第二十五章 古の羅刹にその身を捧げた男 【前編】
夜叉月は童子切の柄を握り、天翔は大太刀を肩に担ぎ、夕澄は呪符を何枚も指に挟んでいる。臨戦態勢は十分に整っていた。
「またお前の客か!」
「……呼んだ覚えはない」
「人の家を落ち合い場所にしやがって」
「ここを指定したのは親父殿だろ?」
「そう呼ぶな!!!」
夕澄は美しい佇まいには似つかわしくない口調で嫌味を言うが、夜叉月はさらりと返り討ちにした。
猫背の男が横に揺れるようにしながら一歩踏み出すたび、辺りに腐敗臭が立ち上る。夕澄が口元を隠す扇子を目のそばまで上げ、顔を険しく顰めた。
「人間……じゃ、ないな」
「鬼やな。人間の身体を乗っ取ったんやろうが……あの身体も限界や。他に乗り移られる前に始末せんと」
それを聞くなり夕澄が指の間に一枚ずつ挟んでいた三枚の呪符を素早く投げつける。だが、それらは男の肌の表面でキンッ!と鋭い音を立てて跳ね返され、地面に突き刺さった。
「人間ごときの術など、あの方の加護を打ち破れるはずがないだろう」
男は今にも外れそうな顎でケタケタと笑っている。
「気持ちの悪い奴め!」
夕澄は心底嫌そうに顔を歪め、扇子の無い手でしっしっと払った。
男がだらりと垂らしていた両手を徐に広げる。
すると、広げられた手と手を繋ぐように、数十体の怨霊の魂が鬼火となりずらりと現れた!
鬼火はそれぞれが青白く光り、小刻みに震えている。
「ちっ」
「あかんっ!」
男が目を見開いて、口元をにやりと歪めると、鬼火は叫ぶように火の勢いを増した。それと同時に夜叉月と天翔が飛び出す。
「拠り所を求める魂を―――解放する!」
男が合図を出すと、それらが一斉に四方八方へと飛び出した。
夜叉月は、それぞれの動きを読み、一番多く斬れる筋で一振りする。十数匹が瞬時に消えてなくなった。そのまま流れるように、さらに数度刀を振るう。
天翔も同様に大太刀を振り回していたが、彼はちょこまかと動く小さな標的を斬るのは苦手なようだ。大太刀を派手に動かしながらも、斬れたのはせいぜい三、四匹だった。
「だぁー!!小賢しいやっちゃなぁ!!」
「……がさつな男め」
「非効率だな!」
「お前ら、言いたい放題言いやがって!人にも鬼にもな、得手不得手があんのや!!」
天翔の振り上げた太刀が、蔵の側に生えていた柿の木を掠めた。すかさず両脇から駄目出しが入る。
「絢の木を勝手に切るな」
「丁寧に振れないのか馬鹿鬼!」
「辛辣!!!」
一方、夕澄が投げた数枚の呪符は、個々に魂を追いかけ回し、追いついて張り付くやいなや激しく燃え上がり、魂ごと焼き尽くしていた。
(でたらめな呪符め)
人間が扱うにはかなり高度な術具だ。この男は本当に底知れない。本来ならば頼もしい限りだが、これが絢の兄かと思うと、厄介以外の何者でもない。
「どうなっとんのや……」
天翔が呆気にとられたような顔で、有能な呪符たちに感心している。
このままでは埒が明かず、夜叉月はひとまず他の人間たちに呪いが移らぬように隙をついて結界を施そうとした。しかしそれは強力な術で相殺されてしまう。
「ちっ」
(こいつの言う「あの方」の仕業か)
夜叉月は小さく舌打ちし、すぐには対応しきれなそうな結界を諦め、怨霊を叩き斬りながら考えを巡らせた。
「おい天翔。それが苦手なら、あの死に損ないの鬼を直接打ってこい。あいつがこの呪いの元凶だ。あいつが怨霊たちに呪いを乗せて取り憑かせているんだろう」
「人使い本当荒いわぁ……」
「お前は鬼だろ」
「……」
天翔は半ばやけくそに「やったるわ!」と叫んで、猫背の男に向かっていった。
「おらぁぁぁぁ!」
ガキィィィン―――!!
甲高い音が響く。
相手の胴体を真横に真っ二つにすべく、確かに肋の脇に叩き込んだはずだった。しかし、まるで鋼に当たったかのような衝撃音が響き渡り、あろうことか跳ね飛ばされたのは天翔の方だった!
ざぁぁぁぁ!!
天翔の草履が地面を滑り、姿勢を低くしながら足を踏ん張って何とか止める。
「へっ?」
天翔の口から間抜けな声が出た。
その様子を横目で見ていた夜叉月は目を微かに細める。どう見ても、強そうな相手では無いし、その男自体の気配もまったく大したことはない。
(あの方の加護……か)
「交代だ、天翔」
夜叉月は相手にしていた魂の群れを放り出し、一瞬で男との距離を詰めた。難なく男の背後を取り、その首元に童子切の刃をあてる。
だが、手応えがあまりにも薄い。この男はどんな攻撃をも恐れていないかのように、避ける素振りすら見せない。
「……ずいぶんと余裕だな」
「あの方の加護があればお前ら如き―――」
「そればかりだな。試してみるか」
夜叉月は黒曜石に光を走らせ、あてがった刃に少しずつ力を込める。すぐにぴきっと硝子の割れるような音がして、男の顔が青ざめた。
「やめっ―――」
「馬鹿め、やめておけ。これだから頭の悪いやつは」
そこへ、ここにはいなかったはずの第三者の声が降ってきた―――




