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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第67話

実家を出て大学に通うまで、ちゃんとお付き合いというものを出来たことがなかった

…まあ、その後もうまく行ったとは言えない

大学の4年間で5人ほどと付き合ったが、誰とも長続きしなかった

正確には3年の夏頃には就活を理由に別れてそれっきりだった

学生時代というのは、縁を切るチャンスがいっぱい付いてくるボーナスタイムだ

いい相手を見つけるには何よりも試行回数が大事

私はそれを有効活用出来なかった

だがこの世界は社会に出た後よりも恐ろしい

ずーっと、永遠に、人との関係が続く

縁を切るにはそれなりの手続きが必要になる

それ以外だと、卒業

しかし少なくとも、街を去る者はもう思い残すことがないはずだ

らんがフラウタ様の先代とどういう関係で、どのくらい一緒にいたのかはわからない

知ってる人はいるようだが、根掘り葉掘りは好きじゃないし、それ自体に興味はない

ただここに置いていかれた嵐はそれで満足はしていなかった


「ただいま戻りましたわ」

「おかえり」

「おかえりー」

家主のいない人んちで、先に待ち構えているのももう慣れた

放課後のフレオは外の用事を済ませてくるため、私達の方が先に執務室に着いてしまうだけなのだが

「ブランが難しい顔してますわよ」

「簡単な顔してたことないよ」

フレオは肩をすくめてため息をひとつ

「最近のつむじさん、周りのことに目が行かなくなってるのではなくて?」

「そんなことないよ。前よりずっと色んなことに気を配ってる」

プラッドのこと、ハルとヴェルのこと、ゾンダ様のこと

もちろん公務もちゃんとこうしてこなしているし、冬休みは補習にならないよう勉強も忘れていない

ゾンダ様にああ言われてから、大事なものを見失わないように色んなことをちょっとづつ気にかけている

「実はまだあなたに引き継いでない、大事な仕事がありますの。ちゃんと弁えてもらえて?」

「なんか公私にまたがるようなことなの?」

「ある意味では」


我々アネモイはこの街を駆動する心臓だ

しかし実のところ、私達が何もしていなくても街は動いている

まず普段消費している食べ物は誰が手配するでもなく列車で運ばれてくる

その生産に従事している者はこの街にはいない

水道は蛇口をひねれば丘の上でも下でも関係なく威勢よく水が出る

誰も枯れることを案じてなどいない

電気もそう

空を切り分ける黒くて無粋な電線などは最早わざとらしいくらいだ

だってどこにも電線が繋がっていない部室長屋のコンセントでさえ、ちゃんと電気が来ているのだから

ブレーカー?

