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あの場所へ  作者: ナオ
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21/25

21話 浅草の午後

 翌朝、ミカは上野の話をまだしていた。


「上野、よかったなあ」


 新宿のホテルで荷物をまとめながら、彼女は何度目か分からないくらい同じことを言った。


 リュウは笑いながらバッグのファスナーを閉める。


「昨日からそればっかりだな」


「だって、ちょうどよかったんだよ。怖くないし、ご飯あるし、公園あるし、ちょっと旅っぽいし」


「上野の評価、かなり高いな」


「パンダ見てないのに高い」


 サチも笑った。


「次に東京来たら、上野だけゆっくりでもいいね」


「それいい」


 ミカがすぐに頷く。


「動物園行って、アメ横で食べて、夜は早めにホテル」


「夜は早めなんだ」


 リュウが言う。


「夜は油断できないから」


 ナオはタブレットをバッグへ入れながら言った。


「今日は浅草へ行く」


 ミカの表情が少し明るくなった。


「浅草は大丈夫そう」


「基準が早いな」


「雷門、仲見世、食べ歩き。大丈夫そう」


 サチも嬉しそうに言った。


「浅草、いいね。観光っぽい」


「今日は観光寄りでいい」


 ナオがそう言うと、ミカは少し疑うような顔をした。


「本当に?」


「本当に」


「ナオさんの観光寄りは、途中で裏路地に入る可能性あるから」


「裏路地は無理に入らない」


「無理には、ってついた」


 リュウが笑う。


「ミカ、細かいな」


「大事だから」


 新宿から浅草へ向かう道のりは、東京の中を横切っていく感じがあった。


 車ではなく電車で移動する。


 駅の乗り換えに少し緊張しながらも、昨日までで都心の移動に少し慣れてきたせいか、4人の足取りはそこまで重くなかった。


 ミカも案内表示を見ながら言った。


「東京の駅、ちょっとだけ分かってきたかも」


 リュウが意外そうに見る。


「本当か?」


「ちょっとだけ。全部は無理」


「まあ、全部分かったらすごいな」


 サチはホームで電車を待ちながら言った。


「山道とは全然違うけど、これも旅の道だね」


「そうだな」


 ナオは頷いた。


「線路も道だからな」


「ナオさん、また道って言った」


 ミカが少し警戒する。


「今日は普通の道だ」


「普通って言葉、信じたい」


 浅草駅に着くと、空気がまた変わった。


 新宿や渋谷のような速度ではない。


 上野のような駅の余韻とも違う。


 観光客の声。


 人力車の案内。


 土産物の袋を持った人。


 着物を着て歩く若い女性たち。


 遠くに見える雷門の赤。


 街全体が、人を迎える顔をしていた。


 ミカは改札を出てすぐに言った。


「これは好き」


「早いな」


 リュウが笑う。


「でも分かるだろ」


「まあな」


 サチも周囲を見ながら微笑んだ。


「いいね。旅してるって感じがする」


「浅草は観光の強さがあるな」


 ナオは人の流れを見ながら言った。


「昔から人が集まる場所だし、今もちゃんと賑わってる」


「今日は怖い説明なし?」


 ミカが聞く。


「今日はまず食べる」


「最高」


 雷門へ向かう道は、人でにぎわっていた。


 外国人観光客も多く、スマホやカメラを構える人が何人もいる。


 大きな提灯の前では、順番に写真を撮っている人たちがいた。


 4人も少し離れた場所で足を止めた。


 ミカは提灯を見上げる。


「ちゃんと見ると大きいね」


「写真で見るより迫力あるな」


 リュウも言った。


 サチは少し楽しそうにナオを見る。


「撮る?」


「撮るか」


 4人は近くにいた観光客に頼み、雷門を背景に写真を撮ってもらった。


 ナオ、サチ、リュウ、ミカ。


 少し照れくさそうに立つ4人。


 撮ってくれた人がスマホを返しながら笑う。


「いい感じです」


「ありがとうございます」


 サチが画面を見て、少し嬉しそうに言った。


「いいね」


 ミカも覗き込む。


「普通の旅行写真だ」


