第四章 大太刀を振る男
「清月、またお前に世話になったな。報酬も上乗せしておこう」
「構わない。刀の振りを試すことができた」
ふと、夜叉月は自分も追われる身だということを思い出し、(我々も人間同士も大差ないな)と、妙に可笑しな気持ちになった。
「ところで、その刀はどこで?」
「なんだ、数多くの名刀を扱ってきた清月でも気になる刀か。益々興味が湧くじゃねぇか」
「その刀はとても珍しい気を放っている。動乱の世を渡ってきたとは思えぬほど、清らかな気を」
座敷の隅では、若い衆がなるべく気配を消しながら、気絶した男たちを縄でぐるぐるに巻いて、外へと運び出しているところだった。
勝浦はどっしりと胡座をかきながら、夜叉月との会話とは似つかわしくない、ぞっとする程静かな眼光でその男たちを追った。口を割らせる算段でも立てているのだろう。
だが、再び夜叉月に向き直ったときには、いつもの人の良さそうな破顔を張り付けていた。
「この掘り出し物はな、浅草寺の裏の『常磐堂』という、古美術店で手に入れたんだ。最近じゃあ輸入もんも扱っているが、もとは老舗の骨董屋だ。あそこは目の利くじいさんがいてな、今は息子が跡を継いでいるらしいが……割といいもんを仕入れているんだ。まさかこいつに出会えるとは俺もたまげたさ。しかも、清月の見立てじゃあ、こいつは乱世で消えた後、さらに格を上げたらしい」
「常磐堂…」
夜叉月はその名に聞き覚えがあった。何度か通りすがりにその名の看板を見たことがあったのだ。確か、人の良さそうな中年の主人だったか。
通りがかりはするが、これまで特に興味を惹かれたことはない。その店の店頭には、現代的な西洋のキラキラとした品が来る客を出迎えていたはずだ。
まさかそのような店で、これほどの名刀も扱っているとは思いもしなかった。
このところ、廃刀令や廃仏毀釈によって、仏具や名刀などの打ち捨てられた品々が安価で骨董屋に流れてきている。
だがそれらは、どの店でも少なからず禍々しい気を放っているものが常であった。
あんなにも清らかな気を放つ品を扱う骨董屋があるのか?!
夜叉月が考えを巡らす間に、行灯の灯りと三味線の音が戻っていた。
「今日もいい音だ」
勝浦の一言で、座敷に再び穏やかな秩序が戻る。
◇
取り引きを終え、勝浦と分かれた夜叉月は、住処である根津へと戻ってきた。
明治初期に根津遊廓が深川へ移転してからというもの、このあたりは閑静で風情ある街へと変わったようだ。夜叉月は、この場所を気に入っていた。
根津神社の裏手。
幾重にも重なる色づいた木の葉をくぐり抜けてきた風が、湿った落ち葉や笹の葉が含む冷たい土の青くささをふわりと運んでくる。
崖を背にした湿地に佇む、古い漆喰塗りの蔵と小規模な庵。周囲は黒塗りの板塀と重厚な白漆喰の壁、中の様子を窺い知ることはできない。
近所の人々や人力車引きの間では「滅多に人の出入りがない、どこかの訳あり大旦那の厳重な蔵屋敷」、「あそこには触れてはならぬ『何か』が眠っている」と、誰が言い始めたとも知れぬ噂が暗がりに囁かれ、人々はただ恐れを抱いて遠巻きにその白漆喰の壁を見上げるばかりであった。
夜叉月が庵の扉に手をかける。そのとき、わずかに風向きが変わった感覚にぴくりと目を細め、神経を研ぎ澄ませた。
―――これは、奴が―――来る!
突然、巨大な影が、背後の空を切り裂きながら轟音とともに夜叉月に向かってきた!
夜叉月も即座に刀を抜きざま振り返り、相手の刃を正面から受け止める。
―――ガキィィィン!!
刃と刃がぶつかり合った瞬間、金属同士が耳をつんざくような甲高い悲鳴をあげた。空間が一拍遅れて呻くように揺れ、取り囲んでいた空気が水の膜のように巨大な半球を描いて弾けるように広がる。その膜が、周囲の木々を音もなくたたき割った。
あらかじめ結界の張られていた蔵屋敷だけが、行灯の灯りにとろりと照らされたまま、不自然に静寂を保っている。
「久しいのぉ、夜叉月」
地に降り立ったその男は、先ほど振るった三尺近くある大太刀を、肩に豪快に担ぎ上げている。暗がりの中で、高い位置で束ねられた男の髪の影や袴が騒がしげにはためいた。
「最近ここらが明るいのぉ。誰の光が照らしとるんやろなぁ。…気づいとるやろ?」
男は刀の背を肩でとんとん弾ませている。
夜叉月の目が鋭く細まる。
「…お前の清香、俺が先に見つけたで。教えて欲しかったら、大人しくしぃや」
夜叉月の表情は変わらなかったが、ほんのわずか、瞳の奥が揺らいだ。
その一瞬の隙を、男は見逃さなかった!