落とすことはできるが勝手に落ちたところは見たことがないとルネは言っていた

機械類はどうか

ラジオや扇風機は使い込むとすり減り、角が丸くなって塗装が剥がれたりするが、壊れるということを知らない

だがものを壊すことは出来た

写真部が高価な長玉をぶつけて割ってしまいしばらく塞ぎ込んでいたが、一服寺にあるカメラ屋に持っていくと一応修理ができるらしい

それはもちろん替えのレンズがどこからか運ばれて納品されるからだ

買うよりはずっと安いと言った写真部の顔は、それでも少しも明るさが見えなかった

そして下水道やゴミ

アイドルはうんこをしないが乙女はする

アブラハム・マズローという心理学者が言うには、排泄も自己実現に至るための最も根源的な生理的欲求のひとつなのだという

アイドルは自己実現を果たし、存在欲求を満たした超越者だからもううんこをする必要はないが、乙女はそこに至る過程の儚い存在というわけだ

この死を克服した世界で、便や尿のような老廃物が出るという事実は何より不思議なことだ

生理だって来ないのに

まあ確かに、生理欲なんてのは聞いたことがないが

しかし出てしまう老廃物はどこかへ行ってもらわなければ困る

これもまた、水道と同じようにレバーを引けば(ありがたいことに)臭いとともに何処かへ流れ去ってしまう

余談だがおならは普通に臭い

ゴミなどはもっと不思議に出来ていて、朝収集所にゴミ袋を出しておくといつの間にかなくなっているのだが、ゴミ収集車というのは現れない

何処からともなくブランの口笛と同じメロディーのオルゴールが聞こえたと思って振り返ると、綺麗さっぱり消え去っている

まるでゲームの倒した敵みたいだ

一度どうやって消えるのか目撃してやろうと一昼夜目を凝らしてみたが、ゴミ袋は翌朝までしぶとくその場に居座り続けた

しかし「もう諦めたら?」というルネの呆れ声に振り返った一瞬で私の一晩の努力は無に帰し、聞こえる優しい鳥の歌にゴミは片付けられたあとだった

おそらくみんなで代わる代わる監視していたらずっとそこにあり続けるのだろうが、何が楽しくてゴミを眺め続けるというのか

他にもっと面白いことはいくらでもある

鉄道は各校から委員を出して駅の業務を行っているが、運転士はいない

もちろん電車に運転士は乗っているが、生徒ではない

電車とともに花畑に消えていき、降りるところは誰も見たことがない

終点で反対方向の電車に乗り換えて一日中運転士の働きを眺めていたことがあるが、「しんこーぅ」という言葉以外発さなかった

降りる時、役務係にそれはキセルだと咎められたが、女王の公務だと言い張って難を逃れた


このように行政から経済活動に及ぶ様々なシステムやインフラは、そのほとんどが誰の手も借りずひとりでに機能している

資源やエネルギーの心配がないということは、利害の調整も必要ない

にも関わらず、この街には紛れもなく経済が存在している

限りのある何かをやりとりして、誰かが損をし、得をしているということだ

この世界で限りのあるもの、それはあろうことか時間なのだ

確かにルネが言った通り、この世界は永遠に同じ時を繰り返している

でも例えば、ある瞬間一服寺にいて、その時同時にザナドゥで起きたことを体験するのは不可能だ

また機会がくる?

