第三十二章 真尋の血筋 【後編】
山奥の住処で暮らし始めた翌朝、真尋は夜が明けると同時に絶叫した。
「ほ、本当に刀神様なのですか?!え?!僕、一緒に暮らすんですか?!どうして?!えっ?!」
顔を赤くして慌てふためく真尋の反応は、夜叉月にとって存外に新鮮であった。
しかし時が経つにつれて、真尋は戻らない母親への不安を募らせていく。
「母上が帰ってこない。どうしたのかな……。村の人に聞いてきます」
夜叉月は何も答えず、ただ童子の背を見送った。
村から帰ってきた真尋は顔面蒼白になっていた。
「母上が……病気で、人に移さないように山に籠もったって……場所も教えてもらえませんでした」
今にも崩れ落ちそうな真尋を前にしても、夜叉月は慰めの言葉一つかけなかった。
……そんなもの、なんの役に立つ。
それから数日後の大雨の日。真尋は再び村へ行き、致命的な情報を持ち帰って来た。ずぶ濡れになりながらなんとか辿り着いた様子の真尋は、戸の前で力尽きたように膝から落ちた。
「母上が……亡くなったそうです。病が広がらないよう……すでに火葬されたと……」
真尋の琥珀色の瞳からとめどなく溢れ出す大粒の涙が、雨で濡れた頬を上書きしていく。声にならない嗚咽が雨の音に混じって部屋に響いた。
夜叉月はやはり言葉をかけなかった。ただそれ以上雨が吹き込まぬよう、座り込んだ真尋の背後の戸を締め、囲炉裏に火を焚いた。
真尋はとうとう声を放って泣き始めた。溢れる涙を拭いもせず、両手を床について泣き叫ぶ。
夜叉月は壁に背を預け、立てた膝の上に肘を置いた。真尋の悲痛の声を静かに受け止めながら、ただ赤々と燃える炎をじっと見つめていた。
こんなとき、人間はどうするものなのだろうか―――
◇
「夜叉月様、あ、あの……昼餉を作ってみたのですが……一緒に食べませんか」
あれから一ヶ月。
真尋は未だに夜中に一人泣くことはあるが、少しだけ落ち着いたように見える。だが夜叉月に対する緊張はいまだ拭えないらしい。
夜叉月が昼餉の汁を覗き込む。
「だめだ。この菜は人間には毒だと教えただろう」
「す、すいません!作り直します!」
真尋は逞しく、大概のことを一人でやってのける。
満はきっと己の死期を悟っていたのだろう。その上で、真尋が一人で行きていくのに困らないよう鍛え上げていたようだ。その甲斐あって、真尋はもうほとんど生きていく知恵を網羅している。
たまにこうして命に関わる大失敗に直面することはあるが、夜叉月はその都度、静かに手を差し伸べた。
真尋が再び汲んできた水を火にかける間に、夜叉月は彼の摘んだ山菜や茸の山から、毒のあるものを弾いていく。最終的にその山は半分ほどになった。
だが二年が経つ頃には、夜叉月のそんな手助けもとうにいらなくなっていた。
真尋は驚くほど背が伸びた。齢九つほどになった彼は自ら薪を割り、村へ売りに出て、引き換えに得たわずかな穀物などで慎ましやかに暮らしていた。
「真尋、私は明日から暫く家をあける」
昼餉の途中で、夜叉月は唐突に真尋に切り出す。
真尋との生活で護法善神としての任務を後回しにしていたところ、夜叉月のもとへ不動明王から怒りの伝令が届いたのだ。
「え、ええと……お仕事ですか……?」
「……そうだ」
真尋が不安そうに長い睫毛を伏せた。常に明るく笑う真尋が見せるその陰りに、夜叉月は椀を持つ手を止めた。
夜叉月は日頃から口数の多い方ではないし、特に真尋のすることに干渉するわけでもない。ただ同じ空間を過ごすというだけだ。
だから、数日不在にする程度、大したことではないと勝手に思い込んでいたのだ。
夜叉月の視線に気づいた真尋が慌てて笑みを戻し、汁を搔き込む。
「わ、分かりました!留守はお任せください」
「……あぁ」
やはりこんなときどう声をかけるべきかも分からず、夜叉月はただ素っ気なく返事をすることしかできなかった。
昼餉を終えて夜叉月が外へ出ると、足元に雲ではない奇妙な影がフワフワと揺れていた。その影は半分ほど日を透かした薄いもので、やたらとひらひらしている。
「……?」
何事かと空を見上げると、そこには色とりどりの綺羅びやかな衣に身を包んだ天界の遣い―――天女が、優雅に漂い浮かんでいた。
淑やかに口角を引き上げたその天女は、羽衣をはためかせ、こちらを見下ろしている。
「やっと気づいてくださいましたか?私は清香です。あなたを案じた普賢菩薩様の命により、あなたの様子を見に参りました」
これが清香との、初めての出会いだった。




