第68話
白馬の王子様とは、白い馬に乗って現れる王子様である
しばしば過激なストーカーのような真似をするが、地位と財力と類稀な容貌を兼ね備えているから許される
そしてなにより、女の子を幸せに導く運命の人だからだ
では白馬の王子様を待ち続けて、代わりに遠ざけているものは何だろう
凡人
凡人とはどこにでもいる、特別でない人だ
そして特別でない人は、私のことも特別だと思っていない
そこはお互い様
白馬の王子様というのは、高い理想であると同時に特別な巡り合わせなのだ
私は私の片翼にみだりな相手を選びたくはない
連れ合いがいないのをそう言ってごまかしているわけではない
選り好みできる立場ではなかったが、譲れないものは譲れない
そこへいくと世間の人は現実的だ
妥協することを厭わない
特別でない人でも受け入れる度量がある
世の中のほとんどの人はそうやって物事に折り合いをつけて生きている
でなければ私だって生まれていなかっただろう
この世界で言えば、嵐は全然妥協で選択されるような相手ではない
まず女王だし、そうでなくてもかなりのお金持ちだ
お金はみんなが欲しがるきらびやかな思い出ではないが、いい家に住んでいい服を着て美味しいご飯が食べられる
人気があるかどうかは別として、十分すぎる高嶺の花だ
特別と言っていいだろう
じゃあなんで人気がイマイチなのか
この世界では、容姿で困ることはない
不快な体臭もしない
みんな制服だからファッションセンスで篩いにかけられることもほとんどない(未だに絶滅しないプロデューサー巻きを横目で見ながら)
こうやって間違った原因をひとつひとつ取り除いていくと、答えが残ってしまう
ただそうして行き着いてみても、嵐が特別悪い人間とは思わない
むしろ真面目で几帳面で部下の信頼も厚い
それが付き合って面白い人間かというと、まあ、そこはそれ
私は嫌いじゃないが
確かに嵐は人を笑わせるような人間ではない
あゆ様やフレオのように芸事で人を惹きつける人間でもない
その意味でもルーの対極にいる
でも聡明で気が利く
外で何か食べる時は奢ってくれる
煩わしそうなことも厭わずやってくれる
あれ?挙げてくと結構スパダリじゃん
嵐が男だったらなーみたいなことを生前よく言われたのではないかと思う
だったらこの世界でなら女の子にモテそうなものだが、違うのだ
この世界は女の子しかいなくて成立しているが、それは翻って男性性が求められていないということでもあった
あゆ様は男役をやるけど、あれでやっぱり女の子だ
いつもマニッシュなゾンダ様だが、男っぽく見えるということはない
男装の麗人という言葉そのものみたいな人だ
ブランですら、男ではこうはいかない
嵐は男だったらなというか、かなり男っぽいところがあるのだと思う
もちろん見た目では全然そうは思わない
どちらかといえば美人よりかわいいに勘定される側の人間だ
しかし忍者衆の頭領としてヒエラルキーの頂点にいること、一服寺唯一のアネモイとして責任を負わされていることが、嵐の人格を縛っているのだろう
あるいは元々嵐がそういう資質を備えていたから女王に指名されたのか
意識してみてわかったのは、まあ、押しが弱いってことだろうか
以前海に連れて行ってくれたときのような、先に立って歩いてくれる頼もしさは今や全然感じない
シイちゃんが言ってたような引っ込み思案とまではいかないが、手を引かないとついて来ない
包容力を期待しているが応えてくれないみたいな
男っぽいは男っぽいでも、年下の男の子というか
シゴデキなんだけど、それ以外のことはからっきしで
あー、それはそれで需要がありそうな気がするか
なんだろうな
とにかく嵐が男だったとして、付き合う?って言われたら、ないな、ってなってしまう
ちょっと残念な王子様だ
ただ嵐の人格形成において、もっとも大きな影響を与えていそうなのは、昔の女だ
結局一番引っかかるのはそこだ
私はフラウタ様の先代の身代わりではない
ゾンダ様からフラウタ様の先代の話を聞いて、嵐の人間性が腑に落ちたところはある
嵐の目が見ているのは私ではない、この街を去ってしまった、今はもういない女性だ
まだ昔の女に囚われているから、わざわざあんなことを言うんだ
本当に私だけを見る気があるのか
あれから度々嵐と一緒になるが、私の話を聞く時以外目を合わせない
心ここにあらずだ
そういう心を惑わす原因から解放されたいのかも知れないが、せめて自分が言ったことぐらいはやってほしい
「…嵐」
「…えっ?ああ、何?」
グラスのアイスラテをストローでかき混ぜながら、カフェの外をぼーっと眺めていた
ずっとこんな調子だ
「鬣のあるライオンでも歩いてた?」
「え?…いないよ、そんなの」
そう言って淋しげに笑う
確かに、私の妃になると言ってから普段見ない表情を見せてくれる
まあ、正直私も悪いところがある
結局、妃にするともしないとも言わないで、こうして一緒の時間を作っている
嵐を眺めながらすするコーヒーも悪くはない(奢りだし)
でもそろそろはっきり言わなければいけない
ごめんなさい、私───
私、何だ?
