第二十章 浅草寺の夜宴―狂宴 絢― 【前編】
時は少し遡る。
塔の下に連れてこられた絢は、しばらく放心状態だったが、ズダァァァン!という激しい音と地響きでびくりと我に返った。
きっと大太刀と金剛棒がぶつかり合っている音だろう。
夜叉月にはここにいろと言われたが、小春も兄も行ってしまい、自分だけここで大人しくしてはいられない。だが、足手纏いになるわけにもいかず、自分に何が出来るのかと頭を悩ませていた。
「やべぇ!やっぱ夜叉月かっけぇ!!なぁ、慧喜」
「本当本当!」
ふと耳をすませば、少し離れたところから二人の子どもの声がすることに気がつく。
絢は塔の陰から顔を出し、声の主を確認すると、何だか見覚えのある瑠璃色の毛の兄弟であった。
「雪と制吒迦相手にあの一撃!!!くーぅ!!」
「すごかったね!……あ、慧光。また結界が破壊されそう!がんばらないとまた雪に怒られる」
「あっ、やべ!みんな加減を知らねえから困るぜ。こんな広い範囲二人で何とかしてるだけでも褒めてほしいくらいだ!制吒迦は無駄にガンガンぶつけすぎ!!」
「ほんとほんと。……疲れてきちゃったな」
二人はそれぞれ指で印を結んだまま、喜怒哀楽の表情をころころ変えて会話に夢中になっていた。
「がんばってくれているのね?お疲れ様」
兄弟の近くにしゃがみ込んだ絢が会話に割り込むと、慧光と慧喜は目をぱちくりさせてから同時に叫び声を上げた!
「「ぎゃあぁぁぁ!!」」
「しっ!しー!」
絢は慌てて人差し指を口に持っていく。幸いにも、皆それぞれの持ち場で忙しいらしく、二人の叫び声を気にかける者は現れなかった。
(自ら危機を呼び起こすところだった)
回避できたことに絢はほっと胸を撫で下ろす。そこで絢は思い出したように、顔を跳ね上げた。
「ねぇ、あなたたちにお願いがあるのだけど!」
「はっ?聞くわけないだろ!」
「私に軽ーく攻撃してみてくれない?本当に軽ーくよ?」
「何いってんだ、お前……」
慧光は得体のしれない恐怖を感じたように顔を強張らせた。
「動き回っても迷惑をかけなそうか、確かめてみたくて」
「……は?自分の腕に自信があるってことか?」
「自分の……ではないけれど……そうね。自信ならそれなりに!」
「意味分かんねぇ。何でもいいけど……後悔しても知らねぇぞ」
身構える絢からは、不思議とただならぬ迫力が溢れている。何を考えているか分からない女だと、慧光は半分呆れて忠告した。
「は、はい。……た、多分大丈夫だと、思い……ます!よろしくお願いします!」
絢が勢いよく頭を下げる。これから攻撃を受ける女の態度とは思えず、慧光は一歩後退りした。
「ねぇ、慧光。本当にやるの?」
慧光の背に隠れるようにして絢を見上げていた慧喜が、慧光の袖を引いて不安そうに耳打ちした。慧光はゆっくりと頷く。
慧光と絢の表情にそれぞれ緊張が走る。
慧光が絢へ向かってゆっくりと両腕を伸ばすと、その掌に光が集まりだした。絢は全身に力を込めて身構えるが、握った拳が震えている。
「い、いくぞ?」
「か、軽くよ?」
「分かってる!!」
パン!!
弾けるような音がして、絢は思わず目をきつく瞑る。胸の高さ目掛けて慧光の手から放たれた光線は、絢の表面で滑るように跳ね返された。
絢にはほとんど感覚も伝わっていないのか、目を瞑ったままぴくりともしない。しかも光線は攻撃を加えた者に確実に返され、慧光は後ろに隠れていた慧喜共々吹き飛ばされてしまった。
「わあぁぁっ!!」
兄弟の叫び声で、絢はぱっと目を開いた。
二人はもつれ合いながら地面を転がっていく。ようやく止まると、慧喜を抱きしめた慧光は、肩で息をしながら非難の眼差しを絢に向けた。
絢は慌てて兄弟のもとへ駆けていった。
「えっ?!あっ!!大丈夫!?」
「大丈夫なわけあるか!!」
「ごめんなさい!本当に!でも、今のって軽くだった?」
「加減した攻撃なんて使うこと無いんだよ!難しいんだ」
絢は手を差し伸べて慧光と慧喜を立たせた。慧喜は驚きで目に涙を浮かべており、絢は罪悪感でいっぱいになる。
「本当にごめんなさい。でもこれで分かったわ!ありがとう。この夜叉月のくれた結界があれば、私も少しは役に立てそう!」
「夜叉月の?!」
その名を聞いて、兄弟は揃って瑠璃色の瞳を輝かせた。「ならこれくらい当然だな」と、何故か少し得意気な慧光。
「……あなたたち、夜叉月のこと好きなのね」
「は、はぁ?俺達は護法童子だ!誰があんな羅刹なんかっ!」
そう言う慧光の瞳は、屋根の上をちらちら盗み見て落ち着きがない。
「あっ!慧光!夜叉月と雪が雷門の方に移動したみたいだ!」
「何?!今すぐ追いかけて観に……っ、夜叉月の奴を倒してやろうぜ!」
二人が走り出すと、絢もすぐ後ろを一緒になって走った!
「なんでお前も着いてくるんだ!しかも速い!!!」
絢は着物の裾をはしょって、思い切り走っている!
「夜叉月の勇姿を私も見たいから!速いのは……私は昔から、かけっこが得意だったので。だけど、こんな格好で走ったって言ったらお兄ちゃんに叱られてしまうし、恥ずかしいからみんなには内緒にしてくれる?」
「なんだか変な女だな?こいつが本当にあの淑やかだった天女の生まれ変わりか?夜叉月は、こんな女のどこがいいんだ?」
「……」
悪気のなさそうな顔の慧光にそう言われ、絢はついに黙ってしまった。
それからは雑念を捨て、一刻も早く夜叉月のもとへ向かうことだけを考えた。
また、無茶をしているかもしれない。一人で苦しんでいるかもしれない。絶対に一人にはしない!
雷門に向かう角の手前―――
「き、きゃぁぁぁぁ!!!夕澄兄ちゃん!!!」
あちこちで響き渡る打撃や斬撃の破壊音に混じって、絢の大切な人の叫ぶ声が届いた。
絢はぴたりと足を止め、声のした方へさっと振り返る。
「お兄ちゃん?……小春?」
一瞬で絢の纏う空気がぴりっと変化する。その空気に気圧され、兄弟も足を止めた。絢が先程まで子どもに向けていた穏やかな笑顔は嘘のように消え去り、そこには別人のように表情を無くした、冷たく美しい女が凛と佇んでいた。
兄弟は揃ってごくりと喉を鳴らす。
絢が裾を整え、声の方角へ一歩踏み出すと―――シャン……と鈴の音が鳴った。




