第十七章 浅草寺の夜宴ー開宴ー 【後編】
現れた途端、青銀の狼が地を蹴る!
制吒迦の金剛棒を真っ向から受けて立とうと、蒼月が喰らいつくように大口を開け、ぶつかる直前――――
「氷華よ―――狂い咲け」
背後から、無数の刃のような攻撃が夜叉月を襲う。最初の一枚が夜叉月に触れる前に、袖を翻した夜叉月が、花弁のような光の刃を童子切で受け止めた。だが、怒涛の如く押し寄せるそれをすべて斬り伏せることは不可能だった。
いくつかの花弁が夜叉月の頬や首筋を掠め、白磁の肌に赤い筋を作る。
しかし、慌てることはない。夜叉月にはすべての花弁の軌道が見えている。
童子切を構え指を二本沿わせると、刀が纏っていた薄い青銀が輝きを増す。夜叉月が無数の花弁の束の中心を上下に裂くように一閃を繰り出すと、ぱりぃぃんと割れるような音とともに花弁は粉々になって消えた。
すぐ後ろから何かが風を切る音がする。動きを止める間もなく、夜叉月は低くしゃがむと、刀だけを振り上げて、気配の先を受け止めた。ずんっと重い衝撃がかかり、夜叉月の草履が石畳の上を僅かに滑る。
髪を振り乱し力の限り金剛坊を振り落とした制吒迦と刀越しに視線がぶつかった。
受け止めた力の反動を利用して、夜叉月は金剛棒を弾き飛ばす。
金剛棒とともに、制吒迦は境内の端まで飛んでいき、思い切り壁にぶつかる。いや、ぶつかる直前、くるりと身をかわし、まるで着地するように壁に足を付け、しゃがんだ体勢から再び飛んでこちらに向かってきている!
夜叉月は体勢を整え、僅かな目線で周囲を探った。
(―――蒼月はどこだ)
塔の下、碧い蓮花光が周囲より強く放たれている場所に蒼月はいた。そこで動きを封じられている蒼月は、首だけを左右に激しく振り乱して抜け出そうと悶えている。
夜叉月が微かに目を細めて塔を仰ぐ。
「……やってくれたな、矜羯羅」
童子切の刀身を撫でると、解放された蒼月が身を翻して制吒迦にもう一度向かっていった。
「蓮華光に気をつけろよ、蒼月。なるべく塔に近づくな」
夜叉月にとって、霊力の神使を無効化されるのは厄介だった。なんせ向こうは七人だ。身を潜めているやつらがいつ襲ってきてもおかしくはない。多勢に無勢。蒼月くらいの協力者は許してほしいものだ。
(仕方ない、先にあいつを片付けるか)
夜叉月は青銀の残光だけを置き去りにし、目にも留まらぬ速さで空を駆け上がる。
だが、夜叉月が着くより紙一重の差で、雪が先に矜羯羅の前に立った。夜叉月は勢いを止めることなく童子切とともにぶつかっていく。火花を散らして刃と刃が噛み合い、甲高い打撃音が響き渡った。
黒曜石と翡翠がお互いを映し合った直後、童子切が雪を弾き払う。
雪は難なくくるりと回って、屋根の端に着地した。
「今日、僕たちは、あなたと力比べをしたいわけじゃない。……終わらせにきたんです」
「……俺も、そのつもりだが?」
下では蒼月の咆哮と金剛棒がそこら中を叩き回る轟音が響き渡っている。そこへ、ゴゴゴゴゴと地を揺るがすような音が増えた!
夜叉月が軽く振り返って確認すれば、そこには大蛇が地を這い蒼月を囲んでいる。今まさに、制吒迦の金剛棒と大蛇の牙を同時に浴びようとしていた。
(あちらも、なかなかに苦労しているようだな。だがあいつも軟じゃない)
「あなた相手に……上品に一人ずつ向かっていくような舐めた真似はしませんよ」
塔の真下から、地を蹴る軽やかな音が聞こえたあと、疾風の唸り声が迫ってきた。
「蒼月よ―――」
「氷華よ―――」
雪の刀と童子切が同時に光を増幅させ、下から飛び上がってきた男が振りかざす金剛棒の影が背後から迫る!
夜叉月が刀身を撫でた。
「切り裂け」
「狂い咲け」
下で大蛇に囲まれていた蒼月がぱっと姿を消し、塔の上に現れる。蒼月が夜叉月の背後を固め、雪の刀身が光の花弁へと姿を変える。背後からは金剛棒が空気を割いて振り落とされた!
その瞬間、矜羯羅が静かに合わせた掌も片方を上下逆に返し―――金剛棒を迎え撃とうとしていた蒼月が、なんと光の粒となって霧散してしまった!
