第十四章 回廊と木漏れ日 【後編】
夜叉月が集めた落ち葉を片付け、ひと通り掃除を終える頃、回廊の奥からトントントン…と、軽やかに板張りを叩く音が近づいてきた。
「夜叉月」
心地よい声に呼ばれて振り返れば、中の仕事を終えてきたのか、小さな盆を抱えた絢が、一段高いそこからこちらに手を振っている。
盆の上には湯呑みが二つ。
絢は回廊の縁に腰かけ、隣をポンポンと叩いている。
夜叉月は太い木柱に箒を立てかけ、誘われるがまま絢の横に腰を降ろした。
「ほうじ茶です。どうぞ」
「ありがとう」
手渡されたのは、ほんのり湯気が立ち上がる厚手の湯呑み。
両手で包み込むと、陶器越しに、指先からじんわり温もりが伝わってきた。一口含むと、香ばしい香りが口いっぱいに広がる。
「……温まる」
絢が自分のために淹れてくれたことが嬉しくて、夜叉月は陶器を右へ左へ傾けながら、ゆらゆらと揺れる水面を楽しんでいる。
絢もまた機嫌よく足を揺らしながら、境内にそびえる杉の木を見上げていた。木漏れ日に透ける絢の横顔があまりに美しく、夜叉月は目が離せなくなってしまう。
ふと、絢がおもむろに夜叉月に向き直った。
「……今朝は、お兄ちゃんが失礼なことを言ってごめんなさい。あなたに傷ついてほしくなくて」
「私は大丈夫だよ。あれくらいで傷ついたりしない」
「……本当かしら?どんなに強い人だって、心の中は分からないもの」
そう言われると、夜叉月は悪戯を思いついた子どものような笑顔で絢を見た。
「……絢が心配してくれるなら……傷ついたことにしてもいい」
「――っ!もうっ!またそうやって!茶化さないでください」
「ははっ」
絢が赤くなって言い返すのが愛らしくて、夜叉月は声をあげて笑った。絢がそっぽを向いてしまったので、それ以上怒らせるのはやめにする。
夜叉月は両手を後ろにつき、ゆったりと空を見上げた。
絢は膝を抱えるように座り直し、顔を半分膝に埋めながら、大人しくなった夜叉月の方を盗み見る。
「お兄ちゃんは昔から、『俺よりいい男じゃないと認めない!』って口癖のように言っていたの」
「……」
(……妹思いの変態が)
正直、絢の口から他の男の話など聞きたくはないが、彼女の兄のことなので仕方がない。半分呆れる思いで、あのしょうもない「妹思い」の話を聞く。
夜叉月としては、彼の話にではなく、絢の声に耳を傾けているだけなのだが。
「……だからね……多分……」
絢が急に目線を泳がせて言い淀む。心なしか絢の頬が染まっていくような……。
夜叉月は不思議に思いながらも、絢を優しく見つめたまま、続きをじっと待った。
やがて絢は、観念したように目を瞑る。
「……多分……お兄ちゃんより『いい男』が現れちゃったから、焦っているんだと思います!」
「――っ」
夜叉月は目を大きく開き、口を薄く開けたまま動けなくなってしまった。
ぱっと立ち上がった絢の動作を目で追うことも出来ずに、夜叉月は固まったままだ。
「じゃあ、私はまだ仕事が残っているので!またね、夜叉月」
絢は盆を持つと、そのままあまりにも甘美な余韻を残して走り去ってしまった。その足音だけが夜叉月の耳に響いている。
静まり返った回廊。
しばらくして、「はぁー……」と深く大きな息を吐き出し、夜叉月は項垂れるように頭を垂れた。それから片手で目を覆って後ろに倒れ込む。
覆った手の下で、耳は朱に染まっていく。
胸の鼓動が落ち着くまで、夜叉月はしばらくその姿勢のまま動くことが出来なかった。
揺れる木漏れ日が、倒れ伏した夜叉月の上で優しく舞っていた。




