第40話 静かすぎる夜
要塞奪還から三日目。
共和国旗は高く掲げられたまま、城壁の上で揺れている。
昼間は補給と再編。
簡易の接続テストも行われた。
10%。
数値は正常。
波形も、乱れない。
だが――
「……やっぱり、薄い」
フィーナは接続席の中で小さく呟いた。
「何が?」
ユユが外部モニター越しに聞く。
「残響」
本来なら、10%でも胸の奥をざわめきが撫でる。
かすかな不快と、圧。
でも今日は。
遠い。
静かすぎる。
ユユはログを確認する。
「安定してるよ。むしろ綺麗」
フィーナは頷く。
それ以上は言わない。
強くなっただけかもしれない。
そう思い込む。
けれど。
胸の奥に、ぽっかり空いたような感覚が残った。
⸻
午後。
整備区画。
アルテミスの外装を確認していたとき、
フィーナの手から工具が滑り落ちる。
軽い金属音。
その瞬間。
レイの手が、強くフィーナの腕を掴んだ。
「大丈夫か」
声が低い。
近い。
フィーナは目を瞬く。
「う、うん……落としただけ」
レイは一拍遅れて手を離す。
自分の行動を追認するように、視線を落とした。
「……過剰だった」
「守られすぎだよ」
フィーナは笑ってみせる。
冗談のつもり。
だがレイは真顔のまま。
「守る必要がある」
「俺が――」
言葉が止まる。
自分でも、何を言おうとしたのか分からないように。
フィーナは少しだけ、胸が温かくなる。
そして、少しだけ怖くなる。
⸻
夜。
三日目の要塞は、もう騒がしくない。
祝勝の余韻も落ち着き、
兵たちは持ち場に戻り、
静けさが広がっている。
フィーナは、割り当てられた部屋のベッドに座る。
灯りを落とす。
目を閉じる。
……静かだ。
残響は、ほとんど聞こえない。
以前なら、嬉しかったはずの静けさ。
でも今は。
……静かすぎる。
胸に手を当てる。
足りない。
何が?
分かっている。
それを認めたくないだけだ。
⸻
同じころ。
レイもまた、眠れずにいた。
自室のベッドに横になっても、
意識は沈まない。
静かだ。
残響はない。
だが。
落ち着かない。
銀の首飾りを握る。
冷たいはずの金属が、少し温い。
離れている。
その事実が、妙に重い。
理由は、分からない。
ただ。
今、フィーナの呼吸が聞こえないことが、
気にかかる。
レイは起き上がる。
⸻
廊下。
夜の要塞は薄暗い。
静まり返った石造りの通路。
曲がり角。
二人は、同時に足を止めた。
視線が合う。
「……」
フィーナが先に口を開く。
「眠れないの?」
「……ああ」
レイも問う。
「フィーナもか」
「うん」
短い沈黙。
理由は、言わない。
言わなくても、分かる気がした。
フィーナは小さく息を吸う。
「……部屋、行こっか」
問いではなく、提案。
レイは頷く。
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部屋。
灯りはつけない。
ベッドの端に並んで座る。
肩が触れる距離。
少しだけ。
静けさが変わる。
フィーナは気づく。
ああ。
これだ。
足りなかったのは。
隣にある体温。
レイもまた、同時に理解する。
これでいい。
言葉はない。
理屈もない。
ただ。
互いがいないと、
落ち着かないという事実だけが、はっきりする。
依存。
その言葉を、どちらも口にしない。
でも。
視線が重なった瞬間。
距離は、自然に縮まった。
触れる。
指先。
腕。
背。
唇。
ゆっくりと。
確認するように。
求めるように。
深く。
ベッドが沈む。
体温が重なる。
レイの腕がフィーナを抱く。
強すぎない。
でも、離さない。
フィーナはレイの胸に額を押しつける。
鼓動が聞こえる。
残響ではない。
生きている音。
「……静か」
フィーナが呟く。
「……ああ」
レイも答える。
今は、何も聞こえない。
不安も、ざわめきも。
ただ。
互いの呼吸だけ。
指が絡む。
ぎゅっと。
逃げないように。
逃がさないように。
そして。
二人は眠りに落ちる。
重なったまま。
離れずに。
⸻
朝は来る。
光が差し込む。
目を覚ましても。
腕は絡んだまま。
体温は、重なったまま。
フィーナは目を開き、
レイを見上げる。
レイも、目を開いている。
無言。
でも。
どちらも分かっている。
もう。
一人では、少し足りない。
それでも。
今は、それでいいと思ってしまった。