断るには消極的な理由しかなくて、ズルズルと来てしまっている
出来るけど、精神的ハードルが高い仕事を安請合いしてしまったときのような感覚
スカートではしごを登れと言われるような
いや、そのぐらいやろうと思えばいつでもできる
でもやっぱ無理
嫌な奴になるけど、最初で笑い飛ばしておけばよかった
はぁ…困ったな
ため息を飲み込んで外を見ると、天の助け
ブランが窓を叩き、何もない左手首を指さしている
「わかった。今行く」
ついてきていたが入店を拒んだので、飲み物を渡して外で待ってもらっていた
どうせまた「店の中は刀を抜くには狭いから」と言うのだろうが、この際狭い空間でも切り結ぶ技を身につけてもらえないだろうか
「じゃあ行くね。コーヒーありがと」
「うん。またね」
飲みかけのカップを持って駅前のカフェを出た
ここは最近できた、見るからにドトールみたいな店だ
忙しい女子高生にはありがたい、迅速さと簡便さを兼ね備えたかなり近代的な業態で、特にうまいわけでもないコーヒーを出すためにいちいち客を待たすあのチェーンとは違う
店の外から振り返ると、嵐はまだ撹拌を続けていた
「よくありませんぜ」
「苦手なんだよ、こういうの」
「…そうじゃありませんよ。約束があったのでは?」
と、また見えない腕時計を指す
約束?
なんか予定があったっけ
自慢じゃないがスケジュールのメモを取ったことはない
全部頭で記憶している
リマインダーを設定すると気が済んで忘れてしまうので、それもやったことがない
今までこれで予定を忘れたことなどない
しかしブランがしきりに時計を気にしろと指摘してくるからには、直近で何か守らなければいけない時間があるはずだ
自分の安物の腕時計を見る
午後6時半
えっ
まだ5時ぐらいじゃなかったっけ
時計が狂ったかと思って周囲の時計を探す
6時半
合ってる
あまりにも無為な時間の使い方だ
ただコーヒーを飲み下すだけの非生産的な
「あーっ!」
しまった、そうだ!
ルネに6時までに帰るって言ったんだ!
「覚えてるなら言ってよ!」
「苦手なんですよ、そういうの」
まったく、いつそんな減らず口覚えたんだ?
