第二十四章 怨霊騒ぎ 【中編】
翌日、夜叉月は午前中に買った見舞いの品を持って常磐堂へ向かおうと、根津の住処で準備を整えていた。
(ずいぶん遅くなってしまったな)
夜叉月は朝から店を転々としていた。体調の悪い絢に持っていくには何がいいか、本当にあれこれ悩んでいるうちにだいぶ時間が経ってしまったのだ。
普段ならそろそろ日が落ち始める頃だが、今日も空が晴れないせいで、すでに外は薄暗い。だが時間的にはまだ間に合うはずだ。
夜叉月は、甘柿と真っ赤なりんご、蜂蜜の小瓶を丁寧に竹籠に詰め、それを淡い山吹色の風呂敷で包んでいた。そこへ―――
ドンドン!!
「おい!夜叉月!おるかー!?大変やで!!」
常なら苛立たしいほど陽気な男が、珍しく焦った声色でやってきた。玄関先の戸を乱暴に叩いている。鬱陶しいことに変わりはないが、夜叉月はため息一つで戸を開けた。そこには予想通りの顔が、予想以上に息を上げながら立っていた。
「よかった!おったか!!大変やで!!さっき常磐堂よったらな、もう大騒ぎで……昨日から絢の意識が戻らんって―――」
最後まで聞き終わらぬうちに、夜叉月はその場からパッと姿を消した。天翔もすぐ後に続く。
常磐堂の前には近所の人がそわそわと集まり、遠巻きに人だかりができていた。
「絢ちゃん、大丈夫かしら。噂の悪霊の仕業じゃないかって……」
「あぁ、何でも、出たんだろ?首筋にあの紋が―――」
「あの紋が出たら数日で悪霊に喰われちまうっていうやつか?」
「だがまだ暴れ出してはねぇって話だ。……でも残念だが、あれが出て助かったやつはいねぇ」
(紋……?)
夜叉月は人だかりを避け、まっすぐに常磐堂の中へ入っていく。
「絢、絢ぁ!!目を開けておくれ!!」
暖簾のさらに奥、突き当りの部屋の方で、主人の声がする。夜叉月は大股で廊下を進んだ。
スパン!と勢いよく部屋の襖を開く。
小さな畳の小部屋の真ん中に布団が敷かれ、その周りを数人が取り囲んでいた。小窓から差し込む光は重苦しく、白檀の香りが弱々しく漂っている。
布団には、顔色を失った絢が眠るように横たわっていた。
その光景を目の当たりにした瞬間、夜叉月の思考は白く吹き飛び、自分が息をしていることすら忘れそうになる。夜叉月はぐらりと崩れそうになるのを必死で耐えた。
―――あまりにも似ていた。前に一度、こんな光景を見たことがある。
清香の命が消えてから一回目に生まれ変わったあなたは身体が弱く、再会の喜びを伝えることもできないまま、再びあなたはこの世を去った。
まだ若いあなたが毎日床に伏せ、命の灯火が小さくなっていくのを見守るだけの日々。儚いあなたは、すぐにまた手の届かぬ人となったのだ。
あんな思いは二度とごめんだ―――
夜叉月が踏み出そうとすると、夕澄がものすごい勢いで立ちはだかり、夜叉月の頭のすぐ近くの壁を思い切り叩きつけた!
どん!!!
「おい、お前!昨日俺の見ていないところで絢に何かしたんじゃないだろうな?!お前以外に俺の結界すり抜けて何かできたやつなんかいるか?!おい、答えろ!!!」
「……分かりきったことを聞いて、時間を取らせるなよ」
夜叉月は腹の底から響くような、低く静かな声で一蹴した。夕澄は必死の形相だったが、夜叉月はそれ以上の鬼気迫る眼光で夕澄を押しのける。そのまま絢の傍らへ膝をついた。
まず首筋を確認する。絢の白く細い首筋に、蛇が這うような痣が浮かび上がっていた。
(これが、紋か……)
「ちっ」
夜叉月は、絢に付けられた忌々しい痕を睨みつけた。指を添え、消そうと試みたが反応はない。この手のものは呪いの一種で、かけられた者か、かけた者のどちらかが命を落とさない限り消えることはまずない。
そうなれば呪いをかけた物を葬る、一択だ。
「旦那、心配なのは分かるが、あなたも危険だ。この娘さんに近づくんじゃない」
「絢に触るな。どけ」
医者だか霊媒師だかよくわからない老人が止めに入ったが、夜叉月の眼光を見るなり、ひっと怯んで彼の場所を空けた。
夜叉月は取り付く島もない圧倒的な気迫を放ち、自分以外の誰もを寄せ付けない。
夜叉月は絢の胎内に呪いの核が潜んでいないかだけを確認すると、彼女の周囲に強力な結界を張リ巡らせた。それは絢に触れようとした医者の手をも容赦なく跳ねのけた。
医者は目を丸くして手を押さえていたが、後から入ってきた天翔に宥められ、外へと連れ出された。
「状況を確認しようや」
「あっ、なら隣の部屋に卓がありますので」
皆立ち上がって店主の案内に従い部屋を出ていく。
夜叉月だけは足を止め、もう一度絢の側に腰を下ろした。彼女の手を取り、もう一方の手で首筋にかかる髪を優しくよける。
そこには、くっきりと浮かぶ紋―――。
夜叉月は眉根を寄せて目を細めると、絢の白い首筋に噛みつくように口づけた。弱々しくも、確実に彼女から香る白檀に溺れそうになる。最後は吐息で優しくなぞってから唇を離した。
「絢、すぐにまた会える。待ってて」
自分に言い聞かせるように呟き、彼女の手を今度は両手で強く、強く握りしめた。




