第三十一章 真尋と刀神 【中編】
吹き荒れる鬼気は大木をもなぎ倒す。だが夜叉月は微動だにせず、表情も変えぬままその暴風を受け止めた。
風が過ぎ去ると同時に刀を引き抜き、再び鬼の手首を目掛けて振り下ろす。だがまたしても彼の手を落とすことは出来なかった。しかし相手とて無傷ではない。
「刀神……いつかお前の後悔に歪む姿を必ず見に行ってやる」
追い詰められながらも、鬼の瞳に宿る執念は揺るがない。
(このまま肉を削ぎ落としていってもいいが……)
やはり時間と労力の無駄だろう。
一気に片をつけるべく宙へ躍り出ると、振り上げた刀身に神気を込める。鬼の首目掛けて叩き込むように振り下ろした瞬間―――鬼が上方を仰ぎ見て、血走った目で夜叉月の瞳を真っ直ぐ射抜いた。
童子切が首を捉える直前、鬼の瞳から目を眩ますほどの強烈な光が放たれた!
至近距離で閃光を受けた夜叉月は一瞬視界を奪われる。光が萎むと同時に、鬼の気配は完全に掻き消えていた。
夜叉月が振り下ろした刀身は空を切り、地面へと突き刺さる。
ざわめいていた木々が静まり返り、雲間から差し込む月光が静寂を取り戻した夜を照らした。
夜叉月は地面から刀を抜くと、血を払って静かに鞘へと収めた。
住処へ戻ると、真尋が布団の上で膝を抱えて座っているのが戸の隙間から見えた。そこにいつもの笑みはない。
戸を開けると、こちらに気づいた真尋が顔を上げ、琥珀色の瞳を輝かせて笑った。それから慌てて姿勢を正し、正座して膝の上に手を置く。
「夜叉月様! おかえりなさい」
「起こしてしまったか」
「いいえ!」
「……まだ遅い。もう一度寝ろ」
夜叉月は刀を脇に置くと、いつものように部屋の隅に腰を下ろした。
「今夜は……また行かれてしまうのですか」
「……いや。もう済んだ。寝ろ」
「は、はい……」
真尋は再び横になり、布団を引き上げた。時折確認するようにこちらへ視線を寄こすが、夜叉月は何も言わず、ただじっと窓の外の月を眺めていた。
◇
八十年ほど前、京を荒らしていた鬼の一派を討つため、人間界で最高峰の腕利きの者たちが集められた。その先頭に立った将の手に握られていたのが『童子切安綱』であった。
彼らは鬼どもを欺いた。快く人間たちを迎え入れた鬼たちに毒酒を呑ませ、隙を突いたのだ。
だが、振り下ろされた刃は頭首である酒呑童子によって止められた。酒呑童子は怒り狂い、人間たちを殺さんとして地獄の業火を放った。
刹那―――童子切の刀身から溢れ出た青銀の光が輪郭を結び、そこに一人の男が立ち現れた。
漆黒の髪に吸い込まれるような黒曜石の瞳。月光を纏い、青銀の光の粒子を撒き散らしながら、男は圧倒的な神気で刀を振り抜き―――一閃のもとに酒呑童子の首を打ち落としたのだった。
「なんと有難い……私たちには刀神様がついている!」
「刀神様の加護により、脅威は滅び去ったのだ!」
鬼の討伐を終え、夜叉月を伴って都へ帰還した部隊を、京の人々は熱狂とともに迎えた。
人々の祈りと切望が刀に宿り、刀神としての魂を結実させた。彼がいる限り、京の平穏は未来永劫約束されたのだと。
夜叉月はただ自分の役割を理解し、全うしようと努めた。時折現れる鬼の残党や、新たな怨霊の群れを討ち、その度に人々は夜叉月へ心酔していく。
だがし、夜叉月はやがて彼らの間に漂う異様な歪みに気づくことになる。
「あの日、酒呑童子の討伐に出向いた全員が生きて帰ったそうだ! まさに刀神様の奇跡だな!」
「違いねぇ!圧倒的な力で鬼どもを滅ぼしてくれたそうだ」
「あの日行ったやつの話じゃ、刀神様が一振りで頭領の首を落とし、一瞬で決着をつけられたらしい!」
全員生きて帰った―――?違うだろう。
あの日たった一人、帰ることの叶わなかった者がいたはずだ。
どうやら人間たちは、真実を捻じ曲げてまでこの「刀神の物語」を完全なものにしたいらしい。誰も彼も、最初からその一人は存在しなかったように消し去る。あの日、そこにいたすべての者達が見ていたはずだった。その真実を。
―――人間とは、なんと滑稽で醜い生き物だ。
そもそも「彼女」の存在がなければ、京の平穏など訪れるはずもなかったというのに。
あの日、最も気高く散っていった彼女の最期の姿は、消えることのない焼き印となって夜叉月の記憶に残り続けたいた。
◇
「おはようございます、夜叉月様!」
夜叉月が朝早くから、川で身を清めて戻ると、真尋が既に朝餉の支度を整えていた。
地面を掘った囲炉裏で火を焚いて、その上に置いた素焼きの鉢で雑穀を混ぜた米を煮詰めていた。
「これも焼くといい」
夜叉月は気まぐれに捕えてきた鮎を渡すと、真尋は目を見開いたまま固まった。濡れてしまった衣装を着替えようと部屋の隅へ向かった夜叉月が振り返ると、真尋は震える手で魚を見つめている。夜叉月にとっては文字通り朝飯前で、なんてことはないというのに。
「あ、ありがとうございます!!」
歓喜に顔を綻ばせる真尋を確認し、夜叉月は新たに袖を通した着物の帯を締めた。
(真尋は痩せすぎだ。もっと肉をつけた方が良い)
真尋は大事そうに竹串で刺した魚を火にかける。
今朝の朝餉は久々に豪華になった。子供らしく頬張る真尋を見て、夜叉月は小さく頷いた。




