座る。


場所は不動産会社の応接室。


相手は一週間前に入居したばかりの男性だった。


年齢は三十代半ば。


顔色が悪い。


明らかに寝不足だった。


「誰かって?」


「分からないんです。」


男性は震える声で続ける。


「夜中になると。」


「部屋の外からノックが聞こえるんです。」


「コンコンって。」


「でも出ても誰もいない。」


悠真はメモを取る。


「他には?」


「鏡。」


「鏡?」


「洗面所の鏡です。」


男性の顔色がさらに悪くなる。


「知らない男が映るんです。」


応接室が静かになる。


悠真は少し考えた。


「疲れてませんか?」


男性は苦笑した。


「そう言われると思いました。」


「ですよね。」


「でも本当にいるんです。」


悠真は頷いた。


正直なところ半信半疑だった。


怪異だとは思わない。


ただ。


あの日以来。


完全に否定しきれなくなっている自分もいた。


その日の夜。


悠真は神社へ向かっていた。


「なんで俺が呼び出される側なんだろうな。」


境内へ入る。


夜月はいつものベンチにいた。


今日は団子ではなく缶コーヒーだった。


「来た。」


「来たよ。」


「依頼?」


「依頼。」


夜月は頷く。


「面倒そう。」


「まだ話してないだろ。」


「顔で分かる。」


「失礼だな。」


夜月は缶コーヒーを差し出した。


「飲む?」


「珍しい。」


「余った。」


「嘘だろ。」


「ばれた。」


夜月は少し笑う。


悠真は受け取った。


「で。」


「今回の怪異。」


「男。」


「また見えるのか?」


「見える。」


「俺には?」


「見えない。」


「だろうな。」


夜月は少しだけ真面目な顔になった。


「今回は少し嫌な感じがする。」


「危険?」


「分からない。」


「それが一番怖いな。」


夜月は小さく頷いた。


翌日。


問題のマンション。


悠真と夜月は部屋へ入る。


築二十五年。


特に変わった様子はない。


普通のワンルームだった。


「ここ?」


夜月が頷く。


部屋へ入った瞬間だった。


夜月の表情が変わる。


「いる。」


悠真は辺りを見る。


当然何も見えない。


「どこに?」


「キッチン。」


「見えない。」


「知ってる。」


「便利な言葉だな。」


夜月は答えない。


キッチンの奥を見つめていた。


まるで誰かが立っているように。


その時。


コン。


小さな音がした。


悠真が振り返る。


誰もいない。


コン。


また鳴る。


今度は玄関側。


「……。」


悠真は黙った。


夜月は静かに歩き出す。


「こんばんは。」


優しい声だった。


いつもの夜月だ。


怪異と話す時の声。


「お話できる?」


返事はない。


夜月は待つ。


しばらくして。


低い声が聞こえた。


悠真には聞こえない。


夜月だけが聞いている。


「出ていけ。」


夜月は眉を下げた。


「どうして?」


「出ていけ。」


「理由を教えて。」


「出ていけ。」


同じ言葉だった。


夜月はため息をつく。


「会話になってないな。」


「今話してたのか?」


「うん。」


「見えないし聞こえない。」


「知ってる。」


「便利だなそれ。」


夜月は少し笑った。


その時だった。


部屋の空気が変わる。


重くなる。


嫌な圧迫感。


悠真も分かった。


何かがおかしい。


「夜月。」


「下がって。」


声色が変わる。


初めてだった。


夜月の本気の声。


「悠真。」


「なんだ。」


「玄関側へ。」


「危ないのか?」


「危ない。」


即答だった。


部屋の温度が急激に下がる。


家具が揺れる。


電灯が明滅する。


バチッ。


電球が割れた。


「うおっ!?」


悠真が身を引く。


その瞬間。


夜月は懐から一枚の札を取り出した。


指先で挟む。


「境を定める。」


静かな声。


札が床へ落ちる。


何も起きない。


少なくとも悠真には。


しかし夜月は確信していた。


結界は張られた。


霊力を消費する。


体の奥から熱が抜けていく感覚。


それでも止めない。


「これ以上暴れないで。」


夜月は男へ語りかける。


「話を聞くから。」


だが男は叫ぶ。


「出ていけ!!」


部屋全体が揺れた。


ガラスが軋む。


夜月は踏み込む。


「お願い。」


その声には怒りも恐怖もない。


ただ必死さだけがあった。


「あなたは誰かを傷つけたいわけじゃない。」


「違う?」


沈黙。


男の姿が揺らぐ。


「違う……。」


初めて別の言葉が返ってきた。


夜月は表情を緩めた。


「そう。」


「じゃあ教えて。」


「何を守ろうとしてるの?」


男は震えていた。


苦しそうだった。


そして。


「危ないんだ。」


そう呟いた。


「危ない?」


「この部屋が……。」


男は床を指差した。


夜月が視線を落とす。


悠真も見る。


何もない。


だが。


夜月は気付いた。


「まさか。」


男は叫ぶ。


「逃げろ!!」


次の瞬間。


床の一部が大きく沈んだ。


ミシッ。


嫌な音。


悠真の顔色が変わる。


「おい……。」


夜月も息を呑む。


その後の調査で判明した。


床下配管の老朽化。


さらに微量なガス漏れ。


長期間放置されていたらしい。


あと数日遅れていれば事故になっていた可能性が高かった。


夕方。


部屋の中。


男は静かに立っていた。


今はもう穏やかな顔だった。


元管理人。


生前、このマンションを守っていた人だった。


「そういうことだったの。」


夜月は微笑む。


「住人を追い出そうとしてたのね。」


男は小さく頷いた。


「伝わらなくてな……。」


夜月は静かに頭を下げた。


「ありがとう。」


男は驚いた顔をする。


「え?」


「あなたは守ろうとしてた。」


「だからありがとう。」


男は少しだけ笑った。


その姿が少しずつ薄れていく。


「頼む。」


「このマンションを……。」


「大丈夫。」


夜月が答える。


「ちゃんと伝える。」


男は安心したように目を閉じた。


そして静かに消えた。


帰り道。


夕焼けが街を赤く染めていた。


悠真は隣を歩く夜月を見る。


顔色が悪い。


少しふらついている。


「おい。」


「何。」


「無茶しすぎだろ。」


夜月が首を傾げる。


「何が。」


「何がじゃない。」


悠真は足を止めた。


「顔色悪いぞ。」


「平気。」


「平気じゃない。」


夜月は少し驚いた顔をした。


「心配してくれたの?」


「当たり前だろ。」


沈黙。


夜月は目を瞬かせる。


まるで予想していなかったように。


「……そう。」


少しだけ視線を逸らした。


耳が赤い。


「なんだよ。」


「別に。」


夜月は先に歩き出す。


だが。


その表情は少しだけ嬉しそうだった。

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