本当にそうだろうか

いつかは勝つ、とかつてのツルちゃんは言った

そしてついに勝った

満足したらそれで終わり

ツルちゃんは卒業していなくなってしまった

卒業していってしまった人との思い出は二度と作ることが出来ない

人一人が体験できる瞬間には限りがある

ルネが言った通りまさにこれこそがこの世界の経済の原資であり、思い出がお金となって物品やサービスと交換されている所以だ

で、その一端を嵐が握っており、もう一端はフレオの仕事だったのだ


「思い出せなくなっても、まだその思い出に値打ちがあると思いまして?」

フレオに重たい段ボール箱を抱えさせられて、やってきたのは校舎裏の焼却炉だ

昔はこういうのが学校ごとに備え付けられていて、学校で出たゴミを燃やしていたという

私が物心つくより前に全国的に廃止されて、こうして実際に働いているのを見るのは初めてだ

中に隠れているのを知らずに火を点けられて、燃やされてしまった子供の霊がいるとかいないとか…そんな怪談すらも耳にしなかった

「思い出せない思い出って、思い出なの?」

まるで禅問答だ

「忘れていても写真は残るでしょう?写真を見てあのときは何があった、誰と一緒だった…そういうことが思い出せなくなったとき、その写真に意味がありまして?」

それはつまり、行った覚えのない場所や知らない人が写っている写真ということだ

「初めて見る写真にだって、何か思うところはあるんじゃないの」

「そこに自分が写っていても?」

「…それは…気味が悪いかな」

フレオの言いたいことがいまいちわからない

「わたくしは、あなたのせいで記憶を取り戻して、今までしてきたこの仕事の重みに今更ながら戸惑っていますの」

どさっ、と地面に置いたダンボールの中身は写真だった

「だからあえて正直に言いますけれど、これは人の記憶そのものなんですの」

かつては値打ちがついていたが、今となっては振り返る者もないただの記憶

「比喩的な意味ではありませんわ」

「?」

「これを燃やすと、ここに写った思い出も消えますの」

と写真の束を焼却炉に投げ込んだ

ぶわっと赤い火の粉が舞い散り、燃え移った火が瞬く間に写真を捩り、灰に変えていく

「ちょちょっ…え?どういうこと!?」

「こうしてみんなの記憶を整理して、みんなは失った思い出を作り直す…だからみんな飽きもせず、延々同じ一年を繰り返していられるんですの」

まるで順番が逆だ

これでは思い出を消し去るために写真に焼き付けているようなものだ

「待ってよ、写真なんて何枚でも焼き増し出来るじゃない」

「その写真を持っていたとしても、それは体験ではないでしょう。新聞で観光地の写真を見るのとどう違いまして?」

「それは…」

自分で撮った覚えもない、行った覚えもない観光地の写真

今や誰でも地球の姿を知っているが、ほとんどの人は実際に見たことがあるわけではない

それは記憶ではない、記録だ

しかもそれだって、宇宙飛行士や気象衛星が撮った写真の実物を見たことがある人なんてほとんどいない

我々が見ている地球の写真はコピーのコピーのそのまたコピーだ

いくら焼き増しても元の記憶を体験できているわけではない

だが写真を撮った宇宙飛行士は、たとえネガを焼かれようともその時の体験を忘れてしまうことは生涯ないだろう

「もちろん、街のみんなはこんなこと知りませんわ。時間が経つとただなんとなく忘れてしまう」

写真となった記憶を焼き捨て、街のみんなは新たに思い出を作る

循環とは違う

これはもっと大きな生態系の一部分だ

これから焼き捨てられる写真の束をぼーっと眺めていると、見慣れない風景が目に止まった

雪山

「これどこの写真?」

フレオは眉根にシワを寄せて何事か思い出そうとしている

「これは…そう、谷川岳ですわ」

「谷川岳あるの?」

「あるわけありませんでしょ。これは生前の記憶ですわ」

「えっ!?」

写真の束をかき分けて見慣れない風景…いやむしろ見慣れた風景を探す

親の顔より見た柱状節理に荒波が打ち付ける岬

これは東尋坊だ

道路をまたいで撮られた長大なマンモス団地、写っている歩道橋には新高島平駅前歩道橋と書かれている

富士山の五合目から上をスパッと切り取ったような平たい山…昔家族で行ったことがある、これは三原山だ

橋上駅のホームに入ってくるオレンジ色の古めかしい電車

柱の駅名板は西国分寺と読める

どれもこれもリリカポリスで撮られた写真ではない

大体カラー写真だ

みんなが持っているカメラは白黒でしか撮れない

「どうなってるの…どこにこんな写真があったの!?」

「みなさんの記憶の底に」

禅問答だ

質問と答えがループしている

だがもしこんな写真が市場に現れたら大騒ぎだ

とてつもない値がつくに違いない

つまりこれらの写真は、購買の壁もシャハルの質屋も経ず直接フレオのもとに持ち込まれたということになる

焼却炉の中でたちどころに丸まっていく写真は、消えていく悪夢かもしれない

「…アイちゃんのはないのかな」

「残念ながら、あっても記憶は消えないようですわ」

「…試したんだ」

「焼き捨てた時は覚えてませんでしたけれど」

「…ごめんね」

「喧嘩を売ったのはわたくしの方ですし。それに大切なこともたくさん思い出しましたわ」

そういう間にもみんなの記憶が炎の中で灰になっていく

「今はこうしてわたくしが写真を燃やしていますけれど、いずれつむじさんに代わってもらうときのために、どういう仕事か知っておいて頂きたくて、今日は呼んだんですの」

「…フレオはこの世界に満足しちゃったの?」

フレオは伏せた目で丸まっていく写真を見つめている

「どうでしょう。人というのは強欲ですから」

私はさっきからこの束の中に私の写真がないかと探しているが、私が思い出せないのかこの中にないのかはわからないが、見つからない

「さっき、思い出せなくなった思い出に値打ちがあるのか、と言いましたでしょ?不愉快な思い出も全く思い出せなくなれば前に進むことが出来る。みんな何もかも忘れてここにやってきても、心の奥底にはまだ思い出したくない記憶が眠っていて、夜ごと夢に見たりするんですのよ」

「つまり悪夢を燃やしているわけか」

「悪夢ばかりじゃありませんけれど」

フレオは哀しく笑った

甘い成功体験も過ぎれば毒になる

そういうことで身を滅ぼした子の一時の幸せも、こうして灰になっていく

「…わかった。私がやるよ」

段ボールから写真の束を掴んで、焼却炉に投げ入れた

「わたくし『いずれ』と言いましたでしょ?それで少し気になってることがありますの」

「…安易に燃やしちゃ駄目ってこと?」

「この写真の束は、今もわたくしのところに届けられていますわ」

「そりゃ執務室に住んでるからじゃないの」

「宛名もわたくしになってますの」

段ボールの蓋をめくると、貼り付けてある伝票には確かにフレオの名前が書いてある

差出人は「リリカポリス一同」となっている

実際そういう集団的な取り組みなのか、単に私達の理解に即した表現をこの世界が選んだだけなのかわからないが、とにかくこの差出人はフレオを選んでいる

「私は女王と見做されてないんだろうか」

「単にわたくしが執務室を離れていないからかもしれませんし、何かもっと別な事情があるのかもしれませんわ。ただ恐らく、これは今もまだわたくしの仕事だということは間違いないのでしょう」

