第二十六章 卵粥 【後編】
本家に待機していた皆が呼び寄せられた。
店の戸がガララッと力任せに開かれ、ドタドタドタと落ち着きのない足音が近づいて来る。部屋の中に突っ込んで、真っ先に絢の胸に飛び込んだのは小春だった。
夜叉月は絢の近くに置いてあった土鍋と椀の乗った盆をさっと避ける。
「絢姉ちゃん……絢姉ちゃんっ」
「よしよし。もう大丈夫だからね」
人目も憚らずわんわんと涙を流す小春は、布団から上半身を起こした絢の腕に絡みつき、しばらく離れようとしなかった。なぜか時折、夜叉月の後ろにいる天翔を睨みつけていた。
横目で天翔を見れば、小春と目を合わせないようにそっぽを向き、口笛を吹いてる。
決して広くはない部屋に、店主を含めた五人が絢の周りを囲む。
「ふふっ……目を覚ました途端に賑やかね」
絢は眩しそうに、その澄んだ目を細めた。
絢に宥められ落ち着いてくると、小春は天翔に敵意を込めてびしっと人差し指を向けた。
「あいつが……あいつが!!!」
「こらこら、人に指を向けてはだめよ」
絢がやんわり嗜めるが、小春の怒りは収まらない。
「あいつが、私のこと眠らせて!!絢姉ちゃん大変なときに、助けられなくて……!あいつのせいで!!!」
「い、いや俺は……」
感情の高ぶった小春が再び泣き出す。切れ長の整った瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。小春びいきの絢は、少なからず非難めいた目を天翔に向ける。
「あ、絢まで!!!」
「……お前が悪い。言い訳なんて見苦しいぞ天翔」
「夜叉月まで!!!」
事情は知らないが、絢が正義の夜叉月は迷わず天翔を一方的に裁く。
「なぁ、小春。俺だって悪気があってそうしたんとちゃうで。お前、あの絢見たとき泣き叫んで限界やったやん」
「でも……それでも!私が絢姉ちゃんを助けたかったの!私はいつも助けられてばかりだから!!!」
「お前の気持ちもな、分かるんやけど……見てられんかったんや。俺の勝手や。すまんの、小春」
「う、うわぁぁぁん」
小春はまた声を上げて泣き出した。
天翔の言い分を聞く限り、呪いにかかった絢を見て取り乱した小春を、天翔が無理矢理眠らせ、今まで本家に連れて行っていたらしい。
事情を知った絢は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんね、小春。心配かけたね」
「絢姉ちゃんが謝らないで。でも、でもこういう無茶は……もうしてほしくない」
「……うん。ごめん」
「違う。私がごめんなさい。……ただ、私も、ちゃんと心配したかったの……今度は、絢姉ちゃん守れるくらい心も強くなるから……だ……から……」
言葉が途切れ、小春の身体がぐらりと揺れた。
ぱたん。
「小春?!」
絢の腕に巻き付いて泣いていた小春が、そのまま膝の上に倒れ込んだ。呼吸は荒く、顔が火照っている。絢が小春の額に手を当て、僅かに眉を潜めた。
「……すごい熱」
小春の顔が赤かったのは、天翔への怒りに震えていたからではなかったらしい。絢は自分のいた布団に小春を寝かせた。
「絢はもう大丈夫なのか?」
「えぇ、もう大丈夫。もともと病気だったわけではないし……何よりあなたのお粥のおかげです。ありがとう、夜叉月」
絢が夜叉月に微笑みかけると、大人しくしていた夕澄がきっ!と、扇越しに夜叉月を睨みつけた。
絢は水を入れた湯呑を持ってきたり、濡らしてきた手ぬぐいを額に置いてやったりと、甲斐甲斐しく小春の世話をする。夜叉月もそれを手伝った。
「小春、お水を飲める?何か他に欲しいものはある?あ、夜叉月のお粥、絶品だけど少し食べる?」
「……」
小春は受け取った湯呑に口を付けながら、窺うように夜叉月をじーっと見つめた。
「食べたらいい。絢が言うならいつでも作れる」
夜叉月は興味なさそうにその視線を受け流し、小春の視線が訴える問いに応えた。
「……食べる」
絢は新しい椀と匙を持ってきてにこにことよそい、小春に手渡す。ぬるくなったお粥を口に入れると、小春は目を見開いて手元の椀をじっと見つめた。
「お、美味しい……」
「そうでしょう?」
小春が次から次へとぱくぱく口に運ぶ様子を眺めながら、絢は笑顔で夜叉月に目配せする。夜叉月も絢に優しく微笑み返した。
「小春?何か他にほしいものはある?」
あっという間に食べ終えてしまった小春に、絢が椀を片付けながら尋ねる。小春は何か言いたげに、上目遣いでちらちらと絢を見上げた。
「……」
「ん?何かねだりたいものがあるんでしょう?言ってごらん?」
「えっと……羊羹……」
「羊羹?」
「そう……えっと……と、虎屋の練り羊羹が食べたいです!」
少し言いにくそうにもじもじしていた小春だったが、最後は腹を括って言い切った!絢は面食らったように目を見開いていたが、すぐに声を上げて笑い出す。
「あはっ!!そっか!確かに、それはこんなに弱っているときじゃないとおねだりできないかもね。これは小春なりの抗議とみた」
虎屋と言えば、赤坂にある皇室御用達の老舗和菓子屋だ。中でも白砂糖と上質な小豆をふんだんに使った練り羊羹は、かなりの高級品だった。
「いいよ、小春がこんなになるまで心配させてしまったのは私だものね。私が責任を持って買ってきます」
小春はぱぁっと瞳を輝かせる。
「じゃあ、絢も無理はできんし、俺買ってきたろか?」
「お前はいい。俺が行く」
夜叉月が素早く腕を伸ばし、天翔の顔の前に袖を垂らして言葉を遮った。それから絢に優しい目を向ける。
「絢、一緒に行かないか?もちろん無理はさせない」
絢が瞳を丸くし、夜叉月を見つめ返した。
「夜叉月、お前が絢と行くなら俺も行こう!」
「だ、だめ!お兄ちゃんは待ってて!」
「――!!?」
夕澄は言葉を失って扇子を落とした。事実、夜叉月も驚いていた。こんなにはっきりと絢が夕澄を拒否するなんて―――!
夜叉月の作った粥を美味しくいただいてしまった小春は、何も言えずに俯いている。ましてや小春は絢の意思を否定することは出来ない。小春は文字通りぎゅっと目を瞑った。
これで邪魔者が全員片付き、大手を振って絢を連れ出せる!夜叉月は緩む口元を抑えきれず、逸る気持ちで胸の鼓動まで忙しなくなった。
絢はひょいと立ち上がると、部屋の出口で振り返り、澄んだ明るい声で夜叉月に告げる。
「じゃあ、支度してきますね、夜叉月」
花が咲いたような笑顔が弾ける。その瞬間、夜叉月の肌を春のような風がふわりと撫でた。