一足で距離を詰め、夜叉月の頭目掛けて左手を振り下ろす―――!
刹那の間を置いて、夜叉月の黒曜石の瞳が攻撃の軌道を完璧に捉えた。
だが、夜叉月は刀を振り上げることなく、ふっと腕を降ろした。
―――すこーん!
辺りに、なんとも間抜けた乾いた音が響き渡る。
「やったでー!!!また俺の勝ちやぁ!愛しの清香のことになるとほんま脆いなぁ!はい、討伐大成功ー!タッタラ~♪」
振り下ろされたのは鞘。華やかな朱漆で塗られ、金箔や黒の渦模様があしらわれているそれは、視界に入るだけで実に煩わしい。
それは夜叉月の脳天を直撃し、彼の黒曜石は静かに怒りの炎を宿す。
『夜叉月様に何しやがる!品のない護法神が!!』
夜叉月の代わりに、真尋が罵詈雑言を叫んでいるが、残念ながらその声は夜叉月にしか聞こえない。声の代わりに、柄の中で刀ががちゃがちゃと音を立て、今にも飛び出しそうだ。
「お!真尋か?!お前も俺に会えて嬉しいんやろ?」
『このとんちんかんめ!』
真尋が姿を現していたら、きっと真っ赤になって喚き散らしていたことだろう。夜叉月は宥めるように柄を撫でる。
「…何度この茶番に付き合わせる気だ」
「しゃあないやん!俺、護法神やで?追放された羅刹に会うて、何もせんわけにいかんやろ。こっちにも立場っちゅーもんあんねん!お前のこと殴ったったかんな!殴ったでな?罰は与えたでー!こんなもんで十分やろー。それはそうと、お前全然反撃せんやん、つまらんなぁ!しかも、刀下ろすとき、はぁめんど、みたいな顔したやろ!絶対したやろ?!」
「大人しくしろと言ったのはお前だろ。さっさとこの茶番を終わらせたいだけだ」
「そうでもせんと、お前強いもん。怪我すんの嫌やもん!」
本来なら、夜叉月はあれだけの稚拙で直球な攻撃など、反応が幾分遅れようが避けきれぬようなものではない。
だが、「護法神として法則に則って悪を制す」という大義名分のもと、夜叉月は一撃入るまで追いかけ回され、それこそ適当にあしらっているだけで三日はこのくだらない鬼ごっこが続いてしまう。
しかもどういうわけか、天翔はこの遊びを大層気に入っていて、長引くほどに嬉々として追ってくる。
もしくは、本気で相手をして、天翔を瀕死の淵に追いやってもいいのだが…あいつのためにそんな新たな業を負うのも馬鹿馬鹿しい。結局一発だけ大人しくくらってやることで最近は落ち着いている。
それを百も承知している男が、目を爛々と輝かせ、鞘とはいえ容赦なく渾身の一撃を叩き込んできたことが、どうしようもなく腹立たしかった。
夜叉月は珍しくこめかみに青筋を浮かべている。
こんな思いをするくらいなら、次は喜んで業を背負おう、と本気で腹を決めたところだった。
「でも嘘ついたんは謝るわ。ほんますまんかった!だけどな、嘘とわかってんのに、毎回すこーしだけ隙見せる夜叉月可愛ええわ~」
「ちっ……やはり嘘か、もうお前に用はない」
舌打ちともに、今度こそ夜叉月は大きく踏み出すと、ためらいなく切先を男の喉元目掛けて振り払った!
男は刃を避け切ろうと、頭を後ろに倒し、もはや背中の景色が逆さまに見えるほどに仰け反る!
「待て待て待て!本気がすぎる!ほんま怖い!すまんかったって!」
ばたん!
男が、体勢を立て直したときには、すでに夜叉月は乱暴に音を立てて、戸を閉めた後だった。
陽気に現れた護法鬼神―――天翔。約四十年ぶりの再会。




