第二十七章 練り羊羹を手に入れるという口実 【中編】
人力車は軽快な足取りで進み、銀座の赤煉瓦の街路へと入った。
車夫が三人を乗せ一歩進もうとした時、怪訝な顔でこちらを振り返った。
「お客さん方、ずいぶん軽いような……」
「気のせいだ」
まぁ、現在絢は羽根の軽さになっているので無理もない。
冷たさを増した空気が、絢と真尋の鼻先をほんのり赤く染めた。
「絢、寒いか?」
「ふふ。空気は冷たいけれど、このまま季節を感じていたいです」
「真尋は?」
「僕は楽しいから寒くないです!」
「ははっ、そうか」
車夫は滑らかな手さばきで人混みを縫うように抜け、目的地のカフェのガラス扉の前で静かに停車した。
白塗りの石造り風の外壁に、アーチ型の大きなガラス窓が嵌め込まれている。
「こ、ここは……最近できた有名カフェではないですか!意外ですね!夜叉月はこのようなハイカラな場所はあまり好まないのかと」
「知っていただけで来たことはない。ただ、絢となら来てみたいと思って」
「……っ!そ、そうですか……」
絢の手を引き、真尋を抱えながら、夜叉月は重厚なガラス扉を押して足を踏み入れる。そこは眩いばかりの銀とガラスの世界。
真尋は中に入った途端、目を見開いてキョロキョロと見回している。夜叉月が面白半分で二本指を真尋の背にトンッと当てると、真尋の着物がブラウスと黒い短パンへと変わり、さながら良家のお坊っちゃんだ。
「……!?」
真尋は不思議そうに首を傾げながら、自分の服のあちこちを引っ張ってみている。
絢は大理石張りのソーダサーバーに釘付けになっていた。
鏡面のように磨かれた銀の蛇口や、冷気で薄く曇ったカットグラスが、天井の電灯を反射してキラキラと輝いている。
だが、夜叉月には絢の澄んだ瞳の方がよっぽど煌めいて見えた。
「ここが気に入った?」
「ふふっ!ええ、とても!なんだか御伽噺ような場所ですね」
絢と真尋はココアを頼んだ。温かい飲み物を探していたところ、白い給仕服を着た店員が勧めてくれたのだ。
「じゃあ私も同じ物を。あと、シュークリームも二つ」
それを聞いた絢がピクリと反応する。夜叉月はその様子を見逃さない。卓に両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて、向かいに座る絢へとまっすぐ微笑みを向けた。
やがて銀のトレーに乗せられて、湯気を立てる重厚な磁器カップと、丸く可憐に焼き上げられたシュークリームが運ばれてきた。
濃密で甘いココアの香りに、真尋は口を開いたまま固まっている。感動に瞳を輝かせ、隣に座る夜叉月の袖をくいくいと引っ張った。
「な、なんですか?これは?!」
「飲んでみるといい。熱いから気をつけろ」
真尋は早く味わいたいのか、ふーふーと思い切り息を吹きかけている。
正面を向けば、絢も真尋に負けず劣らずな瞳でココアとシュークリームを交互に見つめていた。
「ははっ!やはりここに来て正解だったな」
夜叉月もココアを一口啜ってみる。思った以上に甘かった。普段、甘味はあまり好まないが、これはこれで悪くない。
夜叉月は隣でシュークリームを頬張る真尋の頭を撫でながら、絢を見つめた。
「あ、あの……そんなに見られては……」
夜叉月があまりに見つめるものだから、絢は少し居た堪れなくなったのか、フォークの先を咥えたまま目線を逸らす。
「ついていますよ?」
そう言って夜叉月は指で自分の唇の端をトントンと触れてみせた。
「えっ?!」
「取ってさしあげましょうか?」
「い、いえ!自分でできます!」
絢は慌てておしぼりで口元を拭うが、クリームらしきものはつかない。「あら?」と、前を見れば、夜叉月がふっと息を漏らす。
「すみません。可愛くてつい」
「えっ……?!も、もう!揶揄わないでください!」
絢は頬を赤くして抗議した。
夜叉月はまったく悪びれもせずにご機嫌で笑っている。絢は諦め、細めた目に抗議の意をこめて、ココアを啜った。その上品な甘さに心を奪われたのか、絢の瞳は一瞬で和らいだ。
そんな二人のやり取りを、真尋は不思議そうに首を傾げて眺める。
三人の時間は穏やかに流れていった。
◇
真尋がまた乗りたいと言うので、赤坂までの道のりを人力車で行くことにした。道中は坂道が多かったため、夜叉月は座席に指を触れて術を施す。車夫は急に足取りが軽くなった。坂道だと言うのにあまりに軽快に走るものだから、通行人が次々と振り返る。「いやぁ〜今日は調子がいい!」と、車夫も声高々だ。
銀座から赤坂までは三十分ほど。途中、揺られながらうつらうつらとし始めた真尋が、夜叉月の腕の中で眠ってしまった。
「真尋……?」
腕の中で脱力する真尋に驚き、夜叉月は絢を見る。
「……絢がやったのか?」
「え?……何がです?」
「いや……。時を共にするようになってから、真尋が眠ったところなど……見たことがない……」
「ふふっ、子どもなのですから、はしゃぎ疲れたら眠りもするでしょう」
絢が慈しむように目を細めた。
この不思議な現象の真相は分からない。だが安心したように眠りこける真尋と、それを優しく見守る絢の姿に、夜叉月は理由などどうでもよくなってしまう。
真尋の声が無くなると、二人の間には急に静かな時間が流れ始めた。
絢は横を向き、過ぎゆく街並みを眺めている。表情は見えないが、後頭部で弾むように揺れる簪が彼女の心を表しているようだった。夜叉月はふと問いかける。
「絢……この間の柳橋でのこと……覚えている?」




