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第三章 夜叉月の贔屓筋 【前編】

 境内を抜ける頃には、真尋の両手では抱えきれぬほどの荷物になっていた。

 真尋は顔中に笑みを浮かべ、弾むような足取りで夜叉月の前を歩いている。

 歩みに合わせて着物の裾がひらひらと揺れ、背中全体からご機嫌な様子が伝わってくるようだ。

 頭の横に斜めに狐のお面をひっかけ、今は最初に買ってもらった水飴を練るのに夢中で、あんず飴やきび団子は夜叉月が持っている。


 気のすむまで真尋の好きにさせていたため、空はすっかり茜色だ。

 夕日を背にした二人の姿が影絵のように浮かび上がる。色付いた草木を揺らす風は冷たくなり、コロコロとした虫の音に、二人の下駄の音が割って入る。


「…真尋、そろそろ」

「あ、はっ、はいっ!」


 その背中に声をかければ、真尋は慌てた様子で振り返る。自分と夜叉月の手元を忙しなく目線が往復し、夜叉月の手にある団子とあんず飴を手に取ると、なりふり構わずかぶり付いた。


「ごほっ!ごほっ!」


 大して噛まずに次から次へと口に運ぶものだから、真尋はだんごのきな粉にむせてしまった。


(もう少し待ってから声をかけてやればよかったか)


「…もういい、慌てるな。落ち着いて食べろ」

「で、でもっ…」

「大丈夫だと言っている。これ以上は言わない」


 夜叉月は歩きだし、今度は真尋がその背中を見る番だった。真尋が不安げに眉尻を下げ、だんだんと小さくなる夜叉月の背中を呆然と眺めている。

 だが夜叉月は、途中でぴたりと足を止めると、道端の大きめな石に腰かけた。石のひんやりとした冷たさが身体に伝わってくる。後ろ手をついて足を組み、退屈そうに群青の混じってきた空をぼんやりと仰いだ。


 それを見て、真尋の琥珀色の瞳にぱぁっ!と明るい光が戻った。真尋はてててっ!と走ってくると、その横に同じように腰掛け、今度はさっきよりも落ち着いて団子を味わう。


「夜叉月様もいりますか?」

「…いや、いい。お前に買った。お前が食べろ」


  真尋は団子を差し出したが、夜叉月がそう言うので、残りの団子も喜んで頬張った。


 真尋がようやくすべて平らげ、手についたかすを舐めていると、夜叉月はすっと立ち上がった。真尋もすとん!と石から下り、夜叉月の後を静かに付いていく。その夜叉月の足取りは、いつもよりも少しだけゆっくりだった。





 隅田川の川風が心地よく吹き抜ける水辺に沿って、黒漆喰の重厚な壁や格子戸を構えた茶屋が整然と立ち並んでいる。

 柳の青葉がさわさわと揺れる路地に、打ち水された石畳がしっとりと濡れて光る。

 夜叉月が両手を反対側の袖に入れながら歩いていると、箱提灯を掲げ、供を連れた芸妓たちが、裾をすっきり引きずり、下駄の音を澄んだ響で鳴らしながら艷やかに通り過ぎていく。


 目当ての料亭の前で女将が立っていた。夜叉月の姿を見つけると、たおやかな仕草で頭を下げる。


「お待ち申し上げておりました。お座敷、整ってございます。お相手様も、すでに」


 ここは、柳橋の料亭「水鏡」。女将の案内で、二階の最奥の間に通される。


「旦那様、黒田様がご到着されました。」

「おっ!ようやく来たか!待っておったぞ、清月せいげつ。お前が遅刻なんて珍しいもんだ」


 中に入ると、穏やかな破顔を浮かべた小綺麗な老紳士―――勝浦かつうらが夜叉月を出迎えた。


「遅くなり、申し訳ございません。ご依頼のものを、お持ちしました。」

「おいおい、付いた途端に仕事の話か?よしてくれ!まったく堅物が。ほら清月、お前もまずは飲め」


 夜叉月は隣に座った芸妓から、盃を受け取り、静かに口へ運ぶ。

 

 隅田川を一望できる、広々とした奥座敷。室内は無駄な装飾を削ぎ落とした数寄屋造すきやづくりで、床の間には季節の一輪挿しと一幅の掛け軸が控えめに飾られ、一流の洗練された「いき」の美意識が漂っている。

 

 川面に反射する月明かりを取り込むように開け放たれた障子の向こうから、心地よい川風が、戯れるように夜叉月の前髪をさらりと揺らす。

 思わず芸妓がうっとりとその前髪からのぞく黒曜石に見とれてしまった。それを型どる睫毛の角度まで繊細で美しい。まるで絵画をみているようだ!


「正直な女たちだな!あぁ、俺もあと三十若かったら、お前さんたちにそんな目で見てもらえたかもな!あっはっは!」

「もう、旦那様ったら」


 夜叉月は、仕事のときには仮の名を使っている。そもそも普段から、必要に迫られねば自ら名を明かすことはないのだが、取引の際には名が無いと何かと不便であった。仕方なく適当に付けた名だったが、黒田清月くろだ せいげつという名は、ある業界の中で思いの外知れ渡ってしまった。


 ―――黒田清月に会いたければ、夕刻から夜、柳橋で張るといい。

 浮世離れした美しさ、洗練された佇まい、全身黒で統一され圧倒的な存在感を放つ男。一度見れば誰だって「この男か!」と分かるはずだ。

 

 そして彼は少しずつ認知され、彼が安請け合いしないのも相まって、いつの間にか夜叉月への取り引き報酬は破格の値へと跳ね上がっていった!


「そういや、清月。気になっていたんだが、その面は何だ?」


 勝浦に言われ、夜叉月が目線を落とすと、懐に滑り込ませてあった狐の面が半分ほど顔を出していた。それをしまい直して合わせ目を正す。


「なんだ、ずいぶん可愛いじゃないか。全く読めない男だねぇ。いや、それにしても今日は清月のずいぶんと珍しい姿が見られているなぁ!そうだろ?」

「そうねぇ、せいさん。確かに、いつもなら先に酒をあおって一人川を眺めて待つのが好きな清さんが、遅れてやってくるってだけでも珍しいのに」


 目元を細め、にやり顔の女が「もしや…」と、夜叉月の耳元にずいっと近づいて続ける。


「お目当ての探し人でも見つかりました?」


 またスッと体勢を戻し、女は先ほどと同じ距離を取って、口元を隠してくすくす笑っている。


「そう見えるか?」


 顔色一つ変えない夜叉月をじっと見たあと、女も答える。


「ちっとも?」


 さらりと言ってのけ、またくすくす笑い出す。どうやらこの女は、普段とどこか違う夜叉月に、悪戯心がくすぐられたらしい。


「いやぁ、嬉しいねぇ。謎多き清月の紐を一本ほどいた気分だ」


 勝浦は片眉を上げて愉快そうに盃をかるく回しながら、夜叉月を覗き込む。


(大袈裟だな)


 勝浦は軽口もひと通り済むと大人しくなり、三味線と小唄に耳を預け始める。そして一度静かに盃を傾ける。


「今日もいい音だ」


 勝浦がそれを言葉にすると、場の空気がぴりっと切り替わった。芸妓は口を閉じ、背をぴんと伸ばす。

 取り引きの時間だ。

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― 新着の感想 ―
真尋のキャラが立っていて凄く印象的でした! 団子のシーンに和みました^_^ 素直で健気な人は、やはり良いものがありますね!
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