「普通じゃない旅行みたいに言うな」


 リュウが言う。


「普通じゃない日も多かったじゃん」


「それはそうだな」


 ナオは写真を見た。


 雷門の前で笑う4人。


 昨日の代々木公園の古い写真とは違う。


 これは今の自分たちの写真だ。


 いつかこの写真も、今とは違う意味を持つのかもしれない。


 だが今日は、ただ楽しい写真でいい。


 仲見世通りへ入ると、ミカの目がさらに輝いた。


「食べ物が多い」


「そこか」


 リュウが言う。


「大事」


 サチも店先を見ながら笑った。


「これは迷うね」


「迷うなら、気になるものから食べればいい」


 ナオが言う。


「ナオくん、こういう時の判断力すごい」


「旅だからな」


 リュウが笑った。


「また出た」


 4人は仲見世をゆっくり進んだ。


 せんべい。


 人形焼。


 揚げまんじゅう。


 団子。


 土産物。


 提灯。


 扇子。


 細かいものがぎっしり並び、見ているだけで時間が過ぎていく。


 ミカは人形焼を買い、サチと分けた。


 ナオは別の店でせんべいを買い、リュウは甘いものよりしょっぱいものを探していた。


「リュウさん、飲みたくなってるでしょ」


 ミカが横目で見る。


「まだ言ってない」


「顔に出てる」


「浅草だぞ」


「理由になってない」


「上野でも言われたな」


「毎回言うからだよ」


 サチは笑いながら言った。


「昼過ぎに少しならいいんじゃない?」


 ミカはサチを見た。


「サチさん、最近リュウさん側に優しくない?」


「旅だから」


「サチさんまで」


 仲見世を抜け、浅草寺の境内へ入る。


 人は多いが、空気が少し変わる。


 観光の明るさの中に、参拝する場所の落ち着きが混ざる。


 ナオは手水を見て、少し歩調を落とした。


「ここはちゃんと参拝する」


「うん」


 サチが頷く。


 ミカも表情を少し整えた。


「怖がる場所じゃない、だよね」


「そう」


「その言葉、久しぶり」


 リュウが言った。


「秩父以来か?」


「そうだな」


 4人は参拝した。


 煙を浴び、手を合わせ、人の波から少し離れる。


 ミカは参拝を終えてから、ほっとしたように言った。


「浅草寺は大丈夫だった」


「大丈夫って何だ」


 リュウが笑う。


「ちゃんと明るかったし、人が多かったし、怖い感じじゃなかった」


「神社仏閣を安全判定するな」


「でも大事」


 ナオは境内を見ながら言った。


「浅草は信仰と観光と娯楽が重なってる場所だな」


「それは面白いね」


 サチが言う。


「ちゃんとお参りする人もいて、写真撮る人もいて、食べる人もいる」


「昔から人が集まってきた場所だからな」


「ナオさん、その説明は怖くない」


 ミカが言った。


「今日は合格」


「点数制なのか」


 昼食は浅草らしい店を探すことにした。


 人の多い通りを少し外れ、入りやすい店に入る。


 天ぷら、そば、定食。


 迷った末に、4人ともそれぞれしっかり頼んだ。


 リュウとミカは少しだけ飲み、ナオとサチは当然のようによく食べた。


 ミカは箸を持ちながら言った。


「浅草、かなり回復する」


「昨日も上野で回復してただろ」


 リュウが言う。


「東京って怖いだけじゃないんだね」


「当たり前だろ」


「新宿の夜から入ると、ちょっと怖いイメージ強くなるじゃん」


 サチが頷いた。


「分かる。上野と浅草で、東京の印象がまた変わった」


「街ごとに違うからな」


 ナオが答える。


「東京をひとまとめにすると、見えなくなるものが多い」


「先生出た」


 ミカが言った。


 リュウが笑う。


「でも今日は怖くない先生だな」


「怖くない先生ならいい」


 食事のあと、4人は浅草の裏手の方を少し歩いた。


 ただし、細い暗い路地へ深く入ることはしない。


 大通りから少しだけ外れた、店と住宅が混ざる道。


 観光客の声が少し遠のき、地元の生活の気配が見えてくる。


 古い看板。


 小さな飲み屋。


 昔ながらの店構え。


 路地の奥に干された洗濯物。


 ミカは辺りを見ながら言った。


