第24話 カミラ失踪
研究棟は学院の反対側に位置している。
真っ白な高塔が空へ向かって伸び、その外壁の中央には大きな学院の紋章が掲げられていた。
遠くからでも、一目でそれと分かるほど目立つ建物だ。
「ここが研究棟なんだ……すごいね」
沙耶香が高塔を見上げる。
「ああ。俺もこんな近くで見るのは初めてだ」
普段から、生徒は研究棟にむやみに近づかないよう言われている。
けれど今の俺たちは、学院から正式な許可を得て魔導設備の異常について調査している最中だ。
ミリアン先生も、ここまで来たことくらいでは怒らないだろう。
……たぶん。
「でも、警備はかなり厳重だね」
沙耶香が入口を指差した。
「シュン君、あれ見て」
研究棟の入口には、見たことのない魔導装置が設置されていた。
中へ入ろうとする人間は全員、身分証を装置にかざしている。
本人確認が終わってから、ようやく扉が開く仕組みらしい。
まあ、当然か。
ここは普通の生徒が気軽に見学できるような場所じゃない。
問題は――
俺たちはどうやって中に入る?
そう考えながら、警備員に直接事情を説明するべきか迷っていると、ちょうど白衣を着た男が大量の資料を抱えて入口へ向かってきた。
……試してみるしかないか。
「すみません」
俺は男を呼び止めた。
「オーサンワ・エリック教授にお会いしたいんですが、今はお時間ありますか?」
「エリック教授?」
男は足を止め、俺たちを上から下まで見た。
「君たちは教授とどういう関係なんだ?」
やっぱり警戒されるか。
どう見ても俺たちは、研究棟とは何の関係もないただの生徒だ。
「私たちはオーサンワ・カミラちゃんの友達です」
沙耶香がすぐに答えた。
「教授の娘?」
男の表情が少しだけ和らぐ。
「何かあったのか?」
「えっとですね」
沙耶香は真面目な顔で答えた。
「カミラちゃんはお父さんに呼ばれて、設備の修理を手伝いに来ているはずなんです。でも私たちの部活でも用事があるので、一度連れ戻しに来ました」
……かなり自然な理由だ。
というより、実際にそう聞いているわけだから、嘘でもない。
やるじゃないか、沙耶香。
「教授の娘を探しに来たのか……」
男は少し考え込んだ。
「まあいい。ちょうど俺も上に行くところだ。先に来訪者の登録をしてくれ。俺が案内する」
入口で簡単な身分登録を済ませたあと、俺たちは男と一緒に研究棟へ入った。
扉を通り抜けた直後。
沙耶香がこっそりこちらを振り返り、「成功した!」と言わんばかりの得意げな顔を見せてきた。
今は褒めている場合でもない気がする。
けれど俺は、無言で軽くうなずいた。
よくやった。
研究棟の中では、白衣を着た研究員たちがあちこちを行き交っていた。
分厚い資料の束を抱えて早足で歩く者。
廊下の端で数人集まり、報告書に書かれた数字を何度も確認している者。
歩きながら、俺にはまったく理解できない数式を書き込んでいる者までいる。
「みんな、すごく忙しそう……」
沙耶香が小声で言った。
「そりゃそうだ」
案内してくれている男がエレベーターのボタンを押す。
「ここの連中は基本的に研究が好きだからな。まあ、たまに自分がまったくやりたくない仕事を押しつけられることもあるけど」
男は困ったように肩をすくめた。
「苦労の中で楽しみを見つけるしかないってことだ」
「じゃあ、おじさんも研究が好きなの?」
「おじさんって呼ぶなよ、お嬢ちゃん!」
男がすぐに振り返った。
「俺だって、この学院を卒業してまだ数年しか経ってないんだぞ!」
俺たちより数年上なだけだったのか……
でも、その剃り残した髭を見れば勘違いしても仕方ないと思う。
俺はてっきり、どこかから雇われてきたベテラン研究員かと思っていた。
エレベーターはそのまま上へ進んでいく。
途中、透明な仕切り越しにさまざまな研究室が見えた。
中には、俺たちが今まで見たこともないような魔導設備がいくつも並んでいる。
透明な容器の中に、正体不明の物質が浮かんでいる場所まであった。
「一応、先に言っておくぞ」
男の声が突然真剣になる。
「今日ここで見たものは、外に出ても他の生徒に言いふらすなよ」
「ここには、まだ公開されていない研究も多いからな」
「わ、分かりました」
沙耶香がすぐに背筋を伸ばす。
そのとき――
チン。
エレベーターが最上階に到着した。
扉が開く。
目の前に広がっていた光景は、下の階にあった整然とした研究区画とはまるで違っていた。
散らばった報告書。
数式がびっしりと書き込まれた紙。
そして、床のあちこちに放置された設計図。
これを見るだけでも、ここにいる人間が普段どんな生活を送っているのか想像できそうだった。
「はぁ……教授、また散らかしてるよ」
男が呆れたようにため息をつく。
「そのまま踏んでいいぞ。床にあるのは、ほとんどいらないやつだから」
……本当に踏んでいいのか?
