第二十一章 浅草寺の夜宴―終宴― 【前編】
「これはこれは、大変なことになっていますね」
光の集まり出した本堂を、雪は額に手を当ててわざとらしく遠くを眺めるように観察していた。上空では、易々と結界を越えて入場してくる魂たちが後を絶たない。
雪は笑顔を浮かべ夜叉月を見た。
「あなたの絢さんは本当に人気者ですね」
「……」
吸い寄せられるように絢のもとへ集結する光たちを見て、夜叉月は僅かに眉根を寄せる。
雷門は最早祭りへの入場門と化し、おどろおどろしかった赤の異光すらも、宴を彩る装飾品と成り下がっていた。
阿ノ多は目の前の敵だけに集中しており、夜叉月を攻撃する手を止めない。具合でも悪そうな重い瞼のまま無言で様々な攻撃をしかけてくる。跳ね飛ばされようが声一つ出さず、顔色一つ変えずに何度も向かってくる。
(こんな機敏な動きをするやつだったか?もっと気だるげな男だったはずだが)
阿ノ多の周囲で蠢く大蛇へ、蒼月が食らいついていく。
夜叉月は鮮やかに童子切を捌き、阿ノ多の相手をしているが、意識はとっくに本堂にしかなかった。一刻も早く絢のもとへ駆けつけたい、ただそれだけだ。
「……でもやっぱりこのままではまずい気がするなぁ」
再び夜叉月に氷華の一撃を繰り出しながらも、雪の意識も半分は本堂に向いていた。
「仕方ありませんね」
雪が足先で地を蹴って本堂へと飛ぶのを、夜叉月は止めもせずに後に続く。さらに阿ノ多も追う。
三人が本堂の手前で足を止めたときには、そこら中を埋め尽くすほどの魂が集結していた。
「……これは、さすがに……」
雪ですら焦りを隠せずに、翡翠の瞳を細めて刀を握り直す。手に込められた力で、刀身が僅かに振動した。
「氷華よ―――」
輝き出す刃。冷徹な光を帯びる翡翠。絢へと真っ直ぐに伸ばされる刀身。
「狂い咲け」
言い終わる前に夜叉月は、雪の伸ばした刀身の先へ割り込み、一気に牙を向く花弁を迎え撃つ。
「蒼月―――穿て」
すぐさま召喚した蒼月をその場に残し、夜叉月が強く地を蹴った。蒼月は盾となり、絢に向かうとする花弁を一枚残らず砕いていく。一方の夜叉月は続々と繰り出される刃を真っ向から打ち破りながら突破し、雪の喉元目掛け、一瞬で間合いを詰めた!
雪は童子切と自分の首の間に自らの刀を滑り込ませ、両手で刀の棟を支えて押し返そうとする。だが、躊躇いなく首を跳ねる勢いで迫る夜叉月を、止められるはずもない!
雪は仰け反りながら勢いを逃そうとしたが、最後は棟ごと首元に衝撃を受け、大きく後ろへ弾き飛ばされた。
ズガァァン――ッ!
そのまま凄まじい音を立てて雪が宝蔵門の柱に叩きつけられ、そのまま力なく地べたにへたり込んだ。手から離れた刀が地面に横たわる。雪は柱にもたれかかって座り込んだまま、夜叉月を見上げた。
「ごほっ、ごほっ!……ならば、あなたはあれを……どう止める気ですか?」
雪は手で喉元を抑えていた。痛めて上手く声が出ないらしい。
「……止める?なぜ俺が?絢の晴れ姿だ」
夜叉月は、真っ直ぐ絢だけを見つめていた。いつもの涼しげな黒曜石に宿る光が、今は恍惚として揺らめいている。
これには雪も絶句し、言葉を失って目を見開いた。
「……はっ!あなたも大概どうかしている。下手をしたら……あなたもただでは済まないかもしれませんよ?」
無理に声を張り上げようとした雪が苦しそうに喉元を押さえ、ごほごほと咳き込む。
「……だからなんだ?あれは絢と……絢の大事なものを傷つけない。それで俺がどうにかなるのなら、俺は絢にとってそれまでの存在だ。そんな生に意味はない。あいつらにくれてやる」
雪は唖然としてこの理解不能な刀神へ、正気を疑う目を向けた。
「だから……どうしてそんなに……楽しそうなんですか。僕としては、大変困るんですが……」
「……俺は困っていない。そんなに心配なら、命がけで結界でも守っていろ。お前ら、全員でな」
夜叉月は不敵な笑みでそれだけ言い残し、絢のもとへ歩き出す。彼のあまりの異常さに、雪がとうとう笑い出した。
「……ははっ、そうですね。……阿ノ多、結界だ」
実際のところ、雪たちは命がけで結界を守りきる他なかった。
これはあくまで仏界のいざこざ。あの光が暴走し、現し世の町が壊滅することになれば、童子たちは間違いなく法則に反した大罪人となる。
この緊急事態に、今頃仏界は阿鼻叫喚だろう。
雪がすぐさま伝令を送ると、他の童子たちは即座に印を結んで結界を強化した。
その瞬間―――
先程まで優しく浮遊していた光たちが一斉に爆ぜ、光が闇を丸呑みにしていく。
ゴォォォォォォ!!!
