第二十章 浅草寺の夜宴―狂宴 絢― 【後編】
絢が本堂の前の木の陰につくと―――
「大事なもんだろ?返しといてやるよ」
投げ捨てられた兄の扇子。泣き崩れる子狐の小春。小春の視線の先で動かなくなっている兄の姿。
「ちょっとここで待っとれ、小春。心配せんでええ」
石段を降りていく天翔。
「さっきは途中で抜けて悪かったな、天翔」
「あ?せなことより、小春を泣かせたことを謝ってほしいんやわ」
「おいおい、俺達が悪いみたいな言い方するなよ。俺らの目的だって分かっているだろ?そいつらが邪魔を―――」
―――ざりっ。
砂利を踏みしめ、本堂へ歩みだすと、その場にいた者たちの視線が一斉に絢へと注がれた。
「―――小春を……泣かせた?」
絢が、一歩ずつ、木の陰から、月明かりの下へと歩み出る。踏み出す度に、どこからともなく鈴の音が響く。
シャリーン……
シャリーン……
「……誰が?」
絢の足元からゆっくりと風が巻き上がり、絢の裾や袖、前髪をふわりと撫でる。
鈴の音に反応したかのように、夕澄の睫毛が微かに震えた。ゆっくりと瞼が上がる。だが、次に聞こえた鈴の音で、夕澄は一気に我に返り、目を見開いた!
「あ、絢っ……」
夕澄は声を張り上げようと口を大きく開いたが、出てくる声は掠れ、上手く届かない。それでも夕澄の小さな声を聞き取った小春が、子狐のままぴょんぴょんと駆けていく。
小春の後ろ姿を見た天翔が、意識を取り戻した夕澄に気がついた。
「夕澄兄ちゃん!!」
「生き返ったか!安心したで!!」
「……勝手に殺すな!それより絢を……止めろ!」
「ん?動ける絢よりまずは自分の心配を……」
「いいから絢を止めろ!!」
「……」
身体がほとんど動かせないまま、夕澄は掠れた声を何とか振り絞った。夕澄のただならぬ様子に天翔はもう一度絢を見た。
絢は何も持たずに丸腰で歩いてくるだけだ。しかし、絢の周囲では下から巻き上げるような風がどんどん過激さを増していき、響き渡る鈴の音も益々大きく、激しくなっていく。
そこでようやく天翔も絢の異変を感じ始めた。
だが状況をまだ楽観視している制吒迦は、一人でのこのこやって来た絢を見て、呆れた声を出す。
「お前が清香だろ?夜叉月に守ってもらっていればいいものを。自ら出てきて何する気だ?足手纏いが勝手をして困るのはあいつだぞ?」
「―――制吒迦、気をつけろ。何かが、集まってきている」
指徳も不穏な気配を感じ取り、制吒迦を静止する。
指徳は地に横たわる矜羯羅を煙で掬い上げ、自分の背後に保護した。矜羯羅は蓮華光で制吒迦を呼び出したことで、完全に力尽きてしまっている。
いつの間にか、絢の周りを囲むように小さな光が集まり出した。それは浅草寺に張られた結界の内外から次々とやってくる。ふよふよと、頼りなく柔らかい光たちが、絢の周囲を踊る。
「なんだこれ、こんなもんが脅威だって言うのか?」
制吒迦が馬鹿にして笑ううちにも、それらはどんどん数を増す。
最初は数十、次に数百、数千、数万……最早集まった光は、闇という闇を打ち消す勢いだ。
その頃には風も猛烈な唸りを上げ、本堂一体を攻め立てている。普通の人間なら立っているのが精一杯だ。さすがに制吒迦も言葉を呑み込んだ。
「……まずい。本当にまずいぞ!お前ら、ぼうっとしていないで、さっさとなんとかしろ!」
いよいよ本格的に焦りだした夕澄が、血を吐きながら掠れた声を張り上げ、敵味方問わずに命令する。必死な夕澄の隣にちょこんと寄り添う子狐は、何も言わずに絢を見つめていた。
「なんとかって言ったって……何が起こるかも分からんのにどうせぇっちゅうねん!」
「このままだと、この浅草寺どころか浅草ごと吹き飛ぶぞ!結界だってもつか分からん!!」
「浅草?!は?!何やねんそれ!!」
わけが分からないといった様子で、天翔が声を上げる。その真偽を確認しようと、制吒迦と指徳も眉間に皺を寄せて絢を凝視した。
「絢はな、前にも小春を守るために山を一つ消し去ったことがある!!!」
「!!!?」
天翔も制吒迦も指徳も、今度は三人して目を見開き口をあんぐり開けている。
「絢はな、自分の呼びかけに応えて共鳴する精霊の魂をすべて味方につけることが出来るんだ!!!何が起こるかなんて、俺が知るか!!!やつら全員に聞いてみろ!!!」
余りに夕澄の表情が鬼気迫っているので、制吒迦や指徳にまで緊張が走り出し、絢の一挙手一投足を瞬きもせずに警戒し始める。
その場で小春だけが目を輝かせて絢を見つめていた。その瞳に恐怖の色など微塵もない。あるのは、信頼と愛に溢れた熱。
「私の大好きな絢姉ちゃん―――」
絢がふわりと小春に笑いかける。
その刹那―――絢の心の底に共鳴した幾万の光の魂たちが怒りの炎となって爆ぜた!




