第十五章 売れっ子刀剣守護職人 【中編】
夜叉月と天翔がそろそろ店を出ようと、絢と店主に挨拶をしていたところに、常磐堂の入口に見慣れた扇子の男が、別の男を連れて入って来た。
「!!またお前か夜叉月!!油断も隙も無い男め!!」
―――またお前か、はこちらの台詞だ。
そう言いたげな顔で夜叉月が通り過ぎようとすると、夕澄の隣に立つ男が声を上げた。
「あれ?清さん?!」
その名で呼ばれて、やっと夜叉月はその男を認識する。
少しがたいの良い、豪快で明るいこの男は、老舗問屋の道楽息子で夜叉月の贔屓の客でもある―――宝田 萬太郎だった。
「やっぱり清さんじゃねぇか!」
「あぁ、萬太郎か。久しいな」
「最近は柳橋で張っても会えねぇってみんな言ってたところだ!俺も若い衆に張らせていたが、本当に捕まんねぇもんだから心配してたんだ!勝浦のじいさんも清さんのこと探し回ってる様子だったぜ?こんなところで会えるなんて、いやぁ俺は幸運だねぇ!」
夕澄は「柳橋」と聞いたところで、扇子から覗く目元を細め、怪訝そうに片眉を上げた。
「萬太郎、この男と知り合いだったのか?」
「あぁ!前から世話になってる!夕澄さんも顔が広いねぇ!清さんと親しかったなんてな!」
「「親しくない」」
間髪入れずに二人は否定する。
「益々胡散臭い男だ」
「胡散臭いもんか。この人は華族や政財界の重鎮がこぞってパトロンになりたがっている刀剣守護職だ。運良く(?)清さんといるときに命を狙われりゃ、用心棒の腕もぴかいちってね!」
後援者たちが重鎮だからこそ、夜叉月は客だけでなく、その客に用がある物騒な輩にまで張られているので、甚だ迷惑していた。用心棒など仕事ではなく、やむを得ずの結果だというのに。
人間の揉め事くらい人間同士で解決したらいい。
「俺もな、刀を見立ててもらったり、俺のコレクションを手入れしてもらったり、世話になってるのさ!清さんの腕と目は疑いようもねぇ!!清さんに研いでもらえれば、価値に箔がつくってもんだ!……だが人気者でな、約束を取り付けるのも一苦労さ!」
「……やめてくれ」
ふと視線を変えれば、湯呑を片付けようとしていた絢が、お盆を抱えたまま頼りなく俯いているのが目に入る。覗く横顔を見れば、澄んだ瞳を型どる睫毛が不安げに震えていた。
背後から絢に近づくと、絢と夜叉月の影が重なった。
はっとした絢が振り返る。彼女の揺れる髪から甘い白檀の香りがふわりと広がる。
絢からお盆を優しく奪うと、夜叉月は湯呑をその上に片づけていく。
「絢。私の名前を呼んで」
「…………………夜叉月」
ずいぶん間を開けてから答える絢が可愛くて、夜叉月はふっと笑みをこぼした。
「もう一度」
「……夜叉月」
「もう一度」
「夜叉月」
三度目でようやく躊躇わなくなった絢。夜叉月はお盆を置くと、そっと絢を覗き込んだ。
「そう。いつでも呼んで。……何も心配いらない」
夜叉月は、自分の帯から簪を引き抜くと、絢に見せるように蓮の花を揺らした。
「……ん?夜叉月?清さんのことかい?」
不思議そうに夜叉月を見ているが、この男、あまり細かいことを気にする性格ではない。
「まぁ、清さんがそうだって言うんだから、俺にとっては清さんだ!……でもまぁ、なるほどな!こんな美人に首ったけじゃあ、柳橋に現れないわけだ!」
「萬太郎、少し黙っていてくれないか?」
「夕澄さん、心配なのは分かるが、清さんなら間違いねぇさ」
「聞きたくない!!」
夕澄は萬太郎に八つ当たりしながら、別の顔を持つ夜叉月を「益々信用ならない男だ」と言わんばかりに、じとりとした目を向けている。
何やらぶつぶつと夜叉月への嫌味を垂れ流す夕澄の後ろで、「夕澄さんもそろそろ妹離れしねぇとなぁ。清さんも苦労人だねぇ、あっはっは!」と萬太郎が豪快に笑った。