どう見ても重要そうな式がいくつも書いてあるんだけど。
俺たちはできるだけ紙を避けながら歩き、やがて廊下の奥にある一室へ到着した。
扉には一枚のネームプレートが掛けられている。
――オーサンワ・エリック。
男が扉をノックした。
「教授、人を連れてきました」
「何度言えば分かる! 俺がひらめいている最中に邪魔をするな!」
部屋の中から、すぐに怒鳴り声が返ってきた。
声だけ聞けば。
どこかの気難しい変人じいさんみたいだ。
「娘さんの友達だそうです」
部屋の中が一瞬だけ静かになる。
「……あの娘の友達?」
それから再び声が聞こえてきた。
「入れろ」
男は俺たちのために扉を開けると、そのまま立ち去っていった。
残されたのは、俺と沙耶香だけだ。
研究室の中は、外の廊下以上に散らかっていた。
企画書や研究資料が床いっぱいに積まれている。
その横にはさまざまな魔導器具が置かれ、緑色のランプが絶えず点滅していた。
部屋の中央。
少し乱れた髪の男が、作業机の前に座っている。
男は顔を上げ、俺たちを見た。
「カミラの友達だと聞いたが?」
エリック教授は目を細める。
「先に言っておく。もしこの研究室で俺に嘘をついたら――」
指先で軽く机を叩く。
「今日ここで見たものを、全部きれいさっぱり忘れさせてやる」
いきなり威圧してくるのか……
やっぱり、この研究室の中にあるものは外部の人間に見せていいものではないらしい。
でも。
それなら、どうしてこんなに簡単に俺たちを中へ入れたんだ?
「はい!」
沙耶香がすぐに姿勢を正した。
「私たちはカミラちゃんと同じ部活の部員です! 神代沙耶香です!」
「ヴィナ・シュン」
「ふむ……」
エリックはしばらく俺たちを見つめた。
「その名前は、あの娘から一度も聞いたことがないな」
「本当にカミラの友達なのか?」
……仕方ない。
ここは、ある人物の名前を借りるしかなさそうだ。
「俺たちは、ナドラ・ミリアン先生が作った部活の部員です」
「ミリアン?」
エリックの表情がようやく変わった。
「なるほど。お前たちが、あいつの新しく作った部活の生徒か」
エリックは机の上に置かれた水を一口飲んだ。
「それなら話は通る」
どうやら、俺と沙耶香の名前を合わせるより、ミリアン先生の名前一つのほうがよほど信用されるらしい。
「それで?」
エリックはコップを机に戻した。
「俺に何の用だ?」
「私たちの部活のほうで、少し用事があって」
沙耶香が答える。
「カミラちゃんを一度連れて帰りたいんです」
「カミラ?」
エリックが眉をひそめた。
「あいつなら、ここには来ていないぞ」
「……え?」
研究室の中が突然静まり返った。
隣にある魔導設備の低い作動音だけが、その静寂の中に響いている。
カミラが……
ここにいない?