(矜羯羅め……腕を上げたな……)
蒼月を再び呼び出す猶予はない。
前後から同時に繰り出される全力の夾撃に、夜叉月はただ一人で立ち向かうほかなくなった。
夜叉月は宙で身を翻すと、左手へと持ち替えた刀で頭上の金剛棒を鮮やかに受け流し、右手で引き抜いた鞘を捌いて押し寄せる花弁を悉く叩き落とした。
さらに刀を持ち替えた際、あらかじめ刀身に込めておいた霊気が弾ける。制吒迦のすぐ後ろに再び召喚された蒼月が大口を開けて間近に迫っていた。蒼月は、制吒迦の金剛棒を持った方の肩に容赦なく喰らいつく!
「ぐっ……!!!」
制吒迦はすぐに対処したものの間に合わず、血の滴る肩を押さえながら、なんとか金剛棒を引きずって数歩後退する。
「うおぉぉぉ!」
下の方で興奮気味に絶叫して、ぴょんぴょんと跳ねる二つの影。
(この声は、慧光と慧喜か)
すぐさま蒼月は消されてしまったが、これで相手の攻撃力を少し削ることが出来た。予定通りだ。
手負いとなった制吒迦にとどめを刺そうと、一歩踏み出したその瞬間―――夜叉月の足はぴたりと止まってしまった。
足だけではない、瞬きも、声も……呼吸さえも。全身の自由が完全に封じられたのだ!
(―――誘い込まれたか)
視界の端では、矜羯羅の手の印が再び変わっている。さらに気配を辿れば、常香炉の靄に身を潜めていた男もまた、密かに術を完了させていた。
(矜羯羅と……あいつか)
以前、この童子たちはこんなにも巧みに術を扱えていただろうか。なかなかに腕を上げたものだ、と夜叉月は感心すら覚える。
本来、夜叉月ほどの格であれば、護法童子の束縛術を解くことなど、そう難しいことではない。
だが、輪廻の鎖石によって、常より魂が雁字搦めに拘束されている現在の夜叉月にとって、動きを封じる類の術を打ち破るのは、なかなかに困難なことであった。しかも今回は、その手の玄人二人がかりだ!
童子切の中で真尋が、「自分一人でもやってやる」という気迫で暴れ出そうとしているが、真尋を自由にさせて暴走した邪気を止めるほうが苦労するのは目に見えている。
夜叉月は内側からの霊力でなんとか真尋を抑え込んだ。
どうしたものかと思案するうちに、雪の刀が再び輝きを増す。光の花弁がひらひらと優美に、しかしくっきりと夜叉月の周囲を取り囲んでいく。
「―――舞い踊れ」
花弁が牙を剥いて凶暴に暴れ出し、夜叉月を中心に竜巻のように旋回しながら、その円周を急速に狭めていく。
すると怒り狂った真尋が、夜叉月の制止を振り切って童子切から膨大な邪気を吐き出した!!
刀身からせり上がった渦巻く暗黒の靄が夜叉月を包み込み、内側から花弁の斬撃を激しく迎え撃つ。
だがそれは、夜叉月にとっても決して優しいものではなかった。夜叉月をも引きずり込むようなその暗黒は、輪廻の鎖石を締め上げ、彼の魂を削り取る。
(真尋!落ち着け!!)
声に出せず、頭の中で必死に呼びかけるが、返事はない。
金縛りのまま胸の激痛に耐えながら、真尋へ訴え続ける!!
―――このままでは呑み込まれる!!
―――ドガァァァン!!
激しい衝撃が、夜叉月の頭上を襲った。
真尋の邪気を抑え込むのに気を割かれていたのと、周囲を囲む暗黒が視界と思考を遮ったことで、反応が一瞬遅れたのだ。
結界が張られた五重塔の硬質な屋根へと激しく叩きつけられ、頭部から鮮血が流れ出す。暗い銀灰色の瓦葺きが、みるみるうちに赤く染まっていった。
―――ガツン。
たった今自分を叩き伏せたであろう巨大な金剛棒が、横たわる夜叉月の目の前に無造作に置かれる。
「さっきのお返しだ」
肩を血で染めた制吒迦が、再び容赦なく金剛棒を振り上げた。
―――その刹那、空から風を切る音とともに、黒く大きな影が飛んできて、金剛棒を弾き飛ばした!!
ガキィィィィン!
金剛棒は、衝撃音とともに制吒迦の手を離れ、塔の下へ落ちていく。
激突したのは大太刀だった。金剛棒を綺麗に弾いた大太刀は、繋がれた鎖に引き戻されるように、再び夜空へと舞い上がっていった。
「―――なんや、いい眺めやなぁ……」
緊迫した場にそぐわない朗らかな声が夜空から降ってきた。大太刀は流れる雲を裂くように大きく旋回した後、声の主の手によってぴたりと動きを止める。
大太刀を手にした男―――八人目の護法神が、五重塔の頂、相輪のさらに先端へ、音もなく降り立った。




