第二章 水飴と絆 【前編】
夜叉月は光を追っていた。
予知の法によって示された彼の黒曜石でしか見えない光。かつて刀神であった頃から持っている能力である。
彼が見るのは波動の揺らぎ。その能力を持ってしても、未だ見つけ出したい尊い魂を感知出来ずにいる。
昨晩は柄にもなく飲みすぎてしまった。
夜叉月は、薄暗い自室の小さな文机の横に片膝を立てて腰かけ、すらりとしなやかな指で前髪を無造作にかき上げる。壁に背を預け、大きく吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。
酒に弱い方ではないし、二日酔いなんてものも、経験したことはない。飲みすぎた「理由」が原因だろうか。それとも夜叉月の内に飼う幼子の、常以上にひどい「夜泣き」が原因だろうか。
今朝の気分を一言にすると―――最悪、だ。
「痛い、痛い…怖い、刀神様ぁ!なんで、なんで、僕をーー!!!」
昨晩住処に帰ってきてからというもの、ずっとこんな調子で、真尋は夜叉月への怨み辛みを延々と並べ、輪廻の鎖を締め上げながら、一晩中責め立てた。
(夜が明けて、少しは加減してくれるようになったな)
はっ、と短く息を吐くと、悲痛なわめき声と胸の痛みに耐え続けていた夜叉月の表情が、ふっと和らぐ。
「夜叉月様ぁ、悲しい……苦しい……僕を一人にしたら許さない…許さない…」
夜叉月が護法善神から羅刹に墜ちてからというもの、毎晩脳内に響く真尋の悲嘆はが鳴り止むことはない。
痛みが薄らいできたのを感じながら、夜叉月は目を細め、徐々にその存在感を増していく朝の薄明かりをぼんやり眺めていた。
ひとつしかない小窓から差し込むそれは、大きな陰に差す一筋の希望のように眩しく、目が離せない。
それに思わず手を伸ばしたくなる衝動は、自分がどこまでも陰であり、闇である証明に他ならない。
(……滑稽なものだな)
伸ばしかけた指先が、ぴくりと跳ねて止まる。
それ以上どうすることもなく、黒曜石の瞳からはただ光が失われていく。夜叉月は結局、部屋の隅の最も深い暗がりへと視線を戻し、顔を埋めるように静かに頬杖をついた。
「夜叉月様ぁ…どうなされたのですか?」
「……あぁ…なんでもないさ」
「……」
理性を取り戻した声に、素っ気ない返事を返す。そこからようやく訪れたひとときの静寂に、ただ身を任せていた。
しばらくして、夜叉月がようやく腰を上げたときにはもう昼前であった。
怨念が和らぐと、真尋はまた子どもらしい精神を取り戻していた。いつの間にか実体のない姿で小さな足を投げ出し、夜叉月に寄り添うようにちょこんと座って大人しくしている。
この姿ではもちろん、何かを持ったり壁に寄りかかったりすることは出来ず、何もかもがその闇のような光の塊をすり抜けてしまう。だが不思議なことに、真尋は夜叉月にだけ触れる感覚を味わうことが出来るのだ。だから今も、壁ではなく夜叉月にもたれかかって座っている。
そうされても夜叉月には、微かな違和感、くらいの感覚しかないのだが。
夜叉月が腰を上げると、支えを失った真尋のからだがずるりと滑り落ちる。すぐさま真尋も立ち上がって夜叉月の後を追った。
夜叉月は普段、太陽が天辺に昇る時間帯は好きではなく、家に籠る。だから外出は専ら、早朝か日暮れ時からだ。
しかし今日は違った!きっと今朝の気分をどうにか紛らわせたい気持ちが勝ったのだろう。このまま家にいて何かが変わるわけでもなし、と自ら昼間の喧騒の中に飛び込もうとしている。
いつものように、尊い探し物でも見つけにいくか。
もしかしたら普段出ない時間帯だからこそ、手掛かりにたどり着けるかもしれない―――と、珍しく淡い期待まで込めて。
数年前に、予知の法に大きな揺らぎが生じ、この浅草を中心とした周辺の一帯を光が覆ったときは歓喜してかけつけた。しかし結局そのままただぼんやり広く地を照らすだけで、光は狭まることもないし、波動に特別な揺らぎも見られないままだった。
仕方なく、光の中をただいたずらに彷徨って清らかで美しい魂の気配を探る日々を送っている。
夕方からは、ある人物と約束があったし、それまでぐるりと街を回ることにした。
家を出る前に、保管蔵に寄った。重たい扉を開けると、窓一つない暗闇の中に長方形の光が現れ、その中心に夜叉月の陰が伸びる。
蔵には所狭しと置かれた刀。無造作に積まれているものもあれば、丁寧に立て掛けてあるものもある。
それらは、ようやく陽の目に会えて喜んでいるようでもあるし、眩しいからさっさと閉めろと不快なようにも見える。
夜叉月はある名刀を一本手に取った。最近触れた中では珍しい程に清らかな気を発する刀だった。
横にまっすぐ鞘から抜き出しながら、その刃に劣らず鋭い視線で目を凝らす。暗がりで背後からの光を、丹念に手入れされた刃に当てて傾けてみれば、洗練された輝きが走る。
ふっ、と満足げに黒曜石の目元を緩めて、鮮やかな手つきで刀身をかちりと鞘に戻した。その二本目の刀を腰に下げ、さっと出口に向かうと、頭の中でやけに上機嫌な声がする。
「刀神様ぁ!お出かけですか?」
「あぁ、お出かけだ。」
「やったぁ!お出かけ!こんな明るいうちからお出かけなんて、久しぶりですね!」