「観光地のすぐ近くなのに、普通に生活してる感じがある」


「どこの街にもあるだろ」


 リュウが答える。


「でも浅草だと不思議。表はすごく観光地なのに」


 サチは店先の古いのれんを見ながら言った。


「この辺も歩いてて楽しいね」


「表だけじゃ分からないな」


 ナオは答えた。


「観光地として見せてる浅草と、暮らしの浅草がある」


「今日は深いところ行かないでね」


 ミカが言う。


「行かない」


「本当に?」


「本当に」


 その時、少し前方の店先で、小さな揉めごとが起きていた。


 揉めごとというほど大げさではない。


 年配の男性が、店の前で何かを探している。


 店主らしい女性が困った顔で話を聞いていた。


 ナオたちは近づきすぎず、通り過ぎようとした。


 しかし、男性の声が耳に入った。


「ここに、昔、写真館があったんだよ」


 その一言に、4人の足が少しだけ止まる。


 写真。


 昨日、一昨日の記憶がまだ新しい。


 ミカが小声で言う。


「また写真?」


「偶然だろ」


 リュウが答える。


 店主の女性は申し訳なさそうに言った。


「うちはもう30年以上この店ですからねえ。写真館は、もっと向こうだったんじゃないですか?」


「いや、ここだったと思うんだが」


 年配の男性は手に古い封筒を持っていた。


 中には写真らしきものが入っている。


 サチが小さくナオを見た。


「困ってるね」


 ナオは少しだけ考え、男性に声をかけた。


「すみません。何かお探しですか?」


 男性は振り返った。


 白髪交じりで、背は少し曲がっているが、目はしっかりしている。


「いや、昔ここに写真館があったと思ってね。古い写真を撮った場所を探してるんだ」


 ミカは小さく息を吐いた。


「写真を撮った場所……」


 男性は封筒から1枚の写真を取り出した。


 モノクロではないが、かなり色あせている。


 若い夫婦らしい男女が、和装で並んでいる写真だった。


 背景には、写真館らしいカーテンと椅子。


 男性はその写真を大事そうに持っていた。


「結婚した時に撮った写真でね。妻が亡くなって、荷物を整理してたら出てきたんだ。浅草で撮ったのは覚えてるんだが、場所がどうにも思い出せなくて」


 サチの表情が柔らかくなった。


「奥様との写真なんですね」


「ああ。若い頃のね」


 男性は照れたように笑った。


「今見ると、別人みたいだ」


 店主の女性も少し表情を和らげた。


「写真館なら、昔は何軒かありましたよ。ちょっと待ってくださいね」


 女性は店の奥から古い地図のコピーのようなものを持ってきた。


「商店会で昔の通りの話をした時にもらったやつです。この辺の店の変遷が少し載ってるんです」


 ナオはそれを見せてもらった。


 地図には、今はもうない店の名前がいくつか書かれている。


 写真館らしい名前もあった。


 ただ、男性が指している場所とは少しずれている。


「写真館は、この角を曲がった先にあったみたいですね」


 ナオが言うと、男性は目を細めた。


「そこか」


 店主の女性も頷いた。


「今は別のお店になってますけど、建物の一部は残ってるかもしれません」


 男性は何度も礼を言った。


「ありがとう。行ってみるよ」


 サチが少し心配そうに言う。


「おひとりで大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫。すぐそこだろう」


 男性は写真を封筒にしまい、ゆっくり歩き出した。


 4人はその後ろ姿をしばらく見ていた。


 ミカがぽつりと言った。


「写真、多いね」


「続くな」


 リュウも言った。


「でも、今回はちゃんと本人の写真だ」


「うん。持ち主がいる写真」


 サチが静かに答える。


 ナオは少しだけ迷ったが、男性の後を追うことはしなかった。


 今回は、そこまででいい。


 場所を探す手伝いはした。


 あとは、その人の時間だ。


 ミカがナオを見る。


「行かないの?」


「行かない」


「珍しい」


「全部を見届けなくていい」


 サチが頷いた。


「それがいいと思う」