「ちょっと待って!」
沙耶香が勢いよく一歩前へ出た。
「でも昨日、ミリアン先生は教授がカミラちゃんを呼んで、設備の修理を手伝わせるって――」
「昨日?」
エリックが持っていたコップが途中で止まる。
さっきまで漂っていた気だるそうな雰囲気が、一瞬で消えた。
「俺は昨日、一日中ここで研究していた」
声が明らかに低くなる。
「カミラを呼んだ覚えなんてない」
再び、空気が静まり返る。
今度の沈黙は。
ただ気まずいだけのものではなかった。
カミラは昨日、研究棟には来ていない。
ということは――
カミラは騙されて、どこかへ連れ出された。
誰かが教授の名前を騙って……
「そ、そんな……」
沙耶香の顔色が一気に悪くなる。
エリックはすぐには答えなかった。
ただ静かにコップを机へ戻す。
そして、ゆっくりと顎に手を当てた。
表情は冷静なままだ。
けれど、その目からは先ほどまでの苛立ちは完全に消えていた。
「最初から全部話せ」
エリックが言った。
カミラが研究棟へ来ていないことを確認したあと、俺と沙耶香はここ数日で起きたことを一からエリックに説明した。
各部活で相次いで故障した魔導設備。
放課後を狙って、学院の修理担当を装っていた人物。
そして昨日。
ミリアン先生のもとに届いた、エリックの名前を使った連絡。
すべてを聞き終えると。
エリックはしばらく黙り込んだ。
「つまり……」
「誰かが俺の名前を騙って、カミラを誘い出したということか」
声は静かだった。
だからこそ、かえって圧迫感があった。
「でも……」
沙耶香は明らかに動揺している。
それでも、最も重要な疑問を口にした。
「相手は、どうしてそんなことをしたんでしょう?」
今の時点で考えられる可能性は、大きく分けて二つ。
一つ目。
カミラ本人に対する個人的な恨み。
俺たちの知らないところで誰かとトラブルになり、その相手がわざわざ罠を仕掛けて彼女を誘い出した可能性だ。
そして二つ目。
相手の本当の狙いはカミラではない。
彼女の父親――エリック教授だ。
カミラを利用して、エリック教授をどこかへ誘き出そうとしている。
しかし。
どちらにしても、今の俺たちにはそれを証明できる情報がない。
「相手の狙いが俺である可能性も否定はできない」
エリックが突然口を開いた。
「何か根拠はあるんですか?」
「今のところはない」
つまり。
あくまで可能性の一つということか。
けれど、今一番大きな問題は犯人の目的じゃない。
それよりも――
カミラは昨日の時点ですでに騙され、どこかへ連れ出されていた。
誰かがエリック教授の名前を騙った。
しかも、その連絡はミリアン先生さえ信じてしまうほど自然なものだった。
そして俺たちは。
今になってようやく、それに気づいた。
途中の情報が、ほとんど完全に途切れている。
「ここで考え続けても仕方ない」
エリックが立ち上がった。
隣にある魔導設備の前へ移動し、操作盤を素早く動かし始める。
「俺は研究棟の設備を使って、カミラの魔力反応を追跡できないか調べる」
「それなら、俺たちは学院内で聞き込みをしてみます」
俺は答えた。
「昨日カミラを見た人がいないか。それか、どこへ向かっていたのか見ていた人がいないか探してみます」
「分かった」
エリックは振り返らなかった。実の娘の安否がかかっている。
当然だろう。
「何か分かったら、すぐに知らせろ」
沙耶香は隣で何度もうなずいていた。
それぞれの役割を確認したあと。
俺たちは一度、研究棟を後にすることにした。
建物の外へ出るまで。
沙耶香はほとんど何も話さなかった。
その表情に浮かんだ不安は、隠しきれていない。
俺は入口にいた警備員と、さっき俺たちを中へ案内してくれた研究員に軽く頭を下げた。
これから――
新しい手がかりが見つかるまでは、学院内で聞き込みをするしかない。
昨日、カミラの姿を見た者を探す。
ただ。
どうしても頭から離れないことが一つあった。
カミラは、ついさっき行方不明になったわけじゃない。
昨日、部室を出たあの瞬間から――
俺たちはすでに、彼女の行方を見失っていた。
カミラの行方が分からなくなり、事件も一気に不穏な方向へ進み始めました。
次回から、シュンたちは彼女の足取りを追っていきます。
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