十八章 浅草寺の夜宴―狂宴、集結― 【前編】
相輪の上に立つ男の落とす影が、雪の背に重なった。
「あれ?おかしいなぁ。呼んでいたのは僕含め七人のはずなのに―――」
雪が貼り付けたような笑みのまま、ゆっくりと振り返る。
そこには大太刀を担いだ男が腰に手を当てて最上階の屋根を見下ろしていた。高い位置で結われた髪と袴がバサバサと激しく波打っている。
「なんやぁ!最強の刀神が地に這いつくばってるとこを見下ろすなんて、千年で初めての光景やな!これを逃したら、後一万年待っても見られんわ!」
「……」
額に手をかざし、片方の口角を上げた天翔が、横たわる夜叉月を見下ろしながらけらけらと笑った。
視界の端で天翔を捉えた夜叉月のこめかみに青筋が浮かぶ。
「天翔、今日あなたはどちら側ですか?僕たち、一世一代の大勝負に出ているところなので、護法鬼神として、こちらを手伝っていただけると有難いのですが」
天翔はわざとらしく難しそうな顔をし、腕を組んでうーん、と考える素振りを見せた後、夜叉月を見てにやりと口端を上げた。
「すまん!俺、今日は夜叉月の親友として来とんねん!ご希望に添えられず申し訳ない!それとな、結界にちょーっと抜け穴作らせて貰ったんで、後で張り直しといてや」
「……誰が親友だ」
間違いなく救世主の登場場面であったが、夜叉月は喜ぶどころか腹立たしくて、心底うんざりした。この男は昔からいつもそうなのだ。いらぬと言っているのに、余計な……本当に余計な世話を焼きたがる!
そして、思わず声が出た。
(―――あぁ、解けたか)
いつの間にやら解けた術を確認すると、夜叉月はすぐさま起き上がる。パンパンと着物の埃を払うようにしながら、衣を正した。
矜羯羅を見ると、何が書かれているのかよく分からない呪符が額に貼り付いている。矜羯羅は迷惑そうに眉根を寄せ、寄り目気味に顔の中央にぶら下がる符を睨み付けていた。
……どうやら自分で付けたわけでは……なさそうだ。
(……あんな物が術を解いたのか?)
夜叉月が謎の呪符に懐疑的な目を向けていると、下の階の方から何かが動く気配を感じた。それは段々と近づいてくる。何やら騒がしい話し声も聞こえてきて、それは夜叉月のよく知る声で―――夜叉月はハッとしてその声の方へ向き直る。
「絢が来ると言わなければ、誰がこんな時間にこんな所に!」
「だからお兄ちゃんは、ついてこなくていいって言ったでしょ」
「出来るか!」
言い争う兄妹を背に乗せた、双尾の妖狐が下の階からこの屋根へと躍り出てきた。妖狐は夜叉月を見るなり、ツーンと顔を背ける。
背に乗る兄、夕澄の着物の合わせには、あのでたらめな呪符の束が覗いていた。さらに指にも数枚挟まれている。
妖狐の背に揺れる蓮の簪―――その愛しい後ろ姿を見て、夜叉月は柔らかく目を細める。
「……絢」
夜叉月はすぐさま駆けつけ、大きな狐から降りようとする絢にそっと手を差し出す。
自分の名を呼ぶ声に振り返った絢は、夜叉月を見るなり目を見開いて顔を白くした。
「や、夜叉月!?血ぃぃぃ!!?」
絢は差し出された手など目に入っていないようで、自ら飛び降りると慌てて自分の手拭いを引き抜いた絢は夜叉月の後頭部を支えながら、額の傷口に手ぬぐいでしっかりと押し当てる。
夜叉月は自分が差し出した手をじっと見つめた。
「い、痛むの?」
「……いいや?頑丈に出来ているんだ」
心配そうに覗き込んでくる絢に、夜叉月は昨晩のあの夢のような時間を思い出していた。このまま何もかもほっぽり出して、絢を攫ってしまいたい衝動にかられる。
夜叉月の熱視線とは裏腹に、絢は額から溢れ出す血に一層顔を青くしていく。絢の方が今にも倒れてしまいそうな顔つきだ。
「……絢、料亭でのこと……」
「え?料亭?!あっ……でも血が!」
「……」
絢は、今それどころではないらしい……が、こちらはその「それどころ」が何より重要だ。
「あ、あの……す、すみませんでした!私、お酒を飲んでそのまま寝てしまうなんて!しかも夜叉月が抱えてきてくれたって兄に聞いて……。本当にご迷惑を!何か粗相があったらおっしゃってください」
「……」
祈るように目を瞑って言葉を待つ絢に、それ以上追い討ちをかけられるはずもない。絢を見る目元の穏やかさは変わらぬまま、夜叉月の黒曜石からすっと光が消えていく。
「……何も」
絢はほっとして胸を撫で下ろし、再び止血に集中する。
……どうやら酒は抜けたらしい。
……そしておそらく、酒と共に、あの甘い記憶も。
あの幻のようだった蕩けるような絢の微笑みは、本当に幻となって、指の間を滑り落ちる砂のように消えてしまったらしい。
こうなったら、酒の勢いでああなった絢の本心がどこまでなのか気になり出して、最早護法童子との決戦どころではない!
傷を抑える絢の手を解き、夜叉月は絢をさっと抱きかかえた。
「え?!」
戸惑う絢に、夜叉月は「大丈夫」と語りかけるような笑みを向け―――そのまま塔の天辺から飛び降りた!
「え?!――きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
絢が大丈夫なはずもなく、目を固く閉じ、さらに顔を手で覆って絶叫する。
着地は流石の夜叉月で、羽のようにふわりと足をつけた。衝撃など微塵もない。
しかしどんなに着地が優雅でも、落下時の浮遊感と絶望感ははかりしれない。絢は放心状態で動けず、抱きかかえられたままの姿勢で下に降ろされた。
「危ないから、終わるまでここから動かないで」
絢は返事すら出来なかったが、夜叉月はすぐさま絢を覆う結界を張って、また軽やかに塔の上へと飛び上がって行ったのだった。
塔の上に戻った夜叉月は、今まで以上の気迫を背負って雪に向き直る。
「おかえりなさい」
「さっさと終わらせる。全員、どこからでもかかってこい」
夜叉月の内側から怒涛の如く、青銀の光が弾けた!




