第二十三章 夜叉月の恋煩い 【後編】
「どうした絢?何を赤くなっている?」
「だ、だって……言い方ってものが……っ!」
「言い方が?何?」
「もう、あなたって人は!!」
夜叉月は笑いを堪えてわざとらしく絢に尋ねるが、怒り出した絢を見て、ついに笑い出す。
腕を組んだ小春が「この男、やはり侮れん」と難しい顔をしていた。
絢はひと通り夜叉月に文句を言ってから、前掛けを外してようやく奥に下がっていった。
店は急に静かになる。ふいに小春が思ったことを口にした。
「人間性は栄太郎の方がずっと大人だったけど、今日は完全にあんたの勝ちね!」
(千年も生きている俺に向かって、あの青二才の方が大人だとは笑わせる)
夜叉月はまったく褒められている気がせず、むしろ不愉快だ。だが多少の心当たりもあった分、敢えて口に出して否定もしなかった。
特にすることもなく、夜叉月は店の中を見て回る。
ちりりーん
そこへ来客を知らせるかのように風鈴が鳴った。
「いらっしゃーい」
小春が開いた戸の方へ声をかける。戸の辺りにはハイカラに着飾った三人組の女が中を覗くように立っていた。
「ほらほら、言った通り」
「ほんとほんと」
女たちは何やらこそこそと話しながら店内に入ってくる。髪を耳にかけてみたり、前で恭しく手を重ねてみたり、頬を赤らめたりしながら……時折夜叉月を盗み見ていた。本人が気づく程なので、盗み見は失敗しているわけだが。
最初こそ小首を傾げていた小春も「ははーん」と何もかも理解した顔で、卓に肘をついて夜叉月を見上げた。
骨董、特に刀を手に取って見ていた夜叉月の側に近づいてきた勇気ある一人が、彼に意を決して話しかけた。
「最近、このお店によくいますよね?外からお見かけして」
「……あぁ」
「前からお話ししてみたいと思っていたんです」
夜叉月はそれには応えず、刀から視線を外しもしない。無愛想な夜叉月にもめげない女は、また一歩ぐいっと近づいた。
「刀、お詳しいんですか?良ければ、教えてくれません?興味があります」
刀に興味があると言ったその女に夜叉月が一目向けると、その女の頬が朱に染まる。入口付近で見ていた女たちも息を飲み、もっと間近で見ようと近づいた。
「いいだろう」
接客とは言い難い態度だが、夜叉月が意図せず、その女たちには効果覿面のようだ。
「ただし男前に限る」と、小春が何やらぼそりと小さく呟いた。耳に届いた夜叉月は特に気にもしなかった。
女たちに至っては、聞こえてもいないだろう。息をするのも忘れたように、刀を愛でる夜叉月に瞳を蕩けさせている。夜叉月の背にぞわぞわと不快な感覚が走った。
そのような視線が苦手な夜叉月も「まぁ、刀と己の世界に入ってしまえばこちらのものだ」と他人には理解できないであろう戦法で、彼なりの接客を全うしている。普段なら相手にもしない女たちだが、絢に任された仕事を、決して蔑ろにはできない。
説明を終えたときには、夜叉月はいつの間にか三人の女に至近距離で囲まれていた。
「あの!そ、その刀……少しだけ触れてみてもいいですか?」
夜叉月は僅かに眉根を寄せる。正直、この神聖な刀に触れさせたくはなかった。だが気乗りしないとはいえ、店の品だ。客が触って吟味することも必要だろう。
「ああ。鞘に入っていれば安全だ。触れてみるといい」
女は指先でそっと鞘を撫でる。そのまま滑らせるようにして夜叉月の手のすぐ側まで寄せた。女が悪戯な笑みを湛え、彼女の指先と夜叉月の手の甲が触れ合おうとした、その瞬間―――
「や、夜叉月!」
急に声がして驚いた女は、肩を跳ね上げ手を引っ込めた。
愛らしく澄んだ声に名前を呼ばれ、夜叉月はさっと振り返る。店の奥に続く暖簾から顔を出す絢。髪が心なしか少し乱れているようだった。愛しい彼女の姿を確認すると、夜叉月は頬を緩め、すぐさま彼女のもとへ近づいた。
「まるで犬だな」と、呆れる小春の声。
絢が夜叉月の背後の女たちへ、気まずそうに呼びかける。
「あの……本当に申し訳ないのですが、今日はもう……お店を閉めます」
「……」
(……絢?)