 浅草の裏通りを抜けると、また観光客の多い通りへ戻った。


 さっきの男性のことは、ほんの少し胸に残った。


 代々木公園の知らない写真。


 渋谷の待ち合わせの男性。


 浅草の写真館を探す男性。


 最近の旅は、誰かの過去に触れることが増えている。


 けれど、同じ話ではない。


 それぞれ、少しずつ違う。


 持ち主の分からない約束。


 来るか分からない人を待つ時間。


 忘れかけた場所を探す記憶。


 ナオは、それを無理に怪談へ結びつける必要はないと思った。


 人の記憶そのものが、十分に不思議だった。


 夕方、4人は隅田川の方へ向かった。


 川沿いへ出ると、風が少し変わる。


 スカイツリーが遠くに見え、船が川を進んでいく。


 ミカは川を見て、少しだけ警戒したあと、すぐに肩の力を抜いた。


「今日の水は大丈夫」


「よかったな」


 リュウが言う。


「上野の池も大丈夫だったし、浅草の川も大丈夫」


「だいぶ回復したな」


 サチは川沿いの手すりにもたれない程度に立ち、遠くを見た。


「東京って、水も多いんだね」


「川と街が近いからな」


 ナオが答える。


「この川を下っていけば、やがて東京湾へ出る」


「東京湾」


 ミカが反応した。


「そこから千葉?」


「ああ。そろそろ東京を抜けて、千葉へ向かう流れになる」


 リュウが少し楽しそうに言った。


「海側か」


「千葉はまた雰囲気変わりそうだね」


 サチも言う。


「山、街、海って来る感じ」


「いいね」


 ミカは川を見ながら頷いた。


「海は怖いけど、ご飯美味しそう」


「やっぱりそこか」


 リュウが笑った。


 夜になる前に、4人は浅草を離れた。


 今日は新宿へ戻らず、東京駅方面へ移動して泊まることにした。


 翌日以降、東京駅や湾岸方面を見て、そこから千葉へ向かうためだった。


 電車で移動しながら、ミカは少し眠そうにしていた。


「浅草、よかった」


「今日も気に入ったな」


 リュウが言う。


「うん。食べ物あったし、観光っぽかったし、怖すぎなかった」


「写真の男性は?」


「あれは怖いというより、ちょっと切なかった」


 サチが頷く。


「奥様との写真、大事そうだったね」


「場所、見つけられたかな」


「たぶん」


 ナオが答える。


「見つからなくても、探しに来たことに意味があると思う」


 ミカは少し考えてから言った。


「ナオさん、今日はそれで納得できるんだ」


「今日はな」


「いい傾向」


 リュウが笑った。


 東京駅周辺のホテルに着いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 新宿とは違う、落ち着いた夜だった。


 ビルの明かりは多いが、街の音が少し整っている。


 ミカはホテルの部屋に入ると、ベッドに腰を下ろした。


「今日は平和だった」


「平和だったな」


 リュウが答える。


「でも、ちゃんと何か残った」


 サチが言った。


「浅草の写真館の話?」


「うん」


 ナオはタブレットを開いた。


 今日のメモを書く。


 浅草。


 雷門。


 仲見世。


 浅草寺。


 裏通り。


 写真館を探す男性。


 隅田川。


 東京湾へ続く水。


 最後に、一行を書いた。


 ――思い出は、場所を探して歩く。


 サチが横から見て、静かに頷いた。


「今日の話に合ってる」


「そうか」


「うん。いいと思う」


 ミカも覗き込んだ。


「怖くないけど、ちょっと残るやつ」


「最近、その系統多いな」


 リュウが言う。


「でも、くどくはないかも」


 ミカは少し考えてから答えた。


「うん。写真続きだけど、全部違う感じだった」


 ナオはその言葉に少し安心した。


 同じような話を重ねるのではなく、違う記憶に触れていく。


 その方が、この旅には合っている。


 明日は東京駅周辺。


 そして、その先には湾岸と千葉がある。


 山から始まり、街を抜け、少しずつ海へ近づいていく。


 旅はまた、別の空気へ入ろうとしていた。


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