「清さん、ここで会ったのも縁だしよ、ひとつ依頼を受けちゃくれねぇか?親父さん、頼んでたもんを」
「あぁ、届いているよ。待っていておくれ」
賑やかな一団に口を挟むことなく、穏やかな表情のまま空気のごとく馴染んでいた店主が、奥から刀を一本持ってきた。
「ありがとうよ、親父さん」
萬太郎が、静かに白鞘から刀身を半分ほど引き抜く。
華やかで波打つような丁子乱れの波紋。遠目から一目見ただけで上等な代物だと分かる。
「清さんにこいつを磨き上げてほしいんだ」
この刀からは完全に邪気が払われていた。流石常磐堂の手を渡った品である。
刀を受け取った夜叉月は、その清らかな刀身をもう一度自分の目で確認する。
根元から切っ先まで、黒曜石の視線が、撫でるように刀身を滑っていく。最後に、かたりと、鮮やかな手つきで丁寧に鞘に収めた。
「いいだろう」
「よし!よしっ!!やっぱり俺は幸運だねぇ!」
「早速預かろう。受け渡しは―――」
場所と日時を端的に伝えながら、夜叉月は刀を帯に差した。萬太郎は拳を握り、大喜びしている。
絢と店主と夕澄は、萬太郎の喜びように、夜叉月がどれだけすごい男なのかと、計りかねるように目を瞬かせていた。
「……いいな……夜叉月が研ぐの……見てみたい」
骨董を扱う者としての好奇心か、それとも夜叉月の新たな面を見たいと思う乙女心か―――絢の小さな本音が無意識に口をつく。
言ってしまった本人は、「おこがましい!」とでも思ったかのように両手で口を押さえるが、夜叉月が聞き逃すはずもない。
「見に来るか?」
夜叉月はどこまでも穏やかな笑みを絢に向ける。
「!!……は、はい!行きたいです!!も、もちろん、勉強のために!」
絢もぱぁっと笑顔を弾けさせた。ちょっとした可愛らしい言い訳も添えて。
「清さん!俺も行きたい!見せてくれ!」
「絢が行くなら私もいく!」
後でわぁわぁと喚く男たちには目もくれず、「門外不出だ」と夜叉月は感情のない声で一蹴した。
「あ、侮れないわね、あの男……」
「お、おぉ……。俺、何百年も一緒におるはずなんやけど、驚かされてばっかりや……」
店の隅では、小春が悔しそうに夜叉月へ睨みを利かせ、天翔は底が知れないといった様子で難しい顔をしながら腕組みしていた。
「絢姉ちゃんのこと、任せたからね。何か間違いがあったら……天翔、あんたのこと許さない」
「お、おぅ……」
どすのきいた小春の声が静かに天翔の耳に響く。
◇
「なぜお前までついてくる」
呆れた天翔はため息混じりに近づいて、夜叉月に小声で耳打ちした。
「お前……まだ明るい時間とは言え……女の子を間接的に家に誘ってるって分かっとる?ええんか、夜叉月。まだ付きおうてもない女を、言葉巧みに男の家に上げる不埒なやつと思われてまうかもしれんぞ」
「……」
絢との時間に浮かれるあまり、そんな考えに至りもしなかった夜叉月は、口を閉ざしてしまった。
心配になって前を歩く絢を見れば、足取り軽く、彼女もまたそんな警戒心は微塵もないようだった。
ひとまず安心するが、屋敷に着いた途端に絢に警戒されてしまうかもしれないし、全くもって油断は出来ない。
「絢が不安にならんよう、俺がうまくやってやるから…ほんま感謝せぇよ!!」
「……」
今回ばかりは、大人しく天翔の言葉に従うことにした。
三人並んで歩く時間はどこまでも穏やかだ。
「でもまぁ……なんやよかったな、夜叉月。幸せそうで何よりやわぁ」
「……」
天翔が、青く澄んで広がる遠くの空を見上げて独り言のように呟いた。わずかな草木の擦れる音にさえ簡単に掻き消されそうなそれは、隣を歩く夜叉月の耳にしか届かない。
(……本当に、よく干渉してくる奴らばかり集まるようになったもんだな―――)