これは……いったい……
乱れた髪も、焦りを含んだ声色も……状況すべてが夜叉月の望む答えを肯定するようで―――
都合よく解釈してもいいのだろうか。今のは……
「絢姉ちゃん……?」
卓で頬杖をついて、夜叉月と女たちのやり取りを傍観していた小春も、絢の言葉を聞いて驚きを含んだ声を上げた。夜叉月が軽くそちらを見やれば、青ざめた小春が目を丸くしている。
(小春の反応を見るに、勘違いではなさそうだ)
小春とは対照的に、夜叉月は口元を緩ませ、黒曜石に喜びの色を灯した。
その後、女たちが大人しく帰っていくのと同時に入ってきた穏やかな声。
「ただいまー!あれ?今日は、店はもう閉めたのかい?」
帰ってきた主人が店内を見渡す。本能的に何かを悟ったように、にっこりとした笑みを夜叉月に飛ばした。小さく片目まで瞑った気がする。
「小春ちゃん、ちょっとこちらで手伝いをしてくれないか?」
「えっ!?おじさん?!で、でも……」
店主は小春に手招きをして、今入ってきたばかりの戸を出ていった。
小春は店主の後ろ姿と絢の間で視線を往復させる。仕方なく店主の後を追うが、入口の戸で振り返り、夜叉月を睨みつけた。
「絢姉ちゃんに変なことしたら……許さないから!!」
捨て台詞を残して行ってしまった。
ようやく邪魔者が全員いなくなった。夜叉月は息をついて、絢に向き直る。絢は顔を隠すように俯いている。
先程から愛らしさを全開にする絢に、愛しさが溢れ出て止みそうもない。
「まだ赤くしているのか?」
夜叉月は笑いながら指の背で絢の頬を撫でる。絢は黙ったまま、俯き加減に夜叉月を見上げた。その瞳には非難の色が混じっている。しかし、それすら夜叉月にとっては痺れる甘さでしかない。愛しい想いが度を越えて、もはや苦しい。
「絢、休もう?なぜ眠らなかったの?」
夜叉月が少し意地の悪い聞き方をすると、絢は耳まで赤らんで口を尖らせた。
このまま戯れていたい気持ちと、無理が祟っている愛しい人を何とか休ませようと思う胸の内がせめぎ合う。
(まぁ、前者を優先する程、身勝手ではない。「大人」だからな)
絢が指先で夜叉月の手を掠めるように一瞬だけ触れた。不意打ちの接触に、夜叉月の心臓が跳ねる。
「眠ろうと思ったんですけど……目を瞑っていられませんでした」
絢の美しい瞳を縁取る長い睫毛が震えた。
「あなたのことが気になって」
潤んだ瞳で見つめられれば、また美しく愛らしい悪魔の降臨だ。自分はずいぶんな状況に置かれているものだ、と夜叉月はなんだか可笑しくなってきた。結局のところ、この試練を受けて立つしかないのだが。
「絢……はぁ……私はあなたを休ませようと、自分と戦っているというのに」
「……?」
夜叉月はふっと笑い出す。絢の膝を掬い上げ暖簾をくぐる。絢が夜叉月を見上げたまま、彼の着物をきゅっと掴んでいた。
「ほら、休みますよ。私が側にいればちゃんと眠ってくれますか?」
「手を……握っていてくれれば……」
「これ以上私を試すんですか?」
「……?」
「いいえ、なんでもありません。仰せのままに」
奥の部屋に絢を下ろし、布団をかけてやる。
絢が夜叉月を見つめ、布団の端から片方の手を出した。夜叉月はくすくすと笑いながらその手を握る。すると、絢はそのまま夜叉月と反対の方を向いてしまった。
「もう店番は頼みません。あなたが他の女性に触れられるのは……嫌です」
「……触れさせません」
最後は消え入るように小さくなった絢の声も、夜叉月には鮮明に届いた。目元が熱を持つ。絢が向こうを向いていてよかった。夜叉月は空いている手で、顔の半分を覆い、その下で大きく息を吐いた。
しばらくそうしていると、すやすやとした穏やかな寝息が聞こえてくる。
夜叉月は腰をずらし、絢の寝顔を見られる位置まで近づいた。
ふと、先ほど小春が言い捨てた言葉が頭をよぎって、夜叉月は小さく笑みをこぼす。
―――これくらいは、許してくれよな。