真昼の女王にしては日陰者のような仕事だ

「フレオも先代からこれを引き継ぎされたの?」

「いいえ。実は先代が誰なのか、わたくしもよく知りませんの」

「…どういうこと?」

「わたくしがこの世界で目を覚ました時、リプスは空席でしたわ。その後どういうわけか女王に奉られて、その時写真を焼くようにという先代のメモを手渡されましたの」

「空席ってことあるんだ」

「そんなに長いことではなかったようですけれど。でもその時は、女王なんて言ってやることは不用品の処分か、って不貞腐れていましたわ」

「それで用もないのに町中を睨み歩いてたわけか」

「それですわ!目を配るということも女王の大事な仕事でしてよ!それを最近のつむじさんは…」

「わかった、わかったよ」

「ちっともわかっていませんわ!目に見える脅威しか把握しようとしていないでしょう!みんなのちょっとした振る舞いの変化から、これから起こりうる事態を察して…」

「そこまでやったら下衆の勘繰りになっちゃうでしょ。客観的な事実だけ評価しないと」

「十分客観的でしてよ!近頃の街の様子、ご存じないんでしょう!?」

「…いや、いつもと変わんないと思うけど」

「まったくもう…ついていらっしゃい!」

「なんで。なんかおかしいとこある?」


感慨もそこそこに大急ぎで残りの古い記憶を焼き捨て、官邸への帰途に一服寺のペデストリアンデッキを見て回った

「本当に気づきませんでしたの?」

11月の午後5時過ぎ

駅前は賑わっている

まだ制服も目立つ時間帯だ

…制服?

「あっ」

いない

一服寺の生徒の姿がない

いるのは白と黒の制服だけ、あとは私服だ

「いや…でも一服寺は電車で通学する子少ないし…」

「それを言ったら他の学校の生徒だって、通学でもないのにここに来てますわ」

放課後に連れ立って遊べそうなところはここかザナドゥになるが、ザナドゥは遊びの質が違う

買い物してスイーツを食べてみたいな寄り道は、結局こういう駅前の繁華街になる

「でも…なんで?自警団を警戒してる?」

改札の出口の脇にじっと立ち、10秒おきに腕時計を見る人

階段のそばで、昇ったり降りたりしていくのを逐一見送っている人

もう街灯が点いている時間なのにオープンカフェで本を読んでる人

しかも暗がりを背にしてだ

せめてカフェの灯りを頼ればいいのに

他にもそこかしこにあからさまに様子のおかしい人がいる

見るからにバカみたいだが、ただのバカではない

ここを通る人間が使う導線の節々を的確に押さえてはいる

ブランが言った通り、自警団はシイちゃんの挑発を無視できなかった

少なくとも目の届く範囲で一服寺が何かするのはリスクを伴う

…もっとも、自警団の目を眩ますぐらい忍者衆には造作もなさそうだが

「権力の空白が生じているのかも知れませんわ」

なるべくこの話題は持ち出さないようにしているが、シイちゃんに遠回しに聞いた感じだと、嵐の後任は既に候補が決まっているようだ

自分ではない、とシイちゃんは嘯いていたが

ただ少なくとも嵐の周辺は嵐の意向を汲んでいるし、多分一介の生徒達は次の女王が誰であれ、一服寺から出る分には特に文句はないと思う

「でも嵐は本当に本気みたい」

フレオは少し神妙な顔になって言い淀んだ

「…同情ならおやめなさい。今ザナドゥは浮足立っていますわ。自分達の番が巡ってきたと。ザナドゥの有象無象が女王のいない空隙を逃すはずがない。一服寺との微妙なバランスがどちらに傾いても、街は荒れるでしょう」

