第58話 枯れた白百合
王都・格納庫。
アルテミスは降ろされた。
整備兵たちが駆け寄る。
「後席の接続者は――」
言葉が止まる。
見えている。
血。
動かない身体。
フィーナは抱いたまま、動かない。
「姫、離れてください」
触れられた瞬間。
弾く。
「触らないで」
低い声。
誰も聞いたことのない温度。
整備兵が凍る。
ユユが走ってくる。
状況を見て、一瞬だけ止まる。
だが、すぐに冷静になる。
「フィーナ」
呼ぶ。
返事はない。
「フィーナ、レイを降ろさないと処置できない」
沈黙。
フィーナの腕が、さらに強く締まる。
「まだ、あったかい」
震える声。
「だから、大丈夫」
ユユの喉が詰まる。
だが言う。
「……フィーナ」
「心停止から何分経ってると思ってる」
その一言で。
世界が割れる。
フィーナの目が、ゆっくりユユを見る。
理解していない顔。
「心停止?」
笑う。
乾いた笑い。
「レイが?」
「そんなわけないでしょ」
怒りが混じる。
「勝手に決めないで」
ユユは目を逸らさない。
「決めてない」
「計測値が出てる」
「脳波、ゼロ」
「接続、完全断絶」
数字。
事実。
技術者の言葉。
それは残酷だ。
フィーナの呼吸が乱れる。
「……嘘」
小さく。
「だって」
「愛してるって」
声が壊れる。
「やっと、言ってくれたのに」
その瞬間。
何かが、折れる。
フィーナの身体から力が抜ける。
レイの身体が、ずり落ちる。
整備兵が支える。
フィーナの手は、空を掴む。
「返して」
誰に向けてか分からない。
「返して」
叫ぶ。
「返してよ!!」
格納庫に響く。
金属壁が震える。
「やだ、やだ、やだ、やだ」
子どものように。
膝をつく。
床を叩く。
「私が上げたの」
「90にしたの」
「もっと、上げられた」
「私が――」
呼吸が壊れる。
過呼吸。
視界が白くなる。
ユユが抱き止める。
「違う」
「違うから」
「フィーナ!」
振り払う。
「触らないで!!」
静まり返る格納庫。
フィーナは立ち上がる。
レイの方へ。
しかし足がもつれる。
倒れる。
それでも這う。
白いスーツの裾が、血で汚れる。
「レイ」
掠れた声。
もう、涙は出ない。
目が乾いている。
壊れた人間の目。
「ねえ」
「私がいるよ?」
「私がいるから」
言葉が、遅れて自分を刺す。
レイが言っていた言葉。
“俺がいる”
それを、自分が言っている。
なのに。
返らない。
完全な、静寂。
その瞬間。
フィーナの中で、
何かが完全に崩壊する。
残響が、ない。
静かすぎる。
「……静か」
ぽつり。
笑う。
「静かだね、レイ」
狂気に近い微笑。
「うるさくないね」
ユユの背筋が凍る。
これは泣いている顔ではない。
壊れている。
フィーナはゆっくり立ち上がる。
ふらつきながら。
アルテミスを見る。
白百合。
赤く染まった機体。
「……もう一回」
誰にも聞こえない声。
「共有、すればいい」
ユユが息を呑む。
「フィーナ、それは――」
「まだ接続できる」
「90までいけた」
「100にすればいい」
目が、正気ではない。
「レイ、まだそこにいるかもしれない」
格納庫が凍る。
「フィーナ」
ユユの声が震える。
「レイは、もういない」
その一言。
フィーナの目が、完全に色を失う。
空洞。
「……あ」
力が抜ける。
その場に崩れ落ちる。
動かない。
泣かない。
叫ばない。
ただ、壊れた人形のように。
白百合は枯れた。
主を失ったわけではない。
隣を失ったのだ。




