河原鳩
昨日、半月ぶりに激しい夕立があり、田畑には恵みの雨が齎された。
「首の皮一枚繋がったところか……」
屋敷の縁側から外を眺める。
庭に出来た水溜まりに、朝日が綺麗に反射する。
しかし、まだ油断はできない。
これから葉月に向かうと、さらに厳しく日光が照り付ける日が続く。
「干魃にも水害にも負けず、丈夫で美味い作物は無いものか……」
「そんな万能なものがあったら、苦労ないですよ」
くすくすと笑いながら胡桃が庭先に顔を出した。
肩には見慣れた河原鳩を乗せている。
「おお、捏! 久しぶりだな!」
父上からの伝達手段はこの鳩による文だ。
帰巣本能が強く、奥州ぐらいなら一日で戻ってくる。
かちっ!
「はい、若」
手際良く、捏の足に付いた小さな筒から、紙切れを取り出し手渡された。
「どれどれ、戦況は如何程か……」
さっと目を通し、自分の顔が即、歪むのを感じた。
「ち、父上が……帰還……」
「思ったよりお早い……迎えが必要ですね……」
二年ぶり、父上が里に戻ってくる!
予想よりも大分早いが……あの量の依頼を全てこなしたというのか⁉︎
我が父ながら恐ろしい御方だ。
……それとも、早く戻らねばならぬ『何か』があったか?
捏を飛ばすと同時に移動し始めたとして……奥州を南下してきているだろうから……今頃、会津の辺りかな?
「行きは良いのだが……帰りは山のような土産品とちょっとした厄介事を持ち帰ってくる……。荷物持ちに組を出さねば……」
「今、手隙は亥ノ組と丑ノ組かと」
「ふむ……」
父上のことが……嫌いな訳ではない。
考え方の相違は大きいが……寧ろ、忍びとしては尊敬している。
ただ、色々と……面倒なのだ。
父からの文にはこう記されていた。
『寂しいから、もう帰る』と。
◇◇◇◇
まだ巳ノ刻、畑作業をしている亥ノ組と丑ノ組にそれぞれ声を掛けた。
二組が重ならぬよう別々の時刻を伝えて、屋敷に召集した。
屋敷に上がる時、丑ノ組が採れたてな曲がった胡瓜を持ってきてくれた。
瑞々しい青さ、水不足にしては上々の出来。
依頼の書状が数通届いていたので亥ノ組にはそちらを任せ、里長の迎えは丑ノ組に託すことにした。
あれ以来、丑ノ組は四人組のまま活動している。
必要とあれば、胡桃や年長者が補佐に回ることもあったが、補充を申し出てきたことは未だにない。
大樹の代わりは誰にも務まらない……可能性があるのは一人だけ、か。
いつも通り、囲炉裏端で指示を出す。
「千鳥、常吉、元、時人。お前達には里長の帰還迎入を任せる」
「はっ!」
全国、関所が無駄に多い。
一々支払っていては通行料も馬鹿にならないのだ。
「会津までは御用商人の振りで荷車を引いてくるはずだから、那須の辺りで合流してもらいたい。そこから山中を共に抜けてきてくれ」
「くるっくーー!」
「捏が里長の所まで案内してくれよう」
指先でちょいちょいと撫でると、河原鳩が機嫌良く喉を鳴らした。
四人の顔を順に見回す。
「手は足りるか? 此度は土産の荷が大分多そうだが……足りなければ鋼太郎か胡桃を遣わすが……」
私の言葉で、胡桃がちらりと四人を見遣る。
全員揃って一気に顔が青ざめる……そうか、この五人は同期、丑ノ組は胡桃の被害者達だな?
胡桃が視線を外し、遠くを見つめている……一体、何をやらかしたのだろう?
すると、千鳥が口を開いた。
「こ、この四人で参ります。荷が持てなければ……どれを運ぶかを里長にご選抜願う所存……若の名の元に!」
随分と頼もしい存在へと成長しているな。
父上……里長を甘やかしては良くない。うむ。
「頼んだぞ」
「はっ! それと若……」
千鳥の顔がふっと和らぐ。
「もし、蘇芳丸が研修任務に出る時は、自分達に声を掛けて下さい」
『みっちり鍛えてやりますよ』……そう言って四人は旅立っていった。
四人の背中を見送りながら、胡桃が口を開いた。
「……意外ですね、鋼太郎を推すとは」
「そうか? 辰ノ組の中では一番適任かと……力持ちだし……あ、噂をすれば……」
「ご、ご、御免下さぁ〜い……」
玄関から弱々しい声がする。
そちらに向かうと、籠皿に紫蘇と茗荷を乗せてきた鋼太郎がそわそわと、どこか落ち着かない様子で立っていた。
今日は重たい外套を外しているが、服の下にがちゃがちゃと暗器を隠し持っている。
相変わらず心配症な少年だ。
「ありがとう。今日の昼餉が今から楽しみだ」
「へへっ」
長い前髪の隙間から、優しい瞳がにこっと笑う。
心はまだ幼い。
「あっ!」
急に鋼太郎が声を上げる!
瞬間、ひゅんと風が吹き、玄関横の松の木から、こんっと音がした。
「で、で、では、失礼致します!」
鋼太郎が一礼し、ふっと気配が消え、立ち去った。
ふうっと胡桃が溜息を溢し、目を閉じている。
最近、溜息まみれだな。
補佐役として、色々と苦労をかけてばかりだ。
「足りないのは、自信……ですかね。小心者だ」
松の木に目を遣ると、毒蜂を仕留めた苦無が一本、幹に突き刺さっていた。
苦無の命中率は里でも随一だ。
それなのに、鋼太郎はいつも自信なさげにおどおどしている。
自信家な蘇芳丸と足して二で割れば、丁度良いかもしれない。
辰ノ組は皆、優秀であり、それぞれ劣等である。
「鉢ノ助は字が得意でない」
「あぁ、馬鹿ですからね」
……胡桃は後輩に辛辣だな。
「梅丸は耐久力に乏しいし、幹兵衛は視力が弱い。蘇芳丸は気配がまだまだ消しきれない」
順当に消去していけば、鋼太郎が五人の中で一番実践に向いている。
「忍びと言えど、人間だからな……得手不得手はあって当然……だが、それが命取りになるようでは……」
辰ノ組を元服させるわけにはいかないのだ。
「……では、若。私に足りないものは何ですかね?」
胡桃が不意に尋ねてきた。
「そうだね……胡桃は……非情さ……かな?」
厳しさは愛情だ。
突き放しているようで、けして見捨てたりはしない。
「なっ! ……買い被りすぎですよ」
私の言葉が予想外だったのか、ぷいっと胡桃が顔を背ける……おや、照れたか?
籠皿の紫蘇がふわりと揺れた。
台所のばあに籠皿を渡した。
「おや! まぁまぁまぁ!」
ああ茗荷好きだからな、満面の笑みを浮かべている。
囲炉裏端に戻り、火を点け、鉄瓶で湯を沸かす。
「そういえば……鋼太郎はいつからあんな風になったんですかね?」
「ん? 胡桃は知らなかったか? 鋼太郎は小さい頃、山で出会っちゃったんだよね」
「何にです?」
「熊」
「……」
湯が沸き、鉄瓶の蓋がかたかたと騒ぎ出した。