こんなことなら最初にはっきりお断りしておけばよかった

嵐にその意志がなくても街同士が争ってしまうのは詮無い話なのだが、そこに私が巻き込まれるのはとんだとばっちりだ

しかしそのことで嵐を責めるのは気がとがめる

私もつくづく甘いな

「フレオの先代がいなかった間も荒れてたの?」

「抗争というほど表面化してはいませんでしたけれど」


一服寺とザナドゥが奪い合っているものは時間だ

誰かの大切なひとときを我が物にしようと躍起になっている

こればかりは公平に分け合うことは出来ない

ゾンダ様は正しいのかも知れない

でも正しさってなんだろう

自分達こそが正義だと唱える人達は、自分の正しさが他人のそれに優越すると勘違いしている人達だ

揉め事はない方がもちろんいいが、だからと言って自分に都合のいい棒を振り回すのは正義ではない

だから法が存在して、遵守することが求められる

それが最も合理的な合意形成の手段だからだ

今私の手には、これまで以上に大きな力の趨勢が委ねられている

私の判断が正しさを決めることになってしまうかもしれない

嵐が投げ出したいのはまさにこういう責任のはずだ

私にはこういうものを思い通りにする力があると思われている

大変な誤解だが、結果から言えば物事が都合よく動いてしまっているのは事実だ

でも嵐は私の力を欲しているわけではない

過去の失恋?の傷を癒したいだけだ


すっかり夜の明かりに包まれたペデストリアンデッキで、回遊する放課後の残滓を眺める

「フレオはさあ、生前ファンがいっぱいいたんだよね」

「自慢じゃありませんけれど、頂いたプレゼントを収めるのに倉庫を借りるぐらいには」

「当然そういう中にはガチ恋勢もいたわけでしょ?将来フレオと一緒になるんだって、心の底から思ってるような人」

「いたかも知れませんわね」

「でもそういうファンとフレオが一緒になることは絶対ないじゃない?ファンは永遠に片思いをするしかない」

「つむじさんは、動物園のパンダを飼いたいと思ったことはありませんの?」

「あっ、私パンダ嫌いなんだよね…目つき悪いし」

「ゾウでもキリンでもなんでもいいですわ!…とにかく、わたくしは動物園の見世物で、ファンはチケットを買って動物を見に来る子供達なんですの。子供達が動物園の動物をどんなに気に入っても、自分の家で飼うことは出来ない。それでも動物が好きだから、足繁く動物園に通ってくれる。お互いの間にはどこにも接点がない、ねじれの位置にある関係。だから本当にその動物を好きになったら、動物園に通うよりも、もっと根本的に違うアプローチに辿り着くものですわ」

「動物園のオーナーになるとか?」

「そういうことですわ。そうやって、自らの人生をかけてわたくしに近づこうという姿は、立派で尊く感じます。下心しかないでしょうけど、心意気は買える。でもそれにわたくしが応じるかどうかは、別の話でしょう?」

デッキの手すりに頬杖をついて、ロータリーで泥警に興じている生徒を目で追う

牢屋のコインランドリーの守りは固い

「その人と同じ土俵に立ったのなら、相手は断ることも出来るのだということを肝に銘じなければいけませんわ」

「パンダは子供達に同情しない?」

「アイドルというのは、嘘をつく職業ですの。動物園と一緒。檻も餌もあるし、天敵もいない。でも子供達はあるがままの自然の姿を見たと思って帰っていきますわ」

泥棒の一人が犠牲になって牢屋を突破した

コインランドリーから大量の泥棒が脱獄する

「…まあ、同情することも時にはありますわ。でもわたくしがパンダと違うのは、子供達がチケットに支払ったお金で生活できてるって、自覚できることですわね」

「動物園のオーナーは不憫だね」

「よろしくて、つむじさん?同じ立場の人間に同情は無用でしてよ」

眼下の泥警は、圧倒的多数の脱獄を許してしまった警察の敗北でお開きになったようだ

みんな散り散りに家路につく


動物園の例えで言うなら、私も嵐も目つきが悪くてふてぶてしいパンダだ

嵐は動物園から出たがっているが、私は檻の外に出ることは出来ない

だが嵐を今の重責から解き放つことは、もしかしたら可能かもしれない

その時嵐がどうなるかはわからない

かつて焼き捨てられた嵐の悪夢も蘇る

二度と帰ることはない浮世の未練が、この世界での傷を覆い隠すかも知れない

…いや、やっぱり荒療治がすぎる

前に進む方法は他にも何かあるはずだ

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