第十三章 縁結びの山神 【後編】
鈴の音が届くと、夜叉月の白んでいた視界が晴れていく。
「……絢」
刀を下げて振り返る夜叉月に悪霊たちが襲いかかった。
だが、輝きを取り戻した蒼月が、次々に弾き飛ばす。そのまま夜叉月を守るように背後をぐるりと囲み、それでも近づいてくる悪霊たちへ猛然と咆哮をあげた!
その衝撃波だけで有象無象の影たちが吹き飛んでいく。
―――シャリーン……
絢が袖を靡かせ、手を前に払うと、再び澄んだ音が夜空に響く。
夜叉月は立ちすくんで、ぼんやりとただその姿を見つめていた。
絢の瞳もまっすぐに夜叉月だけを映し出していた。
鈴がなる度、苦しんでいた悪霊たちが淡い光の砂となって消えていく。
夜叉月を染め上げていた黒い血さえ、柔らかな光となり、残らず清められていった。
いつの間にか、そこらじゅうで木霊していた叫び声も消え去り、鈴の音だけが静寂に反響していた。
(絢は綺麗だ)
自分の手など届くはずもない。
彼女の放つ神々しい光の前に、暗闇でしか映えることのない己の青銀の光が霞んで見えた。
視界も思考も明確になり、夜叉月は一度蒼月を撫でた。
「……行こう、蒼月。終わらせようか」
夜叉月は残りの怨霊たちの方を向き、まっすぐに刀を構える。
「蒼月―――疾走れ」
蒼月と夜叉月が、同時に闇を蹴った―――
最後の悪霊が光となって空へ還ると、篝火は消え、境内に暗闇が戻ってきた。地面に置かれた二つの提灯だけが、足元を照らしている。
結界が消えた途端、辺りを支配していた重苦しい気も無くなり、清涼な空気に切り替わる。
夜叉月が大きく吸い込めば、冷たいが心地良いそれが肺いっぱいに広がった。
「時間がかかってしまってすまなかった。寒かっただろう…」
何事もなかったかのように涼しい顔で戻ってきた夜叉月を、絢が正面から抱きしめた!
夜叉月は突然の出来事にそのまま固まってしまう。
「おかえりなさい、夜叉月。一人で背負わせてごめんなさい。気付くのが遅かった」
痛々しいほどに、絢の声は震えていた。
夜叉月は戸惑いながらも絢の背にそっと手を回し、宥めるように優しく撫でる。
「ははっ……こうして絢に守られていては、まったく格好がつかないな」
「……」
おどけるように言ってみたものの、反応はない。夜叉月は心配になり、彼女の表情を確かめようとしたが、絢の顔は夜叉月の胸元にぎゅつと押し当てられていて窺う余地もない。
「……絢?」
「……夜叉月」
「……はい」
「あなたが苦しい時は、私を呼んでください」
「……」
「返事をして?夜叉月」
「……はい」
胸を痛めるように伝えるその声は、夜叉月にはどこまでも甘く響く。胸が締め付けられるようで、息をすることすらままならない。
「それと……」
夜叉月に腕を回したまま、ようやく顔をあげた絢。その潤んだ瞳に、夜叉月の青銀の残光が映って揺らめく。
それは、あまりに甘美で妖艶で…思わず吸い込まれるように、近づきたくなる衝動に駆られた。
「あなたの纏うこの美しい光が……私はとても……好きです」
「……っ!」
もはや踏みとどまる力を失った夜叉月は、彼女の背に添えた手に力を込める。夜叉月の黒曜石が熱を帯び、絢と鼻先が触れあいそうな距離に近づいた、その時。
―――ぱちん!
軽い音が静寂を割った。
絢がはっとして正気に戻ると、慌てて夜叉月を押し退け、顔を両手で覆ってしまう。
夜叉月は、離れてしまったぬくもりを名残り惜しく思うと同時に、もはや用のない山神がまだそこに留まってことに殺意を覚えていた。
「お疲れ様!ありがとうね、助かったよ!」
相変わらず能天気な山神は、項垂れている様子の夜叉月にずいっと近づいて、耳元で囁いた。
「ところで、どうかな?私ってやはり、縁結びの神ってことでいいんじゃない?」
夜叉月は、この胡散臭い山神を相手にするのを早々にやめることにした。
そんなことより、恥ずかしさのあまり言葉を失っている、目の前の愛らしい彼女を見ていたかった。
今夜……千年の、そしてこれからも続くと覚悟した夜叉月の孤独は、絢の優しい光に導かれ、静かに消えていく―――
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