精霊とは思えぬ絶叫が木霊し、この世のすべてを振り落とそうと大地を揺さぶる。
夜叉月は燃え盛る精霊たちの怒りを物ともせず、真っ直ぐに絢へと向かった。そこら中で激しく吹き荒れる風が夜叉月の髪を正面から煽っていく。
夜叉月の視界の中心には神々(こうごう)しく佇む絢の横顔。一歩近づく度、その凛として美しい瞳が映すすべてに嫉妬するほど、狂おしい激情が込み上げてくる。
そこら中を隙間なく埋め尽くすほどの炎は、不思議と夜叉月をするりと避け、絢までの道を真っ直ぐに開けた。
(あぁ……あなたはいつだって―――この世で最も美しい)
夜叉月は絢のすぐ背後の大木まで来ると、そこに背を預けそっと印を結ぶ。すると絢の瞳が映し出し、その身で感じ取っている戦況のすべてが夜叉月にも流れ込んできた。
◇
光の炎と化した精霊たちは狂乱して飛び回り、童子たちを責め立てた!
童子達全員の力を持ってしても、この浅草寺全体を守り切るのは至難の業だ。わずか米粒ほどでも隙間ができれば、光は瞬きのうちに結界を打ち破るだろう。
内側から容赦なくぶつかってくる精霊たちの圧で、結界は今にもはち切れそうだった。童子たちの腕には青筋が立ち、印を結ぶ手が震えているが、崩すまいと必死に耐えていた!
夕澄の側で絢を見守っていた小春が、激しい風圧に飛ばされかける。するとすぐさま光の精霊たちが子狐を支えようと群がったが、それより早く飛来した天翔が小春をしっかり抱きかかえた。
「絢姉ちゃんのとこ行きたい!絢姉ちゃん、絢姉ちゃん!」
「危ないやろ!ここで大人しく待っとき!」
見た目に反して優しい光たちに、天翔は呆然とする。もちろん、童子たちの凄惨な状況を見れば、この優しさが自分たちだけに向けられている「例外」なのだとすぐに理解できる。
童子たちは満身創痍だった。
柱にもたれかかる雪も、火傷を負いながらも持ちこたえる矜羯羅も、金剛棒を放り出して必死に慣れない印を結ぶ制吒迦も、術で矜羯羅を庇う指徳も、暴走する光と対峙する大蛇を背負う阿ノ多も―――。
皆、指の先は擦り切れて血が滴り、服はあちこち切り裂かれ、痛々しい生傷があらわになっている。
なぜか慧光と慧喜には多少の容赦が見えるが、二人もまた必死の様相で印を結び続けていた。背中合わせになり、お互いを守るようにして耐えているが、慧喜は潤んだ瑠璃色の瞳から今にも涙が零れ落ちそうだ。
やがて、大暴れしていた光たちが徐々に静まり返っていく。絢を纏っていた凄まじい気迫も薄れていった。
すっと風が止んだ瞬間―――シャーン……
終わりを告げるように、清らかな鈴の音が静寂に響く。
絢は力尽き、膝の力がかくっと抜けた。しかし、彼女の身体が地に落ちることはなかった。
「お疲れ様、絢」
夜叉月の腕が、後ろから優しく彼女の腰を支えた。振り返った彼女の瞳がようやく夜叉月だけを映す。歓喜のあまり夜叉月の黒耀石に浮かぶ光が微かに揺れた。
「……夜叉月?……ふふっ、あなたこそ。いつからそこに?」
「ん?心はいつもあなたの側に」
「え?もう……また揶揄って。……おかえりなさい」
「ん?……それこそこちらの台詞だと思うが……ただいま」
愛しい絢の肩に顔を埋めると、甘い白檀の香りが夜叉月の胸を静かに満たしていった。