電車が通っているといっても、5分に1本来るような過密ダイヤではない
10分に1本と非常に牧歌的
一つとなりの駅までなら、歩いた方が早いと誤解させるくらいには
足早に一服寺の駅を離れ、上り下りの道をゆく
流石にこの時間は、ブランがいないとちょっと不安になる暗さだ
今まではこんな凡ミス犯さなかった
何かに囚われたせいで忘れてはいけないことを忘れ、忘れなければいけないことが頭から離れなくなる
人間、ほんのちょっとしたことで運命の歯車が狂ってしまう
何もかも整然と、完璧ではないにしても十分なやり直しの余裕を持って事が運んでいた
今まで飽きるほどやったことをただ繰り返すだけでよかった
ところが小骨一本つっかえただけで、さっきまで出来ていたことが何もできなくなる
私の大学受験はいわゆるAO入試という類のものだったので、9月中に日程が終了し、11月には合否が決まってしまう
数日前に一次選考の結果が出て、無事二次に進むことができた
準備期間は短いが、特に慌てるようなことは何もない
いつも通りやればいい
二次試験は小論文と面接だ
赤本読んでも始まらない
なので試験前日は友人と見通しの明るい話をして過ごした
大学受かったらどこに住む?セールのうちに卒業旅行に持ってく水着買おうよ
順風満帆
こんな時の全能感は、今なら地球を逆に回すことも出来ると錯覚するほどだ
だが友人はちょっと気が逸りすぎて、本当に地球を逆に回してしまった
と言っても、ほんの少し前の昔話だ
「そうだ、あの先輩覚えてる?ほら、えーと…」
友人はうろ覚えだったが、私には忘れることはできない
その年の春、卒業を前にしたその先輩に告られた
特に好みのタイプではなかったが、清潔な佇まいだし、将来有望そうな大学に合格を決めていた
私はこういうチャンスに恵まれなかったので、内心舞い上がりながらも、迷いを隠せない乙女を演出しつつ、貞淑な雰囲気でプロポーズを受け入れた
はずだったのだが
「あの先輩、宮比さんと付き合ってたらしいよ」
友人に悪気はない
だって友人にはその先輩に告られたことは話していない
なぜなら告られたそのすぐあと、先輩からやっぱりごめん、と断りを入れられていたからだ
その時なんと答えたか、今でもよく覚えている
ああ、そうですか
やっぱり、という気持ちがあった
でもこの友人の話で、やっとからくりに気付かされた
そうか、また宮比さんか
すっかり消化したはずだった気持ちが、再び形を持ち始めた
合否が出るのを待つまでもなかった
二次試験はボロボロだった
詰め込んだ知識も、練り上げた知恵も、握った砂のようにこぼれて消えた
意図しない敗れた恋バナは不可抗力だ
だがメンタルコントロールを根性論で押し切っていたら何度でも同じ間違いをする
まだ一般入試がある
気持ちを切り替えなければいけなかったが、その時の私には出来なかった
気にしても仕方がないことに囚われて、私は第一志望を逃した
予定が狂っただけで、人生の終わりではない
でもそこがかえって私を苦しめた
件の先輩は凡人であった
その時はもう宮比さんは学校に来なくなっていたが、私は宮比さんに負けたのだということを知らしめるためだけに現れた凡人だ
私はその先輩の特別ではなかった
通うつもりもなかった大学で無為な4年間を過ごし、本来なりたかったのと違う仕事に就いて3年
この世界に流れ着いた
そしてアネモイという官僚組織の一員となり、一種の特権階級となった
居候だけど
まあ正直、私のやりたかった社会貢献はこういうものではない
死んでもこういう世界があったというのは、見ようによっては救済かもしれない
だが棒に振った人生があるのは何も変わっていない
特にそれを忘れていない私にとっては、まだプラスにはなっていない
「ごめん!」
ただいま帰ったのは見ればわかる
なのでまず謝る
「…ご飯冷めちゃった」
「本当にごめんって!」
最大限の角度で拝み倒す
ルネはむっつりしている
食卓には大きめのフライパンごとフィデウアが置かれている
パスタで作るパエリアみたいな料理だ
もう湯気は立っていない
最近ルネは料理をするようになった
と言ってもあまり複雑でない、煮るか焼くか炒めるかで出来るワンパン・ワンポット料理だが
それでもブレゼなんて店で出そうな仕上がりのものだ
台所にも調味料が増えつつある
この世界でメシマズというのは今のところお目にかかったことがないが、パッとしない料理が可能なのはカレーで思い知っている
だからちゃんとした料理ができるというのは一定の才能だ
だがこの本の虫の部屋に料理の本はない
誰かに教えてもらっているのだ
嵐のことでいつまでも頭を抱えているわけにはいかない
消去法で嵐を断る理由はないが、同時に積極的に嵐を選ぶ理由がないのも明らかだった
嵐には悪いが、そろそろケリをつけよう




