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第一話 見えない男

「今日はもう帰って寝るか……」


午後九時過ぎ。


神崎悠真は仕事帰りの商店街を歩いていた。


不動産会社の繁忙期。


朝から物件案内や書類作成で疲れ切っている。


コンビニで夕飯を買って帰ろう。


そんなことを考えていた時だった。


「お姉さん、一人?」


路地裏から男の声が聞こえた。


悠真は思わず足を止める。


見ると、三人の若い男たちが一人の女性を囲んでいた。


ナンパだろうか。


だが女性の表情は明らかに迷惑そうだった。


「断ってるでしょう。」


冷たい声。


どこか聞き覚えがある。


黒髪の女性だった。


「いいじゃん。」


「少し付き合ってよ。」


「俺ら悪い奴じゃないし。」


男たちはしつこく距離を詰める。


女性は深いため息をついた。


「最後に言うわ。」


静かな声だった。


「離れて。」


しかし男たちは笑う。


「怖い怖い。」


「怒ってる?」


「可愛い顔してるのになぁ。」


次の瞬間だった。


夜月の足が動いた。


「え?」


悠真が声を漏らす。


女性の身体が軽やかに回転する。


まるで踊るような動き。


そして――


回し蹴り。


「ぐふっ!?」


先頭の男が吹き飛んだ。


残る二人が固まる。


「は?」


「え?」


再び夜月が回る。


二人目。


三人目。


見事な回し蹴りが決まる。


数秒後。


三人全員が地面に転がっていた。


「……」


「……」


悠真は言葉を失った。


強い。


というか強すぎる。


格闘技経験者なのだろうか。


男たちは慌てて立ち上がる。


「な、なんなんだよ!」


「化け物か!」


「覚えてろよ!」


捨て台詞を吐いて逃げていった。


夜月は軽く肩を回す。


「だから最初から帰ればよかったのに。」


その姿を見て、悠真はようやく気付いた。


プロローグで出会った女性だ。


東雲夜月。


あの時の。


「あ。」


夜月も悠真に気付いたらしい。


一瞬だけ目を丸くした。


「あなた。」


「こんばんは。」


「……」


なぜか夜月は急に顔を逸らした。


耳が少し赤い。


「どうかしました?」


「別に。」


「いや、なんか顔赤くないですか?」


「気のせい。」


明らかに気のせいではない。


悠真は首を傾げた。


そしてふと気付く。


「あの……。」


「何?」


「言いにくいんですけど。」


夜月が怪訝そうな顔をする。


「さっき回し蹴りした時。」


「ええ。」


「スカート、大丈夫でした?」


数秒。


沈黙。


夜月が固まる。


「……は?」


「いや、その。」


悠真は慌てて手を振る。


「見ようと思ったわけじゃないんです!」


「回った時に、その……。」


夜月の顔がみるみる赤くなる。


耳まで真っ赤だ。


「み、見たの?」


「ちょっとだけ!」


「ちょっとだけ!?」


「違うんです!」


「最低。」


「理不尽じゃないですか!?」


夜月は両手でスカートを押さえながら後ずさる。


先ほどまで男三人を蹴り飛ばしていた人物とは思えない。


「忘れなさい。」


「はい。」


「今すぐ。」


「努力します。」


「忘れなさい。」


「はい。」


夜月はしばらく悠真を睨んでいた。


しかしやがて大きくため息をつく。


「……本当に見たの?」


「だから不可抗力ですって。」


「最悪。」


「俺が怒られるんですか?」


「当たり前でしょう。」


悠真は納得できなかった。


夜月は再びため息をつく。


そして少しだけ笑った。


「変な人。」


「それ、この前も言われました。」


「そうだったかしら。」


夜月はそう言って歩き出す。


悠真もなんとなく隣を歩いた。


その時だった。


夜月の表情が突然変わる。


笑顔が消える。


鋭い視線が路地の奥へ向いた。


「……?」


悠真も振り返る。


だが何もない。


暗い路地が続いているだけだ。


しかし夜月はじっと見つめていた。


まるでそこに誰かいるかのように。


「どうしたんですか?」


夜月は答えない。


数秒後。


静かに呟いた。


「やっぱり変ね。」


「何がです?」


夜月は悠真を見た。


そしてどこか不思議そうな表情を浮かべる。


「あなたの後ろ。」


「え?」


「……なんでもない。」


そう言った夜月の瞳には、わずかな警戒が宿っていた。


彼女には見えていた。


悠真の背後に立つ巨大な影を。


鎧を纏った戦国武士の姿を。


その男――鬼神丸は、ただ静かに悠真を見守っていた。


まるで何かを待つように。

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