第十九章 浅草寺の夜宴―狂宴、天翔・夕澄・小春― 【後編】
夕澄に飛ばされて宙でわけが分からなくなっていた小春は、ようやく身を起こしてきょろきょろと辺りを見回した。
手をついて座り込んでいる小春の背後から、妖しく伸びる影が重なる。
「……っ!」
「こんな色っぽい女いたか?」
気配に気がついた小春が振り返ると、制吒迦が金剛棒を担いで小春を見下ろしていた!小春の背を冷たい汗が一筋伝う。
「おい、指徳。これでよかったのか?」
制吒迦は、一度指徳に向き直って問う。その間、身の丈の金剛棒を担いだまま余裕の表情で肩をポンポンと叩いていた。蒼月に喰い割かれた肩の傷もかなり回復したようだ。
「あぁ、そういうことだ」
「急に呼び出しやがって。こっちだっていいところだったんだぜ?」
「恩に着る」
小春は、半妖の姿になっていた。髪が膝裏まで伸び、狐の耳と二つの尾だけを残した人間の姿だ。大きな妖狐の姿でいるには霊力が足りなくなってしまったらしい。半妖の小春は普段よりも大人びて、艷やかな色気を纏っていた。
必死に周囲を探していた小春は、向こうの木の陰でぐったりと動かなくなっている夕澄を見つけた。
「き、きゃぁぁぁぁ!!!夕澄兄ちゃん!!!」
顔を真っ青にして立ち上がり、急いで駆け寄ろうとするが、今の小春の速度は大きな妖狐のときとは比べ物にならない。せいぜい人間に毛が生えたくらいの速さでしかない。
夕澄に近寄る前に、制吒迦に着物の衿の後ろを引かれて捕まってしまった!
「きゃあ!離せ!!」
「これが本来の姿か?」
「……っ!狐火!!!」
顔を覗き込まれ、カッと頭に血が登った小春は、制吒迦を押しのける手でそのまま攻撃を叩きつけた。
「ちっ、大人しくしとけよ。大した力もない半妖の女が」
「……っ!!狐火!狐火」
一発目は不意打ちで攻撃を浴びた制吒迦だが、着物が少し焦げる程度で彼自身に新たな傷はない。
制吒迦は片手で易々と小春の両手首を拘束する。暴れる小春を宙に振り上げると、容赦なく地面に叩き付けた。仰向けになった彼女の手首を、そのまま石畳に縫い付ける。
小春は泥やら傷やらで、顔も着物もぐちゃぐちゃだった。それでも夕澄に手を伸ばそうと必死にもがく。
「やだぁ……夕澄兄ちゃぁぁん!起きて!起きてぇぇぇ!私が……足手纏いだから……ごめんなさい!!!ごめんなさいぃぃぃ。わあぁぁぁぁん、起きてよぉぉぉ!!」
小春の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。
制吒迦が面倒くさそうに小春を見ながら息をつき、「さっさと終わらせるか」と金剛棒を高く振り掲げた―――その瞬間。
一直線の旋風が、制吒迦の手首を目掛けて超高速で突き抜けた!
制吒迦は即座に小春を解放し、仰け反りながら勢いよく手を引きぬく。一拍遅れて、置き去りにされた衝撃波が制吒迦を襲う。風が彼の袖や髪を叩きつけ、辺りに立ち込めた靄を根こそぎ吹き飛ばした。風が止むと、制吒迦の足元から小春が消えていた。
「……おいおい、うちの小春、泣かせんでくれへん?」
指徳の背後、本堂の石段の上。
天翔が大太刀を持つ手と逆の腕で、小春を脇に抱えていた。
小春は泣き声がぴたりと止まる。頭上から届く聞き慣れた声に、極限まで強張らせていた身体から力が抜ける。再び涙腺が緩みかけたところで―――自分がまるで荷物のように担がれていることに気付く!途端に理不尽な怒りが湧き上がり、小春は暴れ出した!
「誰が『うちの小春』だ!放せ!!」
「あいたっ!引っ掻くなや!せっかく助けてやったのに……。って、お前……」
「……?」
ふと、天翔が抱えた小春の顔をまじまじと見つめ、怪訝な顔で固まっている。
「な、なんなの?!」
「……お前、なんやその姿」
「なんだってなんだ?!」
天翔が大太刀の柄を持ったまま、自分の頭をがしがしと掻きむしった。それから盛大に息を吐き出して、横目で小春を睨み、不機嫌そうに口を少し尖らせる。
「お前……あんま外でそれになるなよ!」
「半妖の姿がみっともないって言いたいのか?!」
「……ちゃうわ、アホ……もうええ!」
そう言って天翔が小春にデコピンをお見舞いすると、ぼんっと煙に巻かれ、小春は子狐の姿に変わった。
「この方が軽くてええやん!可愛ええ、可愛ええ!」
満足そうに天翔が笑う。
馬鹿にされたと思った小春は、細い目をさらに細めて猛烈に彼を睨みつけた。しかし子狐の威嚇など迫力ゼロで、天翔の口元は緩みっぱなしだ。
「……っ!」
憤慨した小春は、至近距離で狐火を顔面に食らわせ、天翔の腕をすり抜けた。
「熱っ!!!何すんねんお前は!!このじゃじゃ馬め!」
「馬じゃない!狐だ!!!」
「分かっとるわ!!!」
―――カタン
二人が言い合っている足元に何かが投げ込まれた。地面を滑ってくるくると回転し、二人の側で静止する。それは、煤竹色の扇子だった。
「大事なもんだろ?返しといてやるよ」
制吒迦の冷たい声が響き、小さな狐姿の小春の瞳から、再び涙が溢れ出す。だが、子狐の姿では上手く涙が拭えず、床にポタポタと水たまりを作っている。
それを見た天翔は、小さく息をつくと、小春の涙をそっと指で拭ってやった。
「ちょっとここで待っとれ、小春。心配せんでええ」
そう言って小春を優しく地面へ降ろすと、天翔は大太刀を担ぎ直し石段を降りていく。
「途中で抜けて悪かったな、天翔」
「せなことより、小春を泣かせたことを謝ってほしいんやわ」
「おいおい、俺達が悪いみたいな言い方するなよ。俺らの目的だって分かってるだろ?そいつらが邪魔を―――」
―――ざりっ。
少し離れた闇の中から、砂利を踏みしめる音が響く。その場にいた者たちの視線が一斉にその方向へと注がれる。
「―――小春を……泣かせた?」
天翔と制吒迦が言い合っている所に、割って入ったもう一人の気配。周囲の空気が瞬く間に凍てつき、肌を刺すような静寂が広がる。
清らかに澄み渡りながらも、一切の感情が削ぎ落とされたその声は、かえって底知れぬ冷たさと怒りを孕んでいるようだった。
天翔も制吒迦も思わず背筋を戦慄させる。
暗闇に、凛と佇む影。
息を潜める面々の中で、小春だけがその声を聞いて歓声を上げる!
「あ、絢姉ちゃん!!!!」
それは、小春にとっての唯一無二の希望の光。




